家族で移住!直島を選んだ山岸家が移住を通して得たもの。

2017年11月10日(金)、東京から680キロも離れた小さなアートの島からはるばる来ていただいたのは、家族で直島に移住した山岸家の皆さん。講演していただいたのは「地方の子育てと仕事」について。ご夫妻のお話のポイントを、今回特別に公開します!

大好きな人と結婚して、子供が生まれて。これからの子育てのことで悩んでいる方は日本中にいらっしゃいます。文部科学省の調査によると「子育てに、悩みや不安がある」と答えた父母は全体の4 割弱もいたんです。子育ての場所や仕事の選択は、移住においてとても大切な要素の一つ。多くの方が憧れつつも踏み出しにくい “ 家族での移住 ” 。その先輩である山岸夫妻が、ご自身の体験談を語ってくださいました。是非ご覧ください。

【イベント概要】
地方の子育てと仕事セミナー ~ 先輩の家族移住体験談 ~
日時:2017 年11 月10 日(金)開催
場所:高田馬場OCビルB1F セミナールーム

<スピーカー>
山岸 正明さん
東京生まれ39歳。大学で建築を学び、マンションディベロッパーにて、不動産開発、企画デザインを担当。社内ベンチャーにてリノベーション事業の責任者を務める。移住後、島小屋の家守、直島町地域おこし協力隊、アイラブ湯の番台などを務める。

山岸 紗恵さん
茨城生まれ35歳大学で建築を学び、アートコーディネート、リノベーションに携わる。移住後、島小屋の運営、地域おこし協力隊を経て移住体験住宅の運営、輸入代理業などを務める。

<主催>
主催:LO活プロジェクト(Local+就活

 

暮らしを選ぶということ


正明さん
皆さんこんばんは!直島からはるばる来ました山岸と申します。今回は “ 山岸家の移住日記 ” と題しまして、私たちがどうやって東京から直島に移住したかお話しさせて頂きます。

早速ですが、皆さんに質問です。「移住」ってすごく幅広く捉えることができる言葉だと思うのですが、皆さんは移住についてどのようなイメージをお持ちですか?

男性参加者
「はいっ。生活や環境がガラッとかわる所に住む。」

正明さん
はい。かなりいい答えを言っていただいた感じはありますが(笑)移住ってどういうことなのか改めて考えてみてください。

僕たちが考える移住は「 “ 暮らし ” を “ 選ぶ ” こと」です。

今までずっと東京に住んでいたのですが、東京は親が住んでいたから住んでいた場所でした。だから、自分自身で暮らしを選ぶということはして来なかった。だけど、あることがあって暮らしを選択しようと思ったのが、移住のきっかけでした。

 

2人の歩んできた人生


正明さん
僕は東京生まれ東京育ちで、大学で建築を学んだ後にマンションディベロッパーに就職しました。働き始めは不動産開発や、新築マンションの企画デザインなどを担当した後に、社内ベンチャーでストックビジネスであるリノベーション事業を提案し、主に賃貸マンションのリノベーションに携わってきました。

リノベーション前(左)/ リノベーション後(右)
リノベーション前(左)/ リノベーション後(右)

これは下北沢の築40年くらいの古いマンションを、仕入れて、一棟まるまるリノベーションしたプロジェクトです。下北沢はクリエイターがすごく多いので、住宅の用途からSOHOオフィスにしました。その他にも、家の中にDJブースを作りたいという方の部屋をフルオーダーリノベーションしたり、築30年以上の実家の二階をリノベーションして賃貸にしたりしました。このように東京で、不動産の売買や企画、建築や関連するもののデザインなどを身につけてきました。

紗恵さん
山岸紗恵と申します。私は茨城県の常陸太田市という、のどかな田舎で育ち、大学に入る時に東京に出てきて建築の勉強をしました。

卒業後はキュレーターのアシスタントとして、主にパブリックアートのアートコーディネーターの仕事に就きました。例えば、再開発事業で狭くて薄暗い地下道をアーティストによる光と色の演出で楽しく清潔感のある空間にする、というような、建築にもアートにも携わる経験をしました。その後フリーランスになってからは、住宅やオフィスなどのリノベーションに携わってきました。出産前より子育ての時間をしっかり取りたいと思っていたので、会社に勤めていた頃から、先々はフリーランスになるつもりでいました。そういった経緯が今、直島で新しく始めた「magic tunnel」というプロジェクトにつながってきています。

このような仕事に関わらず、皆さんの興味関心が移住した時に役に立ってきますし、役立てていったら自然と仕事や暮らしは作り出せていくのかなと思います。

 

暮らしを変えるきっかけは?


正明さん
東京にいた時に、ずっとモヤモヤしている自分がいたんですよ。生まれも育ちも東京だったので、地方の暮らしに当然憧れがありました。当時は仕事をしながら「東京にいる意味ってなんだろう」、「このままずっとサラリーマンでいいのか」と考えていました。

<正明さんのモヤモヤ>
・東京にいる意味って?
・東京出身のため、地方の暮らしに憧れがあった
・このままずっと会社生活でいいのか
・会社でいつまでも働けるのか
・3.11、テロ事件、戦争、こわい
・住みたい環境や、自分らしい暮らしを選びたい
・拠点って1箇所である必要ないかもしれない

東京にいるときに3.11の地震も経験しましたし、テロや、戦争、他にも色々と感じることが多くて、東京ってなんかこわいなっていう、漠然とした気持ちが常にどこかでありました。働いてそれなりのスキルを身につけたので、そろそろ自分らしい暮らしを選択肢してもいいのかな、「拠点って東京である必要ってないよね」と考えていました。

紗恵さん
私は大学から東京に出てきたので、上京して独身で働いている頃は、暮らしも仕事も楽しく充実していました。でも、結婚して子育てまで考えた時に、自分が育ったような、のどかな環境で、日当たりのいいお家に住みながら子育てをしたいなと思いました。

<紗恵さんのモヤモヤ>
・子供と実家のように日当たりのいい家に住みたい
・子育て環境の良い場所でのんびり暮らしたい
・東京では保育園に入れるか不安
・東京でのイメージがあまり湧かない

また東京は “ せわしない ” ので、のんびりとしたところに長く住みたいなと。具体的には子育ての本質でない保育園不足の問題なども心配で、東京で未来のイメージが正直わきづらかったというのがあります。

正明さん
それでも、結婚したからといってすぐに移住を決断したわけではなかったんです。理由としては、東京には家も仕事もあって、友達も沢山いますし、情報も物も沢山あって、刺激や楽しいことも沢山ある。かたや仕事は仕事で忙しくやっていたので、移住を考える暇もなかったということがあります。ただ、その仕事を一生懸命やっていることで、将来がどうなるかという不安もありました。ただ目の前のことを一生懸命やり過ごしていく毎日だったように感じます。移住はしたいものの、正直 “ きっかけ ” がなかった、というのがその時東京で暮らしていた理由でした。

紗恵さん
結婚して1年くらいたって、いよいよ移住のきっけとなる出来事が起きたんです。それが娘の出産でした。それまでは、お互い地方の暮らしに興味はあっても、具体的に移住について話し合うことはなかったんですが、出産後すぐに、旦那さんから移住の提案がありました。(笑)

移住のきっかけは子供の出産
移住のきっかけは子供の出産

正明さん
「なんで東京で暮らしたんだっけ?」という疑問が、子供の顔を見た瞬間にクリアになりました。考え方がガラッと変わったんですね。東京は子供にとってベストなのかと考えました。東京で子育てをするイメージがわかないなと。待機児童の問題、狭くて危ない公園や道路。空気も悪いし、犯罪も多くて、あぶないから家の中で遊びなさい、なんてことは、したくないなという想いがありました。

あとは「現在の環境で仕事と子育てを両立できるか」という不安が、「もっと自分たちらしく豊かに暮らせる場所や暮らし方があるんじゃないか」という考え方に変わってきたんですね。

それは、急に考えられることではなくて、東京で培ってきたスキルや人脈があったからこそ、そう思える自分がいました。ただ、いつでも移住ってできるかというと、そうではないと思うんです。やっぱりそこには、きっかけやタイミング、いつまでに移住しなきゃいけないという計画があるはずなんです。子供が大きくなってからだと遅いなと僕たちは思ったので、今こそ移住しようと決断しました。

この子が生まれた次の日に、移住計画ノートを作り、書き始めました。色々考えました。やっぱり家も仕事も全く違う環境に移すのは結構ハードルの高いことですし、すぐに移住だ移住だといっても、皆さんもそうだとおもいますが何をしたらいいかわかりませんでした。なので、まずはノートに計画を書き出して、その上で整理をしていくということをやりました。

 

移住を決めるのは自分の歩数


紗恵さん
山岸家の移住のテーマは「子育て環境」「自分たちらしい仕事と暮らしをしていく」ことだと、この時に夫婦間で確認できました。

正明さん
移住を進める上で、まずはじめに考えたのは「いつ移住するのか」「どこに移住するのか」「どうやって移住するのか」の3つです。

まず、「いつ移住するか」ですが、子供の入園前にしようと決めました。子供が入園するということは社会デビューすることなので、社会デビューする前までに環境を整えておくことが目標でした。

次に「どこに移住するのか」ですが、福島の原発の問題だとか、地震のことは正直すごく気にしました。その時に漠然と南側の方に移住したいなというのがありましたね。候補として上がったのが小田原・直島・小豆島・女木島・別府です。

候補となった場所
候補となった場所

子供が生まれる前は東京との二拠点生活も考えていて、それが小田原でした。二拠点生活では東京と切り離した暮らしができないので、全然違う環境に暮らした方が良いんじゃないかと言うことで、小田原は却下しました。

その次に、別府なんですが、僕が温泉が大好きで温泉地に暮らしたいという趣味で検討をしましたが、ハザードマップをみると活断層がものすごく入ってるんです。また地震が起きてしまったら、「なんで移住したのかな?」ってことになるので、別府もなくしました。

そうした時に、なんとなく「この辺」という感じで残ったのが「直島」「女木島」「小豆島」という瀬戸内海に浮かぶ島々。あとは「岡山」「高松周辺」。実はこの辺りってすごく地震が少なく、また岡山は晴れの国と言われるくらい降水量が少ないんです。そういったところで穏やかに暮らせたらなというのがありました。

検討を進める中で、直島でのここで暮らしたいなという良い思い出*1を思い出し、最終的に直島にしようと絞り込みをかけました。

*1 ここで暮らしたいなという良い思い出
正明さんから個人的に伺った思い出・・・10年ほど前にお正月に直島に行ったんです。その時に外に食べにいこうと思ってフラフラしていたら、島の中学生の子が話しかけてくれて、宴会の余り物でよければとお寿司をくれました。とても温かい思い出です。移住を検討する中で、宿のおじさんに直島の由来を聞きました。1000年くらい前、直島は別の名前でした。保元の乱の濡れ衣を着せられた崇徳天皇が、島流しとなって直島に立ち寄ったところ、天皇は島の人たちにとても親切してもらい、「なんて素直な人たちのいる島なんだ」と感動して「直島」とつけたそうなんです。その話を聞いた時、10年前の思い出を思い出し、直島に決断する大きなきっかけとなりました。

絞り込みをかけるまでに、週末になると深夜バスに乗って全ての場所を訪れ地元の方に話を聞いて廻りました。直島も最終的に20回くらいは行ってます。(笑)

実際、直島の環境というのは瀬戸内海に浮かぶ小さな島で、人口が約3,100人、はじからはじまで約2kmで、最近ではアートの島として世界的にも有名になっています。例えば、島の玄関口には草間彌生の赤いかぼちゃがあったり、SANAAという建築家がフェリーターミナルを作っていたり、田舎でありながら都会的な部分があったり、国や年齢を問わず様々な人が入り混じる面白い島です。島には漁師さんもいて、ハマチやタイの養殖、タコ漁など、減ってきてはいますが漁業も盛んで。また、もともと宿場町だった集落には、焼き杉板の黒い壁が特徴的な古い街並みが残っているところもあります。

移住の絞り込みを終えて、「まずは直島で家探しをしよう」と決めました。何回も何回も現地に行って、ようやく紹介してもらった家が、築120年で20年くらい空き家だった、誰も見向きもしないようなインフラゼロの掘っ建て小屋でした(笑)「さすがにこれは住めないな」と思っていたのですが、瓦の感じとか焼き杉の感じとか、リノベーションの仕事をしていたのでアフターの素晴らしい状態をイメージできたんですね。だから普通の人が見たらただのボロ屋ですが僕たちはアフターのイメージをして、「これください!」っていっちゃったんです。お金もないのに(笑)

それからこの家を使ってビジネス展開を始めるわけです。これなんだかわかりますか?

家の中にテントを張ったビジネス
家の中にテントを張ったビジネス

これ実は、家の中にキャンプ場をつくっちゃったんです(笑)これは最近の写真なので、窓もあるんですが、元々はほぼ屋外みたいな状態の建物でした。そこで明日から始められるビジネスってなんだろうと考えた時に、自分が人の家の軒先にテント張って旅をしたことを思い出し、これは面白いなと。

それからもう一つ始めたのが山小屋での経験です。山小屋では、みんなで芋虫状態になって寝ますが、みんなが同じ山を登るというベクトルを持っているので、そんな状態がワクワクに変わるんですね。直島もアートを観るという同じベクトルを持った人たちが来るので、同じように楽しんでもらえると思いました。シャワーも水道も何にもない。ただテントを張って寝泊まりするだけの場所として「島小屋」という名前でスタートしました。(笑)

紗恵さん
アイデアを決めてから、私と娘が旦那さんより先に直島へ移住して、島小屋を季節営業することになりました。「こういうものをやります」と地域の方に色々と相談したところ、近くのカフェの女の子達が住んでいたシェアハウスの一室を借りることができて、こうして直島での暮らしがスタートしました。

そうこうしているうちに、隣のおばちゃんが遊びにきて娘の面倒をみてくれたり、挿し木した苗をくれたり、地域の輪に少しずつ入っていくことができました。

営業をしながら、同時にリノベーションも進めていきました。1年目は季節営業で次の年から通年営業をはじめたんですが、その年からゴールデンウィークに毎年「島小屋パラダイス」というマルシェ、ワークショップのイベントを始めました。観光のお客様だけじゃなくて、地域の方にも気軽に足を運んで欲しいという思いと目的でイベントを開催しました。出店者の方も元々の知り合いではなくて、移住をする過程で知り合った香川や岡山の方やに声をかけ、だんだんと参加してもらえるようになりました。夜は、シマシネマという野外映画会を開催しています。毎回何十人か来てくださるのですが、地域の方と観光の方が半々くらいで交流の場にもなっています。

正明さん
だんだんと「島小屋」が形になってきた後、「地域おこし協力隊」を直島町役場に提案しました。もともと直島はその制度はなかったんですね。なので、一から制度の説明をして、「僕たちは東京でこういうスキルを身につけてきたからこういうことができる」というプレゼンを当時の町長にしに行きました。

地域おこし協力隊の制度を導入して、「空き家バンクの仕組みを作り移住促進をする」という提案は、スムーズに進み、翌年には奥さんが地域おこし協力隊の第一号になりました。1年かけて空き家の実態を調べ、1300世帯のうちの100件くらいが空き家として出てきました。そのうちの10件くらいから「売ってもいい」「貸してもいい」というような回答があったので、それを元に2年目に僕が地域おこし協力隊として入って、2人で空き家を移住者と繋ぐ仕事をはじめました。その時僕たちが作った情報サイトがこの「直島カラーズ」というものです。

直島カラーズ
直島カラーズ

左の「直島で暮らす。」というのが空き家バンクになっていて、ここに「売っても良い」「貸しても良い」という情報を載せました。その隣の「直島で働く。」というのが就職の窓口になっていて、「直島を体験。」は仮住まいを使って実際に移住体験ができる情報を載せました。最後の「直島日記。」では移住者の生の声やイベントの情報などを掲載しています。あとは私たちで直島のPVを作ったので是非見てください。

 

仕事の変化と今後の暮らし


正明さん
初めから考えていたことなんですが、就職するのか起業するのか、専業でいくのか多業でいくのか、という選択肢の中で、僕たちは起業して多業をすることに決めました。

仕事の変化と今後
仕事の変化と今後

紗恵さん
私たちは皆さんに『起業をお勧めしたい』ということではありません。実際に直島は70%くらいの方がサラリーマンですし、それぞれに合った働きかたが一番です。ただ、私たちがイメージする暮らしの実現のためには、起業かつ他業をするべきだという判断になりました。

正明さん
任期が3年間の地域おこし協力隊を卒業した後、僕は、宅建士の資格を活かして、直島に一件もない不動産業をやろうとしています。それも空き家バンクの運営をしていると、売ることも貸すこともできないような家に度々出会うんですね。そんな時に、自分たちでリノベーションして、島の人に貸したり売ったりすることで、地域に貢献できればと思います。島小屋は継続して不動産業の窓口にもしていきます。

紗恵さん
私の方は、移住促進の活動から「宮浦の家」という移住体験住宅を始めました。また直島での暮らしの経験からmagic tunnelという屋号で「Tohe」という、子ども達の未来を作る日用品ブランドの輸入代理店をはじめました。Toheはベトナムの養護学校等でアートクラスを開き、子供達がクラスで描いた絵を主役に様々なグッズを生産します。そして、その利益の一部を子供達に還元するというプロジェクトです。

これまでの地域づくりの話や、移住の話と全然違うジャンルだと思われるかもしれませんが、私がみなさんにお伝えしたいのは、「直島に移住したからこそ、この仕事を始めた」ということです。ひとつは直島に外国の方がたくさん来るので、毎日英語を話すことによって、国内外に自然と目が向くようになったということ。そして、娘も絵を描くのが大好きだったり、私がもともとアート関係の仕事をしていたり、アートが身近にある環境に移住してきたということから、このプロジェクトがすごくしっくりきました。

私の考えでは、移住を進める際は、固定観念を持ちすぎない方が良いと思っています。「田舎に行ったらこういう仕事しかない」とか、「自分はこれしかできない」というような考えは可能性を低くしてしまいます。実際にその土地で暮らしてみると、良くも悪くも状況や環境の変化、そして心身の変化があるので、柔軟に行動していただいた方がうまくいくと私は思います。

そして娘に関して。直島には子ども園から中学校まであり、様々な年齢の友達もでき、近所のおじちゃんやおばちゃんとも仲良く楽しく過ごしています。地域の人も個性的で、漁師の女の子がカジキのツノを持って来てくれてスイカ割りをしたり、いつも観光客の道案内をしているおじいちゃんがいたり(笑)魅力的な人がいっぱいいるので、以前より楽しくて豊かな暮らしになってきています。

 

あなたの移住、はじめの一歩


正明さん
移住する時のはじめの一歩として何をするか。僕たちの考える大切なポイントを3つお話しさせていただきます。

  1. 「目的を明確にすること」
    何のために誰のために移住をするのかが明確になればなるほど、移住は実現に近づくと思います。これがあやふやだと、どんなに行動していても、どこかで言い訳をしたり、違う方向に行ってしまったりということがあるので、途中で変わってもいいんですが、何を目的にするかは、明確にしておいた方が良いと思います。
  2. 「5年後、10年後のビジョンを描いてみる」
    「自分の暮らしをどんな風にしたいのか」「どんな仕事をやりたいのか」「家族はどんな暮らしがしたいのか」ということを思い描いてみてください。これも先々変わってもいいんです。ビジョンがなければ行動にも移せませんし、ビジョンがあれば何かあっても軌道修正ができます。ぜひ、あなたのビジョンを描いてみてください。
  3. 「とにかく候補地にいって色んな人に話しを聞く」
    これが一番大切。現地の感覚を自分で噛みしめるというのは、とても重要なことです。ここを急いでしまって、「あっ、直島だ」みたいな感じで移住してしまうと多分後悔します。候補地はいくつあってもいいので、自分の暮らしのイメージとあっているか現地で充分に時間をとって確認してみてください。
移住の際に大切な3つのポイント
移住の際に大切な3つのポイント

この3つをやっておけば、移住の過程でブレないと思います。皆さん、是非自分達らしい暮らしのための移住を検討してみてください!ご静聴ありがとうございました。


(END)

多くの人の中には「固定観念」というものがあります。例えば、大学受験において東京大学は絶対に行けないと思ってしまったり、英語ができないから留学はできないと思ってしまったり、子育てのために移住をしたいけど、移住しても住む場所も仕事もないと思ってしまったり・・・。でも、それは自分が思っているだけで、現実ではそんなことはないと今回のセミナーを通して山岸夫妻は教えてくれました。

「移住」という言葉は、確かに人生の中で大きな決断です。それでも、例えば山岸夫妻が子供の顔をみて移住を決めたように、目的が明確であれば、そこから先はきっといろんな出会いに引き寄せられていくと思います。

ここに書いてある「移住において大切な3つのポイント」など山岸家の知恵が是非とも皆さんの参考になればと思います。また、本イベントを開催してくださいましたLO活プロジェクト(Local+就活)は、定期的にイベントを開催しております。ぜひチェックしてみてくださいね。

LO活プロジェクト(Local+就活)はこちら


 

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