【要注意】知ったら誰かにプレゼントしたくなる、おしゃれなネクタイのご紹介です。|山梨県富士吉田市

前略
男性に贈るとっておきのプレゼントに、頭を抱えているあなたへ

お気に入りのお店って、ありますか?

あるとしたら、なぜそこに行くのでしょうか。

明確な理由はわからないけれど、私のお気に入りのお店の共通点探しをしてみたら、見つけた共通点は「会いに行きたくなる人がいる」ということでした。

もう少し具体的にすると「その人の生み出す空間に居たい」という感覚の方が近いかもしれません。

そんな感覚になるお店、またひとつ見つけてしまいました。しかも大切な人へのプレゼントを探すのに、もってこいのお店なんです。

車のエンジニアを目指した大学生が、ネクタイづくりへ

今回の舞台は山梨県富士吉田市——。

富士山の麓にあるこの地域は、富士山の湧き水を使った「ハタオリ」の文化が1,000年以上も前から栄えており、「ハタオリマチ」と呼ばれている地域。ネクタイの生産量は日本一を誇ります。

そんな歴史あるハタオリマチの中でも国内で唯一、ネクタイの紗織り *1 を継承し続けている、HADACHU ORIMONO(羽田忠織物)で代表を務める羽田正二さんにお話を伺いました。

1935年に正二さんのお祖母様が2台の織り機で座布団生地やわらじ編みを始めたのをきっかけに、羽田忠織物は創業。羽田忠織物の2代目にあたる正二さんのお父様の代からフォーマルネクタイの生産や、ネクタイ生地のOEM*2 を中心に事業が展開していきます。

*1 紗織り
「紗」は夏の着物などに使われている、薄く透き通る絹織物。紗織りは、からみ織り、もじり織りのひとつで、よこ糸にたて糸をからませて織る織物。紗を織る事は容易ではなく、現在ではほとんど目にすることはない。
*2 OEM
製造を発注した相手先のブランドで販売される製品を製造すること。ハタオリマチの織物工場ではOEMの生地を生産している場所が多くある。

 

「物心が着いた時からネクタイを作っている姿をずっと見てきた」という正二さんは、羽田家の次男で、大の車好き。大学でも機械工学を専攻し、車のエンジニアになることを夢みて機械工学などを学んでいましたが、大学の卒業式の日、お母様から工場を支えてきたお父様が倒れたという一本の電話が入ります。

「織物は家業でしたから、ゆくゆくは継ぐことになるかもしれないとは思っていましたが、まさか大学卒業と同時になるとは思っていませんでしたね」

それでも織物工場を継ぐと決めた正二さんは、わからないことだらけの織物の世界に飛び込み、奮闘する毎日を送る中で徐々に、羽田忠織物やハタオリマチが置かれている状況を知っていくことになります。

ネクタイ嫌いが作る、本当に使いたいと思えるネクタイ

「OEMがいつか海外に流れていくことは一目瞭然でした。洋服やカーテンの生地が海外にシフトしていく状況を実際に見て、仲間の織物工場が次々に廃業していったんです」

海外の安い労働賃金の国へ仕事が流れていってしまい、織物の生産量は激減、衰退していくばかり。当時多くの織物工場がOEMで製造を行っていたため、有名ブランドを手がけるほど高い織物技術があるにも関わらず、「富士吉田市=織物の産地」として認知されることはありません。

「OEMが海外に移る日は急に訪れ、明日から仕事がないといった状況が当たり前でした。だからこそOEMがなくなる前に、自社のブランドを立ち上げなくてはいけないと考えていたんです」

そこで正二さんが目をつけたのは、今まで羽田忠織物がつくっていた黒と白の2色を使ったフォーマルなネクタイとは対照的な、カラフルで柄が多いカジュアルなネクタイ。

「実は私、羽田忠織物がつくっていたテカテカしたビジネス用のフォーマルなネクタイを “つけたい” と思ったことがなかったんです。自分が “つけたい” と思えるカラフルで柄の多いカジュアルなネクタイを、自分用に作り出したのが今のHADACHU ORIMONOの始まりです」

OEMに重きを置きながらも、カジュアルなネクタイを展示会に出展することを始めていたという正二さん。

「初めて展示会に出展した時はどんな反応をされるかとてもドキドキしましたが、”素敵なネクタイですね” と直接お声をいただけた時は本当に嬉しかったですね」

「今までOEMしかやっていなかったので、直接お客様の反応を見ることはありませんでした。だから展示会に出展した時、直接お客様とお話したり、反応を見たりすることがとても嬉しかったんです」

OEMに頼るのではなく、自社ブランドで進んでいく覚悟

展示会に何度か顔を出していたある時、正二さんはOEMに頼って生産を続けるのではなく、自社ブランド「HADACHU ORIMONO」に力を入れていく決断をします。当時、羽田忠織物の売り上げの大半はOEMが占めており、OEMの収入が減れば会社の継続も危ぶまれる状況。

この時正二さんに迫られた選択肢は、OEMの受注が無くなった時に工場を畳むか、自社ブランドを立ち上げ、自分たちで商品を売っていくかの二択だったといいます。

「好きなことができるならそれを追求してみたいと思って、思い切ってOEMに頼るのではなく、自社ブランドに力を入れていく決断をしました」

「あの時は変に自信もあったんです。展示会に出展していたネクタイがポツポツと売れていたので、展示会に出せば売れるんじゃないかと思っていたんです」

当時の自分を振り返り「本当に何も知らなかった」という正二さん。その言葉通り、思うように売れない日々が続きます。

トレンドを知った上で、自分の好きなことを追求していく

ネクタイの売り上げがうまく上がっていかないばかりか、今までのようにOEMからの安定した収入はありません。今まで以上に商品をしっかりと売っていく必要があると考えた正二さんは、自分の好きなものを売るだけではダメだと気づき、いろんな人からアドバイスをもらえるよう勉強をはじめました。

「株式会社ソーシャルデザイン研究所代表を務めるマーケティングアドバイザーの鈴木淳さんをはじめ、ザッパラスが運営されるWebサイト「藤巻百貨店」のプロデュースを行った藤巻幸大さんなど、いろんな方にお会いする中で、ブランディングが大切だということを知りました。どんな風にブランドを作っていくかを学んで、トレンドを知った上で、自分の好きなことを追求していくことが大切だったんです

正二さんの好きなものといえば「車」。昔のクラシックカーや車のポスターのイメージをネクタイにも反映させたいと、テーマを統一したHADACHU ORIMONOは、クールビズの影響でネクタイ産業が縮小していく中、ネクタイをファッションとして楽しみだした若者にヒットし、みるみるうちに売り上げを伸ばしていきました。

「これからはもっとネクタイを身近に感じてもらえたらいいなと思っています。ジーンズにジャケットを羽織って、ネクタイをつけたりしてもかっこいいんですよ。年齢を重ねるごとに、ネクタイの素材や柄を変えていけば一生楽しむこともできます」

「僕も驚いたんですが最近、展示会にいったらタートルネックを着た女性の方が蝶ネクタイをつけていたんです。洋服と同系色の蝶ネクタイがとてもお似合いでした。女性の方でも楽しめるので、ぜひ手にとってみていただきたいですね」

楽しそうに最近あった嬉しい出来事を話してくださる正二さん。決して楽ではなかった道のりを乗り越えてこれたのは、多くの人の支えがあったと言います。

成功の鍵は「熱い想い」と「変化できる力」

「正直HADACHU ORIMONOを立ち上げて2年が経った頃、もう売れないだろうと思っていました。売れないだろうという気持ちと、でも出したいという二つの気持ちを抱えたままずっとやってきました」

「今考えると、いろんな方と出会って、自分自身もデザインも売り上げもどんどん変わっていくのが面白かったんです。みなさんに助けられた部分が大きいですね。多くの方に育ててもらいました」

現在では500以上のアイテム数と、40件ほどの店舗と契約をしているというHADACHU ORIMONO。

今のHADACHU ORIMONOがあるのは「ネクタイを出し続けたい」という熱い想いを持ちながら、変化を楽しむ正二さんと、そんな正二さんを信じて支え続けてくれた周りの方がいてこそだったのだと感じるインタビューでした。

今後は富士吉田市が織物の産地であることをもっと多くの方に知ってもらえるよう展示会やイベントに力を入れていきたいと話す正二さん。これからのご活躍が楽しみです。

毎月第三土曜日には、正二さんこだわりのショップも解放しているので、普段はあまりつけないようなネクタイを探しにぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか?

\HADACHU ORIMONOのHPはこちら/

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