AKITA-MIYAGI-FUKUSHIMA
秋田・宮城・福島
※本レポートはシェアリングエコノミー協会東北支部初のイベント「東北のコミュニティを豊かにするシェアリングエコノミー」を記事にしています。
デジタルと地域コミュニティの融合に関心が集まりつつも、そもそもなぜ地域でデジタルを活用するべきなのか、自分の言葉で語れる人は多くないのではないでしょうか。
本記事では、人口減少が続く地域(今回の舞台は東北エリア)に根付く「シェア」や「共助」と「デジタル」を掛け合わせることで生まれる多様性について登壇者らが語りました。
モデレーター:集落でも自治体でも「住民票があることだけが重要ではない」ことがひとつテーマになっていますよね。空間的範囲を盛り上げるに留まらないというか。震災後10年、亀山さんは集落の再生に取り組む中で感じることはありますか。
亀山氏(以下敬称略):あまり集落という単位にこだわりすぎなくていいと思っています。もちろん、自分の場所を良くしていきたいというのはありますし、最初は僕自身も「宮城県石巻市蛤浜を残していきたい!」と、皆さんに協力をお願いしていたこともあります。
活動を始めてもうすぐ11年になるんですが、僕らはコロナ禍で「結局我々は何をしてきたのか」を改めて考えさせられたと思うんです。
それまで一番良いと思って住んでいた場所でも、世の中の流れや自然災害に逆らえずに、どんどん衰退していくことがある。
亀山:一般的に「地方創生」というと、「田舎が劣っているから、都市やお金がある人たちが助けましょう」といった独りよがりな雰囲気がありますよね。僕自身も少なからずそう思って活動しはじめた部分が多少ありましたし…。
地域にカフェをつくった時、本当にありがたいことに、お客様も仲間も応援者もどんどん増えていき、とにかく人が集まる場所にはなりましたが、結局、地域の人には逆に迷惑になっていた、ということが起きたんです。お客様が増えすぎて観光地化したことで、僕自身も本来自分が好きだと思って住んでいた浜の感じではなくなったと思いました。
亀山:僕が子どもの頃は、じいさんの漁についていって網を上げる手伝いをするのが面白かったし、近所の人たちが家族みたいな感じで、それで自分は幸せだったんですね。子どもながらに、一生こういう暮らしをしたいと思っていて。
「いい大学に行って大手企業に勤めなさい」とか、「公務員になりなさい」といった考え方の時代で、まさに自分もそういう考え方を刷り込まれて育ったんですが、それでも蛤浜に住みたくて、水産高校の教員になって戻ってきたんです。そういう理想的な暮らしが震災前には一応あった。でも、それが崩壊しました。
だから風化させないように、「とにかくビジネスで人を呼ぶしかない」と思って頑張ったんですけど、誰も幸せにならなかった。しかも、ある程度みんなそれぞれが稼いで独立したなか、コロナの影響で経済が一気にストップした状況にも関わらずです。
どんな時でも蛤浜の人たちは、「蛤浜は震災のときだって、戦争のときだって、生きてんだから大丈夫なんだよ」とたくましく生きていて。しかも、「網上げを手伝いにこいよ、バイト代やるから」と言ってくれるんです。皆さん70、80歳なんですけど、僕らより体力もあるし、稼いでもいる。稼いだうえでお金を使わない暮らしをして、誰が来ても拒まない。その姿を見て、改めてものすごく力強さがあるなと感じました。
震災のときもそうだったんです。救助が来なくても、お金が使えなくても、自分たちで食料を調達して、流れてきた木で水洗トイレをつくって、沢に風呂をつくって、風呂入ってね、と声をかけてくれる。現代はそんな “暮らしていく力” が改めて必要とされるときになったんじゃないかなと思います。
僕はこの魅力をどう伝えるかが問題であり、試されていることだと思っています。僕らは人を繋いだり、地元の人たちのエッセンスを受け継いだプロダクトをつくってお金にも変えていったり、そういうことが役割なんだろうな。
田舎はどこも消滅しそうなんですけど、暮らしてく力って財産だと思うんですよ。消費一辺倒の、お金を稼いでサービスだけ受ける生き方って、本当にそれって豊かで、力強く生きていけるんだろうか、と。災害が多い日本発で、暮らしていく力こそが外に打って出られるものになるんじゃないかなって思ってます。
モデレーター:蛤浜だと共助の仕組みがインフォーマルな文化としてあって、それを記録したり残したりしているんですね。
秋田県五城目町は、空間に捉われない「シェアビレッジ」の仕組みを作ってきたと思うんですが、実際にチャレンジされてきた、丑田さんはどうですか。
丑田氏(以下敬称略):いきなり脱線するんですけど、先月、フィンランドの森を放浪してたんですよ。
フィンランドには自然享受権っていうものがあって、誰でも森にアクセスできるんです。森の中で自由にベリーを採れるけど、森と持ち主に対してリスペクトを払って、再生できる量しか採らないようにする、そういう感覚が根付いているんですね。
これは森をコモンズ(共有地)として捉えていて、地球のコモンズ、誰もが所有してるけど誰も所有してないみたいな感覚なんですよね。
丑田:秋田県五城目町の話に戻すと、「マタギ」という熊を捕って暮らす人たちの発祥の地が五城目の内陸側にあるんですけど、彼らも似たような感覚なんです。熊は所有権や自治体の境界をいくらでも超えていくので、マタギたちにとって森や山は、誰かの所有物ではなくて、勝手に行き来するもの。
そういった狩猟採集的な感覚とか、誰も所有してない地球のコモンズであるって感覚は、今の世の中に少なくなってきていると思っていて。
誰かが所有して管理して、農耕的に育成して、計画的に生産して、生産量を増やすという考えとは全く異なる。山で料理するとか魚と戯れるっていう、コモンズを開いていく感覚は、東北ならではのキーワードになるんじゃないかなと。
丑田:一方で、所有権を全部手放す、ということも難しいですよね。だからこそ「これは絶対所有したいんだ」っていうものは所有したらいいと思います。
でもメンバーを緩やかに増やすことで、維持しやすくなって楽しさが増えることもあるんですよね。住民票がなくてもメンバーのようになれる「年貢制度」とか、そういうシステムをつくることで、何が起きるのか。
古民家だけじゃなくて、五城目には朝市通りという、500年以上朝市が続いている中心市街地があるんですね。おばあちゃんたちの組合で通りをコモニング(共有管理)して、商売をしてる。ただ、高齢化でこういった風景がどんどんなくなり始めているので、組合に参加してない人も参加できるようにしています。
一時的に参加できるような仕掛けをつくって、誰でも使えるようにするか、所有できるようにする。関わりのグラデーションを選択できるようにしていくと、人や地域は豊かになっていくんじゃないかなと思います。
丑田:さらに今回の本題でもある「デジタル」についてですが、これまでマタギがアナログな道具で管理してたものを、デジタルツールが登場したことによって、例えばGPSの位置情報によって安全に狩猟ができるようになるとか、力を引き出しやすくなってきたと思っていて。
例えば、デジタルの力で「貨幣経済」と「共助経済」など、経済圏も自分の中で複数併存させられるし、コミュニティもこれまで通りのアナログでリアルな集落の町内会も楽しめばいいし、住んではないけど石巻のコミュニティに参加してる人がいてもいいと思うし、仮想の村に住んでる人がいてもいい。デジタルがあることで複数のコミュニティや経済圏に所属しやすくなっているので、シェアリングエコノミー(*1)の概念は刺さってくるのかなと思いました。
*1 シェアリングエコノミー
個人が保有する遊休資産(スキルのような無形のものも含む)の貸出しを仲介するサービス
モデレーター:アナログとデジタルや、貨幣経済と共助の経済は別の世界として併存させていくのか、それとも境界をごちゃまぜにできるんでしょうか。
丑田:両方あっていいと思っています。例えばデジタル集落(デジタルをかけ合わせた新しい集落)だと、デジタルとアナログな建築が合体していくし、本当にアナログな領域で生きている例えば修行僧はデジタルがなくても生きていける。GPSなどのいろんなデジタルツールがあることで、安全に猟ができるのは、デジタルとアナログの融合でもあります。無理に融合させる必要はありませんが、融合することで豊かさが得られることも多いのではないかと思います。
現代だと、一般的には家づくりはプロの大工さんの仕事になっていますが、昔はみんながやっていたはずなんですよね。商品化、サービス化が進むことで、できる領域が狭まっていることがいろんな領域であると思うんですが、デジタル集落で例えば、民主化された道具があれば、中学生の子どもでも本棚をつくることができるんです。
遊びながらデジタルを使うことで、楽しく学習していけば、アナログな森林資源のポテンシャルもより多くの人が引き出しやすくなるはずです。
シェアやコモ二ングも同様で、1人で持っているよりもシェアした方が楽しいことが身体感覚でわかると豊かさは広がる。だからこそ、まずはより多くの体験機会が増えたらいいと思いますね。
モデレーター:ありがとうございます。星さんはLivingAnywhere Commons(*2)(以下、LAC)の取り組みとして福島県磐梯町で活動されていますが、磐梯町のコミュニティとデジタルがフィットしそうな部分はありますか。
*2 LivingAnywhere Commons
自宅やオフィス等、場所に縛られないライフスタイル「LivingAnywhere」を実践することを目的としたコミュニティのこと。 コミュニティメンバー(会員)になることで、複数拠点に展開するLAC を「共有して所有」し、全国の拠点を好きな時に利用することができる。
星氏(以下敬称略):まず、そもそもなぜ磐梯町で活動し始めたかというと、遊休施設がたまたまあったからなんです。その時は地域の中に熱量あるキーマンがいなかったので、自分が入っていくしかないかな、と思って、民間の立場も行政の立場も経験している私が入り込みました。
星:行政の方々とお話していると、彼らの判断基準として「失敗できないから安全策を取らざるを得ない」という一面と、「町民が幸せかどうか」に判断軸を持っている方がかなりいらっしゃいます。だからこそ、「自分たちがこういう形で関わることによって、町民の方がこんな風に幸せになります」という対話ができれば、一気に関わりしろが生まれます。
これは行政の方々だけでなく、地域の皆さんと接する上でも大事で、いかに相手の思いを引き出し、人と人を繋げていくかが重要だと思うので、一人一人の声を落とさないようにするためにも、デジタルを活用しながら、情報を集約し、誰でもアクセスできるような形は重要だと思います。
前編記事では、東北にて活躍されるプレイヤーたちから地域に根付く「シェア」や「共助」と「デジタル」を掛け合わせることで生まれる多様性についてお届けしました。後編記事では、より豊かに生きられるコミュニティをつくっていくために奮闘するプレイヤーたちが、デジタルと共存することでご自身が得たものを中心に実体験を語ります。
Editor's Note
東北地方と、デジタル、そして、シェアエコノミー。なかなか結びつきが想像できない2つでしたが、登壇者3名の言葉を聞いて初めて、コミュニティの在り方が技術を介して変わっていくことのおもしろさと、変わらないアナログなものの価値を感じました。
AYAMI NAKAZAWA
中澤 文実