関係人口
※本記事は「ローカルライター養成講座」を通じて、講座受講生が執筆した記事となります。(第3期募集もスタートしました。詳細をチェック)
予算がない、前例がない、他の市町村でやっていない。こんな“できない理由”探しはやめて、ポジティブな発想でやってみようーー。
こうした発想と自治体とは思えないスピード感で、町内外の人を巻き込みながら活躍する町。
そんな地域が北海道にあります。
東川町。1985年より「写真の町」をキーワードに地域づくりに取り組むこの町では、役場職員がさまざまなイベントを企画・主導。
活動予算となる協賛金を多くのパートナー企業から集める姿は、「営業マン」と言われるほどです。
東川町役場で写真の町課に所属する吉里演子さんは職場の様子をこう語ります。
「東川町役場はフットワークが軽い人ばかりです。みんなパッと行動に移します。そういう姿を見ると、私も負けてられないという気持ちが生まれます」(吉里さん)
東川町職員はなぜ、こうも能動的に行動できるのか。自らプレイヤーとしてさまざまな企画を立ち上げられるのか。
実際に役場で働かれている吉里さんへの取材を通して、その実態に迫ります──。
実は大阪出身の吉里さん。東川町に移住したきっかけは、写真甲子園という高校生の写真の全国大会でした。
高校生時代写真部に所属していた吉里さんは、東川町が主催する『写真甲子園』に出場し、東川町を初訪問。
「その時は周辺の美瑛町や上富良野町も訪れ、ただ楽しかったです」(吉里さん)
その後、写真学科のある大学に進学した吉里さんは、写真甲子園のボランティアスタッフの存在を知り、大学一年の夏、大会のボランティアとして東川町を再訪します。
「町の人と関わりながら、運営側として写真甲子園を見ることができました。出場選手である高校生のために、こんなにも多くの人が動いてくれていたのだなと驚きましたね。役場職員の方たちもスタッフTシャツを着て、目にクマを作りながら働いている姿をみて『かっこいいな』と」(吉里さん)
吉里さんの目に映ったのは、高校生がいかに作品作りに集中できるかを追求し、ボロボロになっている役場職員の姿。その姿に魅了された吉里さんは、それから卒業まで、毎年夏に写真甲子園のボランティアスタッフとして参加するようになりました。
「次第に、町の人にとっては、ボランティアスタッフもお客さんなんだと気が付きました。そこから『どうやったら、役場や町の人たちと同じ立場になれるのか』を考え始めたんです」(吉里さん)
その後、写真甲子園の時期以外にも東川町を見たいと、卒業制作の舞台の一つに東川町を選び、一年を通して東川町を訪れた吉里さん。町の人たちと触れ合う度に「ここに住みたい」と思うようになっていきます。
「移住するには仕事がないと暮らしていけない」と思っていた矢先、東川町役場から「臨時職員で写真の収蔵作業を行うスタッフを探している」という電話が。二つ返事で「行きます」と応募を決断します。
そんな吉里さんは、大学時代に憧れた役場職員という立場になって見えてきたことがあると言います。
「役場の人たちは『こう見えたらかっこ悪いかな』とか考えていないんです。どうしたら自分たちが持てるものを100%出して、『町を訪れる人たちに東川町を好きになってもらえるのか』みんなそこを目指しているんです」(吉里さん)
自分たちの町を好きになって欲しい。
純粋なその思いが役場職員の方たちを突き動かしている。大学時代の吉里さんが「かっこいい。一緒に働きたい」と思った理由は、役場職員の方たちが町を思う情熱から生まれていたのです。
では一体いつから、東川町役場の職員にこういった気風が生まれたのでしょうか。
1985年から「写真の町」というコンセプトで地域づくりを進めてきた東川町は、現在ではその取り組みに賛同した30を超える企業とパートナーシップを結んでいます。
いずれも有名な企業ばかり。これほどまでのパートナー企業と手を結ぶには、コンセプトを打ち出した当初から、役場職員の並々ならぬ努力があったそうです。
「まだ写真の町を打ち出したばかりの頃は、企業とも連携できるように役場職員が直接、営業にでていたそうです。有名な企業でもアポ無しで訪問することもあったそうで、中には怒られることもあったと聞いています」(吉里さん)
それでも、めげなかった当時の職員の皆さん。その姿勢と熱意が連綿と今現在も引き継がれているのです。
「昔から他の地域ではやっていないことに挑戦してきました。松岡町長になってからそれがより明確な姿勢となったのではないかと思います」(吉里さん)
東川町で20年間、首長を務めた松岡元町長は、予算がない・前例がない・他の町でもやっていないという「3つのない」に挑戦することを職員に奨励。もともと松岡さんご自身も東川町の役場職員であることから、前向きに挑戦する姿勢は、20年以上以前から醸成され続けた気風だということがわかります。
吉里さんがお会いした移住者には「北海道のいくつかの自治体に電話で移住相談をしたところ、一番積極的に情報を提供してくれたのが東川町だった」という理由で移住した方もいると言います。
「『泥臭くても一生懸命やったらいい』年齢関係なく相手を大事にしながら一生懸命働く人たちが集まっているのが東川町役場です。若手職員もそういった上の人たちから影響を受けて育っています」(吉里さん)
吉里さんが語る東川町役場の話からは、「お役所しごと」という言葉から連想される職場とは異なる風通しの良さがあります。一人一人が真剣に町の未来を考えて行動しているのです。
「東川町では若手職員の意見も積極的に採用されます。一般的にはよく聞く、若手が企画を提案したら『そういうのは経験のある人に任せて』なんて言われることはありません。一人一人の職員の意見を尊重してくれます」(吉里さん)
思いついた意見を提案していい環境が整えられており、入庁一年目の職員でも意見を求められる。実際に若手職員が提案したことが採用されるケースも珍しくありません。
「採用されると嬉しいじゃないですか。自分たちも認められているんだなと感じます。これが職員のモチベーションを上げているのではないでしょうか」(吉里さん)
次の時代の町を作っていくのは若手職員たち。彼らがやりたいことに挑戦できる環境を作ることで、常に「営業マン」らしい気風が受け継がれていることがわかりました。
さらに東川町役場では、部署を跨ぐプロジェクトが豊富。こうした時も、部署間の壁を感じることなく連携ができるそうです。
「私の事務所は庁舎から離れた東川町文化ギャラリーにあります。しかし、イベントの企画など、いろんな課の方と合同で仕事をする機会も多くて。そういう場では一般業務では関わりのない多様な職員に刺激をもらえるので、毎回新鮮な気持ちがしますね」(吉里さん)
また、何かに巻き込まれるのは役場内の人だけではありません。東川町に住む町民、町のお菓子屋さんや美容室のご店主などもどんどん巻き込んでいくと言うからすごい。
「役場だけではできなかったことも、町の人が運営に入ることで実現できます。役場職員だけでなく、町の人たちにも『自分たちも写真の町を盛り上げたい』という思いがあるのが素敵ですよね」(吉里さん)
例えば、写真甲子園に出場する高校生たちは、東川町に滞在中、町民のお宅にホームステイをします。そこで、高校生と町民が個人的に深く触れ合うことで、再訪してくれる人が増えたこの企画も、運営に町民が入ったことで生まれたアイディア。
「役場から『お宅に泊めてあげてください』とは言い難いじゃないですか。でも町民の方の中からそういう意見がでたので、みなさんが協力してくれました」(吉里さん)
参加した町民たちも、喜んでくれる高校生を見ることで、まだ関わっていない町の人を「次は炊き出しを一緒にやってみよう」と誘うようになったり。他にも町外からのボランティアスタッフを集い、多くの人たちを巻き込みます。
「イベントに関わってくれる人たちが、回数を重ねるごとに増えていくんです。それが日本全国、今では世界に広がりを見せています」(吉里さん)
役場の人、町の人、外から来てくれる人。巻き込んでいく人の輪が大きくなればなるほど、吉里さんも仕事のやりがいが大きくなっていくと言います。
「イベント期間中は忙しすぎて記憶がない日もあります。毎回『もうやめてやる』って思っちゃいます。でも、イベントが終わって、来てくれた人たちが『楽しかった、ありがとう』って言ってくれると、私も楽しかったなって思えて。次の日には、次の年どうするかを考え始めてます(笑)」(吉里さん)
人々が立場を超え、同じ目標に向かって走ることで、東川町のプロジェクトは年々成長していきます。役場職員の姿に感化された町民やボランティアスタッフが、また新しい人々を呼び込む。ポジティブなサイクルが生まれているのです。
写真の町・東川町の第一線で活躍している吉里さんには今後、個人的に挑戦したいことがあるそうです。それは、より町民に写真を身近に感じてもらうためのイベントを行うこと。
携帯電話やスマートフォンに写真の機能が付き、写真を“撮る”ことは一般的になりましたが、撮った写真を展示することや、展示を見ること自体には、ハードルの高さを感じている人が多いのではなないか、と吉里さんは推察します。
「気軽に文化ギャラリーを訪れてもらうために、ハロウィンやクリスマスにお菓子を配って写真撮影したり・夜間開館を行ってお茶会のようなイベントをやっています。町づくりの本筋じゃないかもしれませんが、そうやって少しでも垣根を低くできればと思っています」(吉里さん)
吉里さんが課の職員と一緒になってこうしたイベントを企画し運営することで、職場にも変化が。それまで、あまり意見をだしてこなかった職員も、こういうイベントならと積極的に関わってくれるようになったそうです。
「今までと違ったアプローチをすることで、これまでと違った可能性が生まれたり、人を巻き込めたりできると、最近気がついてきました。ちょっと肩の力を抜いたようなイベントも、楽しんでやっていけたらと思います」(吉里さん)
東川町役場の職員のかっこよさに憧れて移住を決めた吉里さん。今では町の新たな可能性を切り開くプロジェクトを自ら企画運営をする立場になりました。
役場職員が「営業マン」と称される東川町。
吉里さんのインタビューのなかで「役場で働いている私たちも、町の将来が楽しみなんです」と笑顔で話してくださいました。この「町の将来が楽しみ」という気持ちこそ、東川町の職員が積極的に動く原動力なのではないでしょうか。
積極的に動く人のところには、同じ目標を目指す人が自然と集まる。東川町は、そのサイクルを役場職員が生み出しています。この記事を読んだみなさんも、もう東川町の将来が楽しみになってきたのではないでしょうか。
Editor's Note
私自身もこれまで、自治体職員など公的な立場の人と仕事をする機会が多くありました。その中でも積極的に活動する人の多くが「できない理由は探さない」をモットーにしています。東川町の職員の皆さんは、まさにこれを体現しているなと感じました。私も見習ってフットワーク軽く行動していきたいです。
DAIKI ODAGIRI
小田切 大輝