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三重
「冬は寒いんですよ、ここ。うちは火を焚きながらね、仕事をするわけです」
明治35年創業、大瀬勇商店。
三重県・尾鷲(おわせ)の地で、親子4代に渡り123年継承されてきた、老舗海産物店。
その年季を感じる加工場に1歩足を踏み入れると、見上げる高い天井、奥行きのある広々とした空間——。
夏は暑さに汗をぬぐいながらも、どこか凛としたような空気も漂う加工場。確かにここで迎える冬は、手足が芯から凍てつく厳しい寒さでしょう。


長い歴史を見守ってきたこの加工場で、創業当時より、代々受け継がれる昔ながらの製法と味。
効率化が重視される現代で、静かにその伝統を守り続ける4代目当主・大瀬 勇人さんが居ます。
昨今、短い時間でどれだけの効果・満足度を得られるかを表す“タイパ(タイムパフォーマンスの略)”というワードも日常的に飛び交い、効率化、合理的こそ善しとされる現代。
今の世の中を生きる上で、もちろん効率は大事なことだけれど、果たして本当にそれだけでよいのだろうか?
大瀬勇商店では、そんな時代と逆行するように『美味しい』の一言のために、手間暇を惜しまない姿勢と歴史があります。
歴史ある家業を営む上で、大瀬さんが抱える葛藤や現在の率直な想いの丈について、お話を伺いました。

尾鷲港に水揚げされた魚で、様々な加工品を手がけている大瀬勇商店。地元の食卓に登場する定番から、伊勢神宮に奉納される逸品まで、幅広い商品を取り扱います。
なかでも、鰹節よりも生に近い風味で、凝縮された鰹の旨味が味わえる鰹生節は、店を代表する商品のひとつです。
かつて、尾鷲の港まちで数十軒と製造されていた鰹生節。しかし、今ではわずか2軒の製造店となり、そのうちの1軒となる大瀬勇商店では、昔ながらの製法を大事に鰹生節を作り続けています。

「1つ1つ手作業で鰹の骨を抜いて、ウラジロを敷いた蒸篭にざっと並べる。そして火を焼べて、煙と炎で直火で燻すわけです。
燻すための木材には桜やどんぐりといった木の他に、紅葉やみかんの木を入れて複数の木材をブレンドすることもあります。それでどれだけ味が変わるのかと言われたら難しいんですけど、現に針葉樹と広葉樹による燻(いぶし)の違いというのはありますね」
「なぜ、燻には広葉樹の雑木がいいかというと、油分が少ないんです。だから煤(すす)が付いて鰹が真っ黒にならない。それでいて繊維が入り組んで火力も強いから、煙で香りも付く」
広葉樹を用いて行われる燻は、他の焙乾方法に比べて圧倒的に火力が強く、職人技と手間を必要とする、手火山式焙乾(てびやましきばいかん)。この最も原始的な製法を行っている店は、今の時代少ないと言います。
また、店独自で取り入れているものに、天台烏薬(てんだいうやく)の葉があります。
食べると知らず知らずの内に不老長寿になると言われ、生薬として使われることもある植物です。天台烏薬の『天』は天台宗にちなみ、この薬草を用いた魚は、比叡山のお坊さんにも好まれていたと言われます。その逸話が始まりとして、大瀬勇商店では尾鷲の山でとれる天台烏薬の薬草を、燻の蒸篭に入れるようになったそうです。


「薬草を入れるようになったことで、魚の臭みは少し中和されるようになりましたね」
店独自の製法から生まれる味の変化について、「違いを説明するのは難しいけど」と言われる大瀬さん。それでも受け継がれた製法を守り続けるのは、先代たちを見て学んだからこその教えがありました。
「自分が仕事を始める時は、おじいさん(先々代)に面倒見てもらったんです」
昔ながらの製法を継承する上で、先々代からどのような教えがあったのか。その問いに返ってきたのは、予想外の答えでした。
「うちのおじいさんはね、魚の捌き方であったりを、自分には一切教えなかったですね。教えて、任せた方が楽だったはずです。1000も2000も魚の頭を切るんですから。でも教えてくれませんでした。
『そんなもんや』と言ってましたけどね、自分で見て覚えろということだったのでしょう。そのやり方が家族だからなのか、弟子だったからなのか今ではもうわかりませんが」
直々の教えはなくとも、先々代の背中を見て学び、仕事を覚えた大瀬さん。一緒に働く従業員の方からも、吸収することが多かったそうです。

「従業員もみんな明治の人で、やっぱり仕事ぶりがちょっと違うんですわ。今考えるとね」
大瀬さんの目に焼きついているのは、一切の無駄を善しとしない、仕事への姿勢でした。
魚市場で買ってきた10㎝台の魚を、大きな水槽2杯分、頭を切って腸をとって、ひたすら捌く姿。
柄が小さくなるまで使い込まれ、その柄を直してまた使われる包丁たち。
「戦争を知っている人たちだから、勿体ないと思うのでしょうね。無駄にせんのです、魚にしても道具にしても。そんな人たちとずっと一緒にやってきたので、素材を使い切る仕事の仕方も自然と覚えましたね」
ご自身では当たり前になっていったという、先代たちの働き方や姿勢。しかし、今では通用しないものもあると大瀬さんは言います。
「代々と引き継いできた働き方が、今の時代に適しているかと言われたら、それは一概には分かりません。ただ、先代たちに染みついた仕事の仕方を覚えることは、強みが出ますね。なかなか出来ないことです」
一から丁寧に、手取り足取り教わる働き方ではなく、先代たちの背中を見て、自ら学ばれた大瀬さん。そんな大瀬さんだからこそ、今の厳しい時代の波を耐え抜く術を持ち合わせた、唯一無二の強みがありました。
大瀬さんが4代目を継承された頃、大瀬勇商店は『親子3代で営む、老舗海産物店』として世の中から注目されるようになりました。テレビでの特集番組や、雑誌に取り上げられたことで、知名度はさらに広がっていきました。
今でも4代目として取材を受ける機会も多いなか、店を営む上で、昔どおりにはいかない難しさにも直面しているといいます。
「魚は大体、尾鷲港で仕入れるのですが、20数年前から魚の水揚げ量が少なくなってきました。特に鰹ですね。漁師がよく言う、観天望気(空や気象の変化を見て天候を予測すること)も通用しなくなってきて、あてにしていたほど漁獲量が無い。しかし、魚が無ければ、それはもう仕方のないことだと、受け入れることも大切だと思うんです。自然相手にはどうしようもないですからね」
人間にはコントロールできない天候や魚の水揚げ量。自然の恵みが相手だからこそ、そこには当たり前のない“怖さ”が存在します。
「焼津(静岡県)や仙台(宮城県)から鰹を引っ張ってきて、生節を作ることもあります。商売として背に腹は代えられないこともありますから。それでもやっぱり面白みはないですよね、よその魚だと。
尾鷲ならではの脂乗り、季節もの、という感じがないから、なんで尾鷲で製造をやっているかが有耶無耶になってしまう。尾鷲以外の魚を加工することも一般的にはなってきましたが、その問いを突き詰めて考えるのか、このままでいいのか、やはり葛藤はありますね」
商売を成り立たせるため、県外の魚も扱う一方で、“尾鷲らしさ“のモチベーションをどう守るのか。
その狭間で問われ、ゆれる、複雑なジレンマ。
大瀬さんは魚の仕入れと同様に、販売についても地域の外に出ることの必要性を感じています。
「人口も減って、昔のようなお中元・お歳暮の文化も無くなって。そんな尾鷲の商売で守りに入ってしまったら、もう潰れてしまうでしょう。尾鷲だけでは商売が成り立たないように思います。もう外に出て行かんとあかんように思いますね」
大瀬勇商店も、店舗販売から、ネット販売、百貨店・商社への卸しへと販路を広げてきました。甥っ子で5代目の邦裕さんの手も借りながら、現代を生き抜く新しい挑戦にも取り組まれています。

時代に合わせて販売の仕方も変化するなかで、老舗としての在り方についても、大瀬さんは客観的な目線で捉えていました。
「自分のやっている仕事は効率が悪いのではないか、合理的ではないのではないかと、皆さん思われると思うんです。『こんなことまで、せんでもいいんじゃないの』『あんな小さい包丁の柄を直す暇があれば、新しい包丁を買えばええやないか』って。
正直、仕事のやり方を変えても商品が大きく変わることはないと思います。しかし、これまでのやり方を止めるのか、続けていくのか。これはもう人生観というか、今まで先代たちの姿を見て教えられてきて、自分にとって当たり前になっているんですよね」
長い123年の歴史で継承されてきたこと。それは大瀬さんにとって、守らなければいけないことではなく、当たり前のこととして、自身に深く根付いているのです。

事業承継のバトンを渡すタイミングについて、5代目と話されることはありますか?の問いかけに対して「それはないですね、ないです」と前のめりに即答された大瀬さん。
「やろうと思えば倒れるまでできるんです、自営業ですからね。うちのおじいさんも、親父も、動けるうちはやっとったんです。90歳を過ぎてもやっていて、それを見てますからね。でも今は昔の人みたいに、仕事だけが生きがいという時代でも無いですし、余暇も楽しみたいですけどね」
そう語りつつも、大瀬さんは続けます。
「商売は“現状維持”も1つの方法ではあるのでしょうが、『もうやりきった』ということは多分ないように思います」
力強く答える大瀬さんからは、視線は常に前を見据え、歩みを止めない『職人の心』が感じられました。
そんな大瀬さんに、ご自身を支える原動力について伺ったところ、シンプルに『美味しい』の言葉をかけてもらえた時が、1番やりがいを感じる瞬間だそうです。
「年配のお客さんが来られて『昔と一緒やな』って言ってもらったら、これは自分にとって、おしっ!と思うところはありますね。『美味しくなったね』『良いのができたね』って言われると、それがやっぱり1番嬉しいですね」
そして今回のインタビューでは、まさにそんな場面に立ち会えた瞬間がありました。
取材者の1人が、東京で大瀬勇商店の鰹生節のパスタソースを食べて、本当に美味しくて、と感想を伝えた際、大瀬さんから発せられた心からの声と満面の笑み。
「ありがとう。これが喜びなんや」
大瀬さんの本当に嬉しそうな一言と、柔らかく優しい表情。どこか気恥ずかしそうにされる姿にほっこりとしながら、思わず胸が熱くなった時間でした。

大瀬さんが語る胸の内には、非合理的なことにこそ備わる唯一無二の奥深さ、だからこそ紡がれた、長い歴史に裏付けられた美学がありました。
タイパこそ正義、とされがちな現代で、大事なことを見失わないように。
合理的という便利な言葉に、安易に流されないように。
尾鷲で数々の歴史を見つめてきた老舗は、人生の価値観にどう向き合うか、私たちに問いかけます。
アナタにとって『手間暇』を惜しまないほど、大切なものは何ですか?
Editor's Note
加工場には、おじい様の写真をはじめ、先代の方々の写真が多く飾られている様子が印象的でした。
歴史に見守られながら、これからも現場に立ち続ける4代目。どうかお身体を大切に、益々のご活躍を心より応援いたします。
大瀬さんの想いが込められた商品が、1人でも多くの消費者の元へ届きますように——。
尾鷲の地で紡がせていただいた素晴らしいご縁に、敬意と感謝を込めて。
(鰹生節は、ネギと一緒に冷奴に乗せて食べるのも相性ピッタリ!香りも抜群の美味しさでした)
RINA MATSUNAGA
松永里菜