MIE
三重
毎日満員電車に揺られ、夜中まで残業。クタクタになって帰宅するとすでに家族は寝ている。一人でごはんを食べてそのままベッドへ。
翌朝はアラームを何重にもセットして、無理やりベッドから這い上がってまた満員電車に揺られて会社に行く。つい「こんな働き方でいいのか」自問自答してしまう……。
「自然豊かな場所で、のんびり暮らしてみたい」と思っても家族や自分のキャリアに自信が持てずに、気持ちに蓋をしようとしていませんか。
そんなアナタに知ってほしい、都会での時間に追われる生活から、自然に根を下ろし、肩ひじ張らないゆるやかな暮らしを始めた人の物語があります。
Amanatsu Tenma Farm(あまなつてんまファーム)の日下 浩辰さんは大阪府から家族で、美しい海と山に囲まれた三重県尾鷲市に移住。地域おこし協力隊として耕作放棄地となった甘夏畑の再生に取り組まれました。
任期終了後の現在も尾鷲に根を下ろし、継続して甘夏の生産と商品開発に取り組んでいます。その裏で、日下さんも当時小学生だった娘さんを移住に巻き込むことには葛藤があったといいます。
家族とともに「自然に根ざした暮らし」を始めた日下さんにお話を伺いました。
尾鷲港からの山道を車でグイグイ上がっていくと、そこには尾鷲湾を一望する甘夏畑が。甘夏の木の下で、甘夏のコンテナを椅子代わりにしてお話を伺いました。尾鷲湾からの潮風が山を駆け上がり、気持ちの良い風が体を包みます。
日下さんには大阪で会社員をしていたころから「海が見える家に住みたい」という夢がありました。
当時は「絶対に叶えたい!」というものではなく「家から海が見えたらいいな」という何気ない夢だったそうです。
ある日移住サイトを眺めていると、尾鷲市で甘夏農家の募集が出ていることを知って「一回ちょっと申し込んでみた」という日下さん。旅行に行くような感覚でふらっと申し込んだと振り返ります。
「募集に申し込んでから、一度現地に行ってみる必要がありました。それまで尾鷲のことは正直ほとんど知らなかったんです。だから人生で尾鷲を訪れたのは、そのときが初めてでした」
畑を視察した際に、農地に隣接した住宅も提供されると知ります。まさにそれは「海が見える家に住みたい」という夢を叶えられるものでした。
その日を境にすっかり尾鷲の美しさに魅了され、日下さんは地域おこし協力隊に応募。見事採用されることになりました。応募した当初、日下さんはまさか自分が受かるとは考えていなかったといいます。
「縁という言葉がすごく好きなんです。何か始めるときには、必ずそのためのタイミングや流れが来ると感じています。
これまで生きてきた中でも、何か決断する時は不思議とご縁が後押ししてくれました。今回も気づいたら尾鷲までの流れが自然ときているように感じて『これは流されてみようかな』と。全てが縁でつながっていくのかなと感じています」
ご縁に流されるように尾鷲市への移住を決めました。
しかし移住することを周囲に打ち明けた時、上がったのは驚きと反対の声でした。
それまで日下さんは、ずっとペット関連業界に勤めていました。キャリアを積み重ねてきたからこそ、ここで突然「甘夏農家になる」と聞いた人々は驚きを隠せません。
「会社にいたら安定した生活ができるのに、なんで今いるレールを外れてわけわからんところ入っていくねん」
「独身やったらええ。奥さんもいて子供がいるのにそらあかん」
会社のメンバーからはそんな反対の声があがりました。一方で家族はどう受け止めたのでしょうか。
奥さんは移住に賛成だったものの、娘さんの説得が一番難しかったと振り返ります。
年頃の娘さんへの移住の話は慎重にしないといけないと思った日下さん。なんとパワーポイントで引っ越しのプレゼンをしたのです。
「尾鷲に行くと、どんな素晴らしい未来が待っているのかをパワーポイントで作って。娘をパソコンの横に座らせて、1枚ずつ説明しました。でも話の核心である引っ越しの説明に差しかかったとき、娘が涙を流したんです。僕に一言、『田舎に行きたくない』と。グサッと来ましたね」
泣きじゃくる娘さんの姿を見て、こんなにも小さな子に環境の変化を求めることがどれほど残酷なのかを思い知らされたと続けます。
しかし、日下さんの移住の原点には「子どもには自然豊かな場所でゆったりと過ごさせたい」という願いがありました。「尾鷲に来た方が娘も絶対に楽しくなる」という確信はブレませんでした。
その後も時間をかけて説得し、ついに娘さんも一緒に尾鷲市へ移住することになりました。
転校生が少なく、同級生の数も20数人とコンパクトな尾鷲の学校。だからこそ、娘さんにとって居心地がよかったのかもしれません。尾鷲に移住して数か月で「もう私たち大阪帰らんよね」「ここの方がいい」と話すようになったといいます。
「まちでは考えられないような環境になったので、楽しく感じてもらえたのかなと思っています。だから『大阪に帰らんよね』と娘から言われたときは本当に嬉しかったですね」
そんな娘さんから思いもよらぬプレゼントがありました。
「あまなっちゃん」という甘夏をイメージしたキャラクターを描いてプレゼントしてくれたのです。「あまなっちゃん」は商品のパッケージやInstagramのアイコンとして、今も大切に使われています。
日下さんは尾鷲市に移住し、甘夏農家に転身してから「QOL(生活の質)がものすごく上がった」と話します。
「農家になる前は『21時に寝るなんかありえへん』と思っていたんですよ。それが今は、動物と同じように自然のリズムに合わせて生きているんです。太陽が昇ったら自然に目が覚めて、沈んだら眠くなる。21時には寝ていますし、その生活スタイルをずっと続けています」
大阪で会社員をしていた頃は、ストレスで辛いと感じる日も少なくありませんでした。けれども、太陽のサイクルに合わせて暮らすようになってから、心身の調子が格段に良くなりました。
さらに、周囲に何もない静かな環境に身を置いたことで、耳に届くのは自然の音だけに。どんな高級ベッドでも得られないほど熟睡できるようになったそうです。
農家になって変わったことは、心身だけではありません。家族と過ごす時間にも変化がありました。
会社員時代は、子どもが寝息を立てている間に出勤し、また寝静まった頃に帰宅。週末は疲れて寝ているという生活でした。
娘さんからは「お父さんはいつも寝てる」と言われたことも。
それが今では朝と夜は一緒にご飯を食べ、休みの日は朝昼晩と家族で一緒に過ごすことができるようになりました。
「皆さんに話していることなのですが、尾鷲で甘夏農家になってから、都会で会社員をしていた時と比べて暮らしの充実度がものすごく上がったんです。会社員時代のいわゆる“安定した生活”とは比較できない、それ以上に大切な豊かさを得られたと感じています」
甘夏農家になった日下さんが直面したのは、広がる耕作放棄地の存在でした。これは尾鷲市だけの問題ではなく、日本全体が抱える課題の縮図でもあります。
「友人が『農業って3Kやん』と言うわけですよね。『きつい、汚い、苦しい。何にもいいことないよ』と。いやいやいや。こんな自然の中で、自分のリズムで仕事ができる。そんな職業って農業以外になかなかないよと。
今一番楽しいことは自分で作ったものを自分で加工できることです。甘夏の実がなって、その甘夏を使ってどんなものでも作っていける。すごいクリエイティブな職業なんですよ、農業っていうのはね」
日下さんは現在、甘夏の栽培・加工だけでなく、ワーケーションや職業体験の受け入れも行っています。それは、農業を身近に感じてもらうことで「自分でもできるかもしれない」と思ってくれる人を増やしたいからだと続けます。
「農業の知識や経験がなくても、農業って始められるんだ」「農業は大変で難しいと思っていたけれど、自分もできるかもしれない」そんなふうに思ってもらえる存在でいたい、と日下さん。
そして自身のことを「なんちゃって農家」と笑って表現します。
「自分もできそうって言ってくれる人が1人でも2人でも増えてほしいなと。そういう意味をこめて『なんちゃって』と言っています。職業体験から農業を始めてみたいと思う人が出てきたら、その時は尾鷲市を選んでもらえると嬉しいですね」
家族がいるからこそ、大きな決断に二の足を踏んでしまうこともあります。それでも家族のことを思ってしっかりと向き合った結果なら、家族にもきっといい影響があるはず。
農業の経験がなくても、「なんちゃって」の気持ちを大切にしながら軽やかに歩みを進めてみる。自然に根を下ろし、肩ひじ張らないゆるやかな暮らし。そんな生き方をする人が一人でも増えてほしい。
日下さんは今日も将来への種まきをしています。
Editor's Note
この記事は自分自身にも向けた気持ちで執筆しました。心身をすり減らさない生き方をしたいけど自分には無理。そう思っている自分に「気負わなくてもひょんなタイミングでするっと始まるもんだよ」と優しく背中を押せた気がします。
TSUMUGI AOSHIMA
青島 紬