HIROSHIMA
広島県
遥か昔、一人の詩人が残した言葉が私の心の片隅で泣いている。
「戦争を面白がるのは、戦争を経験したことのない者だけだ」と。
いつからだろう、近所の公園から子供達の声が消えたのは。
いつからだろう、子供達の遊び場が画面の中になってしまったのは。
ゲームが悪いというわけではないし、私もどちらかといえば好きな方だけれど。
それでも、画面の中の兵士に自分の名前をつけて、
「頭を撃ち抜けば高得点なんだよ」と丁寧に教えてくれる友達の笑顔に
どんな顔で応えればよかったのだろう。
テレビではまた戦争映画の広告が流れている。
戦争を扱った小説が何百万部と売れている。
小学校の頃、あれは総合の授業だったのか、道徳の授業だったのか、
戦争を経験した世代として、広島から訪れたおばあちゃんの言葉のカケラは
どこかに忘れてしまったけれど、話し終えた後、
人知れず静かに手を合わせて泣いていた姿だけは、瞳の奥で生きている。
広島という地で戦争の悲惨さを肌で感じれる場所
私にとってその場所とは原爆ドームでも平和記念公園でもなく
瀬戸内海に浮かぶ “ 大久野島 ” という小さな島だった。
“ 大久野島 ” には日本地図から消された過去がある。
それは日本がまだ世界と戦争をしていた時代、
国際的に禁止されている“ 毒ガス ” の製造を隠蔽する為だった。
でも、実際に毒ガスを造っていた人々は自分達が何を造ってるのかも知らなかったらしい。
それもそのはず、そこで働いていた従事者達は
国家総動員法の徴用令状で強制的に連れてこられた徴用者たちなのだから。
連れて来られたのはほとんどが未成年。
毒ガス工場に労働環境なんて言葉はないし、
辞めたくても辞めることができなかったのだという。
非国民と呼ばれることを恐れて。
辞職を願い出た者には憲兵がやってきて責め立てて、殴る。
制裁の絶えない日々。
多くの人々が葛藤の中で命の火を消した。
そんな大久野島も、今ではうさぎの楽園になっている。
戦争が終わった後、廃校になった小学校で飼われていたうさぎ達が
野に放たれて、自然に繁殖したらしい。
透き通ったつぶらな瞳に自分の顔が写る。
戦争を心の底から面白がる人はいないだろう。
ただ、私はあまりにも戦争というものが
別世界の出来事に思えてならない。
いくら歴史を学んでも、
いくら他国のニュースを聞いても、
日々の生活の中では、映画や小説の中だけの
フィクションの様に思えてしまう。
「悲惨だ」
「可哀想だ」
「なぜこんな事が」
いくら言葉を並べても、
いくら涙を流しても、
心のどこかで「他人事」と思ってしまうような感覚。
戦争を経験したいわけじゃない。
ただ、違和感がある。
国際的に禁止されている兵器?
全ての兵器が殺しの道具なのに
なぜ “ 許される兵器 ” と
“ 許されない兵器 ” があるのか
まるで戦争がスポーツの様に聞こえてしまう。
この島に住む何百ものうさぎ達は
廃校になった小学校の名残なのかもしれないけれど、
無数のうさぎ達が、その当時、
動物実験に使われていたことなど、言うまでもない。
2017年になっても戦争は終わらない。
おそらく2050年になっても2100年になってもどこかで戦争は続いてる。
あぁ、この世界に存在する銃の弾がすべて花の種になればいいのに。
そんな事を考えながら島の売店でウサギ達の為の餌を買う。
この場所に来て、この場所で呼吸して
うさぎ達に触れた時、あなたは何を思うのでしょう?
ウサギ達の瞳の中に写るあなたは、どんな顔をしているのでしょう?
私たちは戦争を知らない。
Where is 広島県竹原市「大久野島」
ひろしま竹原観光ナビ「地図から消された島」
RYOHEI ITO
井藤 良平