SHIMANE
島根
島根県沖80kmに、ぽつんと浮かぶ隠岐諸島。
4つある有人島のひとつ、中ノ島(海士町)には、隠岐ユネスコ世界ジオパークの拠点であり、宿泊施設としても人気の『Entô(エントウ)』があります。オープンから3年、Entôを手がけ、軌道に乗せる青山敦士さんにお話を伺いました。
前編では、いつまでも持続させるための海士町ならではの観光について、貴重なお話を語ってくださいました。
引き続き、海士町での民間企業と行政の連携を深掘りしていこうと思っていたら、青山さんから驚きの発言が。
「Entôの中にある『官民共創スペース』には、海士町役場の交流促進課が入っているんです」
眼下に広がる絶景を一望できる場所で、役場の職員さんが働いている。その経緯や理由も詳しく聞きたい!
また、まちの古いホテルがEntôに生まれ変わるまでの苦労や、地域が大事にしている産業や施設を残していくためのヒントを探ります。
「隠岐以外の人に、役場の事務所がこの中にあることを話すとだいたいびっくりされます(笑)
僕ら『株式会社海士』もここで仕事をしていますし、他にはふるさと納税を取り扱っている企業や、Entôの隣に誕生したグランピング施設の運営会社、大手の旅行会社の方などもおられます」
『ジオパークの泊まれる拠点』で、こんなにも多様な方々がそれぞれの仕事をされているのは、館内にシェアオフィスが設けられているから。
いわゆる「ライバル会社」もウェルカム。Entôの代表取締役 青山敦士さんの懐の深さを感じさせます。
「朝礼・終礼は組織を越えて毎日一緒にやります。『今日は議会です』とか、『この日はLOCAL LETTERの取材が入ってます』みたいに、日常的にお互いの情報をシェアしながら仕事ができる。これが良いんです。
大江和彦町長は、『半官半X(エックス)』という政策を掲げています。海士町役場の職員は、行政の仕事をしながら半分は民間の仕事を行うというやり方です。僕ら民間企業としては、反対の『半X半官』もありだと考えています」
行政が打ち出した観光政策の予算や戦略に関して、民間の視点で「今後はこういうことが必要になるのでは」と、意見が言える環境が身近にある。「出しゃばらせてもらっている」と青山さんは言いますが、よりよいまちを一緒につくるという意識の賜物。物理的にも構図的にも、民間企業と行政の距離をとても近くに感じます。
前編でも触れたように、2000年頃、海士町は急激な過疎化や財政破綻の危機に直面した過去があります。役場と島民が一致団結して窮地を脱した様子は、地方創生の成功モデルとしてテレビ番組でも取り上げられ話題に。
様々な政策があるなか、鍵となったのは、まち全体のフラットなコミュニケーション。海士町では20年も前から、すっかり根付いているといいます。
Entô誕生準備も、地域内での活発なコミュニケーションにより進められました。
ホテルの改修にかかる莫大な費用に関しても様々な意見が交わされましたが、一方で、着工にはなかなか辿り着けず苦労されたといいます。
2014年、青山さんが海士町観光協会の職員だった頃まで話は遡ります。
観光客の増加が求められるなか、島の民宿のブランディングに焦点をあてて取り組んでいた青山さん。
「お客様の入り込みが減っていると聞き、宿泊施設のデータを調べたんです。すると、十数年前まで隠岐4島合わせて3,000あったベッド数が3分の1も減ってしまい、2,000ベッドしかないとわかりました」
島へ観光に来てほしいと発信する前に、そもそも宿泊に必要なベッドが足りないという衝撃的事実。
同じ頃、マリンポートホテル海士の老朽化・建て替えの問題が注目を集めていました。島で唯一のホテルの存続を揺るがす、極めて緊急性が高い状況。そんななか、まちのホテルの未来について、じっくり3年間も議論した当時を振り返ります。
「僕がホテルの運営会社の代表になる前、2年間検討委員会を走らせ続けていました。リニューアルをやるのかやらないのか、やるとすればどんな形か、予算面はどうするのかなど、ひたすら話し合いました」
島内では議論を深めつつ、島の外では予算の調達に走り回っていた青山さん。ある程度運営の見通しがたった段階で、ホテルの運営を担う「株式会社海士」を青山さんが引き継ぐ運びになりました。
2014年頃からの議論も終わり、いよいよリニューアル、かと思いきや、Entôのオープンは2021年です。7年もの間、一体何があったのでしょうか。
ホテル再建の方針が固まったものの、実際には一歩進んでは二歩下がる状況が続きます。
「着工10日前に破談になったこともあります。設計ができて建設業者も決まった上でのキックオフミーティングで、予算や考え方の相違が浮き彫りになって」
と、今でこそ笑って話す青山さんですが、受けたダメージは相当大きかったはず。また、島民の皆さんからの反応も芳しくありませんでした。
「はじめは大反対されました。僕らがまちに外食しに出かけると、出会うまちの方から常にホテルを取り巻く意見を言われ続けるような状態でしたね」
青山さんは、島民の方々に向けた説明会を開いて理解を求めるなど行動。耳を傾ける中で最も聞かれた反対理由は、「お金」でした。
「海士町の公共工事としては、これまでで最大となる22億円の計画でした。建物の所有者は海士町なので、島の方々からはまちの税金を使うと思われて猛反対されていたんです。
自分たちの血税が使われるのでは、という気持ちが拭えない上に、新しい社長は高級志向の層や外国人観光客をターゲットにしている。こんな高いお金を払ってまで観光客が来るわけないだろうと、島の皆さんは不安だったのだと思います」
「実際のところ、当初から海士町の直接的な財政負担は最小に留める約束でした。当時の海士町の財政状況ではまちが主導となって費用を負担するのは不可能だと、ホテルの改修計画を進める際から分かっていました。
ただ、まちが費用を一旦立て替えて支払うような形になっていたことで、島民の皆さんに事実が伝わりづらかったのだと思います」
こうした当時、島には3つの溝があるとも言われたそう。行政と民間の溝、世代間の溝、そして地元の人と島外からきた人との溝です。
北海道出身の青山さん。「移住者が代表をやるのか」と、あからさまにぶつけられたことは無いとしながらも、地域の方からはそんな雰囲気を感じる瞬間はあったとか。
「それでもホテルのリニューアルには、海士町のシンボルをつくるという意味がある」
やさしくはない環境の中でも、信念を持ってまちと話し合いを重ねた青山さん。海士町の直接的な負担が少ない仕組みを取り入れた計画案で折り合いがつきました。
では、22億円にもなるお金はどこから?
「国や島根県からの支援、金融機関からの借り入れを組み合わせています。計画通り、海士町の直接的な財政負担は最小限に留めました」
青山さんは当時の自分の状態を「ハイみたいな、ある意味狂った状態だった。だからこそ進めることができたんですけどね」と笑って明かしてくれました。一つひとつの壁に丁寧に向き合い前進する青山さんの姿勢があったからこそ、今のEntôがあります。
海士町をモデルに、地域の誰もがフラットに意見が言える関係性を目指したいもの。ですが、捉え方を間違えると、不満をぶつけたり、なすりつけあったりする『民間 vs 行政』といった関係になりそう。そうならないための秘訣はあるのでしょうか?
「同じ空間に長く一緒にいることが大事。毎日顔を合わせて挨拶していたら、お互いの不満は言いづらくなるじゃないですか。あの人たちも大変なんだな、と分かってきますからね」
それをまさに実現しているのが、Entô内にあるシェアオフィス。ただし、「気をつけていないと一緒に視座が下がりかねない」と危惧する青山さん。
「視座が下がっていないかなと思う時こそ、意識的に地域の外の方と接すると良いですよ。当たり前になりすぎないことが大事です。海士町はそれを上手く、しかもずっと続けていると思います。
例えば、株式会社「風と土と」の阿部さんなんかは、まち自体の視座が下がっていないかすごく意識していらっしゃる。外から興味深い人物を連れてきてくれる、こうした人がいるのも良いところです」
民間企業、行政、島民、そして島の外の人々。青山さんの周りには、肩書きや物理的な距離を越えた素敵な仲間がたくさん集まっていることが想像できます。そんな青山さん、この10年を振り返り、ご自身の役割は「“火中の栗”になること」だったとか。その意味とは?
「『やれるかわからないけど、リスクは取るよ』という役割をやり続けた、ということです。『こうしたらいい』などと、好き放題に言うことは簡単です。でも、リスクを取る人を誰が担うのか。ここが抜けている場合が多い」
自分の地域でも同じような状況があるなと、頷いている人も多いのではないでしょうか?
自ら“火中の栗”になってきた青山さんですが、その役割もだんだんと変わってきていると話します。今度は誰が“栗”の役割をするのか。これも地域内での連携が「当たり前」になりすぎないための大事な変化です。
「僕はこの島の先輩に憧れて移り住み、たくさん学ばせてもらいました。しかし、海士町での重要な世代交代や事業承継を、地元出身じゃない僕らが島の主要な部分を担って良いのかな、と疑問に思うこともありました。
でも地元のメンバーとも話して、『誰であれ、誰かが受け止めなければいけないよね』という結論に至りました。
そして今は、隠岐島前教育魅力化プロジェクト*の卒業生たちが20代を超えて、いよいよ『環流』が始まっています。とはいえ、人づくりや産業継続の仕組みなど、まだまだかれらに渡せる状態ではないのが課題です。どう次世代に引き継げるカタチにしていくか、どう受け継いできたバトンを繋ぐかが今のモチベーションになっています」
*隠岐島前教育魅力化プロジェクト…隠岐諸島の島前地域(西ノ島町、海士町、知夫村)で展開されている教育改革の取り組み。少子高齢化と人口減少が進む中で、地域の魅力を高め、若者の定住を促進することを目的としている。島外からの生徒の受け入れも積極的に行い、寮生活を通じて多様なバックグラウンドを持つ生徒たちが交流し、互いに学び合う環境を整備している。
簡単には解決できない課題もたくさんありますが、青山さんは未来への期待感を持って取り組めていると語ります。
「アフターSDGs以降、ジオパークが果たす役割は限りなく大きくなると思っています。だからこそ、隠岐の島がモデルとして発信できるものがあるかもしれないし、ここでやれることが世界の大きなトレンドに対してくさびを打てるかもしれない。とてもワクワクしています」
最後に、青山さんの今後の展望をお聞きしました。
「地域で大事にしているものを残す活動を加速させたいですね。新型コロナウイルスが流行した時に、港のレストランやショップが成り立たなくなり、『島の玄関にあるお店がシャッターを閉めていては良くない』という想いから、僕らが事業をやることになりました。
その時、地域の残したい産業や建物などを引き継いだり、形を変えて担っていったりすることが、組織としてならできるんだな、と気付いたんです。場合によっては『やりたい人』に対して、資金や人材の面での応援もするべきだと考えています」
「ずっと海士町(中ノ島)でお世話になってきましたが、今の僕のフィールドやアイデンティティは『隠岐』なんです。西ノ島・知夫里島・島後、これら3つの有人島と合わせた隠岐4島それぞれがめちゃくちゃ面白いんです!
4島の違いや面白さを発信し、ちゃんと伝えられるようにしていきたい。バラバラだから良くないと言われたりもしますが、違いがあるからこそ海士町の特異性はより磨かれると思っています」
まちを飛び出し隠岐4島へ。青山さんは、また“火中の栗”になって活躍されるのかもしれません。
海士町に根付いたフラットな関係性や、官民連携のシステムを軸に、近い将来、隠岐諸島全体がもっと盛り上がっていくと期待させます。
Information
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https://localletter.jp/articles/sns_academy/
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Editor's Note
青山さんが前編でもおっしゃっていた『バトン』。とても素敵な表現だなと思いました。自分さえ良ければいい、今だけ楽しめればいいといった考えでは、次に繋ぐことはできません。未来のために先陣をきって活動される姿に拍手!島前地域では高校生だけでなく、大人の島留学も行っています。興味のある方は、ぜひ島根県の隠岐へいらしてみてください。
Megumi Tsukuba
津久場 恵