TOKYO
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きっと誰もが、人生のなかでも多くの時間を占めるキャリアについて、思い悩むことがあるのではないでしょうか。
そのときに、何を指針として、どう選択していけばいいのか。
自分にぴったりのものさしを見つけるのは、容易なことではありません。
長い時間をかけて、やっと「自分らしい舞台」を見つけたという「小杉湯」の関根江里子さんに、前職のことや、今の仕事につながる決断について、お話をお聞きしました。
昭和8年に創業された、東京都杉並区・高円寺にある銭湯「小杉湯」。高円寺駅北口から、純情商店街・庚申通り商店街を通って徒歩約5分のところにあります。
レトロな唐破風(からはふ)屋根の木造建築に、大学生から80代までさまざまな年代のスタッフが迎えてくれる番台。「小杉湯」の隣には、「銭湯のあるくらし」をコンセプトにした会員制のセカンドハウス「小杉湯となり」もあり、日本の古き良き文化とそれを次世代につなごうとする新しいカルチャーが融合したスポットになっています。
銭湯に魅せられ、なかでも「小杉湯」に惹かれて現在は事業責任者として働いているのが、関根江里子さんです。どうして銭湯が好きなのか聞くと、家族のことから話してくれました。
「私は上海生まれで、3歳のときから日本にいます。母国語は日本語という感覚なのですが、母が中国人なので、家庭では日本文化に親しんでいませんでした。だから学校などで、日本の行事やお雑煮などの食文化について各家庭でどう過ごしたかと聞かれても答えられないし、我が家のことを勘違いされてしまいそうで、ちょっと怖かったんです。
私は、父が還暦、母が40歳のときの子どもで、共働きで忙しくしていた両親との思い出はほとんどないのですが、父の少ない趣味の一つが銭湯でした。父と一緒に過ごしたり、子どもだった私に優しく話しかけてくれる大人がいたりしたことが大切な思い出になっているんだと思います」
中学生や高校生の多感な時期には銭湯から足が遠のいたものの、大学生のときに新宿区西早稲田にあった「松の湯」(2020年7月に閉店)にたまたま行ったことで、銭湯に“再会”。また通うようになったそうです。
「銭湯って、裸でお湯に入って、知らない人と『気持ちいいですね』と話したり、天気の話をしたりして、人との距離感が独特ですよね。昔も今も、私にとってそれは心地よい、人との距離なんだと思います。銭湯にはいろいろな人がいますけど、そのなかで自分を判断されず『何者でもない自分』でいられて、『湯船に浸かるという目的だけで場を共有する』のが、本当に心地いいんです。
家族を思い出せる懐かしさや、心身ともにリラックスし交流もできる開放感が、関根さんの“風通し”をよくするのかもしれません。
それでも、ある仕事を経て転職したのはITサービスやテクノロジー関連の仕事でした。今振り返れば、「夢中で働いたけれど、誰かのために生きていたような時期」だったそう。だんだん仕事に違和感が生まれていったといいます。
「スタートアップ時代から5年間お世話になったのですが、二つのことに違和感をおぼえました。一つが、数多くのスタートアップ企業にお金を入れて、10社のうち1社でも上場すれば全部回収できるからという考え方の、インパクト投資です。私がいた会社は、入社時に11.5億円を調達していて、スピード感のあるときでした。でも、コロナ禍の直前にフィンテックバブルがはじけたこととコロナ禍で、状況が大きく変わりました。
当時の代表が辞めることになり、2020年9月頃に自分が引き継ぐことになりました。それでいわゆるスタートアップ市場に身を置いたんですが、とにかく短期的に利益を出さないといけないことがむず痒かったです。
もう一つが、関わっていたビジネスの構造です。具体的には『給与前払いサービス』などを手掛けていたのですが、言ってしまえば競合は消費者金融で、要は金利の高い借金をするよりも健全だよねっていうビジネス。お金に困っている人が利用するほど儲かる構造で、社会を根本から良くするものではなかったので、苦しかったです」
取締役COOとして期待され、しんどさを感じていた頃、周囲にいた知り合いの経営者たちを見て、「自分が楽しくて、止まらないような、やりたいことを仕事にしたい!」と痛感した関根さんは、心の奥底に眠っていたものに気づき始めます。
ある日銭湯に行くと、おばあさんが声をかけてくれ、他愛もない話を20分ほど話しました。関根さんの立場や年齢、何者かをまったく知らず、日々何に悩んでいるかも知らないおばあさんと過ごすなかで、関根さんは「私の人生に、こういう『何でもない時間』ってなかったな」と気づきます。
「ずっと、ぼやっと、私のなかに銭湯があると気づいたんですよね。銭湯であれば、自分のエネルギーがどんどん出てくるような気がして、これだったら絶対に人生を賭けられる、経営者としてやっていきたい! と思えたんです」
こうして2022年に独立した関根さん。ITやテクノロジー分野の仕事の受託する一方で、ある銭湯でアルバイトを始め、「いつか自分の会社で銭湯を引き継げたらいいな」と考えるようになりました。独立に関して、不安は一切なかったといいます。
「絶対にうまくいくという漠然とした自信が、今でも、こと銭湯に関してだけはあるんです(笑)。銭湯が絶対に社会に必要だと思っていますし、それを自分が少しでも伝えていければ、と。
それに前職では、自分ができること、やりたいこと、社会が求めていることの三つが噛み合わない難しさがあったんですが、銭湯においては、三つが噛み合っているんです。社会に求められていることをやれば、それが私のやりたいことで、私ができることをすると、それが銭湯業界のためにもなる、という感じで回り続けている。それが自信につながっているんだと思います」
独立してまもない2022年の夏頃に出会ったのが、若い世代が引き継いで運営を始めていた「小杉湯」でした。
「銭湯というものを経営して社会に残すことがやりたくて。独立してやる道もあったんですけど、自分一人では見れない風景を、『小杉湯』のみんなと一緒に見ることを自分で選びました」
今でも「小杉湯」に1日に2回入り、定休日は他の銭湯に行くというほど銭湯を愛する関根さん。自分の会社は存在しているものの受託仕事は徐々にクローズし、現在は「小杉湯」にエネルギーの100%を注いでいるそう。
スタートアップの華やかでスピード感のある世界から、湯気や人とのコミュニケーションがあふれる空間へ——。軽やかな転身に感じられますが、関根さんはどのように自分のキャリアを考え、選択していったのでしょうか。
「実は、金銭面の区切りに背中を押されたんです。私は、大学生のときは学費や生活費を自分で稼いで、社会人一年目からは実家の住宅ローンなどのために実家に毎月10万円を入れ、自分は毎日納豆ご飯を食べるような生活をしていました。
前職でCEOになった2020年9月に、父が亡くなりました。その前後に介護や葬儀などで金銭的にも精神的にも追い込まれていたのですが、父が亡くなって1年以内くらいでいろいろな返済の見通しが立って、ゴールが見えたんですよね。『あ、これ終わる!』と思った瞬間、『もういいや。これからは自分のために時間を使おう』って決めたんです。
それまで、自分は何がしたいんだろうとか、考えたこともなかったんですよ。本当に私、人生に遊びがなくて、めちゃくちゃ真面目にやってきたので」
仕事への違和感のみならず、そうしたプライベートの事情があったからこそ、関根さんは本当にやりたい仕事として「小杉湯」を選んだのです。今は、「自分がどんなことに興味があるのか」、「経験していないことをたくさんやってみよう」など、自分と向き合えている実感があるといいます。
「仕事については、自分がやりたいことを見つけてトライしようとしていて、キャリアを変に戦略的に考えなくなりました。周囲から『顔が優しくなった。目が笑ったね』ってよく言われます(笑)。背負っていたものを一つずつ下ろして、下ろし切ったのかもしれません。
人は、目の前の風景に向き合うことしかできないと思うんです。私の場合は、父の介護があって、それに向き合える会社に転職して、代表が辞めたいとなったときに、従業員が職を失うなら自分が引き継ごうと思って引き継いで、その後に銭湯の重要性に気づいたという流れです。真面目な答えになっちゃいますけど(笑)」
今、関根さんは「小杉湯」で3代目である平松佑介さんと二人で経営をしています。最後に、仕事で大切にしていることを聞きました。
「今は大変なことがあっても、銭湯が好きで、銭湯がやりたいっていうことが、驚くぐらいにブレないんですよ。このまちの銭湯らしく守っていくことが自分の使命なんだと、忘れないようにしています。
株式会社小杉湯は第7期に入るのですが、利益から逃げないことが経営方針になっています。利益を生めない文化やコミュニティは破綻してしまいますし、社会に必要とされる銭湯という業種だからこそ、利益をつくることから逃げずにビジネスを回していけるよう頑張っていきたいです。
2024年4月には『小杉湯原宿(仮)』がオープン予定です。まちやフロアと連携した体験をつくりたいなと思い、いろいろな方と準備を進めています。銭湯ってその土地に住んで経営するものだと思うので、2023年12月からは私自身も原宿に家を構え、高円寺と原宿の2拠点生活を始めます。原宿を知りながら開業を迎えるのが楽しみです」
Editor's Note
才女でバリバリと仕事をしていたスタートアップ時代から、自分らしい舞台を見つけるまでの物語に感銘を受けました。「実は私、まちを走っている普通のバスに乗るのが大好きなんです」とも教えてくれた関根さん。何が好きで、何が心地いいのか、自分の感覚に耳をすませることが、自分が輝く環境づくりへの一歩なのかもしれません。
Yoshino Kokubo
小久保 よしの