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美容師から人気カフェ店長へ。「とにかくやってみる」が引き寄せたキャリア

APR. 23

YAMANASHI

拝啓、笑顔で働く「あの人」のキャリアストーリーが知りたいアナタへ

働き始めたばかりのあなたも、長年働いてきたあなたも、自分のキャリアについて、「このままでいいのかな」「これからどういうキャリアを歩んでいこうか」という思いを一度は抱いたことがあるのではないでしょうか?

一方で、転職や副業が当たり前になり、起業という話もよく耳にするけれど、自分ごととして考えるにはまだ遠いと感じている方も多いことでしょう。

そんなアナタに、「富士山が見える昭和レトロな商店街」として注目高まる富士吉田市で和菓子とカフェのお店を開店させ、店長を担う井出絢子さんのキャリアストーリーをお届けします。美容師から、米店の配達担当、そしてカフェ店長という一見大胆に見えるその転換は、悩まず一歩踏み出すことから開ける人生の可能性を教えてくれます。

結婚を機に富士吉田に来て17年。美容師からカフェ店長へ

井出さんが店長として切り盛りする「富士茶庵」は、山梨県富士吉田市の本町通り商店街に2023年4月にオープンしました。井出さんは、それまで、飲食店の仕事に携わったことはなかったそうです。

井出絢子氏 株式会社井出商店 富士茶庵店長/東京都大田区出身。フリーの美容師を経て、結婚を機に夫の地元である富士吉田市に移住。育児と並行して富士吉田市に美容院を開業。2020年から、夫の実家が営む井出商店の仕事に携わり、2023年春より富士茶庵店長。
井出絢子氏 株式会社井出商店 富士茶庵店長/東京都大田区出身。フリーの美容師を経て、結婚を機に夫の地元である富士吉田市に移住。育児と並行して富士吉田市に美容院を開業。2020年から、夫の実家が営む井出商店の仕事に携わり、2023年春より富士茶庵店長。

「東京の蒲田の生まれで、富士吉田市とは縁もゆかりもありませんでした。結婚を機に来たのが17年前。東京で美容師をしていたので、こちらでも美容院に勤めました」(井出さん)

井出さんのの実家は、明治時代からお米と信玄餅の卸を営む「井出商店」。井出さんの結婚当時は、義理のご両親が切り盛りていらっしゃいました。が三男だったので将来実家を継ぐ可能性も薄いと思い、井出さんご自身が実家の仕事に関わる未来は想像さえしていませんでした。数年後、子どもが生まれたことをきっかけに、自分で美容院を開業。このまま美容師の仕事を続けていくだろうと思っていたそうです。

そんななか、井出商店で人手が足りなくなり、井出さんが配達などの仕事を手伝うようになりました。

「最初は“合間に手伝う”という感じだったんですけどね。だんだん井出商店の仕事が増えてって。“二足のわらじ”を履いているのは、やっぱり大変でした。どちらも中途半端になってしまうのがいやで、両立に悩んでたんです。

一方、美容師の仕事は20年くらいやっていたので、“やり切った”とも思えたんです。これは、一つの区切りだと考えて、次のステップに進もうと決め、井出商店に専念することにしました。不思議と『どっちにしよう』という迷いはなく、スパっと決めましたね。新たなステップを全力でやりたいと思っていました」(井出さん)

この転機が4年前。井出さんの夫が社長を引き継いだ井出商店は、2023年にお米と信玄餅の卸という業態から、和菓子とカフェのお店に事業転換「富士茶庵」をオープンします。

「当時、ちょうど補助金のお話もいただいて。井出商店が富士山の見えるこの場所にあること、お米と信玄餅の卸をしていたこと、それを組み合わせて、和菓子とカフェの店をやりたいと考えました」(井出さん)

論より行動。「やってみる」でつかんだラッキー連発

「富士茶庵」に至るこれまでの仕事について、井出さんは「ラッキーだった」を繰り返します。

例えば、富士山を正面に眺める事が出来るカフェの窓。商店街の中にあるのに、窓の外には広々とした空間が広がっています。その理由はカフェの前に建物がないから。そこは市が整備した公園との事。“たまたま”隣が公園になった事は、確かに「ラッキーだった」ことの1つかもしれません。

しかし、井出さんの「ラッキー」は、天から降ってきた偶然の産物だけではありません。

例えば、お店の人気商品の1つである金精軒の「生信玄餅」。3日という短い消費期限のため、取り扱いが難しい商品でもあります。発注のヨミを間違えたら大損も覚悟しなくてはなりません。

「生信玄餅を取り扱い始めようとしたとき、社内には反対意見しかありませんでした。でも、仕入れたいと言ってくれるお店がいて、そのお店のためにも取り扱いたいと思って決断したんです。今は、多い日には300個近くも売れる大ヒット商品に育っています。私の周りには、仕入れたいと提案をしてくれる人がたくさんいて、私は提案にのっかってるだけ。ラッキーだなと思います」(井出さん)

井出さんの周りには、わがことのように心配したり、アイデアを提案したりしてくれる人がたくさんいるそうです。その理由を井出さんは「とにかくやってみる」ことではないかといいます。

「私は、理論を組んでじっくり準備するというより、まずやってみようタイプ。配達の仕事をしていたころ、納品先にも『やってみたら』と言ってくれる人がいっぱいいて。それもラッキーでした」(井出さん)

「配達をしていた頃のことです。注文された商品を届けるのが配達という仕事ですが、それだけでは誰がやっても同じ。私はそれだけじゃ悔しくて。配達に行った時、そのお店をこまめにチェックして、売れ行きを確認して補充したり、店頭のPOPを作ったりしていました。足しげく通っていると、お天気や町のイベントを話題にしてコミュニケーションをよくとるようになって、それが信玄餅の発注量につながったりしました」(井出さん)

すると、配達先の店長さんに、「配達する人が変わると、売り上げも変わるんだね」と言われます。

そう言われた時に『やっていてよかったな』と心から思ったんです」と井出さんは振り返ります。このころ配達先の方々からもらった言葉は、今も自分の中で大切なものになっているそうです。

受け入れてもらった場所。町に恩返し

「富士吉田に嫁に来て17年。よくしていただいた場所、受け入れてもらった場所だな、と思います。子どもを通して仲間が出来たし、仕事でも『井出さんじゃなきゃ』と言っていただくこともあって。美容院を閉めて4年ですけど、いまだに『いつ再開するの』なんて言われます。そういうの、嬉しいですよね」(井出さん)

富士茶庵の人気メニューの1つは、モーニング限定の「おにぎりセット」。観光客が増える中、富士茶庵をオープンした頃の富士吉田に、朝食を食べられるお店があまりなかったことからモーニングを企画。もともとお米の卸をされていた井出商店は、お米のセレクトと仕入れについては自信があることから、おにぎりをメインにしたそうです。大人気メニューになり、今も早朝から、また遠方からたくさんのお客様がおにぎりを求めていらっしゃいます。

そんな中、「富士茶庵」の近くに、新しくおにぎり屋さんが出来る計画があるそうです。ライバル出現とも取れる状況を、井出さんは「うれしい」と語ります。

「以前、外国からの観光客が『なんで今日は店がみんな閉まってるんだ』って不思議がってるんですよ。でも、今日閉まってるんじゃなくて、シャッター通りだったんです。それくらい静かな場所でした。今は新しくお店を始めようとする方がいる。それは、うれしい想定外なんです」(井出さん)

今、「富士茶庵」のある本町通り商店街を歩くと、海外からの観光客の多さに圧倒されます。でも、井出さんは、観光の方だけでなく、地元の方にもお店に来てほしいと考えています。

「もちろん、観光客の方に来ていただくのはうれしいです。でも、地元の人たちにも来てもらいたいと思っています。近所のおじいちゃん、おばあちゃんがちょっとお茶飲みに来てくれる場所を作りたいと思って、この店を始めたので」(井出さん)

今のお客様の半分くらいは地元の方だそうです。

「古くから井出商店を知ってくれている人もたくさんいますし、スタッフも地元のつながりが強いので、●●ちゃんのお母さんみたいな感じで来てくれる方も多いです」(井出さん)

これも、明治16年(1883年)に創業し、140年以上この場所で商売をされてきた井出商店の強みの1つです。

「富士茶庵」が、誰かの楽しみの場所になるといいと話す井出さん。さらに、「富士茶庵」の存在が、新たに楽しみを作りたい人の背中を押すことで、誰かの楽しみがあふれる町になっていくのでしょう。それが、井出さんにとっての「よくしていただいた場所、受け入れてもらった場所への恩返し」なのです。

Editor's Note

編集後記

本町通り商店街に来て、「商店街&富士山」の写真を撮っただけでは、「これだけ富士山がキレイに見えるんだから、人が来て当たり前だよね」で終わっていたと思います。井出さんのお話を聞いて、「誰かの楽しみを作る」人がいるからこそ、魅力ある街になっていることに気付かされました。

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