SHIZUOKA
静岡
季節を問わず、欠かせない存在となりつつある「傘」。
ここ数年、夏の強い日差しや猛暑日が続き、「傘」は雨の日だけのものではなくなりました。
紫外線対策の意識が高まり、晴れの日も傘をさす人が増えています。ユニクロなどの大手アパレルブランドからは、機能的で手に取りやすい価格の傘も登場。一方で、アウトドアブランドやセレクトショップでは、耐久性やデザインにこだわった一本が並びます。
いまや傘は、天気から身を守る道具であると同時に、その人の暮らし方やスタイルを映し出す存在へと変わりつつあります。
今回取材した静岡市に店を構える藤田屋は、創業から106年続く老舗の傘専門店です。地域の人々に親しまれ、長年にわたり傘を販売してきました。
藤田屋は傘の卸売業を中心に、国内外のブランドを取り扱いながら、自社企画の傘づくりや小売・EC事業を展開しています。静岡を拠点に、暮らしを彩る傘を全国へ届けています。
「他ブランドの販売が今は中心ですが、やはり自社ブランドで会社の存在意義を示していきたい」そう語るのは四代目・藤田大悟さん。傘は単なる消耗品ではなく、暮らしを彩るもの。そのこだわりを体現するブランドを育てることが、藤田屋にとっての使命になっています。

静岡と傘との結びつきは歴史が影響していると考えられています。徳川家康が駿府城を築き、浅間神社を造営した際に、全国から集められた名工たちの技術が現在の静岡の伝統工芸の基盤となりました。傘づくりにおいても、織物や骨、持ち手など部品製造が盛んだったため、傘作りに適したまちだったのではないかと藤田さんは話します。
藤田屋は大正時代、1919年に創業しました。ルーツをたどると、ご先祖様の代には県外で傘屋を営んでいたといいます。より良い傘づくりの環境を求め、一家で静岡へ移り住み、以来この地で傘づくりを続けてきました。
代を重ねながらも、常に大切にしてきたのは“ものづくりの誇り”。優れた技術で事業を守り続けること。それ自体が藤田屋のアイデンティティでもありました。

藤田さんは長男として生まれたものの、当初は家を継ぐという気持ちはあまりなかったといいます。友人から「傘って儲かるの?」と笑われることもあり、事業に対して自信を持てずにいました。高校卒業後は県外の大学へ行き、会社員としてのキャリアを歩むことになりました。
しかし、家業を継ぐ人がいなければ「店も景色も消える」。ある日、その現実に直面したのです。
名古屋の大手自動車メーカーに勤務していた藤田さんに、当時の社長である父・道一さんから、「継がないなら店をたたむことになる」と伝えられました。
幼い頃から店の内線電話に出たり、従業員と遊んだりしたその空間は、藤田さんにとって実家同然の大切な場所になっていました。
「『店=事業=家』という景色がなくなる喪失感を覚え、『継がなければ』と腹を括りました」そう語る藤田さんの眼差しには、当時の不安や迷い、そして覚悟が入り混じっていました。
突然背負うことになった重責への不安、果たして自分に務まるのかという迷い。
けれど同時に、代々守ってきた場所を次につなげたいという強い意志が、未知の挑戦へ足を踏み出す覚悟へとつながっていったのです。

事業を受け継ぐことを決めたものの、受け継ぐべき理念は曖昧でした。
事業承継の場面では、先代から後継者への「経営理念や価値観の承継がうまくいかない」ことが課題として挙げられることがあります。また、世代間の価値観の違いから「後継者のビジョンと先代の描くビジョンにズレが生じる」ケースも少なくありません。
藤田屋においても、価値観の継承には頭を抱えることになりました。藤田さんが4代目に就任した当時、創業時の理念は言語化されておらず、企業として大切にしたい価値観も統一されていませんでした。
守るべきものは何なのか。そこで藤田さんは、80歳を超えるベテラン社員や父・道一さんにインタビューを重ねました。
浮かび上がってきたのは、「暮らしや気持ちに寄り添う傘づくり」という価値観でした。
「傘としての機能やデザインだけでなく、その先にある一人一人の暮らしを想像し、雨の日でも晴れ晴れとした気持ちになってほしい」
それが先代が大事にしてきた、守りたい価値観でした。
同時に、「変えるべき価値観も明確にしていきたい」と藤田さんは語ります。守るべきものは大切にしつつも、未来へ続く事業へと繁栄させるためには新たな挑戦が必要となります。
社内の部門ごとに、先代から受け継いだ考え方や方向性があります。そのなかで藤田屋として大切にしているのは、みんなが一丸となり、前向きに新しいことへ挑戦できる組織づくりです。未来へ受け継いでいくためには、今の時代に合った価値観や文化を根づかせていくことが欠かせません。
「価値観や行動指針を土台に、考え方や空気感を少しずつ社内に浸透させていく。そんなふうに企業としての文化を育てていければと思っています。組織の仕組みと文化をいかに両立させるかも次の課題ですね」
制度やルールといった「仕組み」を整えるだけでは、社員一人ひとりの行動や考え方に根づきません。一方で、時代の変化に合わせた「文化」がなければ、次世代へ繋げることは難しくなります。両者をバランスよく築くことが、組織を持続的に成長させるために不可欠です。
藤田さんにとって事業承継とは、単に先代からバトンを受け取ることではありません。受け継いだ理念や価値観を見つめ直し、今の時代に合った形へと磨きながら、次の世代へつないでいくこと。それが、自分の役割だと感じているのです。

承継を決意してから、藤田さんは挑戦を重ねてきました。会社員時代には大手自動車メーカーでプロセス管理や部門間調整に携わってきた藤田さん。そのときに身についた俯瞰力と組織づくりの視点が、家業の再構築に大いに役立ったといいます。

まず取り組んだのが、MVV(ミッション、ビジョン、バリュー)の策定です。会社の軸を明確にすることで、外部への発信力も増し、次の挑戦である「クラウドファンディング」につながりました。
クラウドファンディングは、静岡県主催の「しずおかMIRUIプロジェクト」の一つとして実施され、資金は新たな商品開発とイベント開催などに活用されました。クラウドファンディングは単なる資金調達にとどまらず、「藤田屋のブランド価値」を広めるきっかけになりました。
さらに、全国各地の中小企業・小規模事業者の後継予定者が、自社の強みを生かした新規事業アイデアを競うピッチイベント「アトツギ甲子園」にも出場。メディアへの露出も重なり、挑戦が次の挑戦を呼び、好循環が生まれました。
今後の挑戦は2つあると藤田さんは話します。1つめが新ブランドを立ち上げること。暮らしに寄り添う商品ラインを提案し、傘に「愛着」という価値を持ち込む試みを考えています。
2つめは途絶えていた傘づくり工房の復活です。傘の製造過程を体験できる場を設け、顧客が傘に込められた想いや技術を感じられるきっかけを作っていく。
「製品に情緒的な価値が加わり、藤田屋のファンづくりにつなげていきたい」と語ります。
藤田さんが目指すのは、傘を「ただの使い捨て」から「暮らしに寄り添う、愛着ある存在」へと変えることです。新ブランドではライフスタイル提案を重視し、工房では傘の情緒的価値を追求。さらに、静岡の伝統工芸とコラボレーションし、県内外、そして海外へと発信していきたいと語ります。
家業を継いだことで、藤田さんのキャリア観も大きく変わったといいます。
「大手企業から地方の中小企業に身を移すことは『キャリアが止まること』だと考えていましたが、実際には逆でした。クラウドファンディングやアトツギ甲子園への挑戦、人脈の広がり――大手では得られなかった経験が次々と積み重なり、キャリアはむしろ広がったと感じています」
事業承継は、しがらみではなく挑戦の入口。
「やりたいと思ったことを全部できる環境なんです」
藤田さんの言葉は、地方で奮闘する多くの経営者に勇気を与え、次の挑戦へと背中を押してくれるのではないでしょうか。
Editor's Note
こんなにも「熱量」と「やりたいこと」が溢れる感覚。羨ましいと思いました。ただただ言われたことをこなしていくという仕事もある中で、重責はあるが、自分がやりたいこと・大好きなことに打ち込み、模索しながら挑戦し続けていくという働き方の素晴らしさを改めて感じました。現在、人手不足により、後継者を探している地方中小企業は多く、今や後継は家業だけではなくなっています。地方経営者や後継者以外にも、新たな挑戦やキャリアアップをしたいと思っている人にとっても、地方での経営は新しい選択肢になるのではないでしょうか。
MAYA FUJITA
藤田 真耶