NIIGATA
新潟
いつか農のある暮らしがしてみたい。
いつか自然が豊かなところでのびやかに暮らしてみたい。
そんな理想を持つ人も多いはず。
しかし、家族と一緒に移住すると考えると、悩みが増えてつい足が重たくなってしまうように思います。
そんなハードルを乗り越え、自分の理想のライフスタイルも理想の子育ても実現してきた方が、新潟県胎内市にいます。今回お話を伺ったのは、地域おこし協力隊として胎内市の坂井地域で活動されている椎谷陽一さんです。
自分の理想のライフスタイルを地域でかたちにするためのヒントをお届けします。

新潟県長岡市出身で、大学に進学してからは20年間以上関東で暮らしてきた椎谷さん。
結婚や子育てなどのライフイベントを迎えたことをきっかけに、地方移住を考えるようになりました。椎谷さんが、移住後の暮らし方として特に関心を寄せたのが“半農半X”という考え方です。
「今後暮らしていく環境や地域を考えた時に、自分が生まれ育ったような自然が豊かなところで子育てがしたいと思うようになりました。さらに、“半農半X”というライフスタイルを書籍で知って、実践できる環境に移住したいと考えたんです。
“半農半X”と“兼業農家”の違いを聞かれることがよくあるのですが、私の捉え方としては、“兼業農家”は農業も、もう一方の仕事も両方を収入源とすること。それに対して“半農半X”は、Xの部分は必ずしも職業的なものではなく、農業もひとつの『自給の手段』というイメージが近いのかも知れません」
自分が食べるお米や作物を育てることで、食べ物を買うための支出を抑えられる。そうすれば自ずと稼がなければいけない額が抑えられるため、「お金のために働く」ということが減るのだと話します。

「自分である程度食べ物を作れるということは、自分を安売りせずに、自分のやりたいことを優先して生業を築くことができる。“半農半X”のこの部分に特に惹かれました」
移住先を検討していくなかで出会ったのが、「地域おこし協力隊」でした。
椎谷さんが理想としていた“半農半X”のライフスタイルを、具体的な活動内容として募集していた自治体が胎内市だったことも、背中を後押ししました。
こうして椎谷さんは、胎内市の地域おこし協力隊としての活動を始めることになりました。

現在、椎谷さんが実践している“半農半X”の暮らしとは『農業』と『地域活動』を組み合わせたライフスタイルです。
「“半農”の活動では、地域おこし協力隊として、地域の農業従事者の高齢化や耕作放棄地が増えている集落で米づくりに携わっています。米づくりが必須ではあるのですが、それ以外は『地域活性化のため』という趣旨に合った活動であれば、自分がやりたいことを応援していただけるような環境です」
それまで農業に携わったことがなかった椎谷さんは、1年目は集落の区長さんに付いて勉強をし、その後、2年目、3年目と年を重ねるごとに少しずつ1人でやる部分が増えていったと話します。
もう一方の地域活動の部分では、地域に200年以上も続く伝統芸能の神楽の継承や、高齢者サロンへの参加、農産物直売所の販売や広報、有害鳥獣駆除、子ども会の活動など、多岐にわたる活動に取り組まれています。
特に力を入れているのが、地域と子どもが触れ合う機会を作ることです。

「私が移住してきた当時は集落に小学生が1人しかおらず、子ども会の活動が下火になっていたんです。その後自分の子どもが3人入り、さらに保育園を卒園した集落の子どもたちも子ども会に入ってくれて、参加者が増えていきました。
たとえ同学年は少なくても、小学生同士でみんなが仲良く地域で遊べるように、子ども会のイベント企画や運営も活動の1つとして行うようになりました」
当時の状況を振り返る中で、“子育ての理想”と“現実”との間にギャップが生まれつつあったといいます。その違和感が、活動の原点になりました。
「地域に子どもが少ないからと言う理由で家の中だけで遊ぶことになってしまったら、思い描いていた『自然豊かなところで子育てしたい』というイメージからズレてしまうと思ったんです。
だから、子どもたちが学年関係なく顔見知りになって一緒に遊べる環境づくりをしようと思いました。それが保護者にとっても、この地域に住み続けるモチベーションになると考えています」

地域おこし協力隊としての活動も3年目を迎える椎谷さん。協力隊としての任期も残り1年を切りました。
椎谷さんは、卒隊後も胎内市で暮らしていくために、2025年11月から焼き芋の移動販売を新しく始めています。
「地域活性化に繋がり、かつ、卒隊後の自分の生業にできるものを見つけ出していくことが、活動のミッションとして含まれていました。なにを生業とするかを1~2年目を通してずっと探してきたんです」
そう話す椎谷さんが、今年はじめて挑戦したことは、山の近くの耕作放棄地を活用したさつまいもの栽培です。
「胎内市は、実はさつまいものブランド化が行われているんです。それを知って、自分も胎内市の特色を活かして地域活性化に繋がることがしたいと思うようになりました。あと、安直かもしれませんが『子どもって焼き芋が好きだよな』という思いもあって(笑)」
“焼き芋の移動販売”のアイディアが生まれたきっかけには、ご自身の子育ての経験があったのだと話します。
「私自身が今、小学6年生の長女と小学2年生の男女の双子の3人の子育て中です。双子がまだ小さい時は、夜中に二人が同時に泣き出すこともあり、私と妻とで1人ずつ抱っこし寝かしつけたこともありました。
とにかく余裕がなく、日々をこなすのに精一杯でした。
子育ての大変さを自分が身をもって経験しているので、保護者の方やお子さんが生活の中でほんのちょっとでも緊張がほぐれて、気持ちがほっこりするような、味や時間を提供したいと思うようになりました」

焼き芋を売る期間は冬が中心。だからこそ、そこで出会う人たちとの接点が季節とともに少なくなってしまうと話す椎谷さん。一年を通して関わりを持ち続けるためには、『自分がさつまいもを栽培していること』が重要になるといいます。
「栽培をしていれば、春には植え付け体験、秋には収穫体験などのイベントが企画出来、通年で関わりを維持し続けていけると思うんです。
地域の子どもや保護者の方たちと1年中つながっていることで、『また冬になったら買いに行こう』と思ってもらえる。結果として、地域に住む親子と接する機会が長くなるんです」
新たな生業を通して、人が定着し、交流が持続していく地域にしたいと椎谷さんは語ってくれました。

椎谷さんの活動の根底には、家族の存在があるのだといいます。
「私はやっぱり自分の家族をこの地域に連れてきているという前提があるので、家族がイキイキとして暮らしていくためにはこの地域が元気になっていかないと、家族に『ここに来てよかった』と思ってもらえないと思うんですよ」
移住当初は、米づくりにおいても農薬や化学肥料を使わずに栽培したいというビジョンを持っていた椎谷さん。そこには、家族への想いがありました。
「冒頭にお話しした『自給』という部分にも繋がるのですが、食べ物でやはり自分の家族や子どもの身体が作られていくと思うので、農薬は極力使わないほうが良いかなと当時は思っていました」
協力隊2年目には農薬や化学肥料を使わない栽培に挑戦したものの、上手くいかなかったと振り返ります。
「農薬や化学肥料を使わないと、やはり田んぼに雑草が生えてきてしまい、稲が負けてうまく成長しなかったんです。その結果、通常の収穫量の数分の一ほどしか収穫できませんでした。
農薬有りか無しかの2択とせずに、7割は通常の作り方で、3割は農薬や化学肥料をなるべく使わないように、だんだんと減農薬の割合を増やしていきたいなと考えています」
理想と現実とのギャップを感じつつも、現実的な方法を検討していこうと話す椎谷さんからは、とても前向きな姿勢が感じられました。

「もちろん『胎内市を良くしたい』想いもあるのですが、その前提として自分の家族がもっとイキイキと暮らせる環境をつくることが大切だと思っています。
そのためには、胎内市がイキイキとしていないといけない。だから私は胎内市が元気になるような活動をもっとやっていきたいんです」
自分や家族が心地よく暮らせるまちにすることが、巡りめぐって地域の活性化に繋がる。
この視点は、これから地域で理想のライフスタイルを叶えたいアナタの背中を押してくれるヒントになるはずです。
Editor's Note
「地域の子どもたちが仲良く遊べる場がないから子ども会でイベントを企画する」「地域の住民が鳥獣被害に困っているから狩猟免許をとる」というように、椎谷さんの活動には現状に対する小さな『あったらいいな』が静かに積み重なっているように感じました。
そんな小さな気づきを行動に移すことこそ、地域の未来への原動力となるのかもしれません。
MIKI KOYAMA
小山 美樹