前略、100年先のふるさとを思ふメディアです。

LOCAL LETTER

拡大することを選ばない。元・編集者が辿り着いた、干物屋さんの豊かさ

MAY. 15

SHIZUOKA

拝啓、広げることに少し疲れているアナタへ

仕事といえば、成長や拡大を求められるもの。
そう思われることが多いかもしれません。

けれど、それだけではない道があります。

約60軒。
かつて300軒ほどあった沼津の干物屋は、今や5分の1ほどに減ったと言われます。

減ったのは、魚だけではありません。
作り手です。

干物屋に限らず、空き店舗や空き工場はあっても、基準を満たせず使えないことも少なくありません。製造許可制度の変更によって、大きく拡大させたいわけじゃなくても、「続ける」こと自体のハードルが上がっているのです。

それでも、ハードルを乗り越えて「続ける」という選択をした人がいます。

2025年11月、飲食店も兼ねた干物製造所「石垣干物製造」を開業した石垣浄治さんと優子さん夫妻(以下、優子さん)。煮干し・削り節加工業として1935年に創業した、優子さんの実家である「加倉水産」で干物づくりを学び、夫婦で新たに独立開業しました。

石垣 優子(いしがき ゆうこ)氏 / 静岡県沼津市出身。創業八十余年の老舗干物店を営む父のもとで育つ。大学卒業後は雑誌編集の仕事を経て、2016年に帰郷。夫とともに干物製造・販売に携わり、情報発信や品評会、干物専用キャンプギアの開発などを通じて、干物文化の可能性を探ってきた。2025年11月、夫・石垣浄治氏とともに沼津市千本緑町で「石垣干物製造」を独立開業。魚を一枚ずつ手開きし、塩加減を一尾ごとに調整する少量高品質の干物づくりを行う。併設の立ち飲み処では、”出来たての干物”という新しい食体験を提案している。

優子さんはもともと、東京都内で雑誌などの編集をしていました。

なぜ地元へ戻り「続ける」ことを選んだのでしょうか。
その決断の奥にあるものを聞きました。

大量に扱わないからこその、一匹一匹との一期一会

「その日に水揚げされた魚を、その魚本来の美味しい形で出したい」

当然のようにそう話す優子さんの一日は、早朝から始まります。

お店の入口は飲食店、その奥が製造所。朝仕入れた魚を分別し、開き、塩漬けを行い、昼までに乾燥工程へ。終わったら一気に片づけ、17時からは居酒屋の営業が始まります。現在では製造を続けながら昼営業も行っています。

そんな毎日は、夫婦二人の役割分担で成り立っています。
夫である浄治さんが魚の捌きと製造を、優子さんが事務やSNS、電話対応、受注発注や発送を行います。

「沼津産の魚を干物にしている業者さんって、あまりいないんですよ」

「石垣干物製造」では、ほかでやらないことをやるのだと優子さんは話します。

沼津は魚種が豊富で、沼津は底引き網漁だけでなく、さまざまな漁法によって多様な魚が水揚げされます。

ただ、地魚はサイズも状態もばらつきがあるため、干物にするには塩加減や乾燥時間を変える必要があります。量もサイズも揃いにくいため、地魚は大量生産には向かないとも言えます。

「うちは一枚一枚全ての魚が店主の手開きなので地魚も扱える。魚屋さんから”ここまで集めて干物にしているのは優子さんのところぐらいだから頑張れよ”って言われます」

達筆で書かれたメニューのボードには、沼津のほかにもノルウェーのサバや韓国の真アジ、また深海魚であるヨロイイタチウオや、高級魚であるアラ。

その時期に脂が乗り、型のいい魚たちが並びます。

干物づくりでは、魚を開いたあと、塩を溶かした水「塩汁(しょじる)」に一定時間浸します。味や食感、保存性を左右する大切な工程です。

塩汁は、他社では煮沸したり冷凍保管をしながら継ぎ足して使うところもあります。

干物づくりでは、こうして塩汁を管理しながら継ぎ足し使う店は少なくありません。そうすることで塩加減が安定し、魚の旨味が蓄積して味が深くなるという良さがあります。

一方、「石垣干物製造」では、その塩汁を魚ごとに変える方法を取っています。

なぜ、そのような手間と時間のかかることをするのか。

その日に出会った魚は、確実にその魚本来の美味しい形で出したい」と優子さん。

「仲の良い卸の方から”今日あの魚、入ったよ”とか、魚屋さんからも”明日に底引き網漁が出て、明後日に上がるけどどうする?”って連絡をもらったりします」

優子さんと夫の浄治さんのもとに声が集まり、そのタイミングだからこそ出会える魚が美味しく活かされる。そしてお客さんへ還元されていく。

その循環は、きっと漁師にとっても嬉しいことだろうと感じました。

環境が変わっても変わらない、”魅力に焦点を当てる”気質

日曜日にはマルシェへ出店するなど、地域とのつながりを楽しみながら暮らしている優子さん。

実は、10年以上東京でフリーの編集者として働いていました。東京での編集の仕事から、沼津での干物づくりへ。

「生活のリズムは変わりましたね。東京では昼の12時から仕事をしていたんですけど、沼津では6時から」

東京で編集者として働いていた頃は、休みは月に5日ほど。

頼まれた仕事は、基本的に断らなかったそうです。それだけでなく、自分から企画を提案することも多く、ムック本から月刊誌、インテリア関連の書籍まで幅広い媒体に関わっていました。

「忙しいときはよく掲載しているブランド名などわかるはずの言葉がわからなくなったりも。目の前のことに脳の処理が追いつかないときもありましたね」と笑って話します。

それでも、東京での生活は楽しかったといいます。

「1ヶ月じゃ回りきれないくらい、料理やお酒がおいしいお店がいっぱいあって」

一方で、沼津は沼津で赤ちょうちん系の店が多く、飲み歩くには最高の街だといいます。種類豊富なお酒が並ぶ店内からも、優子さんのお酒好きが伺えました。

沼津のクラフトビールも並ぶ。

東京で編集者として働いていた当時、優子さんには「加倉水産」を継ぐという明確な気持ちはありませんでした。

ただ、あるとき父が「店を閉じる」と口にします。決断が早く、思い立つとすぐ動く性格の父でした。
その言葉を聞いたとき、優子さんの頭に浮かんだのは、お中元やお歳暮のたびにまとめて注文してくれる個人のお客さんたちのことでした。

「まだお客さんもいるし、もし少しずつ減っていくとしても、できるところまで続けてから終わればいいって。そう話して、私も手伝うことに決めました」

そうして店を支えてきましたが、2024年、冷凍庫をはじめとする大型機械に不具合が生じます。設備の更新が難しく、経営的に続けることが困難になり、創業89年の「加倉水産」は幕を閉じることになりました。

翌年、優子さんと浄治さんは、もともと飲食店だった居抜き物件を見つけ、新たなスタイルで干物屋を開業する運びとなります。

大勢の人や情報に囲まれていた編集者時代から、いま向き合っているのは一匹の魚。簡単な決断ではなかったはずですが、優子さんはくつろいだ笑顔を見せます。

ホームページ・SNS*に掲載される写真のモデルが人から魚に変わっただけで、「どうやったら一番よく見えるか」を考える姿勢は変わらないのだと。

どうやったら一番良い形で紹介できるかなって、愛(め)でてます。“この魚、めちゃくちゃ可愛いな!”みたいな」

仕事が変わっても、優子さんの中にある視点そのものは変わっていないようでした。

もちろん、手の届く範囲を広げていくことも大切。でもその前に、何をしているときに自分らしくいられるのか。どんな考え方で動いているときに一番しっくりくるのか。

自分が活きる瞬間を知っていることが、自分らしく在り続けるために欠かせないと、優子さんと話すなかで気づかされました。

*ホームページ:https://himonoishigaki.shop-pro.jp/
*Instagram:石垣干物製造 @himono.ishigaki 

沼津の地場で持続できる、魚を活かす干物作りを

魚の仕入れ値は上がっていくけれど、干物の売り値はそこまで上げられない。
だからといって、その価格競争に入ることはあまり考えていないと優子さんは話します。

「沼津の人にもっと干物を消費してほしいのはあります。沼津港でよく揚がる深海魚や地魚のことも知ってもらい、間口を広げながら、沼津の多くの干物屋が製造を越えて干物を食べられる店をやってくれたら一番嬉しいです」

店前にて、夫の石垣 浄治(いしがき じょうじ)さんと優子さん。

インタビューの終わりに、浄治さんと優子さんに、「将来、どんな一日を過ごせていたら”続けてよかった”と思いますか」と尋ねました。

基本は、二人が楽しんでいること。そうすればお客さんにも伝わるし、いい時間になると思うんです」と浄治さん。

今、どんなときが楽しいのかというと。

「嫌なことはやらないので、何でも楽しいですよ」(浄治さん)

「小さな魚が大量にごっそり来たときは、嫌な顔してますけどね(笑)」(優子さん)

「それはそう。小さいから加工に時間かかるんですよ」(浄治さん)

出会ってから25年以上。
息の合った掛け合いをしながら、同じ方向を向いている二人。
そこから見えてきたのは、こんなことでした。

拡大することより、続けられること。
競争の輪に入ることより、輪の外で楽しめること。

それは干物屋の話でありながら、働き方の話でもあると感じました。

本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。

Editor's Note

編集後記

入った瞬間のやわらかい出汁の匂いと、フラットに迎えてくれるお二人に、初めて来たとは思えない安堵感に包まれました。環境や関わるものが変わっても、その人の気質やつながりは、また別の形で活きるのかもしれないと思いました。私も、そんな在り方を忘れずにいたいです。

シェアして石垣干物製造を応援しよう!

シェアして石垣干物製造を応援しよう!

シェアして石垣干物製造を応援しよう!