FUKUSHIMA
福島
人に寿命がある限り、必ず存在する「時間」という概念。
それを意識するうえで、私たちの日常に欠かすことのできない「時計」。
今回お話を伺ったのは、時計のデザインや設計を手掛ける、『株式会社Fukushima Watch Company』の創業者、平岡雅康さんです。
今や時計は時間を知るためだけの道具ではなくなり、多機能なものが数多く登場する中、日本製の「機械式時計」にこだわりを持ちブランドを展開されている『株式会社Fukushima Watch Company』。
シンプルな社名に込められた、平岡さんの想いを伺ってきました。
株式会社Fukushima Watch Companyがあるのは、福島第一原子力発電所の影響により、一時的に誰一人として住民がいなくなってしまった、福島県南相馬市小高区。
2011年に起こった東日本大震災のボランティア活動で、自身の趣味だという花火を打ち上げながら東北各地を回っていた、花火師でもある平岡さん。
コロナ渦に突入し、全国の花火玉が数多く余ってしまったことで、どこか打ち上げられる場所がないかと探していた時に訪れたのが小高区でした。
東日本大震災の後、少しずつ整備が進められていた周囲の地域。
そんな周辺地域とは異なり、立ち入りが制限されていたからこそ、無駄な箱物が全くなく、何も手をつけていないありのままの自然が大事に残されていた小高区。
このまちを「ある意味、奇跡」だと感じた平岡さんは、小高への移住を決意します。
震災後の復興事業で東北の各地域は新たに整備されていき、ふと気づいたら全く違うまちに生まれ変わっている。その様子を目の当たりにしていた平岡さん。
「当時は『復興』という言葉が強く言われていたじゃないですか。よく石巻の雄勝町に行っていたんですけど、雄勝はまちがほぼ全域津波に流されてしまって、人もいないし、まちもない、仕事もほぼない状況で。
“復興”と言っても、どうやって復興していくんだろうって疑問を持った時に、やっぱり仕事がなければ人は戻って来ない。まず大事なのは仕事だなと」(平岡さん)
長年、時計業界にいた自分にできることは、東北で時計をつくり、産業を起こすことだと気づいた平岡さん。
週末になると当時暮らしていた埼玉から東北に行き、まずは時計のパーツをつくることのできる工場を探して回ったといいます。
「2014年くらいから動き出したんですけど、なかなか工場が見つけられなくて。日本でベンチャー企業が時計をつくるのは結構ハードルが高いなって挫折しかけたんですが、もう1回色々当たってみた結果、東北エリアでつくれる可能性のある工場が数ヶ所出てきました。
そこからは実際に工場にも足を運んで交渉しながら、ようやく全ての工程が完結して時計をつくれるようになったのが2018年でしたね」(平岡さん)
日本の時計メーカーは大手企業が占める中、圧倒的な行動力で実現にまで漕ぎ着けた平岡さんですが、そもそも平岡さんと時計の出会いはどこだったのでしょうか。「機械式の時計に惚れ込んでから、はまってしまって…」と初めて機械式時計に出会った時のことを話してくれました。
「高校生の時に行ったフリーマーケットで、アンティークのSEIKOの機械式時計が中古で売られているのを買って。電池で動く時計じゃない時計があることをはじめて知って、そこから虜になりました」(平岡さん)
「クオーツ電池の時計に比べると、メンテナンスをすれば一生ものと言えるくらい長く使えるのが機械式の魅力なんです。身に付けていないと、2日くらいで止まっちゃうので、生きてる感じもするんですよね」と、愛おしそうに語る平岡さん。
平岡さんが高校生の時に感じた機械式時計への熱量は今も変わらず、2022年には機械式時計をつくり広めていく立場となって、株式会社Fukushima Watch Companyを創業します。
では実際に平岡さんが手がけている時計にはどんなものがあるのでしょうか。制作秘話や商品に込めた想いと共に、お話をお伺いしました。
時計のパーツをつくれる工場が全てみつかった2018年。早速平岡さんは自身のブランド第1弾となる1本目の時計をつくります。それが『mirco』。
「たった1本、出来上がったmircoを見て『もう、これを持ってスイスの展示会行っちゃおう』と思いましたね」(平岡さん)
ずっと抱いてきた「自分だったらこんな時計をつくってみたい」という想いをようやく叶えられた平岡さん。
早速できた1本目の腕時計『mirco(TYPE-02)』を持って、スイスで100年以上続く世界最大の時計見本市「バーゼルワールド」に何の後ろ盾もなく飛び込んだそうです。
「まずはどうやって出展できるのか色々とネットで検索してみたんですけど、『バーゼルワールド_出展の仕方』とネットで検索したところで誰もやり方を書いてくれていないんですよね」と当時のことを思い出しながら、おもわず笑みを浮かべる平岡さん。
なにしろバーゼルワールドは世界のトップブランドが出展する見本市。なかなか出展方法を見つけることができなかった平岡さんは、それならばとおもいきって現地スイスの運営会社に電話を掛けてみたといいます。
「運営元からはどれくらいの年数やっているのか、世界のマーケットシェアはどれくらいなのか色々と聞かれたんですけど、僕自身まだサンプル1本しかつくっていないし、まだ売り出してもいないことを伝えたら、『それ面白いね!』という反応が返ってきて」と平岡さん。
なんと来年の出展申し込みもすでに締め切っている中、日本からの新たなメーカーの挑戦を歓迎され、見事バーゼルワールドへの出展が叶いました。
世界の名だたるブランドが出展する中、メイドインジャパンの時計は海外の方からも大きな反響があり、平岡さんは「日本の時計が海外から高く評価されていることを改めて感じられた」といいます。
さらに起業当初から海外への展開を見据えていた平岡さんは、デザインにも日本らしさを組み込むことを大事にしています。特に、展示会に出展した時計のネクストシリーズである『mirco(TYPY-03)』は、四季の移ろいの中から生まれた日本の伝統色を使った5色展開の時計。
色味の調整が難しかったという「栗梅」「胡桃染」「舛花色」「茅色」「市紅茶」の淡いカラーは、日本でも珍しい色を用いたものだそう。角度によっても色の変化があり、手元を見るたびに目を楽しませてくれます。
2022年11月に移住先の小高で会社設立直後、2つ目のブランドとなる『RAW.』をリリースしました。
鮮やかなブルーとイエローのウクライナ国旗をモチーフにしたこの時計は、裏側に「SAVE UKRAINE」のメッセージが刻印されています。
ウクライナでの紛争がはじまった頃は、すでに小高に移住することを決めて準備を進めていた平岡さん。
当時からお世話になっていた小高にある双葉屋旅館の女将さんのSNS投稿から、小高とウクライナの親交の深さを知ったといいます。
小高のまちを歩くと、道路沿いには数多くのウクライナカラーの国旗が掲げられており、まち全体からも感じ取れる、小高とウクライナとの深い繋がり。
戦争反対の意味も込められた平岡さんの時計『RAW.』は、売上げの20%をウクライナの人道支援活動等へ寄付しており、実際にウクライナからもSNS等を通じて喜びの声が多く届いたことに、平岡さん自身も「やって良かった」と話します。
2023年4月末に各色100個限定で販売を開始したのは、Fukushima Watch Companyの拠点である小高をイメージしてデザインされた『odaka』。
『odaka』のカラーはなんと食べ物をモチーフにした5色展開。写真左から、海藻、ブルーベリー、ブロッコリー、栗、唐辛子。すべて、小高を代表する農産物を連想させるカラーになっています。
「実は、今後、福島県内の市町村をテーマに時計を展開していきたいなと思っていて。その第一弾は間違いなく小高しかないなと」と、odakaへの想いを語る平岡さん。
「小高って、食べ物がものすごく豊かで、何でもあるというか…とにかく全部美味しいんですよ!それが有り難いなと思えて。幸せなんです」(平岡さん)
自分自身が感じた感動や幸せを時計のカラーとして表現した平岡さん。5色のカラーに込めた想いは他にもありました。
「小高は原発20キロ圏内で、農作物にも放射線の規定とかがあるんです。でも実際に小高で農家の方の日々の努力を間近で見ていると、リスペクトしかないなって。
だからこそ、尊敬の想いも込めて小高にある食べ物を時計の色として表現しました」(平岡さん)
時計を見ると、モチーフカラーとなったそれぞれの食べ物の農家さんの顔が思い出されると平岡さんは話します。
『odaka』の時計を通じて、その背景にある色の意味、そして小高の食べ物やそれらを栽培する農家の方々を知ってほしい。そんなことを『Fukushima Watch Company』はやっていきたいと話す平岡さん。
そのまっすぐな想いは、筆者の心にもストレートに届いてきました。
そのほかにも、平岡さんがつくる時計の裏面はガラスになっており、小さな機械が動く様子が見えるデザイン。「避難指示でまちの時間が一度止まった小高の歯車が再びかみ合い、復興の時を刻んでいることを感じてほしい」との願いが込められており、ここにも平岡さんの想いが反映されています。
『株式会社Fukushima Watch Company』という社名には、「福島の時計会社」という意味はもちろん、その他に「この土地(福島県)に目を向けてほしい」という想いを込めたことを、平岡さんは教えてくれました。
「現在は県外の工場でそれぞれ依頼している時計のパーツですが、いずれは、福島ブランドとして、福島県内で時計の製造を完結できるようにしたいんです。地道で長い作業になっていくと思うんですけど、この福島をジュネーブ(=時計産業が盛んなまち)にしていきたい」(平岡さん)
時計産業を通じて、まち全体を盛り上げていくことを見据えている平岡さん。その両腕にはいつも2本の時計が身に付けられており、多くの人の目に触れる機会を大事にしている。
平岡さんのデザインする時計は、ファッションアイテムとしてワクワクした気持ちにさせられることはもちろん。
それ以上に、時計を見るたびに、背景にあるストーリーや地域の人々に想いを馳せる、そんな豊かで尊い時間を提供してくれる。
自分自身のやりたいことを成し遂げながら、地域にも貢献していく平岡さん。
これからも福島から日本中・世界中に向けて、時計を通じた魅力発信をしていく平岡さんの活動から目が離せない。
LOCAL LETTERでは地域でキラリと輝く方のストーリーが盛り沢山。一歩踏み出したいアナタの背中を押してくれるはず。
Editor's Note
「ただ時計を売りたいわけではない、その背景にある福島のストーリーを伝えたい」という平岡さんのまっすぐな想いにはおもわず鳥肌が立ってしまいました。
目の前の可能性にまずは手を伸ばしてみることが、その先の夢を叶えることに繋がっている、そんな風に平岡さんのお話は挑戦することへの勇気をいただけました。
Yuko Takechi
武智 裕子