教育
時代が流れ、社会は変化していくのに、高度成長期から変わらない学校教育。そして、増え続ける不登校の子どもたち。行政も学校も問題意識は持ちつつも、大きな変革の兆しは見えず。
そんな中、30年近く前から不登校の子どもたちの学びの場づくりに取り組み、通信制高校の運営・立ち上げ、N高創設の経験を経て、「小中学生にも“通いたい”学校が必要」とクラスジャパン小中学園の設立から、現在は地域特例校を全国に100校開校するプロジェクトを仕掛けている中島武さん。
そんな中島さんに、不登校の子どもたちとの出会い、教育に情熱を傾ける原動力、思い描く未来の教育について話を聞いた。
中島さんが教育に携わるようになったきっかけは、広告代理店勤務を経てプランニング会社を設立し経営していた時のこと。学習塾や専門学校、大学、短大などを経営する大手の教育機関から、「通信制高校の仕組みを使って、不登校の子どものための学校を作った。全国に広げるためのマーケティングを支援してほしい」との依頼があった。
「勤労学生のための仕組みとして作られた通信制高校を、制度はそのままに目的を変えて不登校の子どもたちの受け皿にする学校だったんです。面白いと思って引き受けましたね」(中島さん)
それまで “教育” に特化していたわけではない中島さんだったが、通信制高校の生徒たちと接したことで、「みんなと一緒に学ぶ学校とは違う、子どもの個性にあった学び方が選択できれば、違う成長の仕方がきっとある。通信制というのは新しい基礎教育になるかもしれない」と思ったという。
「不登校の子どもというと、社会に適応しにくいために学校に行けない子どもをイメージするかもしれませんが、集中してやりたいことがある、特定の教科の能力が抜群に高いといった子どももたくさんいて。そういう子どもは、まんべんなく学ぶことを求める、今の学校の仕組みに合わないんですよね。
通信制の特徴は、時間割に捉われず、子ども自身のペースで勉強できることです。それを活かして、自分のやりたいこと、得意なことをどんどん伸ばしている高校生がたくさんいました。一日中数学をやっている子もいれば、プロアスリートとして国内外を遠征しながら勉強する子もいます」(中島さん)
その当時、教育機関の理事長から聞いた言葉を、中島さんは今も胸に抱いている。
教育とは、教科学習を通じて、生きるとは何か、社会に出ていくことの喜び楽しみは何かを伝えること。教員の役割は、そのことを情熱を持って教えること
この言葉と共に「一緒にやらないか」と誘われた中島さん。経営していた会社を他の人に任せ、学校運営の“中の人”となる。1999年のことだ。
“中の人”の視点から、子どもたちが輝く姿を目の当たりにすることで、中島さんは個別最適化された学習の必要性を再認識する。
「子どもによって、適した学び方は違うんですよね。全体像をさっと掴むのが上手な子もいれば、細部をじっくりと見ていくのが得意な子もいます。後者は2時間かければ深く理解できるのに、1時間の授業では半分しかわからない。そのために劣等感を持っていた子が、自分のペースで学べる通信制高校に来て自信を取り戻し、輝き始めるんです」(中島さん)
この時に得た、「子どもたちには学びたいという意欲がある。それを発揮できる学びの場があれば自分から伸びていく」という確信が、中島さんが教育に取り組み続ける原動力となる。
通信制高校には、卒業を一旦は諦めていた生徒も多く、卒業時には生徒も保護者もとても喜び、教員はたくさんの感謝の言葉を受ける。
「しかしですね、在学中も卒業後も、胸を張って校名を言うことができないという声が聞こえてきたんです。子ども自身は活き活きと学んでいるにも関わらず、社会からは『通信制高校は、行くところがないから仕方なく行く学校』というレッテルを貼られていて。母校の名前を言えないなんて、子どもたちに申し訳ないと思いました」(中島さん)
その後、オンラインの通信制高校の立ち上げを依頼され参画するが、オンラインのメリットを存分に活かした高校にはできたけれど、残念ながらイメージを変えるところまではいかなかったという。
そんな時、株式会社ドワンゴ役員・志倉千代丸さんとの出会いが訪れる。ドワンゴの子会社が声優スクールを運営しており、通信制高校と連携したいということで、アドバイスを求められたのだ。
「声優スクールと連携するのではなく、『ニコニコ動画自体を高校にしませんか?』と提案しました。志倉さんからは “求めていたものはこれだ!” と言って貰いましたね」(中島さん)
「この人たちと一緒なら通信制高校のイメージを変えられる」そう確信した中島さんは、N高等学校(以降、N高)の創立に尽力する。
「デジタルネイティブ時代の“ネット”の学校」を謳った同校は開校前から話題を集め、初年度の生徒数は1,500名近くに達した。その後、右肩上がりに生徒数を伸ばし、2022年4月現在、日本最大の生徒数を誇る高等学校に成長している。
N高の入学相談窓口も担当していた中島さんは、前2校の相談者層との違いを感じる。
「その前の通信制高校の個別相談は中学3年生と高校生がほとんどでした。それがN高では、中学1年生はもとより小学生の親御さんが相談に来られることがとても増えたんです」(中島さん)
「N高に入れば未来が拓ける」そう期待してもらえるのは嬉しかったが、相談時点で中学1年生や小学生の子どもにはN高入学までに何年も待ってもらうことになる。その間に子ども自身の生きる力が低下してしまうケースも多い。「待たせられない」と思った中島さんは、小学生や中学生にも、N高と同じような“行きたいと思える学校”を作ろうと決意する。
「小中学校には通信制という制度はなく、高校と同じ仕組みで実現することはできません。でも、既存の学校に所属しながら自宅や自宅以外の場所で学ぶことを在籍の学校が認めたら、出席や成績になるという制度があります。それを活用すれば、正式な学校ではないけれど、通信制高校と同じような学び方ができると考えたんです」(中島さん)
このアイデアを実現するために、2018年2月にクラスジャパンプロジェクトを立ち上げ、2019年7月にクラスジャパン小中学園を創立。同学園では、通信制高校のノウハウを生かし、個別最適化した学習・部活・体験活動をオンラインで提供する。ネット担任が個々の生徒に毎日声がけを行い、学習計画を立ててメンターの役割も担う。児童生徒が学んだ内容をネット担任がレポートにまとめて在籍校に渡すことで、学校長の裁量で出席や成績に反映される。
通信制高校に出会ってから約30年。次々と新しい試みに挑戦してきた中島さんが今情熱を傾けているのは、『地域特例校100校開校プロジェクト』。「子どもたちが学びたいものを学べる、子どもたちが通いたい学校」を全国に100校設立するという。
「オンラインで教科教育を受け、リアルの場でその地域ならではの伝統工芸や産業、動植物などを学ぶんです。子ども自身が学びたいコンテンツのある学校を選んで学び、季節や興味の変化などに応じて転校することも可能です。子どもの“好き”を徹底的に伸ばす教育を目指しています」(中島さん)
地域のコンテンツを活用することから、まちづくり、地域創生にも繋がる。まずは、クラスジャパン小中学園と同様に民間のスクールから始め、近い将来に不登校特例校の枠組みを活用した一条校の設立を目指す。2022年3月に推進母体となる一般社団法人教育ジャパン3776地域コンソーシアムを立ち上げ、既に50を超える地域で、まちづくりのプレーヤーや自治体との連携が始まっている。
中島さんが目指す、プロジェクトの最終目的は、100校の地域特例校がモデル校となり、子どもたちの“好き”を伸ばす教育を行う学校が全国に広がること。
「今の公教育に異を唱えたいわけではなく、子どもたちに別の選択肢を持たせたいんですよね。どちらか一方を選ぶことも、行き来することもできるように。みんなと一緒に歩調を合わせて学ぶ時期と、自分なりのペースで何かを深める時期が交互にあってもいいじゃないですか」(中島さん)
教育の目的は、進学の先にある、働くこと、仕事を通じて社会で活躍すること中島武 地域特例校100校開校プロジェクト発起人
「均質な労働力が求められた時代には、苦手を減らしオール3を目指す教育が適していたのかもしれません。でも、今は、何か一つでいいから好きで一所懸命になれるものがあれば、他はオール1だっていい。その一つを活かして社会で活躍できる仕事に就けばいいんです。
子どもたちそれぞれが持つ特長を、それが活かせる仕事に繋げてあげたい。それができるのは、実際に仕事をして暮らしている人たちです。そう考えた時、まちづくりをしている人たちと一緒になって教育を作らないと駄目だと感じました。子どもたちを育てることは、そのまま地域づくり、まちづくり、ひいては国づくりです。それを一緒にやっていきたいと願っています」(中島さん)
「地域特例校100校開校プロジェクト」を推進する一般社団法人教育ジャパン3776地域コンソーシアムでは、2025年に100スクールの開設を目指しています。賛同してくださる自治体・企業の方は、ぜひ以下より、お問い合わせください。
Editor's Note
インタビューの中で、中島さんが繰り返し語られたのは、通信制高校の生徒たちの活き活きとした姿に出会った時の驚きでした。「目の前の子どもの能力を伸ばしたい。輝く姿を見たい」その一心で30年近い歳月を走り続けてこられたことがひしひしと伝わってきました。
苦労話は一つも口にせず、教育の未来を熱く語り続けてくださった中島さん。「まちづくりに携わる人たちとの出会いから生まれた『この人たちと一緒に仕事がしたい』という想いが、“地域特例校100校開校プロジェクト”を興した理由の一つ」とのこと。この記事がまた新たな出会いにつながることを願っております。
FUSAKO HIRABAYASHI
ひらばやし ふさこ