SHIZUOKA
静岡
あなたが、正しく価値を伝えていきたいと思うものは何ですか?
日本に、そして地域に存在する、素晴らしいものや伝統。
それらは、果たして正当に評価されていると言えるでしょうか?
1957年に創業した「カネス製茶」4代目の小松元気(こまつげんき)さんは、お茶づくりの現場から、産業の未来を見据えています。
「お茶と同じ嗜好品であるコーヒーなどの飲料を目の敵にせず、お茶も一緒に選べる自由な選択肢を提案したい」と話す小松さん。
競合を排除するのではなく、業界全体を見渡しながらも「お茶」の価値を伝えていきたい。そんな冷静さと情熱がにじみます。
大学進学を機に地元・静岡県を離れた小松さん。家業に戻るまでには、さまざまな試行錯誤がありました。
小松さんの挑戦は、消費者と生産者をつなげ、お茶産業が正当に評価される未来へ繋げること。
今回の記事では、小松さんの現在に至るまでのお話から、行動の源泉となるものを探ります。

静岡県の中央に位置する島田(しまだ)市。大井川流域にあたるこのエリアは、古くから銘茶の産地です。静岡県内でも茶所として歴史あるこのまちを拠点に、「カネス製茶」はお茶づくりを続けています。

2022年から家業を継ぎ、4代目としてブランド開発責任者を担う小松さん。学生の頃は、家業を継ぐ意識はなかったと話します。高校卒業後は静岡県外へ出てみたいという思いから、東京都内の教育学部を選びました。
当時、小松さんが感じていたのは、受験が主な目的となっていた教育への違和感でした。多くの勉強法を学んだ経験が、自分なりの教育の本質を掴むきっかけになったと話します。
「試行錯誤しながらも、まずは知識を面白いものとして理解することが大切なのかなと。成績を出すことだけに躍起になることは、教育の本質と違うのではないかと考えていました。
僕は物事に取り組む上で、本来の目的を深掘りしたい気持ちが強いんです。自分の取り組みが「人」や「社会」のためになっているかどうかには、意識的にアンテナを向けています」

大学卒業後、都内で人材エージェントやフードテックブランドの立ち上げなど、複数のベンチャー企業を経験。プロとして裁量のある現場に挑戦できる一方で、迷惑をかけてしまったこともたくさんあったと当時を振り返ります。
「自分の行動で社会に何を還元できるのか。働く先に残していける価値って何だろう。よくそんな問いかけを自分自身に投げかけていました」
自分のルーツに立ち返ったとき、小松さんの原点となるもの。
それは、家業である「お茶」でした。

劇的な転機があったわけではなく、家業の価値に気づいた頃から「継ごう」という思いが少しずつ芽生えていったといいます。
「僕が静岡県出身で家業がお茶屋だという話をすると、興味を持ってくださる方が多かったんです。友人に急須でお茶を淹れて振る舞ったときに『ものすごく美味しい』『こんな味がするんだ』と言ってもらえた経験は、僕からすると思いがけない出来事で。
お茶は僕にとっては日常的で、当たり前のもの。そこを評価してもらえたことが、大きなターニングポイントになりました。
何より、自分の立場でしか捉えられていなかった「家業」や「お茶」を客観的に見られるようになった。お茶に対する視点を新たに知れたことは大事な経験でしたね」
家業の存在価値を改めて見直すことができた小松さん。
社会や人に役立つための一歩は、ルーツである「お茶」の本質を伝えることから始まるのではないか。
その気づきが、事業承継へ歩みを進める原動力となったのです。
カネス製茶は、茶葉を地場の生産者から買い付けて二次加工し、商品を国内外へ卸す卸業や小売販売も手がける会社です。
生産者との対話を商品に反映し、販促などを通じて消費者へ繋げる。それは生産者と消費者のあいだにある「見えない境界線」を越えていく作業です。産業が正当に評価される未来を願う、小松さんの強い意志がそこにはありました。
「『橋渡し』や『ボーダーを超える』と言うと、温和に聞こえるかもしれません。ですが、僕の行動エネルギーはどちらかというと、使命感や怒り。そういうものに近いんです」
小松さんが「社会」や「人のため」になる行為を、信念として心に留めていた理由。そこには、新潟中越地震を通して感じたジレンマがありました。

「当時、人生で初めて大きな地震を経験して。テレビや新聞を通して悲惨な状況を知ったとき、咄嗟に何か自分にできることはないかを考えました。友人に呼びかけて『何か物資を集めようよ!』と。
住んでいる地域が違う中、できる限りの手は尽くしたけれど、解決に結びつかない。現状を変えることができず、理不尽なことが起きているのに行動を見誤っている。そんな自分を許せない気持ちがありました」
現在、茶業界全体が抱えている課題——飲料の選択肢の多様化、据え置かれる販売価格、そして高齢化に伴う将来的な担い手不足。業界全体がじりじりと衰退していく切迫感が漂います。
小松さんが抱えていたもどかしさと憤りは、日本茶産業が正当に評価されていない危機感と結びつきました。
「お茶というプロダクトは歴史があって、産業としても素晴らしい。世界に誇れるものであるはずなのに、『なんでリアルはこんなんやねん!』と。
この状況をなんとかしなきゃ、なんとかしたいって、ふつふつと湧き上がるもの。これが、僕の橋渡しをするモチベーションの源泉だと感じます」

小松さんは、事業承継を決めた当初から現在に至るまで、お茶に対する価値観は揺らぐことなく、むしろ確信へ変わったと話します。
「所詮お茶だけど、されどお茶。日本国内だと、お茶は「飲料だから安い」というイメージが強くあります。しかし製品の裏にはお茶で生計を立てる生産者の方がいる。だからこそ、適正な価格で購入されるべきなんです。
お茶に対する誤った評価を覆すために「どうしてこの価格なのか」がわかる品質と根拠を、誠意を持って示していきたい。そのためのブランディングや発信、国内外への事業展開をしています。
お茶に対してちゃんとした評価をいただいた時『間違っていない、やっぱり価値があるものなんだ』と実感できたことは大きいです」
浮き彫りになった理不尽な課題にも真正面から向き合う。実直な姿勢は、今後の日本茶業界を盛り上げたいという想いにつながっています。

今後、小松さんが掲げているミッション。
それは、日本茶業界に参入するプレイヤーを増やすことです。
事業承継の取り組みの一つとして、静岡市にて実施されているアトツギベンチャープログラム*への参画を通して、産業全体を盛り上げたいと話します。
「お茶に関わる人を増やしていくと同時に、まずは『日本茶は面白いものなんだ』ということを伝えたいです。
たとえば日本を訪れた海外の方に、日本人が胸を張って素晴らしいと伝えられるものがあることは、すごく大事だと思っていて。
その選択肢の一つとして『日本茶』を意識してもらえるように、産業を盛り上げたい。これからも日本茶は価値があるということを、事業やアトツギベンチャープログラムなどの活動を通して伝えていきたいです」
力強い言葉と合わせて、小松さんは「まだ途中で全然やりきれていないので、これからも皆さんの力をお借りしてできたら」と、笑顔を見せました。
*:静岡市にて実施されているプログラム。市内企業のイノベーション創出を促進するため、事業承継を契機とした新規事業や業態転換など、新しい領域に挑戦する後継予定者又は承継間もない後継者(アトツギ)を支援する制度の一環。

小松さんの日々の取り組みからは、人と産業をつなぐ営みがごく自然に生まれています。それは、「日本茶の価値を正しく伝えていきたい」という使命感に基づいているからこそ。
生産者と消費者の間を結びつける役割を担う。
国内外でお茶の価値が正しく伝わるように、事業を展開する。
日本茶産業全体を盛り上げるために、周囲へお茶の面白さを伝える。
日常の営みや取り組みから、あらゆる関係性をつないでいくこと。これもひとつの大切な「共創のかたち」なのかもしれません。
Editor's Note
日常の営みは、誰かにその価値を引き継がなければ、後にはもう何も残らない。その危機感と常に背中合わせだという現実を、どうして私は見落としていたのだろう。小松さんが覚悟を持って突き進んでいるお話を聞いて、自分の不甲斐なさに悔しくなりました。ふと目を凝らして周りを見ると、私たちの身の回りには、日本ならではの豊かな産業と文化に溢れていることを実感します。私はこれからも小松さんの活動を通して、日本茶産業の未来を見届けたいと強く思いました。
TEZUKA AYANE
手塚 彩音