SHIMANE
島根
島根県隠岐諸島の1つ、中ノ島にある人口約2,300人の海士町(あまちょう)。
いまや地域活性の取り組みにおいて最先端のまちだと言われる海士町。「ないものはない」というまちのキャッチコピーを耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。
今回は、海士町で持続可能な地域づくりと人材育成に取り組んでいる「株式会社風と土と」代表の阿部裕志さんにお話を伺いました。
「株式会社風と土と」が手がける、次世代リーダーや経営者候補向けた研修プログラム「SHIMA-NAGASHI」は全国のビジネスパーソンを海士町へ誘因。「そもそも自分は何がしたいのか?」を言語化し、個々人のビジョンを「腹落ちさせる」機会を体系的に設けています。
学生の頃から「人類の未来はどこにあるのか、どこへ向かうのか」ということへの関心が強くあったという阿部さん。
小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、宇宙一周旅行。当時「機動戦士ガンダム」にはまっていた阿部さんは「地球をダメにした人類は宇宙に出て暮らすべきだという、ガンダムのシャアの発言にとても共感し、人類の未来は宇宙にあると思っていた」と話します。
前編では、そんな阿部さんが「人類の未来は地域にある」と考えるようになった原体験ともいえるお話をお届けします
高校三年生の頃、付き合っていた方と一緒に関西の大学を目指していた阿部さん。しかし、恋人は合格し、自分は浪人することに。あまりの悔しさに「早く彼女に追いつきたくて、生まれて初めて死に物狂いで勉強した」といいます。
しかし、ストレスが原因で阿部さんの身体には次々と異変が起こりました。
「夏休みの1ヶ月のうちに膀胱、腎臓、肝臓を壊すという経験をしました。自分がこんなにも弱かったなんて、衝撃を受けました。誰かに毒を盛られたわけでもなく、春からちょっと頑張っただけで病気になるって何でだろうって思って。そこから生きる力を高めたいと思い始めました」(阿部さん)
「ずっと自分は優柔不断だし、ナヨナヨしてクヨクヨしてグズグズしている人間だと思っていました。そんな自分が嫌で、自分を強くしたくて。
大学は宇宙工学の道に進むのですが、バックパッカーで世界を旅したり、アウトドアサークルに入ってサバイバルをしたり、有機農業研究会で食べ物をつくって鶏や豚を捌いたり。そういうことを通して、生きることへの自信が出ると、いろんなものに対して肯定的になれるんじゃないかと考えていました」(阿部さん)
自分を強くするために、いろいろな経験を重ねた阿部さん。旅先で出会ったおじさんとは人生を語り合い、山で出会ったら知らない人でも挨拶したり、自然の中で危険な場面に出くわしたら命を助け合ったり。
そんな経験から「人は温かく優しいということを知ったし、自然は厳しいけど美しいということを知った」と話します
生きる力を高める経験を積んでいく中で、人と人との関係性や、人と自然との関係性について考えていた阿部さん。ある日、満員電車で今の活動の原点ともいえる社会への問いが芽生えました。
「満員電車でたまたま隣り合わせになったおじさんと肩が当たったとき、『なんかこのおじさん鬱陶しい、嫌い』のような嫌な感情になって。でも、ふと思ったんです。
もしこのおじさんと、旅先で出会っていたら人生を語り合っていたかもしれない、山で出会っていたら命を助け合っていたかもしれないと」(阿部さん)
「そう思った時に『あれ?このおじさんと僕は、なんで今こんなに仲が悪いんだろう』と不思議に思えてきました。出会う場所次第じゃんって。
『誰だよ、こんなにぎゅうぎゅうに詰め込んだやつ』とも思ったけれど、自分がその満員電車に乗ってまで早く移動したいわけで。別にもっと空いている電車だってあるし、違う移動の仕方だってあるのに、僕が選択しているのだと気づきました。
要は、社会が便利になって、できるだけ早く効率的に運ぶという枠組みの中に自分も入ったから、隣の人と険悪な関係性を作っちゃったわけです。
ちょっと目線を引いて電車の上から見たら全員同じ状況になっていて、『なんでみんなこんなことしてるの』って疑問に思うかもしれない。このおじさんと僕は人生の親友になれるかもしれない可能性があったのに、たまたま満員電車で隣り合わせになったことで、その可能性を閉ざされる。そんな社会ってどうなのと思いました。
僕は基本的に『後世になればなるほど、幸せになる人が増える』ということが人間社会の発展だと思っています。でも、この満員電車の発展の仕方で後世の人は幸せになるのかな?発展の仕方、間違えていないか?と。
人と人との関係性や人と自然との関係性がこのままでいいのか、この方向の発展の仕方でいいのか、みんなに問いを投げかけたい気持ちが芽生えてきました」(阿部さん)
京都大学の大学院を卒業し、エンジニアとしてトヨタ自動車株式会社に入社した阿部さん。トヨタを選んだのは、宇宙に行きたい自分と社会に問題提起したい自分、両方の自分が納得できる道だったからだといいます。
「宇宙に行きたい自分としては、アメリカのNASAやいろいろなところを見に行っていました。でも軍事優先でアメリカ追従型の現場を見て、もっと違う宇宙の行き方があるんじゃないかと思い始めたんです。たまたまトヨタが宇宙に関わる研究をしているという話を聞き、民間企業でロケットの開発が進む可能性もあるなと惹かれました。
一方で、社会に問題提起をしたい自分も変わらずいました。やり方は、坂本龍馬のような大物になって世の中を大きくひっくり返すのか、それとも隣の人から着実に伝えていくのか、どちらかだと思いました。僕は大きいことをゴロっと1人でやるイメージはないから、隣の人に確実に伝える方法が良いだろうと。でも、どんな手段があるのかを考えると、当時はわかりませんでした。
僕の最初のアイディアはペンションをやることでした。自分が思う価値空間を作り上げて、来た人が『確かに大事だよね』って言って帰る。そういう宿を作ろうと考えました。でも、満員電車に乗って死にそうになっているおじさんたちが泊まりに来て、 大学院を卒業した自分が『皆さんこのままでいいんですか』って言ったって、刺さる気が全くしないわけですよ(笑)。
自分が疑問を抱くその社会のあり方、いわゆる大量生産・大量消費社会の真ん中を身をもって経験する。 その自分の言葉をもってしか、この世の中に疑問は投げかけられないと思ったんです」(阿部さん)
トヨタに入社し、良いものづくりをして、エンジニアとしてのやりがいを感じる一方で、社内外での行き過ぎた競争社会への疑問を抱いていたといいます。
「この競争の果てに本当に良い社会があるのかなって。当時、『勝ち組』『負け組』みたいな言葉が出始めていました。 一部の『勝ち組』になるために他人を蹴落として、三角形のピラミッドがどんどん縦長になっていって。
僕はここで勝ち残ったって、全然幸せじゃないわけですよ。トヨタの中のどれだけ優秀な上司を見ても、人間的に良い人を見ても、 やっぱり同じゲームの中から抜けられていない感じがありました。
そして、たとえトヨタがこのやり方を辞めたとしても、世の中は変わらない。だから世の中が変わっていくためには、違うモデルが必要だと思ったんです。どれだけ言葉で『みんなで共に創る共創社会が大事ですよね』とか、訴えても意味がなくて。それが体現され、体感できるモデルが必要だと思いました」(阿部さん)
海士町との出会いは、まさに阿部さんが共創社会のモデルが必要だと考えていた頃。阿部さんが海士町を訪れ、海士町で事業を始めることになったきっかけは何だったのでしょうか。
「ちょうど海士町が持続可能な社会のタグボートになるという話を耳にしました。タグボートというのは、港に入るときなどに、エンジンを止めた大きい船を先導する小さい船のことです。海士町がそういう船になるんだって言っているのを聞いて、行ってみようと思ったのがきっかけでした。
初めて海士町を訪れたとき、いろりを囲んで一緒に語らったメンバーには、役場の課長や県の職員、議員さんもいれば、移住者や地元の若者、高校生もいたかな。みんな立場関係なく、上下が全然ありませんでした。
高校生も遠慮なく話すし、みんなでどうやったらまちが良くなるかをすごく楽しそうに喋っていて。なんだか大人が本気の学園祭を楽しんでやっている感じで、この中に入れてほしいって思いました。
今日の昼も副町長と喋っていましたが、この島がどうやったら良くなるか、今何が問題なのか、そういう会話が雑談ベースで、毎日至るところであるんです。海士町には、まちの課題を自分事として考えられる人が多いと思うんですよね」(阿部さん)
「人類にとって大事な未来がここにある」と感じた阿部さん。様々なことに挑戦するために、島の暮らしの中で得られる身体感覚をとても大切にしているといいます。
「僕はアウトドアが好きなので、『素潜りができなくなったらこの会社を辞める』と宣言しています。何のためにここにいるんだってね(笑)。漁業権も船も持っているし、自分でアワビやサザエ、ウニを採って食べるのが幸せです。
そういう環境で暮らしを楽しみながらも、新しい挑戦はいろいろできる。古き良き日本の暮らしと、世界最先端のまちづくりが両方できるって最高じゃないですか。
僕は、自分の経営感覚のよりどころは自分の感性が肝だと思っているんです。 ロジカルに考えることもあるけど、それは後からが多い。まず直感で『自分に今良い流れが来ているかどうか』『この流れは乗っていいかどうか』みたいなことを感じられるかを大事にしています。
そういう身体感覚で経営も扱っているから、 その感覚が鈍るとね、たぶん会社経営ってどうすればいいかわからなくなってしまう。だから忙しくなると、意識的に船に乗ったりして、自分の感覚を取り戻すんです」(阿部さん)
挑戦を続ける中で、苦しいことも山のようにあるけれど、それも含めて楽しむ。その心を教えてくれたのも島の人だといいます。
「僕が最初に来たときに役場で課長だった人が、この間まで副町長をしていて、今だにずっと応援し続けてくれている人がいます。
その彼が『人生思い出作りだわい』と。『人というのは、死ぬ間際に相馬灯のようにいろんな思い出を思い返して死んでいく。だから、思い出がいかにたくさんあるかが豊かな人生だ』と言っていて。 そのときの思い出ってラクしたことじゃなくて、苦しかったことや、それを仲間と乗り越えたことだと思うんです。
だからその人に『阿部くん、今苦しいな。良い思い出作ってんな』とか言われちゃうとね、 苦しい時ほど効く魔法の言葉ですよね」(阿部さん)
自分の中に芽生えた社会への疑問を、自分の経験をもって世の中に問いかける。阿部さんの大切な原点をお聞かせいただきました。
後編は、「株式会社風と土と」が展開する人材育成プログラムの「SHIMA-NAGASHI」についてお届けします。
Information
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Editor's Note
阿部さんの言葉にこんなに心動かされるのは、どこかで聞いたことのある漠然とした問いや知識だけの言葉ではなくて、数々な実体験の中で阿部さん自身から芽生えた問いであり、経験に基づいたうえで話されている言葉だからなのだと思います。
私も離島に住んでいるので、「ないものはない」という精神で、人と人、人と自然との関係性を考えながら、自分の感覚を大切に暮らしたいと思いました。
CHIERI HATA
秦 知恵里