AICHI
愛知
故郷へ戻るUターン、地方へ移住するIターンなど、様々なプロセスを経て地域での新たなキャリアや生き方を模索する人も少なくないはず。
そんな中で、
地域を盛り上げたいけれど
「自分ひとりが動いたって、何も変わらないんじゃないか」
そんな想いを抱いている人もいるのではないでしょうか。
実際には、地域で活躍する人の誰もが、目に見えた成果や同じ志を持った仲間を最初から得られていたわけではないのかもしれません。
今回お話を伺ったのは、磯部泰賀さん(以下、磯部さん)。
愛知県南知多町でお店を構えて40年の鮮魚料理を提供する食事処、
『地場鮮魚 小枡園(こますえん)』二代目です。
もともとは、“地元に戻ること”や、”地域のためになにかしよう”とは全く考えていなかった磯部さんが、なぜ家業を継ぎ、まちを盛り上げているのでしょうか。
家業を背負い、まちの仲間とつながりを築いていったその歩みはきっと、地域の未来を想うアナタの背中を、そっと押してくれるはず。

南知多でとれた新鮮な魚料理を提供する、旅館と併設の食事処、地場鮮魚 小枡園。
その代表を務める磯部さんの仕事内容は、調理はもちろん、仕入から営業までと多岐にわたります。
毎日忙しく駆け回る磯部さんですが、幼い頃から両親の手伝いで包丁を握ることはあったものの、家業を継ぐことは考えていませんでした。
「継ぐ気は全くなかったですね、魚も捌けなかったですし。でも、両親が旅館を営んでいたこともあり、おもてなしの気持ちが自分を作ってくれているような感覚はありました」
就職活動に励む中で、その感覚は徐々に確信へと変わっていきました。
「いろんな職種の面接を受けた中で手ごたえを一番感じたのが、おもてなしを通じてお客様に何かを届けられる仕事でした」

「いつか、自分が日本にあるリゾート施設の運営を手掛けているイメージで、キャリアアップを描いていました」
磯部さんは就職先のホテル運営会社で、大きなビジョンを胸にリゾート運営のプロを目指します。料理やサービスに加えて、宿泊施設の視察で全国を駆け回ったり、経営や運営に携わる部署を経験するなど、着実に夢に向かって前進する日々。
そんな矢先、磯部さんの今後を大きく変える一本の電話が鳴ります。
電話は、磯部さんの母親からの愚直ともいえる訴えでした。
「母から『助けて』と、泣いて電話がかかってきました」
実家の旅館が不良債権を抱え、経営が立ち行かなくなってしまっていたのです。
「親から助けてなんて言われたことがなかったので、その瞬間に『あ、俺しかいないんだな』と思いました。そのとき初めて、継ぐ自覚というか、強い使命感が生まれました」

「父は本当の意味で料理人なので、おいしいと言ってもらえるものをお客様に出す。そこに対してまっすぐな性格でした。ただ、金銭面で経営がうまくいかなくなったときに、自分が出したい料理を満足に出せなかったり、お店の経営にも家族間のギクシャクした問題が入ってくるようになったりしていました」
当時を振り返りそう語る磯部さんの目には、うっすらと涙が滲んでいるようにも見えました。
誇りをもって家業を営む両親を近くで見てきた磯部さんだからこそ、胸が締め付けられるような訴えだったのでしょう。
磯部さんは「この状況をなんとかしなくては」と、24歳で南知多町へ戻る決断をし、旅館の再建に向き合います。
「今まで感じたことのなかった使命感でいっぱいでした。最初は、遠方から経営面だけ手助けすることも考えていましたが、当時は今ほどリモートで業務ができるAIも発達していませんでした。それに、小さい店なので、実際に現場に入って立て直していくやり方の方が効果が大きい。思い切って会社を辞めて、帰ってきましたね」

しかし、立て直しまでの道のりはそう簡単なものではありませんでした。
「当時は、24歳で何の実績もないので、銀行から融資を受けることもできませんでした。そこで、旅館を買い取っていただけるオーナー探しから始めたのですが、そう簡単に見つかるわけもなく。協力してもらえそうな社長さんに話をして、さらに知り合いの社長さんを紹介してもらう、わらしべ長者のようなアナログなやり方で必死にオーナーさんを探しました」
そんな、家業を残したいという強い気持ちと粘り強さの甲斐あって、ある社長さんに辿りつくことができたといいます。
「ある人のご縁で旅館のこれからの可能性を見込んで下さった社長さんに出逢い、奇跡的にも買い取っていただくことができました。その方のご好意で、初めは賃貸契約という形で物件を借りながら再スタートを切るとともに、将来的には買い戻す方向で話し合いができました」
24歳という若さで直面した、大きすぎる壁。
「頭でわかってやっているというよりは、とにかく『両親がやってきた商売を残してあげたい』という一心でやり切りました。」
そう当時のことを語る磯部さんの瞳は、力強く、そしてまっすぐ前を向いていました。
その後、磯部さんは法人を設立。帰省からは5年の歳月を経てようやく銀行融資で旅館を買受けする事が出来ました。若くして大きな壁に直面しながらも、 今の自分にできる最善を尽くしながら、二代目として歩み始めたのです。

南知多エリアの観光客数は、バブル崩壊後から減少をはじめ、現在は200万人前後*で横ばいが続いています。
*データブック南知多|南知多公式ウェブサイト
磯部さんも二代目として、地元の食材と日々向き合う中で、観光地としてのある課題を感じていたといいます。
「地元の人たちは、ここは観光地だとよく言うんですけど、〇〇ラーメンとか〇〇餃子とか、わかりやすい観光客向けの名物をうまく作れていないんですよね。南知多の食材や地域の魅力が、観光客やこの場所を好きできてくれる人たちに、うまく届いていないなと思ったんです」

そんなもどかしさをあるとき、地元住民や移住者との交流コミュニティで投げかけました。
「そしたら、ラーメンとかそばの名物をつくったらいいんじゃないかという話になって。
でも南知多には、ラーメン屋さんや和食屋さん以外にも、地元の美味しい野菜を使っているイタリアンの店や、おじいちゃんおばあちゃんがやっている馴染みやすい雰囲気の居酒屋さんもあります。
それで、どの業種のだれでもが挑戦できる『ヌードル』にしようとなりました」
こうして、みんなで挑戦できるジャンルとして生まれたのが、『南知多ヌードル』です。

コンセプトは “南知多の麺で繋ぐ未来”。
地元の人気飲食店4店舗が一体となり、各店で南知多の食材を生かしたオリジナル麺料理の提供が始まりました。
この活動はSNSやメディアで話題となり、テレビ特番が組まれるほど大きな反響を呼びました。
「移住者の方々とのコミュニティや漁師さんを通じて繋がった人気店が参加しています。ひとりで発信するより、みんなで手を繋ぎ合ったら大きな渦になっていく、という一つの成功事例になりました」

しかしその一方で、地域には深刻な現実もあったと磯部さんは話します。
「去年からの一年で、地域のお店が十数軒も一気になくなってしまう現象が起きています。自分の中では、衝撃的な出来事でした」
そんな急激に変わる地域の姿を前に、磯部さんの中で新たな使命感が芽生えました。
「このままでは、南知多の活気がどんどん失われてしまう…。もたもたしている場合じゃない。時代に沿った、新しいものを生み出さなければと思いました」
それは、家業を継ぐことを決意した時と同じ、強い使命感でした。
早速磯部さんは、南知多のある隠れた名物に着目しました。
南知多の特産といえば、シラスやタコ、フグが知られていますが、実は”渡り蟹”の品質が全国トップクラスを誇るのだといいます。町内には新鮮な渡り蟹を提供するお店が数多くあります。
ここ、小枡園でも長年愛されてきた渡り蟹料理に、『天然活渡り蟹』があります。

「もともと茹で蟹として年配層の方に人気があった商品なんですけど、若い方々には『どうやって食べるの?蟹の剥き方が分からない』と言われてしまって、なかなか食べてもらえないんです」
しかし、「南知多の渡り蟹は、何かを変換さえすればもっと若い世代にも受け入れられる魅力はある」と感じていた磯部さんは、新たな名物づくりに踏み出しました。
そこで注目したのが、近年の韓国ブーム。
生の渡り蟹を特製のタレに漬け込んだ、韓国の伝統料理カンジャンケジャンを、南知多の渡り蟹でも作れないかと思い立ちます。
「初めは、YouTubeで動画を見て、今までの調理の感覚を頼りに2年くらい試作を続けていたんですよ。2年経ってとうとう嫁さんに、『ずっと考えていないで、いい加減店で出したら』って言われて。ただ、本場のカンジャンケジャンを食べたことがなかったので、自分の中で自信が持てずにいました。確信のないものをお客さんに出すこともできないので、『じゃあ韓国に食べに行こう』と決めました。
実際に訪れた韓国では、ミシュランに掲載されるような評判のいいお店を何店舗か食べ歩きました。でもそこで、南知多の渡り蟹の扱いの良さや品質、鮮度の良さを確信したんです。これは勝てるかもしれない、必ず本場を超えていくぞ、と思いました」
自信がついた磯部さんは、南知多の新鮮な渡り蟹を使ったカンジャンケジャン、通称『南知多ケジャン』の提供をお店で始めました。

すると、早速反響が。
「提供を始めてすぐくらいに、テレビ局やインフルエンサーの方々が足を運んでくださいました。
そういった方々の発信力が大きな渦になって広がっていく中で、同時期に地元でカンジャンケジャンの提供を始めようとしていた他のお店の方々に『南知多ケジャンをみんなで一緒に広めませんか?』と提案しました。
そしたら、『俺たちも一緒にやろう』と言ってくれて。
あるお店の方が、『世代の違う自分たちもこれからは、若い子たちがやることを受け入れて手を繋いでいかな、生き残っていけん』と話してくださったとき、世代を超えて同じ危機感や希望を持っている方々がいるんだなと思いました」
磯部さんが取材中、何度も口にした「みんなで」という言葉。その言葉の通り、磯部さんのひと声から、地域全体で南知多を盛り上げていこうという意識が徐々に生まれていきました。
「今ではカンジャンケジャンを目当てに、若い女性のお客様や、母と娘の親子で来店してくださることも増えました」
南知多ヌードルも、南知多ケジャンも、
その根底にあるのは、地域の魅力を世代を超えて、線を引かない総力をかけて届けよう、という想い。
磯部さんの挑戦は、地域の課題を“ひとりで背負う”のではなく、 “みんなで未来をつくる”という形へと広がっていきました。

地域の祭りごとや、地域活性化のためのイベント企画などを行う地域青年部。
その部長を務める磯部さんは、次世代へ伝えていきたい想いについてこう語ります。
「僕がこの10年15年で見てきたものや、感じている危機感をきちんと言葉で伝えています。早く行動を起こすことが大事です。自分の経験を若い子たちへ伝えた先に、使命感をもってこの南知多を盛り上げようとする人たちが出てきてくれたらいいなと思っています。
僕があと半世紀とちょっと続けると、小枡園は創業100年近く続いています。本当に価値のある「老舗」はどのような想いを繋ぎ、どうやって創られるのか。まだまだ全然思い浮かばないような先を見ながら、知見を広げながら今の目の前をきちっとやる。もうそれだけです」
磯部さんは目の奥に力強さを宿しながらも静かな声で、そう語りました。磯部さんは今日も、先代の父、そして家族やスタッフと共に、南知多の新鮮な魚料理の美味しさを多くのお客様へ届けるために厨房に立っています。

最初から仲間がいたわけでも、大きな計画があったわけでもありません。
それでも、周りに声をかけながら動き続けるうちに人が集まり、やがてその動きは地域全体へと広がっていきました。地域で活躍しているのは、特別な誰かではなく、「まずは自分がやってみよう」と小さく動いた人なのかもしれません。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
私も同じ愛知県出身。
磯部さんのお話を聞いて、こんな魅力溢れるまちや人がいる地元を誇りに思うと同時に、まだまだ自分の知らないまちの魅力を発信していきたいなと思いました。
取材後、小枡園 元祖名物”土鍋鯛めし”やアワビなど、南知多の美味しい海の恵みをおなかいっぱい頂きました。ご馳走様でした。
NANA KONDO
近藤 奈那