YAMAGATA
山形
ローカルでキャリアを築くことや、自分の事業を持つこと。
「そんなの自分には無理だ」と思い込んでいませんか?その思い込みから、知らず知らずのうちに、自分の可能性の芽を摘んでしまってはいないでしょうか。
もし今、アナタが自分の人生を「つまらない」と感じているのなら、「夢中になれる未来」や「新たなチャンス」は、実はすぐそこに転がっているのかもしれません。
合同会社Circularthanks(サーキュラーサンクス)の代表・戸叶大地さんは、ゲーム仲間からの一声がきっかけで、コロナ禍で引きこもりがちだった時期を乗り越え、大学4年生のときに山形県米沢市で起業しました。
ロールモデルのいない環境でゼロから挑戦し、地域資源を活かしたビジネスを展開。現在は、山形県産の果物やハチミツを使用した食品ブランド「Sanbika」の運営や、地元企業向けのウェブ制作事業を手がけ、地域経済の活性化に取り組んでいます。
もともとは、「ごく普通の大学生だった」戸叶さん。彼はなぜ、そしてどのようにして山形県で事業を立ち上げたのか。そのストーリーをお届けします。
今でこそ、地域密着の事業を運営する戸叶さんですが、最初から山形という土地に思い入れがあったわけではありませんでした。
宮城県白石市出身の戸叶さんが山形に移り住んだのは、大学進学がきっかけ。第一志望の大学ではなかったものの、スキーの強豪サークルがあることを決め手に進学を決意しました。
土地に縁もなく、友人もゼロからのスタート。それでも、大好きなスキーに打ち込めると期待に胸を膨らませていました。しかし、そんな矢先にコロナウイルスが猛威を振るいます。
「学業もうまくいかない。コロナの影響でスキーもできない。何もやることがない状態になってしまって…。あの時ばかりは、山形に来たこと自体が間違いだったんじゃないかと思いました」
自分の選択に自信を持てなくなった戸叶さんは、コロナ禍による外出自粛の影響で、次第に自宅にこもる時間が増えていきました。
やることもなく、ただビデオゲームの「荒野行動」をプレイして一日をやり過ごす日々。その中で、将来への漠然とした不安が膨らんでいきました。
戸叶さんの6歳上の兄は、新卒で入社した会社で体調を崩し、数年間、実家で療養を余儀なくされました。その姿を間近で見ていたこともあり、戸叶さんは就職に対して強い不安を抱えていたといいます。
「このまま進んでも、自分の人生はあまり面白くなさそう…。そんな不安を誰にも相談できずにいました。でも大学3年生の冬、たまたまゲームで出会った年の近い起業家に、ぽろっと本音をこぼしたんです。
そしたら、一言『戸叶は絶対に起業した方がいい』って言われて。オンラインでしか会ったことのない人。どうしてそんな風に言ってくれたのかは分からない。でも、やることもない、友達もいない、山形で失うものもない。そんな状況だったからこそ、『もうやってやるか』という気持ちになりました」
とはいえ、起業の知識はゼロだった戸叶さん。ゲーム仲間の社長に相談しながら、まずは1カ月間YouTubeで商売の基礎を猛勉強しました。
「ビジネスの基本は物販」と知り、まずは中国の工場からインテリアを仕入れ、日本で販売することに挑戦。初めての仕入れ額は5,000円。スモールスタートでも挑戦できることに驚いたといいます。
その後、仕入れの形態を変え、取扱商品を増やしながら、事業規模を少しずつ拡大。着実に経験を積み重ねていきました。
「事業を始めてから、毎日が本当に楽しかったんです。天職かどうかは分からないけれど、もう自分にはこれしかないんだろうなって。ただただ、がむしゃらでした」
新しいことを学び、できなかったことができるようになる。1週間前、1カ月前の自分とはまったく違う考えを持てるようになる——。そんなビジネスの魅力に、戸叶さんはすっかりのめり込んでいきました。
そんなある日、戸叶さんの元にTwitter(現・X)で1通のDMが届きます。送り主は、小学校の同級生・佐藤さんでした。佐藤さんもほぼ同じ時期に、伝統工芸品の物販で起業していたのです。
さらに、佐藤さんの高校の同級生で、同じく起業家だった川部さんとも出会い、3人はすぐに意気投合。年齢も近く、関心のあることも似ていたため、自然と「一緒に会社をやってみたい」という話になり、今の会社の構想が生まれました。
ビジネスをやりたい——。けれど、誰のために何をするのか。悩んだ3人がたどり着いたのは、規格外の野菜を正規価格に近い値段で取引する事業計画でした。
「僕自身、スキーをやっていた関係で、知り合いの農家さんが多かったんです。スキーをする人には農家の方が多くて。夏場は農業をし、冬はスキーをするという人が結構いるんですよ」
戸叶さんは、コロナ禍でバイトがなくなった際、スキーのインストラクターとして関わりがあった農家さんのもとで農業のアルバイトを経験。そこで、規格外野菜が低価値なものとして扱われているのを目の当たりにし、事業のアイデアへと繋がりました。
「お世話になった農家さんの中には、車を無料で譲ってくれるなど、なにかと助けてくれた方がいました。そんな人たちに恩返しをしたいという気持ちがありましたし、規格外の野菜が安く買い叩かれている現状も知っていたので、何かできないかと考えるようになったんです」
さらに、創業メンバー全員が東北出身であり、農業が身近な存在だったことから、「農業に関わるビジネスをやりたい」という思いが自然と芽生えていきました。こうして、戸叶さん達は一次産業に関わる事業を立ち上げることを決意したのです。
当初は、産直通販サイト『食べチョク』のようなサービスを考えましたが、農家さんにヒアリングをしてみると、あまり手応えを感じられないことに気づきます。農家さんの多くは規格外品を加工業者に引き取ってもらえるため、低価格での取引に対してあまり危機感を持っていなかったからです。
しかし、実際には加工業者に出すと1コンテナあたり数百円程度にしかならず、適正価格の10分の1ほどにまで値下げされるケースも少なくありません。
「だったら、自分たちが加工業者になろう。果物をリブランディングして価値を高めることで、農家さんの収益を増やせるんじゃないか」
こうして、戸叶さんたちは加工業者として果物の新たな価値を生み出す事業を目指すことになったのです。
しかし、ゼロからの挑戦は分からないことだらけでした。
最初に直面した課題は、仕入れ先の確保。食品加工の知識も経験もなく、どれだけ原料を仕入れるべきかすら分からない。そんな中、スキー場のアルバイト時代に仲良くなった農家さんが、材料の仕入れ先や試食の協力、農家さんとの付き合い方まで、一つひとつ教えてくれました。
その後、少しずつ仕入れ先となる農家さんを増やしていきましたが、全員20代、加工業の経験なしという状態で、信用を得るのは簡単ではありませんでした。それでも道の駅での商品販売や、行政への相談という地道な活動を続け、徐々に繋がりを広げてきました。
他にも様々な壁がありましたが、その度に手を差し伸べてくれる方との出会いがありました。食品製造の場所が見つからなかった時は、想いに共感した物件のオーナーが無償で貸し出してくれました。食品加工の方法や必要な資格が分からなかった時は、保健所の担当者が親身に教えてくれました。
「起業する前は、人と関わることがほとんどありませんでした。でも、起業してからは、自分が何かやると言うと応援してくれる人がいたり、自分の活動に憧れて『起業しました』と言ってくれる人もいたりします。そういうのが、なんだかいいなと思うんです。今では、起業が人とつながるためのツールみたいになってるなと感じます」
京都に次いで日本で2番目に創業100年以上の企業が多い山形県。20代の若者起業家は異色の存在でした。地域内で、ゼロから食品ブランドを立ち上げた前例はなく、「時には白い目で見られることもあった」と創業当初を振り返ります。
それでも、応援してくれる人は必ずいて、その方々への「ありがとう」が戸叶さんたちを動かす原動力になっています。挑戦が応援を生み、応援が挑戦を生む——その過程に社名の由来でもある「ありがとう」の循環が存在していました。
最後に、数ある都道府県の中で、なぜ山形県を活動拠点に選んだのか伺いました。
「正直、どこで起業するかは悩みました。東京に出ようか迷ったこともありました。でも東京では、数ある若手起業家の1人として埋もれてしまうかもしれない。それなら、応援してくれる人がたくさんいる山形でやった方がいいんじゃないかと思ったんです」
時には「変なやつが出てきた」と厳しい目を向けられることもありました。でも、それ以上に応援してくれる人が多かったそう。人口減少など、まちの課題が顕著だからこそ、「このまちを何とかしたい、という危機感を持つ人が多かったのではないか」と戸叶さんは語ります。
「課題を抱えている地方だからこそ、応援してくれる人がいる。無関心ではなく、白い目で見てくれる人がいる。山形だからこそ『出る杭』になるチャンスがあったんです」
戸叶さんは現在、学生と経営者をつなぐ学生団体の代表も務め、キャリアに悩む多くの学生と関わっています。
かつて、自分自身が「起業」という選択肢を知らず、人生をつまらないと感じていた、あの頃に寄り添うように。都心ではなく地方で働く道や、企業に就職するのではなく起業する道があることを伝えています。
今では、SNSを通じて「自分も起業しました」とメッセージをもらうこともあるそう。「山形という地方でも挑戦している若者がいる。そう示せていると実感できる瞬間が、一番うれしい」と笑顔を見せる戸叶さん。
「当時は、『山形 経営者』と検索してもなかなかヒットしなかった。でも、我々の活動を通じて、少しは『山形』や『起業』といった将来の選択肢が学生たちにも入るようになってきたと思うんです。
もし自分たちのような身近に発信している存在がいなければ、多くの若者が迷わず東京に行っちゃうんじゃないかと思います。その歯止め役という意味では、ちっちゃく山形を背負えてるんじゃないかな」
自分や会社の今後については想像がつかないと語る戸叶さん。3年前の起業当時、自分が今の姿を想像できなかったように、1年後の自分もまた、今の想像を超えた存在になっているはずだと胸を張って語ります。
あの日、ゲーム仲間の言葉を聞き流していたら。旧友からのDMに気づかなかったら。今、生き生きと挑戦を続ける戸叶さんの姿はなかったかもしれません。日常のささやかな出来事を受け止め、素直に行動に移したからこそ、今の戸叶さんがあります。
「そんなの無駄だ」と切り捨てず、小さなきっかけの種を育てる。
「そんなの無理だ」と決めつけず、可能性の芽に水をあげる。
そうして広がった木々に続いて、新たな若者たちによるつぼみが花開いていく。
戸叶さんたちは、ちっちゃく背負った山形を、さらにおおきく成長させるのだろうと期待させます。
アナタも身の回りにある種を探すところから、始めてみませんか?
Editor's Note
戸叶さんの凄さは、人とのご縁を引き寄せる力と、チャンスを逃さない行動力にあると感じました。聞き流してもおかしくないゲーム友達からのアドバイス。見落としても不思議ではない旧友からのDM。そんな何気なく転がるチャンスを確実につかみ取る力強さが、魅力的なブランドを生み出したのだと思います。
HONOKA MORI
盛 ほの香