NAGANO
長野
仲間、応援、与えられた環境———
どれも一人では手に入らないもの。
だからこそ、周囲に意識を向けて感謝し、恩返しをしていく。
けれど、日々の生活に追われるなかで、そんな想いをつい忘れがちになったり、なかなか意識や行動に移せなかったりするのかもしれません。
今回お話を伺ったのは、株式会社松本山雅の代表取締役、小澤修一さん。
かつて、サッカー選手の夢から一度は離れた小澤さん。しかし、「このままでは一生後悔する」と決意し、再びプロへの道を目指して努力を重ね、選手になりました。
現在は松本山雅FCを運営する会社の経営者として、「地域のために何ができるか」と自問しながら、未来に向かって奮闘し続けています。
小澤さんが見せるのは、先頭に立って統制するような、権威的なリーダー像ではありません。仲間・サポーター・地域に目を向けながら、「みんな」と共に歩む姿がそこにはあります。
「恩返しがしたい」———その気持ちを胸に日々まっすぐに進む小澤さんの言葉は、誰かの「ありがとう」を力に変えて挑戦を続けるアナタに勇気を与えてくれるはずです。
小澤さんがサッカーと共に歩んできた道のり、そして小澤さんの生き方に迫ります。
小澤さんは幼少期の自分を「器用貧乏でなんでもなんとなくはできちゃうけど、長続きしない性格だった」と振り返ります。
ただ唯一、例外がありました。
友人がきっかけで始めたサッカーは、なぜか続いたと言います。
「楽しかったのでしょうね。時間を忘れるぐらいに夢中になれたから」
そうして目指したプロの道。しかし、高校卒業後に受けたプロテストでは結果は出せず———。
「プロテストでダメだった時に、自分の心がサッカーから離れた瞬間がありました。そこからは、周りと同じように普通の大学生活を過ごしていました。
でも、大学3年生の就職活動で自分の人生を考えた時に、ここでチャレンジしなかったら、一生後悔するだろうなってすごく思ったんです。そこからですね」
再びサッカーの道を歩み始めた小澤さん。一人でトレーニングを始め、一年かけて身体を作り、プロテストを受けて静岡FCに入団します。
「夢を掴んだと言えるかはわかりません。サッカーにぶら下がって、生きていく道をなんとか見つけた。当時は、そんな感覚でしたね」
その後、静岡FCから松本山雅FCに移籍した小澤さん。
松本の地で選手生活を送り、引退後も松本山雅ユースアカデミーコーチや、松本山雅の広報などを担いながらサッカーに携わり続けました。
「サッカーはお好きですか?」という問いかけに対し、
「サッカーは好きでした」と答えた小澤さん。
長年サッカーに関わってきた今、「好きなことで生きている」という意識はあまりないと教えてくれました。
「サッカーが仕事になってからは、うまくいかないことが多くて、苦しさを感じる瞬間の方が多かったですね。常にふるいにかけられる世界なので。
僕、サッカーをするのは好きなんです。でもサッカー業界に携わりたいとか、好きなことで生きていると胸を張って言える感覚はあまりないです。今は『自分をサッカー選手にしてもらったクラブに恩返しがしたい』っていう思いが強い。そういう気持ちで松本山雅で働いています」
2024年、株式会社松本山雅の代表取締役に就任した小澤さん。
選手から社員、そして経営者へと立場が変わり、「決断する責任」を強く感じるようになったそうです。
「平和主義で、あんまり人と争うのは好きじゃないんですよ。でも立場上、結果責任が絶対に発生してしまう。選手の契約満了やスタッフの変更など、強化部判断の上で了承が迫られる時があります。『業務としてやらなきゃいけない』と言い聞かせていますね。そういう意味では苦しいな、と思うこともすごく多いです」
苦しさを知っていて、それでもその場所にいる。
小澤さんはきっぱりと言います。
「サッカーってボール蹴っているだけでは価値がない。応援してくれる人がいるからこそ、初めて価値が生まれるんです」
その言葉の背景には、小澤さんがご自身の選手時代に、印象的だった出来事がありました。
松本山雅FCの開幕戦のサポーターは、最初はわずか数人。そこから次第に増えて、最終的には何千人規模へと広がっていきました。
当時をこう振り返ります。
「ピッチに立っていて、わあっと声援が聞こえてきた時、気づいたら応援してくれる人が増えたなって感じた瞬間があって。自分が好きでやってきたサッカーで人を喜ばすことができて、初めて仕事にできたなって思ったんですよ」
「プロっていう定義っていうのは何なのかな?って考えた時に、自分がやってることが誰かの役に立つこと。それがやっぱプロだなあっていうふうにすごく思って」
選手を離れて経営者となった今も、この思いは変わりません。サッカーを通じて、どれだけ多くの人を幸せにできるか———そのことを胸に、クラブと地域をつなぐ架け橋となっている小澤さん。
「仕事の対価は、どれだけの人に「ありがとう」っていう感謝の気持ちを持ってもらえるか。それがその仕事の価値だなって、ずっと思っています」
松本山雅の魅力を「人ですね」と力強く述べ、松本山雅に関わっている人たちの「行動力と温かさがクラブの一番の強みである」という小澤さん。
「感動しますよ、あの光景は」
松本山雅のホームスタジアム『サンプロ・アルウィン』での試合を思い返しながら、明るい声で語ります。
「松本山雅のサポーターの応援は、雰囲気がすごいんです。応援を見にきてるっていう人たちもいっぱいいます」
2024年、松本山雅はJ3のチームの中で最多の平均入場者数を記録。J1時代には、ホームスタジアムの平均来場者数が17,000人を超えるなど、地域クラブの中でも多くの人々を動員しています。
サポーターの熱量が高く、多彩かつ統率の取れた応援歌は圧巻。
「手拍子がめちゃくちゃ揃ってるんですよ。なぜあのように揃うのかなって不思議なくらい、みんな綺麗に揃うんです」
ある試合の終了後、サポーターの方からこう言われたそうです。
「『見てよ、この手』って、真っ赤な手を差し出されました。『今日これだけ応援したからね』って」
また、「グリーンシャワー」についても教えてくださいました。
「昇格した時には、『グリーンシャワー』というセレブレーションがあるんです。緑のくるくる巻かれた紙テープを、合図とともに一斉にふわっと投げる。スタジアムが、緑のシャワーに包まれます。
重要なのは、この緑の紙テープをサポーターの皆さんが自ら準備して持ってきてくれていることです」
その光景は、クラブと地域の絆を感じる瞬間でもあります。
「ゴール裏で熱狂的に応援している方たちだけじゃなくて、スタンド全体から紙テープが投げ入れられてるんです。スタジアムを包む一体感。それがクラブの特色、この地域の特色だなってすごく思っています」
これから人生でやりたいことについて、「松本山雅をこの地域だけに留まらせず、日本の魅力をもっと世界に発信できるようなコンテンツにしていきたい」と考えている小澤さん。
「そのためにはやっぱり競技力を上げなきゃいけないし、クラブの力もないといけない。そして、地域をもっともっと元気にしていきたい。今できることを、一個一個潰していくっていうのが、自分たちの使命だと思っています」
小澤さんは、ご自身の今の立場を次のように捉えています。
「自分はガシガシ発信して俺についてこい、っていうタイプじゃ全くないです。その自分が松本山雅の代表という立場になっている。それは、松本山雅が『みんなで考えるみんなのクラブだよ』と意思表示していると思っているんです」
「『みんな』っていうのはクラブだけじゃなくて、地域の人たちも一緒になって考える。そういう活動にしていきたい思いがすごく強いです」
サッカーの価値は、ピッチの中だけではなく、むしろピッチの外にこそ広がっていくもの。
だからこそ、クラブの存在意義を『みんな』と共に広げていきたい。
「地域の公共財になりたいなって思っています。松本山雅は株式会社だけど、みんなで作っている『みんなの市民クラブ』です。このクラブを使って、地域をもっともっと活性化させていきましょうよ、と」
小澤さんの言葉からは、クラブの仲間や応援してくれるみんな、そして地域全体のみんなを巻き込んで、相互に発展させていく、という強い意志が感じられました。
人生には多くの人の支えがあります。
小澤さんの人生の選択には、出会う人々や、そのつながりを大切にする心が確かに存在していました。
そしてその心が、松本の地域の活性や、小澤さんご自身の生きる原動力に繋がっているのかもしれません。
「自分の人生について、何に時間を使うかなとか、何に価値を置くかなっていうことを考えた時に、やっぱり人に感謝してもらえるっていうことが、僕はすごく価値があると思っています」
感謝を伝えたり、そして伝えられる瞬間は、お互いにじんわりと心があたたかくなるものです。
自分のためだけではなく、誰かの心に灯をともすような生き方がしたい。そしてそこで生まれた小さなぬくもりを、大事に育てて歩んでいけたら———
そんな願いを持って周囲の人と向き合い続けるアナタなら、思いがけない場面で「ありがとう」と言われる瞬間が待っているはずです。
そして、誰かの「ありがとう」が、こんなにも自分の力になることに気づけたとき、人生で大事にしたいものが、少しずつはっきりと見えてくる気がします。
今日から少しだけ、自分の時間と心を、大切な誰かのために使ってみてはいかがでしょうか。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
取材の最後、何か言い残しはありませんか?の問いに、「大丈夫です。僕が笑ってほしいと思って言ったことを、皆さんが笑ってくれたので」と返され、会場に笑顔があふれました。小澤さんの終始周囲を大事にするあたたかい姿が印象的でした。
HARUNO
はるの