MIYAZAKI
宮崎
美味しい特産物、穏やかな気候、あたたかな人間関係……。
「好きな土地の“推し”ポイントは?」と聞かれたら、語れることがたくさんある。そしてその魅力を語るだけでなく広く届けるため、地域資源を活かした商品づくりをしたいと思い描いている人もいるのではないでしょうか。
けれど、資金も人脈も十分ではないと、何から始めれば良いか分からないことも。
2025年5月にオープンした、宮崎県宮崎市のアイスクリームショップ「MELLOW」を営む井上杏美さんも、ビジネス化に悩んでいた一人でした。
「いつかはアイスクリーム店を」という強い想いを胸に温めつづけた井上さんが選んだのは、会社員と両立しながらの開業。早くも「この地域にこんなお土産品がほしかった」と地元企業の目に留まることも。起業に至るまでにはどのようなプロセスがあったのでしょうか。

宮崎市吉村町にある「MELLOW」は、2025年5月に井上さんが開業したアイスクリームショップです。フルリモートで会社員を続けながら店舗を営むため、現在の営業日は金、土、日曜日の週3日。オンライン販売やイベント出店もしています。
MELLOWでは、「塩バニラ」や「黒糖ミルク」など常時6~8種のアイスを販売するほか、コーヒーなどのドリンクメニューも揃え、まちの人に穏やかな休息時間を届けています。
「宮崎はほっと肩の力が抜ける場所。私が大好きなアイスを通じて、宮崎を身近に感じながら、日常の中にMELLOW(=穏やか)な時間が流れればいいなと思い、お店をこの名前にしました」
アイスの各フレーバーにはできるだけ宮崎の特産品を使うようにしており、素材のおいしさが際立つよう、井上さんいわく、
「けっこうアナログな作業が多めです」
そうやって守られた味わいや風味の良さは、「ゆずはもっと香りが飛んでしまうと思ってたよ」「こんなに美味しいアイスになるんだ」と、生産者さんも驚くほど。
井上さんが感じた宮崎の素材の良さを損なわないように、手作業と機械に任せる作業を組み合わせて丁寧に作っています。

そんな、想いの詰まったアイスクリームショップはオープンして間もなく1年を迎えます。
現在も会社員と両立しながらの経営ですが、働き方はどのように変化したのでしょうか。
「会社にスケジュール調整の相談に乗っていただき、今は週4日フルリモートで働きながらアイスの仕込みや販売などを行っています。MELLOWの業務は基本的に一人で行い、イベント出店時などには友人にサポートいただくこともありますね」
開業当初は半年ほど休みなしだったというから驚きです。
「必死だったので、体力勝負で駆け抜けました。今は、月に1.2回は必ず休みを取るようにしています。閉店してしまった店舗も見てきたので、長く続けるためにきちんと休息をとるようにしています」
夢だった開業から、できるだけ長くたくさんの人にアイスを届けられるように。自分にとって続けやすいバランスを見つけることは、お店を続けるために必要不可欠だといえそうです。
そもそも井上さんは、いつからこの夢を描いていたのでしょうか。
幼少期からアイスが大好きで、まちの小さな商店でおばあちゃんにアイスを買ってもらうのをいつも楽しみにしていたという井上さん。
「アイスクリームが好き、という気持ちからお店を開くまでには、いくつかの段階がありました。一つは、大学生のときのアルバイト先で、シェフが余っていた新鮮なスイカからソルベ(シャーベット)を作ってくれたとき。アイスは食べるだけでなく、素材から自分でも作れるものなんだ!と発見がありましたね」
大学で栄養学を学んでいた井上さんは、実習先の緩和ケア施設でもアイスのある光景に出会っていました。
「通常の形では食事を摂れない方が、アイスクリームを差し入れにリクエストしていたんです。食は生きる楽しみの一つであり、特にアイスはいろんな方が食べられるものなのだと気づきました」
これらの経験から、「自分がアイスクリーム屋さんになれたらすごい」と胸は高鳴っていたものの、まだこの時点ではビジネスにしようとは考えていなかったそうです。時を経て、宮崎県で会社員として働く井上さんに、転機が訪れました。
「5年ほど前に宮崎で手作りジェラートショップができたんです。当時私も資金計算やメーカーへの問い合わせはしていたのですが、すぐに実現できる金額ではなく、あまり現実的には考えられていませんでした。
でも実際に開店した人を間近でみて、私は夢を語っていただけだと――。やると決めて実現した人と自分との、差を見せつけられた気がしました」
ただ好きな食べ物だったアイスが、いつのまにか多くの人と分かち合いたいものへ。
実際に形にしている人たちを前に、「私にもできる!」と井上さんに火がついた瞬間でした。

やると決めたら、まずは資金の準備から。
「アイスクリームショップを開くには、ジェラートマシンの購入費をはじめ、まとまったお金が必要です。普通の会社員ではダブルワークをしても、果たして貯まる日はくるのか?と思うほどの金額。問い合わせたメーカーさんにも、資金の目処が立たない限りジェラートマシンは売れないと言われていました」
開店までに10年はかかる。そう覚悟していた井上さんでしたが、ある日SNSで思いがけない情報を見つけます。
「県内の、とあるアイスクリームショップがInstagramで、閉店とともに事業承継者を募る投稿をしていました。すぐに、興味あります!と連絡をしましたね。そのままトントンと話が進み、通常の半額ほどの金額で、お店を第三者承継させていただきました。
またラッキーなことに、閉店前のお店で研修もさせていただけて。一度にお店とノウハウを手に入れることができたんです。完全未経験でしたし、時期尚早かなとも考えましたが、一生このチャンスは来ないと思い、足りない資金は借り入れをしてそのままお店を始めることに決めました」
運だけはいいんです、と語る井上さんですが、その情報に辿り着けたのもアンテナを高く張り続けていたからこそ。すぐに連絡をとる行動力の高さで、一生に一度の大チャンスを掴んでいました。

井上さんのアイス作りに欠かせないのが宮崎の素材。仕入れをするにはまず生産者さんとつながる必要があります。そのために井上さんは地道に行動を重ねてきました。
「最初の頃は、道の駅などの産地直売所にほぼ毎日通い詰めていました。1年通して行くと、どんな食材がどの季節に出てくるかの流れが掴めるようになり、食材や生産者さんの名前も自然と覚えることができます。私のことも覚えてもらえるようになったので、次の仕入れ日を聞くなど、細かなコミュニケーションをとるようにしていました」
実際に足を運んで、コツコツと関係性を築いていったのだといいます。
「また、県内の『みやざきフードビジネス相談ステーション*』のような、生産者と加工者をつなげてくれる公的サービスも利用していました。私は所属しなかったのですが、商工会などの団体に入るのも一つの方法です。生産者さんに限らずつながりが増えるので、地域でのコネクションがあまりない方には良いのではないでしょうか」
*公益財団法人 宮崎県産業振興機構 みやざきフードビジネス相談ステーション…フードビジネスに取り組む事業者向けの相談機関(https://food.mepo.or.jp/)
生産者さんとのご縁はそのまま素材とのご縁につながりました。アイスのフレーバーとして選ぶ際のこだわりはあるのでしょうか。
「うちのお店は観光客の方のご来店も多いので、マンゴーなど、“the宮崎”を感じられる特産品を選ぶように意識しています。また、その土地で長く使われている素材や、県内でもまだ知られていない素材も取り入れていますね。
例えば、300年続く製法で作られている日南市の黒糖“さとねり”。1年に1回だけ、夜通し大きな釜で煮て作っているんです。作り方もこだわりがあって、愛すべき素材なんですよ!でも意外とまだ知らない人もいる印象です」
美味しいことは前提に、こだわりを持って作られたもの、その土地に住む人におすすめされたもの、お店からなるべく近い生産地のものを選ぶようにしていると井上さんは話します。

「生産者さんも、絶対に後世に伝えていかなければ、という強い使命感を持って製造されていますし、何より本当に美味しい。黒糖が苦手な方でも喜んでいただける味わいです。MELLOWで原材料として購入して少しでも支えになればと思っています」
直接、生産者さんとやりとりを重ねていくなかで知った素材の美味しさや製法へのこだわり。今はまだ多くの人に知られていなくても、MELLOWでアイスにすることで、その魅力が広がっていく――。そんな豊かな連鎖を想像することができました。
2026年5月に2年目を迎えるMELLOWでは、今後に向けていくつか構想があるのだとか。
「より多くの方にMELLOWの商品を届けるため、まちの中心地にアイススタンドの出店を計画中です。欲しいと思ったときにいつでも頼んでいただけるように、オンラインショップの常時開設も進めています。
また、会社員の経験も踏まえ、企業向けにアイスのサブスクサービスも考えています。栄養価が高くて、体にも心にも良いアイスをいつでも食べられる環境をつくれたらいいなと思います」
宮崎に住む人は、よりアクセスしやすく。遠くに住む人や会社員として働く人には、気軽にMELLOWのアイスを楽しんでもらえるように。場所に関係なく、宮崎の魅力を多くの人へ届けたい想いが伝わってきました。

最後に、地域で事業を始めたい人にとって大事なことをお聞きしました。
「まずは、目の前の人に喜んでもらうことだと思います。
私もアイス作りを始めたときには、ただの自己満足ではないだろうか、喜んでくれる人はいるのか、と不安になることもありました。
ですが、黒糖アイスを作ったときに、生産者さんが美味しいと喜んでくれて。地元の人も、俺らの地域の黒糖だ!と誇りに思ってくれて。身の回りの人に喜んでもらえた実感があったあとに、より多くのご縁につながっていきました。
大きな目標を立てることは良いですが、まずは身近な人に喜んでもらわないと、地域では残れないなと思っています」
周りをどんどん巻き込んでその人たちに喜んでもらうこと。地域でビジネスを始めるにあたっての大事な視点に間違いなさそうです。
「さらに、この土地で起業したい!続けて活動していきたい!という意志をきちんと伝えることでしょうか。私は移住者なので、特に地元の方たちとの交流を大切にしていました。でもそれはビジネスライクなものではなく、どちらかというと飲み友達をたくさん作っていった感じです。誘われたら断らずに出かけて想いを話していました」
移住者だった井上さんは、開業前から少しずつ地元の人と仲良くなっていました。そのご縁がずっと続き、数年経った今、当時お酒を飲み交わした仲間が取引先になることもあるのだとか。
「当時は経営者ではなかったですね。もちろんお取引自体は、厳しくジャッジしていただいた上で成り立っていますが、お金に関係なく純粋に応援してくれる人がいること。この存在に、私は支えられています」
「応援せないかんな」。地元住民にそう思わせる井上さんの本気度が、強固であたたかなつながりを生み、MELLOWを宮崎の地に根付かせていると感じました。

資金、人脈、経験。これら全てを十分に準備してからでないと、ビジネスは始められない。そう考える人も多いと思います。けれど井上さんは、始めることを選びました。MELLOWは、宮崎の魅力と井上さんのまっすぐな想いが結びついて、生まれたお店ではないでしょうか。
少しずつ情報収集を始める。地域の相談窓口を訪ねてみる。今のあなたにとっては小さく思えるアクションでも、その積み重ねが大きな夢の実現につながっていくのかもしれません。
Editor's Note
明るくあたたかいお人柄で、宮崎愛が素敵な井上さん。リアルな起業のお話も大変興味深かったですが、取材中に仰った「とにかく宮崎を身近に感じてもらいたいんです」の言葉もとても印象に残っています。井上さん自身移住者でありながら、こんなに惚れ込むなんて...。宮崎の食や風景はどれほど魅力的なものなのだろうと、私も興味津々です。MELLOWを食べて、MELLOWな宮崎に出会う旅をワクワク計画中です。
HARUNA HASEGAWA
長谷川 陽菜