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LOCAL LETTER

尾鷲ヒノキを未来へつなぐ。若き三代目の挑戦

DEC. 03

MIE

拝啓、「ちょっと古い」と見られがちな地域の伝統産業に飛び込むことを躊躇しているアナタへ

「地域にある昔ながらの産業を、チームの力で現代に生きる産業に復活させませんか?」

変化の激しい時代の中で、古くから地域に息づく伝統産業は、その存続自体が課題となることも少なくありません。しかし、そんな逆風の中でも新たな視点と情熱を持って伝統を守り、さらに発展させようとする人々がいます。

今回、取材に訪れたのは、三重県尾鷲市。

ここで代々「尾鷲ヒノキ」を扱う製材所「楠丑(くすうし)材木店」を継ぐ3代目であり、地域に新たな価値を生み出す団体OWASE woodworks(以下、ウッドワークス)」のメンバーとして活躍するのが𠮷田侑生さんです。

𠮷田 侑生氏 楠丑材木店代表 OWASE woodworksメンバー/ 尾鷲地域の製材業者、地元産のヒノキを活かした内装材や建材の製品開発に力を入れている実業家。業界が低迷していた時期に家業を継ぎ、「柱などの用途が減るなら別の形で価値を作る」といった柔軟な発想で、10年ほど木材加工・製材に取り組む。

木のぬくもりに触れると、どこか心がほっとする。ウッドワークスは、単なる木材の供給にとどまらず、そんな「木と人とのつながり」を感じられる体験を届けようとしています。

法人格を持たず、それぞれ本業を持つメンバーが思いをひとつにし、互いに支え合うフラットな組織体制も、ウッドワークスならではの魅力です。

その取り組みは、地域の木材産業に新たな息吹をもたらしています。

山に資金を還し、森と暮らしをやさしくつなぐ——𠮷田さんの思いは、人を木と森でつなぐことによって生まれる、あたらしい地域産業の取り組み方のモデルとなっています。

「家業なんて継がない」と決めた少年が、木と向き合い直した日

尾鷲で生まれ育った𠮷田さん。

𠮷田さんが3代目となる楠丑材木店は、𠮷田さんの曽祖父の名前を冠した材木店です。古くは山持ちから始まり、祖父の代で製材所として発展してきた長い歴史を持ちます。

幼い頃から祖父に預けられ、木材の匂いや感触に親しんできた𠮷田さんでしたが、中学卒業時には家業を継ぐことへの抵抗がありました。

「当時は枠にはまるのが嫌でした。祖父に『跡を継げ』と言われても、どうしても頷けなくて。材木ではなく、料理の道へと進みました。当時は右も左も分からないまま、とりあえず好きな料理を作ってみよう、そんな気持ちでした」

しかし楠丑材木店が後継者不在で畳む寸前だという報せを受け、𠮷田さんは三重へのUターンを決意します。

祖父母に育てられてきたのに、ここで家業から目を背けたら一生後悔すると思いました

ただ、𠮷田さんが尾鷲に戻った当時の状況は、非常に厳しいものでした。製材所の財政状況が「多分一番低迷した時代だった」と振り返ります。

楠丑材木店の木材加工機

そして家業を継いで直面したのは、長年培われてきた「伝統的なやり方」と、自身の抱く「個別性・品質重視のアプローチ」との衝突でした。

当時の楠丑材木店では修正材(接着剤で固めた木材)を主力製品としていました。天然木は、小規模な製材所ほど価格競争に巻き込まれ、十分な利益を確保するのが難しいという背景がありました。

「天然木は湿度を吸収して反る特性があります。昔の大工はその反りを長年の勘で読みながら木材を使っていたんです。でも今は職人不足で、簡単で効率的な修正材が選ばれてしまう。

祖父や職人からは『丸太をまとめて切って納めればいい』『木目を読むような細かい手間をかけるのは無駄だ』と言われました。でも僕は『大量生産と同じことをしていたら勝てない。一枚一枚を選んで仕上げるしかない』と主張したんです」

議論を重ねても折り合いはつきません。そこで𠮷田さんは腹をくくり、こう切り出しました。

「祖父に『一つの工場を任せてください。失敗したら僕の責任にしてください。結果を見てから判断してほしい』と伝えたんです。祖父からは一言『そこまで言うならやってみろ』と言われました」

工場の天井は高く、入ると木の香りがする。

こうして𠮷田さんは一つの工場を任され、徹底した選木と仕上げに挑むことになります。

「最初は『時間ばかりかかって売れない』と笑われました。でも、出来上がった製品を東京に持って行ったら飛ぶように売れたんです。そしたら『これは本物だ』と評価してもらえた。あのとき、ようやく祖父も少しだけ認めてくれたんです。

信頼って、口で言って得られるものじゃない。小さな結果を積み重ねることで少しずつ、古いやり方に風穴を開けられるようになったのだと思います」

木の香りと料理が出会った瞬間、未来への扉がひらいた

あるとき、事業の改革を進めていた𠮷田さんに転機が訪れます。

「料理人の横山太郎さんが主宰する『ローテーブル』という野外レストランイベントに誘われたんです。『尾鷲の木をテーブルに使えないか』と声をかけていただいて。そこから一緒にイベントの準備を進めることになりました」

もともと料理に興味があった𠮷田さんは、この誘いに運命的なものを感じたといいます。

レストランイベントの当日、ヒノキのテーブルにフルコースの料理が並びました。食事と木の香りが調和した瞬間です。

「『木の香りと料理がこんなに合うなんて』とイベントに参加していた方から言われて、横山さんと顔を見合わせて『これだ!』となりました。木を生活に取り入れる意味が目の前で形になったひとときでした」

この食と木をつなぐ発想は、𠮷田さんの中で強烈なインパクトを残しました。

尾鷲ヒノキのプレート。尾鷲ヒノキはきめ細かい木目が特徴。

「木を“モノ”として見ていたら、単なる原料で終わってしまう。でも料理と組み合わせたとき、木が場の空気を変える力を持っていると気づいたんです。これからは木を暮らしに組み込む方向で考えていこうと思いました」

「ローテーブル」でのイベントがきっかけで、同じ尾鷲の製材所を受け継いでいた田中俊輔さん(田中木材店)、楠太聞さん(楠製材)、横山さんと𠮷田さんの4人で ウッドワークスを結成することとなります。

ウッドワークスとして初めて出展したイベントである、東京ファーマーズマーケットでの体験が、𠮷田さんにとって大きな気づきとなりました。

「持っていった商品が全部売れたんです。本当に驚きました。お客さまからは探していた』『匂いがいい』『温かいと言葉をもらって。祖父に『無駄なことをするな』と言われてきたけど、都会のお客さまの声がそれを覆してくれた」

消費者からの率直な感想は、𠮷田さんの胸に深く刻まれました。

「『やっぱりこれでいいんだ』と自分がやってきたことに確信をもてたんです。祖父も最初は何も言わなかったけど、売れた結果を見て『まあ続けてみろ』と背中を押してくれました」

「法人格を持たない」選択が生んだ、上下のない組織の信頼とスピード感

ウッドワークスが正式に形になる前、その始まりは実にささやかなものでした。

「最初は飲み会の席で、『今のままじゃヤバいよな』と愚痴をこぼしていたんです。誰もが危機感は持っていたけど、どうすればいいか分からなかった。そこで『一緒にやってみようか』と言う言葉が自然に出てきた。それが最初の一歩でした」

形式的な会議や計画表ではなく、雑談や食事の場から生まれた信頼関係。これが、ウッドワークスの「法人格を持たない」スタイルにつながっていきます。法人格がないことはデメリットではなく、むしろスピード感と柔軟さを生みました。

「僕らは上下関係を作りたくなかった。誰かが社長で、誰かが従業員という関係ではなく、それぞれの強みを持ち寄るチームにしたかっんです。普通の会社だったら稟議や会議が必要になるかもしれない場面でも、『これお願いできる?』のメッセージ一つで済む。スピード感はその分だけ違います」

左から、楠さん、𠮷田さん、筆者

ウッドワークスの大きな特徴は、それぞれのメンバーが独立した事業者である点です。

「仕事が入ってから親方が『これをやる』『あれをやる』と決める形もあります。けれど、あえて法人格を持たないことで、それぞれが有機的に、必要なときだけ関わるようになっている。結果として、チームに『やりたいからやる』『仲間だからやる』という本質的な動機だけが残るんです」

縦のつながりではなく、横のつながりを大切にする。そこにはお互いを尊重する信頼感がありました。

森と人をつなぎ直す。𠮷田さんが描く“循環する未来”

𠮷田さんにこれからの展望について伺うと、事業という規模だけに収まらない、大きな夢を語ってくれました。

「ちょっと大きなこと言っていいですか?自分たちの商いで完結させてしまわずに、山も含めた環境全体のサイクルに携われるように進んでいきたいんです。

森を守るプロジェクトというと『森に入って木をどうやって育てていくのか』といった話だけになりがちです。

しかし森から出た木を、どうやって必要としている皆様に届けるか。そこまで視野に入れて活動することが、木と人、環境のサイクルで重要だと思っています。今は祖父の仕事をついでほんとうによかったと感じてますね」

尾鷲ヒノキの素材をいかしたスツール。自然な風合いが出るように、皮の部分もあえて残している。

ウッドワークスの活動は、今や単なる製材所や木工品づくりの枠にとどまりません。

「僕らがやりたいのは“ものづくり”だけじゃない。森と人、都市と地方をつなぐサイクルを作ることです」

𠮷田さんの視線の先にあるのは、木と人が共存する未来です。

「今は尾鷲の木材を活かした商品制作と販売が中心ですが、活動の幅をもっと広げていきたいですね。例えば商品を卸すだけではなく、その店舗のデザインにまで関わったり、ブランドとのコラボレーションもしていきたい。尾鷲ヒノキの魅力を普及していければ」

𠮷田さんが繰り返し語ったのは「森と消費者をつなぐ」というフレーズでした。

ヒノキを使ったまな板の、左下にはウッドワークスの焼印が。ヒノキは適度な硬さと柔らかさがある素材。刃物を傷めずに使用できると、昔からまな板の素材としても重宝されてきた。

「僕らは木を売っているけど、その先にあるのは森なんです。木を買ってもらうことで森に資金が戻る。森が健全になれば災害も減るし、水も守られる。消費者と森の間には本当は深いつながりがあるそれをもう一度取り戻したいんです」

𠮷田さんの言葉は単なる製材業の範囲を超え、地域循環や持続可能性という社会全体の課題にまで響きます。

最後に𠮷田さんは、これから地域で挑戦しようとする人に向けて力強く語りました。

「地域にある産業を外から見るだけで終わらせるのではなく、地域に入り込んで挑戦してみてほしい。やってみたら分かることが必ずあります。大変なこともあるけど、地域の中だからこそ感じることがあるはずです」

その声は地域の伝統産業を守りたいと思っている、すべての人に届く力を持っていると強く感じました。

古い体質と新しい挑戦が交差する現場には、痛みも衝突もあります。けれど、そのすべてを越えて「森と消費者をつなぐ」という大きなビジョンに向かう姿が、強く心に残りました。

この記事を読んでくださったアナタにも、ぜひ問いかけたいと思います。

「地域にある産業を、外から眺めるだけでなく、中に飛び込んで挑戦してみませんか?」

最初の一歩は小さくても構いません。
その一歩が、森を未来へとつなぐ大きな循環の始まりになるはずです。


OWASE woodworks 公式サイト
https://tjb1zk-yw.myshopify.com/
尾鷲ヒノキを使ったプロダクトや活動情報をご覧いただけます。

Editor's Note

編集後記

取材を終えて感じたのは、木の香りや温もりは単なる素材の特性ではなく、人と森を結ぶ「記憶」そのものだということです。𠮷田さんが「工場を任せてください」と直訴したときの覚悟。「匂いがいい」と言ってくれた消費者の言葉に励まされたときの笑顔。そして「仲間とならできる」と語ったときの確信に満ちた声。その一つひとつが、尾鷲ヒノキの香りとともに私の心にも残りました。


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