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338年続く家庭用品店の「風を待つ経営」。9代目が選ぶ自分らしい承継

OCT. 29

SHIZUOKA

拝啓、「この道しかない」と思いながら決断できないアナタへ。

進学先も職業も多様な選択肢があるこの時代。だからこそ「自分らしい生き方ってなんだろう」と悩みがつきまといます。

自分にできるのか、この道で合っているのか、常に正解を探しては、同じ場所から動けない。そんな経験はありませんか?

そしてときには、周囲からは「当たり前」と見られる選択肢もあります。たとえば家業を継ぐこと。直接「あなたが継いで」と言われなくても、「継ぐのは当然」と思われること自体に違和感を覚えるかもしれません。

「自分がやるしかないのだろうか」
「承継してもうまくやっていけるのだろうか」

事業承継には、強い意志や大きなビジョンが必要だと語られることが多いもの。けれど、誰もが最初から大きな目標を掲げているわけではありません。 自分らしい歩幅で、少しずつ家業と向き合う道もあります。

今回お話を伺ったのは、静岡県静岡市で338年続く家庭用品店・三保原屋の9代目、堀高輔さん。

「自ら風を起こすことはできないけど、風を予測して、準備して待つことはできる」

遠回りを経て承継した先に見えたのは、大きな声で未来を語ることではなく、目の前のことを一つずつ積み重ねるという選択でした。

堀 高輔(Hori Kosuke)氏 株式会社三保原屋代表取締役社長/1987年 静岡県生まれ。大学卒業後、無職の期間を経て公認会計士として監査法人に勤務。その後、中川政七商店で経理を経験し、2018年に株式会社三保原屋に跡取りとしてUターン。

「継ぐ気はなかった」から「家業承継」が自分の選択肢に浮き上がるまで

三保原屋は1687年の江戸時代中期に、竹かごやざる、縄などの天然素材を使った道具を扱う荒物問屋として創業しました。現在は、家庭用品を中心に扱う三保原屋本店をはじめとして、3店舗を展開しています。

本店は静岡駅からほど近い商店街「呉服町名店街」の一角にあり、地元の暮らしを長く支えてきました。静岡市に限らず、県内全域、隣の山梨県からも多くの人が足を運んでいます。

堀さんは静岡で生まれ育ち、その後東京の大学に進みました。当たり前のように「継ぐ」と思われることが嫌だったと、堀さんは話します。

「当時はうまく言語化できなかったですけど、20歳そこそこで、知れることってすごく少ない。静岡にずっといるのも漠然と嫌だったのだと思います。海外にも行きたいし、丸の内のような東京の真ん中でスーツを着て働いてもみたいし。

上京することへの憧れみたいなものもあり、『継ぐ』ということをどうしても肯定的には思えませんでした。今思うとただのわがままかもしれません」

それからは「継ぐ」以外の選択肢の模索がはじまりました。

大学に進学したものの、就職活動にはうまく踏み出せず、卒業後しばらくは仕事のない時期が続いたといいます。やがて「資格があれば生きていけるのでは」と公認会計士に挑戦し、無事取得。東京の監査法人で公認会計士として働き始めてしばらく経った頃、あることが気になり始めます。

「会計はすごく面白い職業なんですけど」と前置きしたうえで、堀さんは語ります。

「企業には意思決定があって、その後に準備、実行フェーズがある。それが結果になり、数字になり、決算になる。意思決定から会計は、4、5年以上離れているんです。当時の僕は、『意思決定のところはどうなっているんだろう?』と気になって。やりたいのはそっちかもしれない、と」

そして、会計のキャリアを活かしながら、企業の意思決定を肌で感じられる会社を探し、奈良県にある工芸品や暮らしの道具を扱う中川政七商店に経理として入社します。

家を継ぐ気がなかったからこそ、自由に生きるつもりでいた堀さん。中川政七商店での仕事も、当時の充実ぶりが伝わるような笑顔で振り返ります。

 「自由に働かせてもらっていたので、有難かったですよね。経理なのに、営業時間中は他部署のミーティングにずっと出続けて、みんなが帰ってから自分の仕事をさせてもらっていました」

ただ、その楽しい毎日の先にある未来は、まだ描けていませんでした。堀さんの進路が決定的に動いたのは、子どもが生まれたとき。周囲の保育園はどこも満員で、待機児童問題の現実に直面したのです。

「思ったより保育園がパンパンだったんですよ。自分たちが運よく保育園に預けられたとしても、誰かを押しのけて入れて、また自分の好き嫌いでフラフラとするわけにはいかない。『どうしよう』と思いました。その時にまだ家(三保原屋)があるなと。妻の実家も神奈川で、静岡の方が近いし、妻もいいよと言ってくれて」

子育てという大きな転機の中で、初めて「家業を継ぐ」という選択肢が現実味を帯びました。そこから堀さんの人生は、静かに新しい方向へと進みはじめます。

強い決意よりも、大切なのは継いだあと。自分色を出さない経営者

選択肢の1つに家業承継を考えられるようになった堀さん。承継の決断を「さいころを振るように、ぽんと決まった感じ」と軽やかに表現しますが、心の奥底には強い決意がありました。

「静岡に戻ってきたばかりのころは、家業がどんな状態なのか、正直まだよくわかっていませんでした。 それでも『300年続いてきたものは、一度やめたら二度と取り戻せない』という現実を感じたんです。家業に戻ったら、もう簡単に転職はできない。だったら、ダメもとでも挑戦してみようと思いました」

ただ、堀さんが強調するのは決意そのものよりも、承継してからの“姿勢”です。当時の堀さんは店舗に立ってみるも、商品知識も接客経験もゼロ。「とりあえず現場に出ても、初日から何もわからない。ただただ足を引っ張っていました」と笑います。地元に帰る前に抱いた意気込みよりも、戻ってきてからどのように頑張れるかが大切だといいます。

今ではすっかり接客にも馴染んだ堀さん。「重いでしょう?」と手渡されたのは鉄製のずっしりしたフライパン。

日々奮闘するなかで堀さんに芽生えたものは、「会社は自分だけのものではない」という感覚でした。

公認会計士としての経験から、数字や損得で物事を判断するクセが染みついていた堀さん。しかし三保原屋に戻ってみると、その考え方だけでは説明できない現実がありました。

各売り場で従業員が仕入れから販売までを担い、顧客と直接向き合う。その非効率にも見えるやり方が、結果として長く愛される理由になっていたのです。堀さんは、こう振り返ります。

自分勝手をするなら起業すべきだし、事業承継であれば、状況に応じて良いところをどう伸ばしていけるかを考えたほうがいいと思ったんです。組織に脈々とある、現場の先輩方のいいところや、お客さまに支持されているところ、時代的に残せるところを引っ張ってあげた方がいい気がしました。

残すことでメリットもデメリットもあるけれど、それを比べたうえで『この会社のいいところ』を認めていく方がいいのではと」

“自分らしさ”を出すことより、“あるものを理解して、尊重して伸ばすこと”。変革ではなく、承継。自由と自分勝手が違うこと。その哲学は、堀さんの経営の根幹となっています。

お茶どころ静岡らしく、様々な急須に合わせられるよう直径や深さが異なる茶こしが並んでいる

実店舗の力を信じて「風を待つ経営」。承継だからこそリソースを頼る

スタートアップと家業承継には根本的な違いがあります。スタートアップは限られたリソースの中で、自ら短期間で成長させないといけない。しかし承継には、とくに中小企業であればなおさら、自分では動かせない前提条件が多くあります。その一方で、すでに長い歴史や従業員、顧客といったリソースも備わっている。そういったリソースをビジネスの枷とするのではなく、うまく頼ることこそ承継の価値だと堀さんは感じています。

「中小企業は自分では風を起こせないけど、来る風を予測して、状況を見て帆を立てて待ってることはできるんですよね。どっちの風が吹くかをちょっと見て、帆の位置を変えておく。今、実店舗はそういう時代だと思っています」

この言葉の背景にあるのは、インターネットの普及です。誰もが情報を発信できるようになった今、何かひとつ買い物をするときも誰かの口コミやレビューが頼りになります。

しかし複数の誰かの評判に振り回されて、かえって自分に合ったものが選べなくなることもあるのではないでしょうか。「その迷いを一瞬で解消できるのが実店舗の力です」と、堀さんは力説します。

「例えば、お店には中国製と日本製の中華蒸篭があります。値段もちがいますが、つくりも重さも全然ちがうので、実際に蒸籠を持ってみてもらうと、耐久性や違いが実感でわかります。『中国製の中華蒸篭は15分以内の蒸し時間にしてくださいね』と実感をもって伝えることができます。ネットで3時間調べるよりも、お店に来て3秒手に取ってもらった方が、よっぽど情報量が入ってきますよね」

かつては当たり前だった、「実店舗で商品を手に取ることができる」、「知識が豊富な店員さんから自分のライフスタイルにあった商品を紹介してもらえる」といった景色。

ネットショッピングの急速な普及で実店舗の存在は影を薄めたように見えました。しかし、インターネットが発展しすぎたからこそ実店舗の重要性が増し、時代が一回りしてきたと堀さんは感じています。

「例えば傘についても、3年前までは本当に500円くらいの傘しか売れなくて、どうしようと悩んでいました。それが今では、7000円ほどの傘でも自信を持って提案できるようになっている。正直、私が3年間一人で悩んでいても何にもならない。それよりも『みんなと一緒に面白がってユーザー目線で商品に詳しくなろうと思ったんです」

予想できない変化が起きてもすぐに対応できるのは、豊富な商品ラインナップ、自由度の高い売り場、そして楽しんで知識を深める従業員がいるから。自ら風を起こさなくても、所与の条件を見極めて、来た風にのれる準備を整えておく。それが堀さんの言う「風を待つ経営」です。

目の前のことを頑張る。力がついたから決断できた自分らしい事業承継

公認会計士として勉強に打ち込み、右も左もわからぬまま就職してがむしゃらに働いた日々。さらに中川政七商店での経理時代には、勤務時間中は他部署の会議に出続け、他の社員が帰ってから自分の仕事をこなすような生活を送りました。「容量が悪い分、その積み重ねが確実に自分の力になった」と振り返ります。

「力がついたからこそ、選べるんだと思います。非情なようですが、力のない人には選ぶことができない。だから、あのとき公認会計士に合格できたことは本当に大きかったです。納得して家業という選択肢をチョイスしているので、どうしようもなく大変だと感じることはあまりありません。

今は『頑張ることは効率が悪い』と言われがちですが、私はそうは思いません。公認会計士の仕事は3年で辞めてしまいましたが、その3年間で2倍頑張れば、6年分の経験が積めるどこでどうつながるかわからなくても、正しく頑張ったことはきっと無駄にはならないと思っています」

三保原屋のこの先の価値や、今後についても「目の前にあることを、社会のスピードを考慮しながら客観的に頑張っていく。それが繋がってくる」と語ります。

短期的に利益を出すことが素晴らしいとされがちな現代において、会社として顧客にどんな価値を提供するかは、経営者の悩みどころです。堀さんは、「長く続いていること」そのものは提供価値ではないと考えています。

では、何のために働き、頑張り続けるのか。意味や目的がすぐに見えない中で努力を続けることに、不安は感じないのでしょうか。

「今って、わからないということに対してみんなストレスに弱くなっている気がします。でも悩んでるより頑張って体験した方が早いことって、たくさんあるように思うんです。考えることが無駄ではないですけどね。

実際、思ってもいなかった良いことが起きることもあります。最近は、海外のお客さまが日本の暮らしをリスペクトして買い物してくださることが増えました。ブームでも私の意思でもなく、気づいたら良い風が吹いていた——そんな感覚です」

取材の時間を終えても、商品への思いが止まらない堀さん。「キュウリより軽いですよ」と日傘を紹介。

取材を通して、大きなビジョンを掲げるのではなく日々の実感から静かに言葉を紡ぐ堀さんの姿勢が印象的でした。

家業承継という新しい一歩を踏み出したとき、堀さんが大切にしていたのは、自分の考えを貫き通すことではありませんでした。

まずは自身が会社という“生き物”の一部になること。そのために会社の歴史や組織、営みを理解し、あるものを活かしながら少しずつ改善していく。変えるよりも、まず残す価値と状況を見極める。

想像を超える変化が起きたときにも、目の前のことに誠実に向き合い、身につけた力で乗り越えていく

自分勝手ではなく“自分らしく”あるために、周囲の状況を見極め、来た風にのれる準備を整えておくこと。その力は、悩むことではなく、実際に動き、体験を重ねる中で少しずつ育まれていくのだと思います。

ときには、自分が抱いている「当たり前」から一歩離れてみることで、新しい風が吹くかもしれません。その小さな決断が帆となり、あなたらしい「承継のかたち」を前へと進めてくれるはずです。

 

Editor's Note

編集後記

時折、「予測不能な変化に対して、恐れるのではなく挑戦してみよう」という強いメッセージも見かける時代です。頭でわかっていても、やっぱり怖い。そういう時に最も力を与えてくれるのは、「目の前のことを頑張ってみる」というシンプルな行為。堀さんから静かな熱意とともに、とても力強いメッセージをいただいた気がします。

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