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LOCAL LETTER

瀬戸内国際芸術祭をきっかけに移住。「働かせてください」からはじめた、自分でつくるライフスタイル

DEC. 12

拝啓、自分が飛び込める地域を探しているアナタへ

※本記事は「ローカルライター養成講座」を通じて、講座受講生が執筆した記事となります。(第2期募集もスタートしました。詳細をチェック

好きな場所で暮らし、好きな場所で働く。

今の時代、そんな生き方に憧れを抱き、「自分も地域で何か挑戦してみたい」という気持ちを持っていながらも、「受け入れてくれる地域はどこにあるんだろう」「たいしたスキルがあるわけでもないし、どうやって飛び込めばいいんだろう」と二の足を踏んでいる方も多いのではないでしょうか。

そんな中、自分の心の声に正直に、自分の身体が喜んでいる感覚を信じて、身ひとつで地域に飛び込んだ一人の女性がいます。彼女の名は、牛込麻依さん。

牛込麻依(Mai Ushigome)さん 三豊鶴アートプロデューサー / 群馬県出身。東京の大学で美術史を専攻。大学時代に瀬戸内の島と出会い、すっかり島旅にハマる。瀬戸内国際芸術祭の時期にはボランティアスタッフとしても活動。東京のWeb広告会社で2年働いた後、2019年冬、先輩を頼りに香川県三豊市へ移住。住み込みをしながら、うどん屋、カフェ、宿、豆腐屋、居酒屋など、さまざまな仕事をしながら地域の人脈を広げていく。現在は三豊鶴のアートプロデューサーとして、夢だった「アートの仕事」に奮闘している。

瀬戸内国際芸術祭(以下、瀬戸芸)に参加したことをきっかけに、島やアートの魅力にはまり込んでいった牛込さんが、東京からの移住先に選んだのは、約6万人が暮らすまち・香川県三豊市。仕事も住まいも人脈も全てがほぼゼロの状態で、それでも飛び込んだ彼女の原動力はなんだったのか。自ら自分の生きやすい暮らしを模索しながら前進する牛込さんを取材しました。

何度も通い、他地域にも足を運んだからこそわかる。縁もゆかりもないのに「帰りたい」と思えた、瀬戸内との出会い

牛込さんが初めて瀬戸内を訪れたのは、大学2年生の頃。当時、大学で美術史を専攻したいと考えていた彼女は「美術を勉強するなら、アートの島と呼ばれる香川県の直島に行っておかないと!」という気持ちで瀬戸内の島を訪れたと言います。そのとき牛込さんを魅了した瀬戸内の魅力とは何だったのでしょうか。

画像提供:FM香川 週刊みとよほんまモンRadio!

「もちろん直島の美術館やアート作品もすごく感動したんですけど、それよりも瀬戸内の風景だったり、海の美しさだったり。人の優しさや美味しいごはんとか。そういうところに感動して大好きになってしまいました。

私が生まれ育ったのは360度山に囲まれている群馬県の盆地で、そもそも海をあまり見たことがなかったんです。海も気候も穏やかだからか、そこにいる人々も穏やかで。時間がゆっくり流れている感じにも惹かれました」(牛込さん)

こうして瀬戸内のトリコになった牛込さんは、その後も休みのたびに瀬戸内の島々を巡ったと話します。大学4年の時には、瀬戸芸をテーマに卒業論文を書くことになり、芸術祭をサポートするボランティア「こえび隊」としても活動したと言います。

画像提供:FM香川 週刊みとよほんまモンRadio!

大学卒業後は「ちゃんと社会人っぽくならなきゃいけない」と、東京のWeb広告会社に就職した牛込さんでしたが、そこからどんな心境の変化があったのでしょうか。

「東京で頑張って2年くらい働いていたんですけど、気がつくと『瀬戸内に帰りたいなー』みたいな気持ちになっていて。過労で体調を崩してしまったタイミングで、改めて『このまま東京で働いていくんだろうか』とか、『今自分がやっている仕事は本当にやりたいことなんだろうか』と自分を見つめ直しましたね。それで、とりあえず息抜きするために、また瀬戸内に遊びに行きました。

そしたらすごい深呼吸ができるというか、身体が喜んでいるみたいな感覚がありまして。『私は瀬戸内にいないと幸せになれないんじゃない?こっちに住んじゃった方が幸せなんじゃない?』って、悟った瞬間でした」(牛込さん)

画像提供:FM香川 週刊みとよほんまモンRadio!

縁もゆかりもない土地に「帰りたい」と思えるなんて、まるでそこが故郷のような不思議な感覚をお持ちだった牛込さん。初めて訪れた時からそんな感覚があったのか聞いてみると、そうではなかったと言います。

「何度も通っていたからだと思います。東京を出ようと思って移住を模索していた時期に、瀬戸内がいいなと思いつつ、そこにこだわりすぎて視野を狭めても良くないと思って、一応いろんな地域を旅してみたんです。それでも香川がいいなと思ったのは、やっぱり何度も通っていたからかな。移住したいけど迷ってる人は、ヨイショ!って勢いも大事ですけど、ちゃんと通って、自分の肌に合っているかを体感してから、最後にヨイショの方がいいかなと思います」(牛込さん)

住所不定無職から始まった移住生活。家も仕事も「働かせてください」の一言から

「瀬戸内に住んだほうが幸せじゃん!」と気付いてからは、行動が速かった牛込さん。住んでいた家を引き払い、仕事を辞めて、これから住む家も決めずに「住所不定無職、青春18切符で瀬戸内に来ました」というから驚きです。瀬戸内に来て、住む家や仕事はどうやって見つけたのでしょうか。

「初めは瀬戸芸のボランティアをしながら、こえび隊の寮に住まわせてもらいました。でも瀬戸芸が終わると寮も閉鎖になるので、いろんな人に相談していたところ、たまたま東京の会社でお世話になった先輩が三豊市に移住していることがわかったんです。

先輩は三豊市でまちおこしをされていたので、『お給与はいらないので、住み込みで働かせてください!』とお願いしたところから、三豊での生活がスタートしました」(牛込さん)

先輩を頼りに三豊に移住した牛込さんは、讃岐うどんの文化を学ぶ宿「UDON HOUSE」や地域とつながるシェアハウス「GATE」で手伝いをしながら住み込み、様々な仕事にチャレンジしたと話します。

「最初はうどん屋さんや近くのカフェに行って、千と千尋みたいに『ここで働かせてください!』という交渉を何回かやりました(笑)。一般的には、移住して収入が落ちることを懸念される方も多いと思うんですけど、その辺はまったくプライドなく、最低賃金から働きましたね。

正直うどん屋でめっちゃ働きたかったわけではないけど、自分に何のスキルもないことがわかっていたので、何でも挑戦しようという気持ちがあって。やっぱり香川だし、うどんの経験があってもいいじゃないですか(笑)。

カフェも、カフェ自体がすごく好きなわけではないんですけど、まだ自分のやりたい方向性を模索している時期だったので、新しいことにチャレンジする面白さを感じていました」(牛込さん)

いろんな仕事で経験を積み重ね、地域で人脈を広げてきた牛込さんは、現在自分が好きだったアートの仕事に携わっています。自分の好きな仕事ができるようになった理由を聞くと「種まきをしていたから」だと話してくれました。

「いつかアートの仕事ができたらいいなと思いつつ、具体的なビジネスプランがないと『それって難しんじゃないの?』と突っ込まれてしまい、なかなかそれ以上伝えられないこともありました。それでも『アートが好きなんです、島が好きなんです』っていろんな人に発信してました。そうやって種まきをしていたら、昨年の11月ぐらいに『酒蔵・三豊鶴でアートの企画をやりたいんだけど手伝ってくれない?』と突然お誘いをいただきました。

日頃からやりたいことを口に出すのは大事だなと思いましたね。具体的な案がなくてもいいから、『こういうのが好きです』ってふわ~っと言っておく。それだけでも繋がったりするなって思います」(牛込さん)

悩みを吹き飛ばし、地域に飛び込む力をくれた三豊のポテンシャル

ここまでお話を伺って、自分から飛び込んでいった牛込さんは社交的で行動的な人だ!と思った方も多いはず。しかし本人は「基本人見知りだし、新しい環境にすぐ馴染めるタイプではない」と言います。では、そんな彼女がどうして地域に飛び込んでいけたのか、地域に馴染むことができたのか、その要因を深ぼって聞いてみました。

「三豊では、地域の方から話しかけられることもあれば、自分から話しかけに行くこともあります。東京で初めましての人と話そうと思うと話せないですけど、この地域に住む人たちのまとっているオーラが柔らかくて、心理的安全性が保たれた状態があるからこそ、初めての人にも話ができるみたいな感じかな

三豊へ移住するきっかけになった先輩から、地域の方を紹介してもらったときにも、組織を越えて繋がっている人が多いと感じました。違う組織でも一緒にプロジェクトをしていて、仕事において協力体制のある地域だと思ったんです。今考えると、三豊には挑戦を応援する文化があって、外から来た人でも挑戦のしやすさ、相談のしやすさがある。だから私も三豊に移住したんだと思いますね」(牛込さん)

画像提供:FM香川 週刊みとよほんまモンRadio!

「暮らしについても、今住んでるお家が最寄りのコンビニまで車で15分かかるので、不便と言えば不便かもしれないですが、そんなことは全く不便に感じないポテンシャルがある土地だなと思っています。

コンビニに行くまで海岸線をドライブしていくんですけど、もうその景色を見てたら、小さな悩み事がどうでもよくなるというか。その景色のおかげで生かされているというか。東京にいるときはオフィス街で空が狭くて、そこに住みづらさや生きづらさを感じていた部分もあるので、自分にとって住みやすさを叶えてくれているまちだなと思います」(牛込さん)

話しかけやすい地域の人たち、挑戦を受け入れてくれる環境、悩み事をどうでもよく感じさせてくれる風景、そんな三豊の風土が牛込さんのチャレンジを後押ししてくれたのではないでしょうか。

好きな場所で好きなことに関わって生きていく

最後に牛込さんの今後の展望をお伺いしました。

「11月に三豊鶴の仕事が終わっても、アートの仕事をしていきたいと思っています。ただすでに次が決まっているわけではなくて。三豊は美術館やギャラリーがなくて、アートを受け入れる土壌がまだ整っている地域ではないので、スポット的なイベント以外にはアートの仕事がほとんどないんですよ。ここでアートの仕事をするのは難しいんじゃないかと今でも思うことがあるし、その辺はまだまだ試行錯誤が必要だなと思っています。

でも、好きな場所で好きなことに関わって生きていくのが一番健康的だと思いますし、私にとってはそれが生きがいになるのかなと思うので、今の方向性で今後も歩んでいきたいと思っています」(牛込さん)

仕事も住まいも人脈も全てがほぼゼロの状態で、それでも地域に飛び込んだ牛込さんの原動力は「好きな場所で好きなことに関わって生きていきたい」という純粋な気持ちだったのかもしれません。

そして、その気持ちを後押ししたのは三豊という地域の風土。こんな地域なら自分も一歩踏み出せるかもしれない、そう思えた方もいるのではないでしょうか。牛込さんのように、悩んでも、それを言葉にして行動にして、自分にとって生きやすいライフスタイルをつくっていきたいものです。

Editor's Note

編集後記

牛込さんのインタビュー中、「とりあえず」という言葉が多かったように感じました。いろいろ悩みはするけど、「とりあえず行ってみる」「とりあえずやってみる」。これってどんな場面においても、次の1歩を踏み出す勇気をくれる言葉のような気がします。今できることからとりあえずやってみれば、新しい気づきを得られたり、誰かに届いて繋がったりすると思うから。私も悩んだときは、このおまじないみたいな言葉を口にしながら、目の前のことに飛び込んでいきたいと思いました。

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