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LOCAL LETTER

社会から必要とされる会社を。人間の役割から考えた、会社の役割とは

MAR. 15

拝啓、人を大事にすることを決めたリーダーの覚悟に触れたいアナタヘ

「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 – 人生に刺激を与える対談 -』。

第4回目のゲストは、数値化されない価値の重要性を唱え、京都から日本全国、世界を考えるイベント『京都流議定書』を立ち上げた「ウエダ本社」の岡村充泰さん。

前編では岡村さんの人生を深掘りしましたが、後編では岡村さんの価値観を紐解く内容に。

「人を大事にすることの意味を改めて考えたい」そんなアナタに注ぐ、一匙の刺激をお届けします。

新卒がもたらした好循環。ベテラン層を巻き込んだ変化とは

平林まさしく「挑戦の連続」が岡村さんの人生ですが、お話をお聞きしていると、挑戦続きの人生の中でもステージがあるなと思っていて。

平林 和樹(Kazuki Hirabayashi)株式会社WHERE 代表取締役、内閣府地域活性化伝道師、ふじよしだ定住促進センター理事 / ヤフー株式会社/カナダ留学/株式会社CRAZYを経て、株式会社WHERE創業。地域コミュニティメディアLOCAL LETTERは約2万人の会員規模まで成長。人口900人の村で古民家をリノベした体験型民泊施設まつや邸は開始9ヶ月で宿泊客180名を突破。地域経済活性化カンファレンスSHARE by WHEREを立ち上げ業界・地域を超えた産学官民の起業家70名以上が登壇。

平林「自分が頑張ればなんとかなる」ところから、「会社を引き継ぐ」というフェーズになると、自分一人で出来ることは少ないし、一言で業務改善と言っても、社内の意思統一から実行までが揃わないと難しい。会社単位での挑戦にはどう挑まれてきたのでしょうか?

岡村「価値観が揃ってみんなで一緒に」というのは、難しいですよね。まだこの数年、ようやく形になってきたかどうかのレベルです(笑)。でも、苦しい中でも、リアルに動く数字があって、まずそれで採算を合わせて持ち堪えている内に、新たなことを生み出して、ちょっとずつシフトしていくスタイルですね。

平林今、ようやく「価値観が揃ってきはじめた」ということですが、そのフェーズにいくのに、どのぐらいの時間がかかりましたか?

岡村ウエダ本社は2000年から常勤なので、それで言うと20年以上かかっています。会社の借金自体は7年ぐらいで返したんですけど、うまく回りはじめたかなと感じるのは、本当にここ数年の話。

岡村充泰(Mitsuyasu Okamura) 株式会社ウエダ本社 代表取締役社長 / 1986年瀧定株式会社入社。 1994年有限会社エムズカンパニー設立。 1999年本業建て直し役として株式会社ウエダ本社非常勤取締役就任。 2002年ウエダ本社代表取締役就任。 働く環境の総合商社として転換を図り、6年で無借金経営とする。 2016年女性の働くを専門的に取り組むutena works株式会社を設立し代表取締役に就任。 本業の傍ら主宰する京都流議定書イベントは、ソーシャルイノベーター達の飛躍の場となっている。

岡村当初は、僕がお年玉をもらっていたような方たちがまだまだ現役でいらっしゃって、そんな方々も含めて社内の価値観を変えていかなければなりませんでした。皆、頭ではわかっても、何十年も働いた後に、僕みたいなものが急に入ってきて「変えていこう」って動くのは、なかなか難しいじゃないですか。

そこに変化をもたらしたのは新卒社員たちですね。新卒が良い悪いという話ではないですが、新卒社員のメリットは、価値が揃えられていることだと思っていて。当時の新卒1年目のスタッフが今35歳ぐらいで、それ以降コンスタントに新卒組が入ってくれていることで、共通した価値を持ったスタッフが増えてきたと感じています。

岡村さらに、彼らが成果を出してきてくれたことで、言葉だけだったものが、成果という目で見えるものとして伝わりはじめた。そこにベテラン勢の知識や経験が絡む様になって、すごくいい循環をもたらしたと思っています。

「残ったメンバーでやるしかない」一番きつかった時期を支えてくれたメンバーの言葉

平林数々の困難も乗り越えてきている岡村さんですが、「本当に大変!辛い!」となったときは、どう解消されていたんですか?

岡村最初に会社を引き継いだときから「倒産するかも」みたいな局面が何度もあって、正直ずっと大変でした。昔、新幹線でたまたま隣に座った人から、唐突に「大丈夫ですか?」と声を掛けられたことがあったくらい。新幹線の中でもずっと仕事していて、他人がわざわざ声を掛けるほどって相当悲壮感が漂っていたんだと思います(笑)。当時はそれぐらい目の前のことを処理するのに必死でした。

でも一番きつかったのは、ようやく足並みが揃って来たと思った頃、当時リーダー候補として期待してた人が辞めたときですね。「倒産するかも」ってとき以上に、精神的にきつかった。

平林共感します。働いてくれている方々もそれぞれの人生があるし、一生一生働いてくれっていうわけじゃないけど、やっぱり経営者も人間なので、思うこともあるじゃないですか。

岡村そうですよね。さっき話していた新卒1期の今35歳の彼は、その辞めていった彼とも仲が良くて、正直会社が一気に崩れるんちゃうかなとまで思いました。でもその現在リーダーとなっている彼が辞めるもんはしょうがない。残ったメンバーでやるしかない」って言ってくれたんですよね。それが救いの言葉でした。

原動力は死生観。社会にとってなくてはならない会社へ

平林岡村さんは「人」を大事にしていて、本気で向き合われていると改めて思うのですが、その一方で、人にコミットするって生半可なことではできない大変なことだと感じます。岡村さんが邁進し続けている「原動力」はなんなのでしょうか。

岡村極論は、僕の死生観から来てるんだと思います。

小さいときから、例えば虫を見て「この虫は何で生きているんだろう?」って考えていたんですよね。だって、カゲロウなんて2、3年土の中に埋もれて、ようやく成虫になって地上に出てきたと思ったら、たった数時間しか生きられないんですよ。ずっと土の中にいて、外に出たら一瞬なんです。関西弁でいうと「あほちゃうか」っていう世界観。

でもそうじゃなくて、「生まれてくること自体に意味がある」ってある時思うようになったんですよね。そうすると、どんな生物、植物にも当然意味があって。虫は死んだら土に戻って、その土の養分になって、また草花が生えて循環していく。

岡村「じゃあ人間の役割は?」って考えたときに、人間は知能が他の個体と違う。思考をめぐらせて、何かを発展させたり、衰退させたりできるのは人間だけ。だから、人間としての役割はその能力を最大限に生かすことじゃないかって思うんです。

岡村個人として、生きた証を残してもいいんだけど、それより会社というツールを使う方が、より大きなことができるじゃないですか。だから売り上げが大事、ではなく「あの会社がなくなったら困る」とか「会社があったおかげで、後の時代がこうなった」という存在になりたいなと思っていて。別にあってもなくてもいいような会社やったら、どれだけお金を生み出していたとしても、存在しなかったことと同じだと思うんです。

岡村あってもなくてもいいような会社で働いてもらうのってどうなの」と思うからこそ、一緒に働いてくれる人たちを大切に、価値観を合わせて一緒に会社をつくっていきたいと思っています。それが僕の中での会社のありたい姿なんですよね。

平林お話を聞いていて、岡村さんは世の中に対して主体性があるからこそ、いろんな挑戦をされてるんだなと思いました。すばらしいお話をありがとうございました。

Editor's Note

編集後記

それぞれの人生がある中で、おっしゃる通り、人にコミットし続けることの大変さを改めて感じる中、岡村さんの言葉や行動を信じ、働いてこられたた方が今の「ウエダ本社」をつくりあげているんだなと改めて感じました。

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