TOYAMA
富山
もっと広い世界を見たい。
そう思って上京したり、また全く知らない別のまちに行ったりする。
生活にも慣れてきたし、仕事もある程度こなせるようになってきた。
今住んでいるまちは決して嫌いじゃない。
でも、久しぶりの帰省でふるさとを訪れたときに感じる「私の地元ってこんなに素敵なところだったんだ」と心に刻み込まれるような体験。こんな感覚を得るのは、いつぶりだろう。
ふるさとに、こうした新鮮さを抱く人も少なくないのではないでしょうか。
様々な拠点を経験したのち、新たな人生のチャプターをなつかしい場所で始め、活躍する人たちがいます。
富山県氷見市で鮨屋「成希」を営む滝本成希さんもその一人です。
氷見で生まれ育ち、音楽業界で身を立てることを目指し東京、そしてイギリスに渡った滝本さんはまた氷見に戻り、鮨屋を経営することになります。
なぜ鮨なのか、またなぜふるさとへ戻ってきたのか、そして改めて感じたふるさとの魅力とは。地元で事業を始めることになった経緯や、仕事の愉しさを語ってくれました。
「成希」のある氷見市は、富山県の西北に位置する、人口42,000人ほどのまち。「ひみ寒ぶり」がブランド化されているように、ブリをはじめとした豊かな海産物が有名です。
ここ氷見で日本料理と鮨のお店「成希」を営むのは、滝本成希さん。2024年7月で、開業から2年を迎えました。
メニューは「おまかせコース」のみ。コースの前半がお造りや煮物、焼き物などの割烹料理、後半は握り鮨で構成されています。魚や米、地酒など氷見産のものが中心となっており、食材は旬を考え、季節によって種類が変わります。
洗練された店内から造り出される品物の数々。シンプルなようでいて、職人による繊細な技が光る、芸術品のようです。滝本さんが手がける美しい料理は、今多くの人たちを魅了しています。
まだお店を構えて間もないにも関わらず、『The New York Times Style Magazine:Japan』にて「いま行くべき究極のレストラン」として選ばれるなど、遠方からの客足も途絶えません。
早くも「鮨の名店」の一つとして数えられる成希の良さを、滝本さんはこんな風に語ります。
「成希の良さの一つは、何といっても氷見が育ててくれた食材の素晴らしさにあります。まず富山は日本でも有数の美味しい水が流れるエリアです。北アルプスから七大河川を通り、ミネラルを豊富に含んだ雪解け水が富山湾に流れ込むことによって、良質なプランクトンが育ちます。
そのため、それを食べる魚たちも質が良い。さらにブリやホタルイカなど500種類もの魚種が富山湾に生息しているのです。氷見が持つ清らかな水のおかげで、魚だけでなくお米やお酒もまろやかで優しい味に仕立ててくれています」
滝本さんは、氷見の土地としての魅力を、力を込めながら、誇らしげに話してくれました。あらゆる好条件が揃った氷見でお店を始めることは、鮨職人の滝本さんにとって自然なことだったようです。
早朝から始まる成希の仕事。まず、信頼できる魚屋に「今日の良いもの」を聞き、市場で魚介類を競り落としてもらいます。そして、魚屋に行って競り落としてもらったものを仕入れに行き、すぐお店で仕込みを始めます。仕入れ先には、お店で大切にしたい魚のこだわりをしっかりと伝えていると言います。
「例えばアジ。成希では、氷見沖に根付いている金色のアジのみを使用しています。さらに、水揚げ後の後処理がしっかりされているもの。こういったこだわりを詳細に伝えています。
こだわり持って仕入れをすることは、お店の『個性』を創り上げる上で非常に大切なことはもちろん、仕入れ先に対しても嘘がなく、誠実な関係を築くことにもつながるんです」
そうして仕入れた食材をもとに、午前中に仕込みを行います。料理の基本となる丁寧な仕込みは、長い時で14時〜15時までかかることも。
さらに、成希で大切にしている鮨の味を構成するコンセプトに、「立体感」があります。
「僕が提供したい鮨は、一つの素材が強烈に際立ちすぎない、立体的な余韻を残す鮨。主役は米です。お米は、自然栽培で作って、天日干しで干した『ササシグレ』という銘柄を使っています。あの柔らかい優しい甘みの上に、魚が持つ素材の味を引き出す。口に入れたときにじわっと広がる残り香。それが僕が表現したい鮨の『滋味深さ』そのものなのです」
「滋味深さ」というのは「栄養豊富で美味しい」という意味のほかに「豊かで精神的に深い味わい」という意味があり、その名の通り「慈しみ、味わう」という感覚がぴたりと当てはまります。何か調味料などで味にパンチを持たせるのではなく、素材の優しさを引き出しながら、時間を経るごとにじんわりと慈しむような感覚、そんなあたたかさを持った味のこと。
「きっと日本人なら誰でも心に刻み込まれている食の感覚だろう」と、滝本さんは言います。
そんな「滋味深さ」を表現するため、「鮨の味」を、様々な食材の要素を重ね合わせながら想像を巡らせる。それは時に、レコーディングで歌やギターを乗せてリスナーにどんな余韻を残したいかを考えるときに似ていると、滝本さんは目を輝かせながら語ります。
実は滝本さんは大の音楽好き。氷見市で生まれ、高校を卒業した後は音楽関係の仕事がしたいと、すぐさま東京へ向かいました。レコード会社やロックバンドのマネージャー、その後はCD制作やライブツアーに携わるなど25歳まで音楽業界に従事。さらに、大好きな海外音楽を肌で感じながら仕事をしたい、と単身で渡英することになりました。
「知り合いからの紹介で、ロンドンで色々と仕事をしてきました。語学の壁とかビザの問題とかいろいろありましたけど、何とかやってきた感じです。ただなかなか上手くいかず、だんだんと生活費が底をついてきてしまいました。それで始めたのが現地の日本料理店でのアルバイトでした」
始めは生活費のために始めた仕事でしたが、そこで出会った板前さんの仕事ぶりが、滝本さんのマインドを大きく変えることになったのだと言います。
「ヘッドシェフ(料理長)であるその板前さんが繰り出す料理の盛り付けや味、それから寿司を握るときのリズムに至るまで、全てが素晴らしかった。まるで料理が生きているようでした。こんなかっこいい仕事があるんだ、と鮨職人の世界に惚れ込みました」
共感する「美学」を持った板前さんとの出会いで、いつしか自分も鮨の仕事にのめり込んでいくようになった滝本さん。31歳でいよいよ帰国の時期を迎え、再び氷見に戻ってきたとき、こう決意しました。
「10年後に、ここで鮨屋を開こう」
氷見で鮨屋を始める決意をした滝本さんですが、イギリスでの修行を終えたときにはまだ鮨の道に進むか決めてはいなかったそう。それでも氷見に戻って初めて、見えてくるものがありました。
「最初は寂しく変わり果てた地元の姿に驚いたりもしましたが、それと同時に食材の素晴らしさや、田舎にしかない変わらないものがあることに気付かされました。僕が表現したい『土地の豊かさを通じた滋味深さ』を、ここでなら実現できる。自分にしかできないお店づくりができる。そう確信したのです」
店を出すなら、日本でみっちり鍛え直したい。そう思った滝本さんは東京の鮨屋の名店に「31歳の今から10年間だけ、一から修行させて欲しい」と直接電話します。OKの返事がくるや否や、すぐに修行が始まりました。銀座や日比谷など、東京の有名店で約10年の修行を経た後、滝本さんは氷見でお店を始めることになりました。
新たに事業を始めることへの怖さはなかったのでしょうか。
「開業したのはコロナ明け直後でした。どれくらいのお客様が来てくれるかもわからない中でのスタートでしたが、両親が商店を営んでいたことや家族経営ができることもあり、ある程度の地盤が固められていました。比較的、始めやすくはあったと思います。
でもやはり、全く怖くなかったかと言ったら嘘になります。お客様も仕入れ先も全て一からなわけですから。でもそれ以上に、ここで自分の店を始める意義があると思いました」
イギリス、東京を経て、客観的な視点で氷見を見て初めて気づいた、土地の魅力。魚種の豊富さや水のおいしさ、米の甘みなど、肥沃な土地に恵まれた氷見ならではの食材は、滝本さんにとって改めて新鮮に感じたのでした。
これまで経験したことのない挑戦をすることが怖い。誰もがそう思うことはあるけれど、それ以上に滝本さんにとって、氷見で開業することの大切さが見て取れました。滝本さんが持つ好奇心や行動力、そしてこれまでの経験値の集大成が、素材の揃う氷見という舞台で発揮される。そんな風に感じ取れました。
生まれ故郷であるとは言え、初めての開業。鮨に使う米や魚、酢や醤油など、あらゆる原材料を選定していく上で手探りで自分で試し、一から地域でコネクションを築き上げていくのは非常に大変だったと言います。
お店を経営していく上でたくさんの苦労がありましたが、乗り越えられたのはイギリスで生活した時に経験した挫折や、国内の鮨屋での厳しい修行に耐え抜いた時に得た精神力にあると、滝本さんは当時を振り返りながら話します。
「生きていると壁にぶつかることって、本当にたくさんあると思うんです。でも、その時はどうしたらいいかを考えて、より良いものを選択していく。そして、目の前のことに一生懸命取り組む。人間関係も同じで、目の前の人と誠実に向き合っていく。
それを続けていると、その時上手くいかなくても、思わぬ出会いがあったり、自然とどうにかなっていくものです。そういう見えない力ってあるのだと思います。だから、まずは一生懸命やって、あとはいい意味で開き直るようにしています」
そう話す滝本さんの笑顔はカラッとしていて、淀みがなくとても涼やかだったのが印象的でした。どんな時も、より良い選択を。そんな滝本さんの人生観は、ご自身の職人としての美学にも表れていました。
「もう何十年も鮨を握っていますけど、まだまだ新しい発見があるんですよね。こんな風に味付けを変えたらさらに全体がまろやかになる、とか、調理法を変えるともっと素材の味が引き出せる、とか。ちょっとした変化の積み重ねが思わぬ境地に辿り着かせてくれる。こういう研究と発見が何よりも楽しみです」
重ねて「音楽と鮨の仕事は魅せる点で似ている」と、滝本さんは言います。
ステージ上で見せる職人の動きや、出される料理という作品、職人とお客様の心と心が通じ合う瞬間。作り手とお客が相対して食を体験する場というのは、意外にも少ない。その全てを生で見せることができるからこそ、目の前のお客様に感動を届けられる。
「気持ちが通じ合える仕事を目指していきたい」と滝本さんは想いを滲ませながら語ります。
滝本さんの心を突き動かす「好き」という気持ちが「行動」を起こし、何度も壁にぶつかりながらも、失敗や苦労を乗り越えていく。そうしていくうちに思わぬところにまで導いてくれるーー。
「何かを始める」ことは怖いことでもあるけれど、あまり考えすぎずに感じたことを素直に行動してみる。そして、その時のベストを選んでいくのが滝本流なのだとか。損得で「何をすべきか」を考えすぎて行動できなくなってしまう私にとって、「感じて行動する」ことの大切さを教えてくれた気がしました。
滝本さんの輝く瞳が見つめる先には、氷見とともに進化し続ける成希の姿があるのでしょう。これからもあらゆる人を魅了し続ける成希に、期待せずにはいられません。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
爽やかな出立ちと上品さとは裏腹に、内から湧き出る「情熱」と「抜群の行動力」が滝本さんの魅力。考えあぐねる前に「まず行動、そこからベストを選ぶ」の考え方はまさに私に必要な言葉でした。
Katonana
かとなな