FUKUSHIMA
福島
※ 本記事は「ローカルライター養成講座」を通じて、受講生が執筆した記事となります。
一昔前に比べて「起業」という選択肢が一般的になったと肌で感じる場面が多い。単純に起業家が多くなったからなのか、はたまた国や自治体が支援に力を入れるようになったからなのか、定かではない。
しかし「今の安定した生活を捨ててまで、起業するべきだろうか」と考える人は未だ多く、それが地方でなら尚更だ。
そんな中、起業家のみならず、イノベーションを求められる大企業からも熱い視線を浴びるまちが東北にある。それは福島県南相馬市小高区。
東日本大震災による福島第一原子力発電所事故で、全住民が区外への避難を余儀なくされたこのまちから100の事業を創る。
その仕掛け人こそ、株式会社小高ワーカーズベース 代表取締役 和田 智行さん。
長きに渡る活動を通じて数々の事業を輩出し、多方面から注目を浴びる今、和田さんが見えるものに迫る。
「地域の 100 の課題から 100 のビジネスを創出する」をミッションを掲げ、無人の町に生活環境を整える所から始まった和田さんの取り組み。
「地元の女性に生きがいとなる働く場所を」というコンセプトから誕生したハンドメイドガラス工房「Iriser -イリゼ-」や、新しい社会を創造する簡易宿泊所付きコワーキングスペース「小高パイオニアヴィレッジ」など、その内容は多岐に渡る。
現在、特に力を入れているのは「Next Commons Lab 南相馬」や「Next Action Social Academia PROJECT」に代表される創業支援事業。2023 年現在、支援した 20 名以上が小高へ移住し、うち 3 名が独立した事業を営む成果を生み出した。
小高から100の事業を生み出すというミッションに向けて順調そうに見えるが、起業家への接し方は時間とともに変化しているという。
「小高で起業した起業家たちは、世間一般のものの見方とは異なる、独自の視点で物事を捉え、事業を展開しています。最近では『震災復興』や『福島のため』よりも『自分たちの世界観』を重視する起業家が増えており、自己表現としての事業活動も大切にしています」(和田さん)
起業家精神を持つ人の意識変化により、起業がカジュアル化する昨今。しかし、そこへ挑戦するためのハードルが依然高いのは変わらない。今ある当たり前に疑問を持ち、新たな可能性を探求する、若い世代の好奇心を絶やさない仕組みの裏側には何があるのか。
「起業を目指す若い世代が熱量を失わないためには、スモールスタートで少しずつ始め、難しいものは分解して取り組むのが重要だと考えています。そして、支援する側は否定的な態度を取らず、発せられる意見やアイデアを尊重する姿勢が大切です」(和田さん)
長きに渡る活動により、最近は大企業からの認知も高まり、企業研修での登壇が多くなったという和田さん。会社や上司から「イノベーションを起こせ」と言われながら、その実現可能性に疑問を抱く人たちへ、起業家を間近で支える立場から何を伝えているのか。
「何より大切なのは『まず個人から始めること』と伝えています。大企業のような組織は統制の取れた計画で動いていると錯覚しがちですが、実際にモノやコトをつくったり、達成したりするのは個人ですよね。
上との話し合いや決裁は簡単ではなく、途中で挫けるのも理解できますが、熱量を持って自ら行動に移さなければ物事は動きません。たとえ小さな始まりでも、行動を続けていればいつしか大きな結果を生み、仲間も次第に集まってきます」(和田さん)
個人の想いや熱量、そこから生み出される行動を、非常に大切にする和田さん。その原点は、日本人なら学校で一度は耳にする、あの出来事にあった。
「幕末の歴史がまさにそうです。名もなき侍たちが自ら使命感を持って、国を変えようと行動し始めた。中には悪い出来事もありましたが、熱量が仲間を増やし、最終的には薩長が連携して幕府を討伐する流れに繋がっていますよね。
『革命は辺境から起こる』という言葉があるように、社会に大きな変化を起こすためには、一人一人が行動を起こさなければならない。そう思います」(和田さん)
国からの後押しもあり、多くの地方都市が、創業支援や起業家コミュニティづくりに力を入れている。その流れの中、 2023 年現在、直接的・間接的問わず支援した活動のうち、22 の活動が事業化した小高ワーカーズベースの取り組みは特筆に値するだろう。
その立役者が考える、創業支援や起業家コミュニティ成功の鍵とは何だろうか。
「地方の場合はやはり『コミュニティの質』ですかね。質というのは、創業支援に長けた人が沢山いるとかではなく、一緒の暮らしを楽しんで、切磋琢磨し合える仲間が中にいること。これだけで起業家が地域に入れるかどうか、かなり変わってくると思います。
加えて、起業家にとって唯一の存在になりすぎないことです。あくまでもコミュニティは、活動に関わる人とのハブ。起業家のことを考えるならば、地域との間で様々な接点を作り、外へ繋げていく役割が大切ではないでしょうか」(和田さん)
今や起業家だけでなく、純粋に小高への熱量が高い人も集まり、関係人口の創出や拡大へ貢献する和田さんの起業家コミュニティ。長く活動を続けるうちに、コミュニティの中から起業家として目覚めた人には「ある兆候」が見られるという。
「起業はハードルが高いと皆さん思われているのですが、コミュニティをはじめとする周囲の影響で起業した人もいるので、そこまで難しく考える必要はありません。
例えば Iriser のガラス職人。起業に関係ない彼女たちからも、ここで賑やかに交流している起業家たちが羨ましく見えてしまって。中には影響されて自分の工房を構えた人もいます。実際に起業している仲間が周りに沢山いると、なんか徐々に頭がバグってくるんですよね。
同じように感化されて起業した大学生もいますし、相乗効果を期待する意味でも『コミュニティの質』は非常に大切です」(和田さん)
一方で、人や資源の少ない地方で起業を成功させるには、行政の支援が欠かせない。行政の中には、地域に起業家を増やしたい思惑もあるだろう。和田さんはそんな行政との関係構築をどう行い、支援獲得に必要な現実との折り合いをどう付けているのだろうか。
「内容にもよりますが、南相馬市に関しては、ある程度信頼を得ている節があります。やはり東日本大震災で何もかもが無くなってしまい、誰もやろうと思わなかった状況から、自分たちで事を始めたのが大きいですね。
行政もほとほと困っていた所で、他の誰もが取らないリスクを率先して引き受けた。そこで生まれた信頼関係が、行政との長期的な関係づくりに繋がっているのかもしれません」(和田さん)
東日本大震災から 10 年以上が経過し、創業支援のみならず、小高のまちづくりにも多くの影響を与えている和田さんの取り組み。2 つに共通するのは、和田さんの「人生観」にあった。
「平穏に過ごしていても未来は変化するし、突然の出来事は誰でも起こり得るので、未来は予測できないものだと割り切ってしまう。誰も予測できないからこそ、未来は可能性に満ち溢れてるのではないでしょうか。
自ら行動を起こすにはそれなりの覚悟が必要ですが、多くの場合、命を失うことはありません。変化や突然の出来事に怯えるよりも、意志を持って生きるとか、主体性を持って過ごすとか、そうやって欲しい暮らしや未来を自らつくり出す方が、きっと楽しいと思います」(和田さん)
起業家への創業支援を行いつつ、自身も起業家であり、多数の事業を運営する経営者としての顔を持つ和田さん。そんな和田さんが起業家として表現したい世界観と、経営者として大切にする事とは何だろうか。
「一度ゼロになったまちから 100 の事業をつくった結果、起業家や生業を持つ人が自然に生まれ、あらゆる社会変化に対して新しい事業が生まれる。小高をそんな『起業や生業による持続可能な地域』にしたいと思っています。
そのためには、私自身が経営者としてアップデートするのが何よりも大切です。そうでないと地域で面白いことが次々生まれるなか、どんな事業をつくっても、何の役にも立てないですから」(和田さん)
起業にチャレンジしたいと思いながらも、日々の安定した生活に満足して「やりたいことが見つからない」という人は多い。和田さんはそんな人たちへ「やりたいことの見つけ方」を、起業家や経営者として数々の事業を立ち上げ、リスクに向き合ってきた立場からこう語る。
「日本のような成熟した社会で生活していると、経済効率を高めるために、非合理な所を除くことの優先順位がどうしても高くなってしまって。でもその非合理な所にこそ、人生をかけて取り組む価値がある。
そこへ気持ちが動いたとき、まずは自分の心に蓋をせず、素直になるのが大切です。どうして気持ちが動いたのか、何に対して行動を起こしたいと思ったのか。これらを内省することで、やりたいことは自ずと見つかると思います。
そして、今や一つの仕事を一つの地域でやり続ける時代ではありません。やりたいことを探す過程で地方が面白そう、地方に飛び込んで何かやってみようと思ったとき、地方での起業にチャレンジしていいのではないでしょうか」(和田さん)
地方の担い手なれど、地方に縛られない柔軟な考え方。2024 年で創業10年を迎える和田さんだが、常に自身の気持ちへ正直に向き合い行動するその姿勢には、未だ潰えぬ開拓者 (パイオニア)の精神が宿っていた。
Editor's Note
私の身近にある創業支援の取り組みは「利益重視」の世界観だと感じることが多いのですが、和田さんの取り組みは「起業家の生き方」に焦点を当てた世界観で、まるで自然の営みのようにも感じます。小高から発信される、ビジネスの価値観だけでは語れない「和田さんの生き方」は、取材を終えたこれからも目が離せません。
Takahito Kikuchi
菊池 崇仁