生き方
「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 – 人生に刺激を与える対談 -』。
第4回目のゲストは、数値化されない価値の重要性を唱え、京都から日本全国、世界を考えるイベント『京都流議定書』を立ち上げた「ウエダ本社」の代表、岡村充泰さん。
家業の「ウエタ本社」を再建するだけでなく、時代にあった働き方を提案しつづけ、オフィス改革から働き方改革を提言してきた岡村さんの人生を紐解くことで、見えてくるものとは一体何なのか。
「自分のやりたいことが見つからない」そんなアナタに注ぐ、一匙の刺激をお届けします。
平林:僕らが主催する地域経済カンファレンス『SHARE by WHERE』は、岡村さんが京都の価値再発見と新しい価値創出を目指して開催されているイベント『京都流議定書』を参考にさせていただいています。とても素晴らしい取り組みですよね。
岡村:京都での取り組みなのに知ってもらっていて驚きましたよ。嬉しいです。
平林:僕自身、岡村さんの話が大好きで、岡村さんが代表をされているウエダ本社(事務機器販売から始まり、現在は「働く環境の総合商社」として幅広い事業を展開)の想いもとても素敵じゃないですか。会社にとって経済合理性はもちろん大事だと思うんですが、「継続性や方針がしっかりあった上での経済だよね」と順番を間違えていないところとか。今日は「どんな人生を歩んだらそんな考え方を持てるんだ!?」という僕の率直な疑問を紐解いていければと思います。
平林:そもそも岡村さんのキャリアのスタートを教えてもらえますか?
岡村:大学生の時は割と大きなことを言っていたんです。「起業をして、ある一定の成功を収めたら、稼いだお金も培ったスキルも世の中の社会課題に全部費やす!」みたいなね。でも就活をする中で保守的になっていった感じがあります。ウエダ本社は家業なので、当初は「継ぐつもりはない」と言い張ってましたが、就活をする中で「親父がやってる会社の関連も行ってみようかな」と足を運んだこともありました。
岡村:最終的には第一希望の繊維商社に入社しましたが、「いずれは独立する」という想いがあって、30歳の時に退職しました。
平林:どんな経緯があったんですか?
岡村:「この会社に一生居たいか?」と考えたら、「居たくないな」ってシンプルに思いましたね(笑)。その思いに至るまでにはいろんな経緯があるんですが、20代後半が一番の転機だったかな。
売り上げを最も重視する会社だったんですけど、そんな中でも特例として、数字は求めないからと新規事業をやらせてもらっていた頃。突然方針が変わっていきなり「数字の取れない奴」とレッテルを貼られました。今まで「岡村くんいいね」と言っていた会社の人たちが、手のひらを返して「あいつは数字が取れないんだ」と。「そんなことがあるのか」「何それ、大人汚い」って思いましたね。
だから20代後半の時に「もう辞めよう」と思ったんですけど、「ここで辞めたら負け犬だ!」と思い止まったんです。僕自身、本気で仕事に打ち込んでいたからこそ、想いが逆流してきたというか…。負け犬だと言われるのは納得できないので、次の日会社に行って「徹底的に売ります。数字を取ります」と宣言しました。
平林:すごい急展開!
岡村:宣言した年に販売の最優秀賞に選ばれました。そしたら周囲はまた手のひら返し。「すごいね」「岡村くん変わったんだね」「努力したんだね」って褒めてくる。でも素直には喜べませんでした。そもそも会社は業界最大手だったので、「僕の力じゃなくて会社の力で売れたんだ」と思って、特に舞い上がることはなかったんです。
平林:お話をお聞きしている限り、調子に乗るというか。「やってやったぜ!」みたいになってもおかしくない状況だと思うんですが、岡村さんは客観的に状況を見られていたんですね。
岡村:僕は二面性というか、「話している自分」と「話している自分を俯瞰している自分」がいる気がします。
平林:とても素敵ですね。僕は逆で、自分を俯瞰して見ることが全然できずに苦労したので羨ましいです(笑)。岡村さんとしては、ある程度成果を出したので、30歳で仕事に見切りをつけた感じだったんですか?
岡村:そうです。再び評価されたから「いつ辞めてもいいな」って(笑)。だからこそ、「自分の人生をどうしたいか」を改めて考えたんです。そしたら僕は「定年後に余生をハワイで悠々自適に暮らすという成功モデル」が全然羨ましくないと気づいたんです。
仕事が好きだし、海外が好きだったから、それなら「海外を転々とする仕事がいいな」と思って、海外に行って良い商品を見つけて輸入する商社のような仕事をはじめました。
そのあと、ちょうどバブルがはじけた時に、国内の人たちがみんな「物が売れない」と悩んでいて。商社時代の経験から営業を頼まれることが増えて、国内の会社数社の営業代行をはじめました。
ウエダ本社に関わるようになったのは、そのあと。「親会社であるウエダ本社がどうしようもないから廃業させて、我々子会社を切り離してほしい」と子会社の代表に頼まれたのがスタートでした。
平林:よく「今の仕事を続けるのがいいのか」「転職するのがいいのか」を考えている方にお会いすると、矢印(目線・視点)が外(社会や企業)ではなく自分に向いていることが多いと感じています。でも岡村さんはずっと外に矢印が向いてると思っていて、それはなぜなのでしょうか?
岡村:なぜでしょう(笑)。確かに昔から、カフェの窓から外を歩いてる人を見るのが好きだったり、人と周りの関係などはよく見てましたかね。でもなぜかまではわからない。
平林:外に矢印を向けることは、誰しもが出来ることじゃないなって思います。「自分は何が得意なんだろう」とか「何が好きなんだろう」と自分自身のことばかりに矢印が向いて、堂々巡りしちゃう。でも岡村さんは逆に常に外を向いてるからこそ、「好きかどうか、出来るかどうか」よりも「まずは知ってみて、取り入れてみる」そして「これは得意かもとか、この方向ならいけるかも」と、進む方向を定めていけるんだと思っています。
岡村:確かに得意かもしれません。学生さんからも「何に向いてるかわからない」「やりたいことがわからない」という相談を聞くことがよくあるんですが、でも、好き嫌いも含めて、「こっちの方がいいな」ぐらいはあるじゃないすか。手を横に広げた時に、広げた手より前の方がいいのか、後ろの方がいいのか。「なんとなく前の方がいい」「なんとなく後ろの方がいい」それくらい。それくらいだけど、まずはそれでいいと僕は思っているんですよ。
みんな直線でやりたいことに辿り着こうとしすぎなんですよ。右か左か、前か後ろかだけでもわかるんだったら、まずは大ざっばにでも進んでみればいい。で、動き出してから考えればいい。例えば東京駅までの道のりだったら、「方角的にはこっちかな」でいいから、とりあえず歩いてみるんです。
平林:確かに、迷っているときって「最短距離じゃないといけない」って思いがちなのかも!
岡村:むしろ問いたいのは、「就職するまでの間に、職種や仕事って、どれだけ知ってるの?」ということです。むしろぽぽさん(平林の愛称)の仕事なんて、カテゴライズするのも難しいじゃないですか(笑)。
平林:確かに、何分類なのかも難しい(笑)。
岡村:世の中にはまだまだ知らないことがたくさんある。学生時代に目指しようがないことの方が多いんですよ。だからまずは、自分の中で見えている方向にふんわりと進むのがいいなって僕は思っています。
平林:情報社会になったことで良い面と悪い面があると思っていて。良い面は、若い頃から社会のことをキャッチしやすくなってること。僕らが幼い頃は、東京の人たちが何をしてるかなんて全然わからなかった。でも、今は色々素早くキャッチできる反面、悪い面として、ゴールが1本道に見えるというか、ゴールに効率的に到達しなくてはならないという圧力を感じるなと思いますね。
岡村:全て正解がある前提で考えてしまう、というのはあるかもしれませんね。
平林:先ほどウエダ本社の子会社の方々から、「ウエダ本社を潰してほしい」と相談を受けたとおっしゃっていましたが、その後はどうされたんですか?
岡村:元々家業に入るつもりもなかったから、まずは週1回の非常勤で関わることにしました。その中で会社の数字を見ると、確かに会社はすでにボロボロ。僕自身そんなに数字を見れる方でもなかったんですが、なんとなく「これは1回も手を打ってないな」ということは読み取れました。だからこそ、「会社を駄目にしたとしても、1回ぐらい手を打ってみよう。足掻いてみよう」と思ったんですよね。
でも相談を持ってきた子会社の人たちは「改善してくれ」ではなく、「潰してくれ」と言っていたわけなので、改善案を出したら当然のごとく揉めたんですけど(笑)、関われば関わるほど、どんどん引けなくなってしまって。正直なこというと「自分では絶対にできない」と思っていた反面、「自分が引くと絶対に潰れるし、社員たちも路頭に迷う。だからやるしかない!」と腹を括ってスタートしたのが2000年でした。
自分の進むべき道筋を自分の力で切り開いてきた岡村さんの後編記事は2023年3月15日20時配信予定!
「倒倒産寸前の状況よりも辛いことがあった」と話す岡村さんが走り続ける原動力とは一体何なのか!?後編『社会から必要とされる会社を。人間の役割から考えた、会社の役割とは』もお楽しみに!
Editor's Note
「好きから嫌いかも含めて、まずは大雑把に進んでみたらいい」の言葉に、救われた気持ちになった人も多いはず!前半は大村さんの人生をメインに振り返りましたが、後半も大村節が炸裂です。是非そちらもご覧ください。
YURIKA YOSHIMURA
芳村 百里香