HIROSHIMA
広島
※本記事は「【ADDress × LOCAL LETTER】ローカルライター向けADDress滞在プログラム」にて執筆した記事となります。
あなたはなぜ、そのまちに想いをかけていますか?
出身地とは別のまちで、あなたを動かしている原動力は何でしょうか。
本記事の舞台は広島県、尾道市。
古くから瀬戸内海の港町として栄えたこの地は、絶えず人が出入りしながらも、どこかゆっくりとした時間が流れています。小さな路地や坂道が多く、歩くのが楽しいまちでもあります。
今回は、尾道のADDress邸での滞在を通してお会いした地域のキーパーソンである、ONOMICHI SHARE コンシェルジュの後藤峻さんから、仕事への向き合い方、そして移住先の土地にかける想いを伺いました。
尾道駅から徒歩15分ほどのところにあるコワーキング型シェアオフィス、ONOMICHI SHARE。もともとは尾道市役所の書庫だった建物ですが、現在では旅行者や移住者、ADDressなどで多拠点生活をするテレワーカーらが仕事のスペースを求めて立ち寄る場となっています。
このONOMICHI SHAREで、2016年からコンシェルジュとして働くのが後藤さんです。京都からの移住者で、結婚を機に奥様の地元である尾道市で暮らし始めました。
関西での仕事を辞め、この地でコンシェルジュの職に就いたのは、「クリエイティブ」なことへの興味から。
「イラストレーターやデザイナーとかのクリエイターもクリエイティブだと思うんだけど、制作をするために僕の中でできることがその時なかったと感じていて。
ただ、僕が役割としてできるかなと思えたことの一つは、 目の前の方の悩みや課題を聞くこと。聞きながら一緒に考えて、解決まで伴走するようなことであれば自分もやってみたいなと。
ある課題に対しての解決手段っていうのは無限にあるので、本質を捉えながらどういった手段があるのかを考えていくことが、僕のできるクリエイティブだと思いました」(後藤さん)
後藤さんが尾道へ移住した2016年頃から、ノマドワーカーのような場所を選ばない働き方が世間で認知され始めていました。
「こういうスペースにいれば、 クリエイティブに近いような世界に触れられるかもしれない」
そんな期待から、移住の際に縁あって声を掛けられていた株式会社ディスカバリーリンクせとうちに入社。そこでONOMICHI SHAREの事業責任者になり、今日までコンシェルジュとして働き続けて8年目になります。
「コンシェルジュ」。あまり聞き慣れないその言葉の業務内容を尋ねると、施設の掃除・管理と、利用者の受付・対応、予約管理。基本的にはそれに尽きるといいます。しかし、その「基本」の先に、後藤さんの仕事に対する哲学があります。
「例えば、初めて尾道に滞在される方が来てここで作業をする。で、Wi-Fi環境とテーブルとコンセントさえあれば、その方の仕事はきっと進む。だからそれを維持することは何より大事で。
だけどその他にも、滞在期間中に相談したいことが出てきて。
急にマウスが壊れた時に、 マウスは借りられますか、とか。
コピーしたいんですけど、コピーはできますか、とか。
美味しいラーメン屋さんはどこかありますか、とか。
ここでの仕事中の相談もあれば、尾道で滞在する中での相談もある。それら全てに対応して、尾道にいる目的が適うように支援することが『コンシェルジュ』って言葉に要約されているんだと僕は思います」(後藤さん)
コワーキングスペースやシェアオフィスにおけるサービスの範囲は明確には決まっていません。そのため、どこまでも絞れる一方で、どこまでも膨らませることができる。後藤さんは当たり前の業務を重視した上で、さらに自分の役割を広げています。
「人生のうち、その日、その時間、その瞬間に尾道にいることを選択したわけでしょう、目の前の人は。
その時間に対して、自分は何を提供できるかで『尾道での記憶』が変わるじゃないですか。その責任をどこまで考えるかという世界だと思います」(後藤さん)
目の前の人はONOMICH SHAREの利用者である前に、尾道にいる人であり、尾道を訪れている人。そのような姿勢で様々なニーズに応え続けてきた結果、ONOMICHI SHAREは2023年7月から尾道市の受託事業として移住・定住の相談窓口を開設するに至りました。
また、年間を通して様々なイベントがONOMICHI SHAREで開催されています。
移住者向けの交流会「レモンとイカ天の会」、
作業やアイデアの壁打ちができる「もくもくワークナイト」、
尾道で働く人をつなぐライブ配信「オノミチシェアチャンネル」。
これら一つひとつも後藤さんの「クリエイティブ」な表現の形だといいます。
「困っている、機会を求めている。そういった課題が目の前にあるとして、どんな表現ができるんだろうかという部分は自分へのチャレンジでもあるし、その表現の形に対して好奇心があるから、ものが生まれているんだと思います」(後藤さん)
単なるコワーキングスペースのマネージャーに留まらない、あらゆる対応をしてきた後藤さん。この尾道という地域の魅力をどこに感じているのでしょうか。
「尾道には色んな島があって、文化や慣習が島や地域ごとに違うんだけど、合併で一つの市になった。でも同じ一色のカラーになっていないんですよ。
要するに、尾道は多様であると。EU(ヨーロッパ連合)みたいに、違うもの同士で一つになっているように考えた方が楽しいし、その多様性をどう考えるかというのが尾道の魅力だと思っています」(後藤さん)
尾道エリアの海には大小10以上の島が点在しており、ONOMICHI SHAREの窓からも向島(むかいしま)を眺めることができます。どの島も、サイクリストに人気の「しまなみ海道」を通ったり船で気軽にめぐったりすることが可能。ADDressでは尾道・大三島(おおみしま)・佐島(さしま)に計6ヵ所の拠点を持っています。
「2日、3日間の滞在で異文化、異世界を体験できるのは面白い魅力」と語る後藤さんは、この尾道ならではの魅力を活かしたONOMICHI SHAREの形を提案します。
「アクセスで考えていくと、僕は国際空港と国内空港でなぞらえるのが面白いなと。
例えば、外から来る方がまずONOMICHI SHARE(国際空港)につながる。その上で、その方に合った情報があればさらに各島(国内空港)につながって、良かったなら次回は直接その島にフライトしたらいいと思っています。
もちろん、最初から各島を直接訪れるのもすごくいいと思います!実際に直接その島や地域にアクセスされる方もいらっしゃるし、そういうことができるのもいいと思う。それができることが尾道の魅力なんだと思います。
ただ、ONOMICHI SHAREの形としては、県内や市外の方々が尾道とつながるための最初のタッチポイントのようなコワーキングスペースであり続けることが僕自身はいいことかなと思っています」(後藤さん)
古くから瀬戸内海を渡る多くの船が立ち寄った尾道。これからもONOMICHI SHAREは尾道を訪れた人々の発着所となり、旅人たちを島から島へとつないでいくのでしょう。
尾道の多様性に関連して、「異なる者同士で、一緒に何かをするときに大事なのが異文化コミュニケーション」と話す後藤さん。今後も立場を問わず、尾道のフィールドでクリエイティブに活動していくそうです。
お話を伺っていると、後藤さんは所属する会社やONOMICHI SHAREのみならず、「尾道市全体」について深く考えているのがわかります。彼が生まれ育ったのは京都であり、尾道で暮らし始めたのは29歳の時から。
県外から引っ越してきた移住者が、なぜそこまで尾道に想いをかけているのでしょうか。
「尾道に来てからお世話になった人がいます。その人たちの想いを受けて一緒に活動したこともあり、中には亡くなられた方もいて。そういうお世話になった経験を僕は尾道の8年間ですごく感じているんです。
彼らに成長させてもらったから、その人たちに恩返しするには、成長した自分にできることで、自分が今関わっている人たちにお返しをするしかないと思っていて。
お世話になった経験、時間を肯定するためには、今のここで生きている時間で証明するしかない。
それに、妻の地元で働くってことは、相手の家に対しても僕は何かしらの責任を持っていると思うんですよね。だから変なことはできないし、ここで何をするのかに対しての覚悟はあって。
その覚悟とお世話になったご恩があるから、尾道で自分がやれることをやろうという意志を持っている。それが理由ですね」(後藤さん)
「覚悟」「責任」という言葉を始めとし、短いインタビュー中の会話でも終始「真摯さ」が滲んでいた理由。それはこの強く真っ直ぐな想いにあったのかもしれません。
お世話になった人のために、成長した自分を証明すること。
目の前の人に自分のできる最大限をすること。
後藤さんはONOMICHI SHAREのコンシェルジュとして、もらった恩を「尾道」というまちにのせて返していました。
今回利用した住まいのサブスクサービス・ADDressでできたのは、「いいとこ取り」の旅。一人でゆっくりと過ごす時間がある一方で、一緒に泊まる人やその地で暮らす人とのローカルなつながりもできました。
今度はより成長した自分になって、このまちを訪れられるように。
その時まで、私も自分のまちで、自分ができることから。
「また来ました」と言える日が楽しみになった、尾道での滞在でした。
Editor's Note
地方に行く若者へ、「目の前の役割を淡々と、粛々とやるのが大事」とのメッセージをいただきました。大きなこと、新しいことをしなきゃと時に気負ってしまいがちですが、まずは焦らず、一歩一歩着実に歩みを進めることにします。
Hiroka Komatsubara
小松原 啓加