HIROSHIMA
広島
※本記事は「【ADDress × LOCAL LETTER】ローカルライター向けADDress滞在プログラム」にて執筆した記事となります。
広島空港からバスとJRを乗り継ぎながら約60分。しばらくすると目に飛び込んできたのは穏やかに広がる瀬戸内海と、無数の島々。電車に乗っているにも関わらず、その地で暮らす人々の気配とゆったりとした時間を感じとりながら、今回の目的地である尾道へと向かいました。
尾道駅に到着し海沿いを歩くと、港の景色を楽しむことができるコーヒースタンド。
ノスタルジーを感じる商店街を歩けば、銭湯がリノベーションされた中華屋さん。
暖簾にかかれた「おやつ」の文字に思わず口元が緩んでしまうカフェなど、一際、存在感を放つ店舗の姿がありました。
そんな目を惹かれる店舗の数々を生み出しているのが、尾道を中心としたまちづくりに取り組む「有限会社いっとく」の代表取締役・山根浩揮氏。
なんと、19歳の若さで起業家人生をスタートさせたという山根さん。22歳で1,500万円の借金をして、飲食1店舗目となる「遊食楽酒いっとく」を創業したという話は、誰もが興味を惹くエピソードに違いありません。
「技術もないし、知識もない。完全に手探りだった」と話す山根さんに、当時、どんな想いで創業したのかを伺ってみました。
「最初はまちづくりをしようなんていう気持ちはこれっぽっちもなかったですね。当時は、人の下で働きたくないし、自分が好きなようにやってお金を稼げて、何か面白いことできたらいいな、くらいだったと思います」と笑う山根さん。
寝ていても服が売れたという古着屋の経験。その延長戦で仲間と一緒に始めた飲食店のスタートは、思いのほか苦い滑り出しとなったのだとか。
「オープン当初は全然人がこなくて暇でしたね。面白くない上に借金だけ背負って。稼がないといけないから朝も夜も働いて。古着屋の時よりも稼げないし『なんだこれ』って。『やるんじゃなかったな』って、正直思いました」(山根さん)
飲食店を経営する大先輩には、「あんな店なら、わしでもすぐできるわ」と言われ、実家では両親にも祖父母からも「商売にならない」などと陰でヒソヒソ話。
そんな周りからの反対に「『今に見てろ』という気持ちが強かった」という山根さんの言葉には、当時の悔しさを感じずにはいられません。
今では、尾道の空き家再生プロジェクトにも携わり、食を通じたまちづくり、そして人づくりをしていくことを自身の“使命”として、様々な形態の店舗を展開している山根さん。
そのアイディアはどうやって生み出されているのか尋ねてみると「計画がない状態ではじまることもある」と言うので驚きです。
「例えば、特に事業の計画を考えていなかったとしても、たまたま良い物件に出会えた時に、それをチャンスとして活かすかは自分次第だと思うんです。
アイディアがないから何もやらないという選択肢ももちろんある。僕の場合は、何も考えられていないけど、なんだか面白そうだから「やる」と決めちゃうんです。そこから業態とかコンセプトとか考えはじめて」(山根さん)
当時はコンセプトの意味も分からないまま走り出したという山根さん。「何か一緒におもしろいことしようや」と仲間に声をかけていきながら、徐々に方向性を決めていったのだそう。
「お店のメニューも、とにかく他のお店の真似をして。いろんなところに食べに行っては、自分たちでも同じように再現して。お客さんの反応をみながら改善をする。ということをひたすら繰り返していました」(山根さん)
こうして仲間と共に、「どうしたらお客さんが来るのか、どうしたらお客さんが喜んでくれるのか、そのためには何をしたらいいのか」を考え続けてきた山根さん。
ゴールがあるわけではない中で、どうしてそこまでやり続けることができたのでしょうか。
「人が働く目的って、お金を稼いで生活するためとか、色々あると思うんですけど、“人間として成長する”ってことが、働く本来の目的だと僕は思ってるんです。
どうせ成長するなら面白くありたいし、自分が成長したことで、他の人にも喜んでもらうことに繋がっているなら、それはやっぱり嬉しいことですよね」(山根さん)
そう答える山根さんに、いつまで頑張らなければいけないのかと、“成長”という言葉に対して身構えてしまう自分がいることを素直にぶつけてみると、「自分が本当にやりたいことが見つかってないからなんじゃないかな」と話を続けます。
「これは、人によって難しいと感じるかもしれないけど、私がこれをやらなかったら、誰がやるんだってものを見つけると、なんで頑張らなきゃいけないのか、なんてことを考える暇がないと思うんですよね。地域の人はもちろん、世の中が困る。と本当に思えた時に、もうやる。ということしか選択肢に出てこなくなる。
もちろん、すぐに見つからない人が大半だと思う。けど、そこで諦めるのではなく、『なぜこれをやるのか』『自分にとって楽しいことは何か』といったことを自問自答する繰り返しが大事だと思う」(山根さん)
そこには、山根さんがこれまでに何度も自分と向き合ってきた経験から出てくる言葉がありました。
何かの出来事が起きた時に、 自分の心が動いたことに対して、「何に惹かれたのか」に目を向けて内省を深めることが大事だと話す山根さん。
「どうしても自分という存在は弱いと思うんです。だから、当然ブレることだってある」と、一人で取り組むことの難しさにも寄り添います。
そんな山根さんは、たくさんの本を読み、経営者によるセミナーなどにも足を運んだと言いますが、特に3人の師を見つけることで、より自分の学びを深めたのだとか。
「師を持っておけると「彼らだったらどんな風に考えるのか」ということを、一つの基準として自分の中に持つことができる。けれど、師匠も人間だから完璧ではないですよね」と無邪気に笑います。
そんな山根さんには、年代の異なる3人の師匠がいるのだそう。
「やっぱり50代の考え方と60代の考え方では同じ経営者でも違う視点を持っているので、年代が異なる師匠を持つのはいいと思います。ただ、どの師匠にしても彼らの言葉を鵜呑みにはしません。いろんな視点があるなかで『どれを選ぶのか』はちゃんと自分で考えなくてはならない」(山根さん)
今の世の中、情報が簡単に手に入り、消費者のニーズや流行りも簡単に知ることができるようになりました。
「何でも手に入りやすくなった時代だと思う」と、山根さん自身も時代の流れの変化を感じながらも、「時間をかけて対話をして、互いの人間性を知ることで積み重ねていくことが大事ですよね」と目の前にいるお客様と向き合ってきた山根さんの想いが溢れます。
「取り組んできたのは、どうしたらその場がもっと良くなるのか、どうしたらもっと喜んでもらえるのかを、一つ一つ追求していくということだけ」と熱を込めて話す山根さん。
例えば、お客さんが料理を残していたとしたら、「あれ、なんでだと思う?接客が悪かったのか、それとも味がちょっと濃かったのか?」といった議論を一緒に働く仲間たちと何度も話し合う中で、改善を重ねてきたそうです。
「試行錯誤しながらお店をつくり、そこに仲間が集まってきて、その結果としてお客様が増えていった」という山根さんの言葉には、言うは易く行うは難しを実践してきた山根さんだからこその説得力があります。
こうして、まちづくりに取り組み続けてきた山根さんも来年は50歳という節目の1年に。「新しい時代をつくっていきたい」と話す山根さんにこれからの挑戦について尋ねてみました。
「これからは海外と日本を繋ぐことに取り組んでみたいと思っています。そのために、今はカンボジアでの事業を準備しています」(山根さん)
ベトナムやタイでは、かなり成熟され給与の水準も高くなっているそうですが、カンボジアは高卒での平均月収は3万5000円ほどと、まだまだ低い水準なのだとか。
「これからの働き手における人材不足への取り組みでもありますが、彼らが日本に来て、接客や料理を学び、彼らの国に持ち帰った時に、どんなことが起きるのかを想像するとワクワクするんです」と話す山根さんの目にはカンボジアの可能性が日本の未来にも繋がるイメージが既に広がっているようでした。
「飲食の魅力は料理だけではなく、勧めてくれるお酒と、会話と、空間、照明、いろんな要素があることが面白さだと思うんです。そこには、やっぱり仲間がいて、お客さまがいて。そんな場にいることが好きなんです」(山根さん)
そう語る山根さんには、最後まで一貫して人を想う姿がありました。
Editor's Note
まさに“少年のような心を持ち続けた人”を絵に描いたような方でした。今回のインタビューを通して、自分に起きる出来事や出会いに意味づけをすることで、自分の探しているものに辿り着くことができるのかもしれないなと感じました。
YUNA TAMURA
田村 結奈