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LOCAL LETTER

田舎暮らしに憧れ尾鷲の地へ。空き家を活かし、まちに明かりを灯す

NOV. 13

MIE

拝啓、空き家を活用し地域のために自分のできることを探したいアナタへ

累計500件以上。

三重県尾鷲市(おわせし)の空き家バンク*にこれまで登録されてきた空き家の件数です。

尾鷲市は三重県南部に位置する人口約15,000人の漁師町。小さな集落ごとに漁港があり、その数は10に上ります。瓦屋根の立派な家が海に面して立ち並ぶ姿は、海と共に生きてきた尾鷲の人々の暮らしの様子が伺えます。

*空き家バンク…地方自治体が運営する、空き家の提供者と利用者をマッチングする仕組み

中心部の高台から望む尾鷲市街地と尾鷲港。市全体の9割が山地で、入り組んだリアス式海岸の中で人々は暮らしている。

しかし少子高齢化の波には抗えず、尾鷲市では、3件に1件が空き家となっています。市はこの課題に向き合い、約10年前から本格的な対策に取り組んできました。

今回お話を伺ったのは、空き家バンクの初期から活動し、移住・定住の促進に取り組んできた木島恵子さん。現在は『NPO法人おわせ暮らしサポートセンター』の理事長も務めています。

古民家暮らしに憧れ、東京からやってきた木島さんですが、なぜ尾鷲を選び、どのように空き家活用を進めていったのでしょうか。

活動の背景には、木島さんの古民家に対する情熱がありました。

東京生まれ東京育ち。子どもの頃から抱き続けた「田舎への憧れ」

木島恵子(Keiko Kijima)氏  NPO法人おわせ暮らしサポートセンター理事長 / 東京都出身。三重県尾鷲市を拠点に、NPO法人おわせ暮らしサポートセンター理事長として活動。「シェアスペース土井見世」の運営などを主として、尾鷲市における移住/多拠点居住と空き家の利活用推進や関係人口創出のための活動に取り組んでいる。2015〜2018年には地域おこし協力隊として活動。

木島さんには小さいころから、田舎への強い憧れがありました。その気持ちは、普段の何気ない日常の中で芽生えていったと言います。

「私は東京で生まれ育ったので、いわゆる“田舎”というものがありませんでした。小学生の頃、休み明けに友達が『おじいちゃんの家やおばあちゃんの家で過ごした思い出』を絵日記に書いていたのを覚えています。それを見て『なぜ自分にはそういう場所がないんだろう』とコンプレックスを感じていました」

その後は大学で一度山梨へ進学し、初めて東京以外での生活を経験。ですが結婚を機に再び東京に戻ることに。一度手に入れかけた地方での暮らしから再び足が遠のきます。

それでも「自分のどこかで田舎への憧れが捨てきれなかった」と話す木島さん。群馬や長野を中心に空き家を探し、週末だけ田舎で過ごす“二拠点居住”を目指しました。

「とにかく古いものが好き、古民家が好きなんです。でも10年前は、今のように移住ブームもなく『都会から来た』というだけで怪しい目で見られる時代。空き家を見つけても借りるまでには至りませんでした。話すら聞いてもらえないことも多かったんです」

今でこそ空き家バンクの制度が充実し、インターネットさえあればどこからでも全国の空き家情報を見ることができますが、当時は一筋縄にはいかなかったのです。

ですが、何度も地方に足を運ぶなかで気づいたことがありました。

「地域の人と話をしていると、高齢化が進み40代(当時)でも若手だということが分かりました。東京に暮らしている時は、仕事や自分のことで精一杯でした。でも地方に行けば、私も地域のために何かできるのではないかと思えたんです。この頃から地方に拠点を持ちたいと考えるようになりました」

そんな時、願ってもないような求人が木島さんの目に飛び込んできたのです。

直感でエントリーした1つの求人。尾鷲での挑戦のはじまり

木島さんが目にしたのは、WEBメディアに掲載されていた尾鷲市役所での地域おこし協力隊の求人でした。

その内容とは「空き家バンクを立ち上げて、新しい人の流れを作り移住定住を促進する」というもの。これまで田舎に憧れを抱き、古民家が大好きな木島さんにとって理想を叶えられるかもしれないと思った瞬間でした。

「二地域居住を目指したものの、思いを形にできない日々が続いていました。この求人なら理想の暮らしを叶えられると思い、すぐに応募しました」

早速、面接を受けるために東京から尾鷲市へ。まったく縁のなかった土地へ迷わず挑戦したその姿勢に驚かされます。

紀伊半島は日本最大の半島ですが、当時は「伊豆半島がちょっと大きくなったくらいだと思っていた」と笑いながら振り返ってくれました。

地域おこし協力隊の面接当日は、木島さん以外にも複数の応募者が参加しており、木島さんは「半ば記念受験」の気持ちで面接に挑んだと言います。

「全く受かると思っていなかったんです。それでも、まちで出会う皆さんがみんな本当に温かくて。市役所の職員さんも熱量がすごく、モチベーションの高い方でした。面接で滞在したのは1泊2日だけでしたが、合格したら尾鷲に行こうと気持ちが固まりました

そして、木島さんは無事に合格し東京から移住。尾鷲でのキャリアをスタートさせたのです。

所有者と二人三脚で進めた空き家活用。大切なのは「寄り添う気持ち」

実際に空き家活用を仕事として働き始めた木島さん。着任した当初、空き家バンクに登録されていた物件の数は20件ほどでした。

「当時は今と比べて登録物件数が少なかったんです。でも逆に1件1件に割く時間をたくさん取ることができた。空き家の所有者さんと話す時間が多かったですね。

そのお家にまつわるヒストリーを聞いたり、売りたい気持ちはあっても『お盆と正月は家族が集まるからまだ売れない』といった家ごとの事情を聞くこともありました。今でも、家主が一番どうしたいのか、気持ちに寄り添い時間をかけて話を聞き出すようにしています」

木島さんは空き家の売買で大切になる『価格』についても所有者さんの希望をまずは反映するようにしています。

「売却したい値段も所有者さんごとに全然違います。空き家バンクを見てもらうと分かるように、同じエリアでも価格のバラつきがあります。

でも、まずはそれでいいんです。大家さんとの関係性が大事ですから。物件を掲載して入居希望者からの問い合わせの様子を見てから、価格について再度相談するケースも少なくありません。

それと、空き家の中に残っている家具や荷物についても『そのままで大丈夫』と伝えるようにしています。引き渡す時は綺麗にしないといけないと思いがちですが、案外そのまま使える家具などもあったりするんです。ご高齢の方は荷物を片付けるのが一番大変なので、借主さんが決まってから残すものを相談することもあります」

所有者にまずは寄り添い、話を聞いていく姿勢を大切にしてきたことで、空き家バンクの登録件数は徐々に増えていきました。

この木島さんたちの活動は「口コミで広がっていった」と言います。

「空き家の所有者さんはほとんどが高齢の方。SNSというよりは貸主さんや借主さんの口コミで徐々に『空き家バンク』の存在が認知されていきました

『あそこのお家、空き家バンクで家を出したら買い手が見つかったらしいよ』『この家は空き家バンクで借りたんです』

こんなやり取りが増えていき、徐々に理解が広まっていきました」

現在、尾鷲市の空き家バンクには100件以上の物件が掲載されています。カテゴリーも細かく分けられており、『市街地』や『スーパーの近く』『水洗トイレの有無』など様々です。

所有者に寄り添いながら、借主への配慮も忘れない一朝一夕にはいかないと言われる空き家活用ですが、木島さんをはじめ市役所職員さんの地道な努力が実を結んでいます。

「住み継ぐことで、尾鷲の佇まいを守る」空き家にかける強い思い

木島さんが理事長を務めるNPOで運営している施設の1つが、尾鷲市街地に建つ登録有形文化財「見世土井家住宅」です。

もともとは尾鷲ヒノキで知られる林業家の住まいで、現在は「シェアスペース土井見世」として活用されています。

シェアスペース土井見世の応接室。見世土井住宅は昭和6年に建てられた。和と洋が織りなす空間は今でも色あせることなく重厚な雰囲気がある。

「空き家バンクの関係で、ご縁があって出会った物件でした。当時、所有者さんは手放すか、壊して駐車場にするか迷っていて。

でもこの建物は尾鷲にとって立派な建築物で、林業の歴史を語るうえで無くしてはならない建物です。だからこそ『私たちに活用させてください』とお願いをしました。今はコワーキングスペースやコミュニティスペースとして使っています。この仕事をしていなかったら出会うことのなかった建物です。空き家との出会いはご縁だと感じています

そう語る木島さんは、ふと目の前にあるガラス戸に手を当てました。

「例えばこのガラス1つを取っても、昔から変わっていません、建具も襖も1つ1つ昔の職人さんによって丁寧に作られたものです。壊したら同じものは作れないし、直すことも難しい。

そこが古民家の難しさでもありますが、私はできる限りそのままの形で残したいんです。

尾鷲は家の外観からは一見して分からなくても中を見ると、良い材質で作られた良質な古民家がたくさんあります。だから私たちとしては、『できるだけ住み継いでいただきたい』と思っています。

家の躯体や壊れたら直せないものはうまく再利用して、思いを継いでくれる方に継承していけたら嬉しいですね」

古いものには、お金だけでは買うことのできない歴史がたくさん詰まっています。木島さんはまちの風景を守る大切さについても言及します。

「住み継ぐことは、尾鷲の佇まいを守ることにもつながります。どこにでもある地方都市と同じ風景になっていくのはもったいない。この思いがあるので、私はまだ古いものだから壊すという風潮に抗いたいです」

新しい建物が立ち並ぶ風景が当たり前になりつつあります。これは建物に限らず、社会全体が新しいものに目を向けがちなことの現れかもしれません。だからこそ一歩立ち止まり、先人たちが残してきた物や記憶に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。

「いきなり移住じゃなくても」都市と地方を行き来する暮らし

これまで数々の空き家と人を結んできた木島さん。「これからやっていきたいこと」を最後に伺いました。近年は移住が社会的なブームとも言われますが、木島さんの視点は少し違います。

「私たちとしては各市町村で人の取り合いをするのではなく、三重県南部といったエリア全体で人が来てくれたらよいと思っています。特に若い世代の方にとっていきなり移住だとハードルが高いので、進めていきたいのは私も理想としていた『二地域居住』です。

週末だけ都市部から尾鷲に来て、釣りや、熊野古道を散策してみるのも良いですね。私も尾鷲に来て10年が経つので、1人1人に合った楽しみ方を提案できます。漁村集落のまち歩きもすごく面白いですよ。

空き家は借りることもできるので、都市と地方を行ったり来たりしながら、尾鷲に移住してくれる人が増えたら嬉しいです」

かつて田舎暮らしに憧れていた木島さんは、尾鷲という素敵なまちと出会い、大好きな古民家にも巡り会うことができました。

地方には、尾鷲のように代々守られてきた日本の原風景がまだ残っています。いま私たちは、それを未来へつなげるかどうかの分岐点に立っています。

「自分には知識も経験もない」と感じるかもしれません。けれど、地方では自分の力が思いがけないかたちで必要とされることがあります。

空き家をきっかけに地域に関わってみる。そんな一歩が、まちの未来を変えていくはずです。

Editor's Note

編集後記

木島さんを取材して、一番印象的だったのは空き家を守ることがまちの佇まいを守ることにつながるという事だった。古くなったから捨てる・壊すのではなく建物が刻んできた歴史や先人たちの声に耳を傾ける。そしてその思いに共感する人と物件を繋いでいく。日本の原風景を守るためには、新しいものを生み出すだけではなく、今ある物を活かすことが大切だと気づかされた。

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