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※本レポートは、イベント「ひと・ちいきEXPO」のTalk Session1「私たちは地域にどう関わるのか?地域課題とキャリアの行く末」を記事にしています。セッションの様子を前後編に分けてお届けします。
地域への関わり方が多様化している今、自分にできることで関わってみたいと考える人が増えています。一方で、自分のキャリアと重ね合わせると、どんな一歩を踏み出したらいいか迷ってしまうことも。
本記事では、教育、地域おこし協力隊支援、クラウドファンディング、地域事業という異なる領域で挑戦を続ける登壇者たちが、地域で生きる、鮮明なストーリーをお届けします。
平林氏(モデレーター、以下敬称略):このセッションでは、実際に地域で仕事をしていくとはどういうことなのか、いいことも課題感も含めてリアルなところをお届けしていけたらと思っております。では早速、自己紹介からまいりましょう。
私は「株式会社WHERE」の代表取締役の平林と申します。豊かさのヒントは地域や社会、家族を含めた関係性にあると思っていて、自分を活かす機会を求める人たちがもっと地域と連携していけるように、今日のような会も主催しております。

中島氏(以下敬称略):「株式会社CAMPFIRE」の代表をやっています、中島真と申します。CAMPFIREはクラウドファンディングの会社です。地域でいろいろな活動をされる方へ、資金調達の面でサポートをしております。オフィスはほぼなくフルリモートで、全国に250名ほど社員がいます。直接地域のプロジェクトにも関わりながら仕事をする社員もいて、地域とゆるやかにつながり合っているような組織です。

西塔氏(以下敬称略):「合作株式会社」をやっています、西塔です。僕らはフルリモートではなく、半分は鹿児島県の大崎町に支社を置いて、もう半分は全国に散らばって仕事をしている会社です。合作は、合わせて作ると書くんですが、官民連携など価値観の違う二者をつないで、「合わせて作ると世界はもっとおもしろい」というのをコンセプトにクリエイティブ&システムデザインを行っています。
僕はシステムデザイン、制度設計の側にいます。今日のテーマでいうと、地域おこし協力隊制度を地方自治体と一緒にバージョンアップしつつ、各自治体でうまく活かせるように支援する仕事を13年ほど続けています。地域おこし協力隊に関しては日本一詳しい一人だと自分では思っています。

尾田氏(以下敬称略):「一般財団法人地域・教育魅力化プラットフォーム」の尾田と申します。主に都市部から地方の魅力ある高校に3年間進学してもらう「地域みらい留学」という事業を8年ほどやっております。今では北海道から沖縄まで全国で170の高校と自治体が選べ、1学年1000人、3学年で3000人ほどが我々のプラットフォームを通じて地域の高校に通っています。島根県松江市が我々の本拠地です。島根のメンバーは30人ほどで、東京、佐賀等の島根以外の地域でリモート勤務しているメンバーも含めて50人ぐらいの組織で運営しています。

平林:今、地域で働きたい人、移住したい人って増えていますよね。
西塔:年々増えていますね。有楽町に「ふるさと回帰支援センター」という全国の移住相談ができる窓口があり、昨年の相談件数は65,000件です。20年間ずっと相談件数は過去最高を更新しています。実際に地域へ移る方は30万人ぐらいですが、全国の1780自治体は、だいたいどこも移住ウェルカムモードで、まだまだ地域では人が足りない状況です。
平林:地域おこし協力隊についてお聞きします。僕自身、関わることがありますが、活動の自由度が高いことがひとつの特徴なのでしょうか?
西塔:そのように誤解されている制度なんです。協力隊は任期が終わったら起業しないといけないとか、自由に自分で活動内容を考えられるとか、活動費がもらえて自由に使えるとか、全部誤解です。自治体側にとって制度を設計する際の自由度があり、協力隊に何をやってもらうかの部分に余白を残している制度です。
平林:協力隊になる側にとって、自由度が高いわけではないんですね。
西塔:はい。協力隊は公務員だと知らない人もいます。地方公務員として服務規定を守る、一方で社会保障がある、社会的信用があるというお得な制度なんです。知らないままに来て「私、なんだか公務員みたいでイヤなんですけど」なんて言ってしまう、そういうのをなくしたいですね。

平林:尾田さんは、地域みらい留学で地域との行き来を生み出していますが、経緯と現在の様子を教えてください。
尾田:もともと島根県の海士町(あまちょう)で、廃校寸前だった隠岐島前高校がカリキュラムを変えて、島の外から生徒を受け入れたことで生徒数が倍増したという事例がありました。島全体の人口だけではなく、若者の生きる力みたいなものが増えたと言われています。それを全国展開し、高校を核とした地方創生をしていこう、と立ち上がったのが私たちの法人です。
2017年からですので今年で9年目です。就職フェアの高校留学版のような、地域のおもしろい高校と、中学3年生とその保護者さんとをマッチングするイベントを2018年度から開催しているんですが、初年度は1000人来場して200人が地域みらい留学をしました。
2025年には8000人の来場を記録しました。次の2026年4月に1200人程度が入学する見通しですので、7年で来場者8倍、入学者数で6倍ほどに増えています。これまでだと「居住地×偏差値」で高校を選択しがちなところを、自分の物差しで決めよう、親ではなく生徒さん本人が意思決定をしようということもお伝えしています。
平林:中学3年生で地域に行くことを選ぶというと、進学というよりキャリア選択の第一歩のようでおもしろいですね。CAMPFIREさんでも地域との連携が増えているかと思いますが、クラウドファンディングがあまり知られていなかった当初は、東京都内のプロジェクトが中心だったと伺っています。
中島:はい。2011年の創業時から2、3年は7〜8割が東京都内のプロジェクトでした。今では東京以外が9割ぐらいです。劇的な変化に見えると思いますが、もともと地方の方が都市部と比べるとプロジェクトが起こりやすい。言い換えると、それだけ資金調達のために外部の力や新しい仕組みを必要とする環境にあるともいえます。国の地方創生のムーブメントとも連動して活用してもらっていると思います。

平林:皆さんが地域に関わるようになったきっかけをお聞かせください。
西塔:僕は、2011年3月11日14時46分、東日本大震災ですね。それまでは東京のど真ん中で物理学の研究をしていました。地域とは全く関係のない仕事だったのですが、震災を機に、地域に関わる方向に舵を切りました。
当時一緒に勉強していた友人が宮城県気仙沼市の出身で、たまたま前日に帰省していて被災しました。1週間後に友人の無事がわかって、東京で物資を調達して戻るときに、僕も気仙沼に一緒に行くことになりました。一緒に物資を配った後は帰る手段がなく、避難所で寝泊まりさせてもらい水汲みをしていました。
水汲み班の班長から給食班の班長に昇格したのちに、1200人いる避難所の運営をやって、そこから会社を立ち上げて120人雇用して事業を始めたんです。
避難所では過疎化が100倍のスピードで進むので、若い人、お子さんのいる家庭から出ていく。仕事があれば残ってもらえるので、その場で会社を立ち上げ60人雇用しました。元の職場が復興したら戻ってもらう形でしたが、彼らの安定のため社会保障もつけて正職員として全員採用。これは珍しい社会起業だと取材を受ける中で、妻にも出会いました。

平林:なんとそこで出会いが!研究職からは離れることになったんですね。
西塔:大学の研究室では、他にも優秀な研究者がいて足踏みしているように感じていたけれど、地域に行くと「いてくれてありがとう」と言われ必要とされる。ここで仕事しよう、となりました。片付け、ご遺体の管理、写真の修復、住宅を建てる前の遺跡の発掘など何でもやりました。そこが地域に関わるスタートでした。
平林:すごいお話ですね。他のお二方はいかがでしょうか。
尾田:私は島根県浜田市という5000人ぐらいのまちの出身です。小学6年生ですでに身長が170センチ以上あって体格に恵まれたこともあり、運動会でも活躍できたし、学習塾のおかげで算数や国語も得意だったので当時は神童みたいに言われて(笑)高校を卒業するときには「俺が浜田市長になる!」ぐらいに思っていました。
その頃の成功体験みたいなものが「いつかは地元のために何かしたい」という思いにつながったのでしょうね。新卒で入った会社では、5〜6年ほど各地の観光業の方と一緒に地方創生に関わるような仕事をしました。
旅館やホテル、観光地でお話を聞くと「売上はとても大事だけど、次の世代の人材育成をしていかないと、このエリアは終わる」と皆さんが言うのです。それで「地方創生×教育」みたいなことをやっていこう、と島根に戻って今の法人にジョインしました。市長になる話はどこに行ったんだって話ですけど(笑)

西塔:地域おこし協力隊は今まで18,000人ぐらいいて、移住した先で議員になってる人が150人ぐらい、首長になってる人も2人いますよ。首長を目指す志ある仲間は沢山いますので、ぜひ!
平林:中島さんも、大きな組織でプラットフォーマーでありながら、地域に多く足を運び、つながりを持っていらっしゃいます。きっかけをお聞かせいただけますでしょうか。
中島:はい、僕自身は愛媛県西条市という四国の小さなまち出身です。ありがちな話ですが、商店街は閉まっていて人通りも少ない、そんな原風景がありました。進学の選択肢も限られていて、四国から出ざるを得ないと思って上京しました。その過程では、地域のために、とは正直思っていませんでした。
ただ、今は地域にコミットしています。僕のキャリアはインターネットのサービスや技術周りのところから始まっています。いろいろな事業立ち上げも経験する中で気づいたのが、インターネットは身近なことに対して解決する力を持っていないということでした。
遠くのモノとつながれて知ることができるインターネットは、いろんなことを実現できそうだけれど、それでいて近くの本屋さんに何が置いてあるか教えてくれないし、SNSでつながりは増やせても、家から半径300メートル内の知り合いを増やしてはくれない。そんな違和感が、次第に地域へと関心が向かうきっかけになったのだと思います。

中島:プライベートでは、僕は山が好きでいろんな地域に行きました。山はいいですよ。登ればお酒もごはんも美味しいし、温泉も会う人も気持ちがいい。そのすべてが自分にとって大切な思い出です。
日本のまだ知らない地域にもいいところが沢山あるので、個人的にも関わりたいし、地域の課題に対して、クラウドファンディングを使って解決できることはしていきたいと思っています。その思いで活動していたら、僕が意図しないところでも皆さんが地域でCAMPFIREを活用してくれるようになった。今後もしっかりやっていきたいというところです。
平林:なるほど。三者三様の関わりのきっかけがありますね。
Editor's Note
大切にしてきた思いや鮮烈な体験が、現在の事業の礎となっている。地域を支えているのは、ひとりひとりの人生なのだと教えていただきました。
JUNKOKO HIRANO
平野ジュンココ