SAITAMA
埼玉
まるで、暮らすように地域に溶け込む旅。
そんな体験を求める人も多いのではないでしょうか。
『まちやど』とは、宿泊施設と地域の日常を融合させ、まちぐるみで宿泊客をもてなすことで地域価値を向上していく事業*を指します。
(*一般社団法人日本まちやど協会HPより https://machiyado.jp/about-machiyado/ )
一つの旅の在り方としてはもちろん、疑似移住体験の場として活用されるなど、まちやどのニーズは増えています。
埼玉県小川町のメインストリートから裏道に入ると、趣深い瓦屋根の建物が見えてきます。
一棟貸しの『ツキ』『三姉妹』、ドミトリー式の『ジットハウス』。
全部まとめて『小川まちやど』。そのコンセプトは、「今夜は、おとなりさん」。

今回取材することができたのは、女将の高橋かのさん。
共同代表の中市里美さんと共に「株式会社 わきま」を立ち上げ、小川まちやどを運営しています。
高橋さんは縁あって小川町で暮らし始め、早6年が経ちました。
本記事では、「まちやど」へと続く原体験と未来への思いを伺い、地域から愛される宿づくりのヒントを探ります。

小川まちやどにある、とある一室には、絵本作家・菊池日出夫さんの絵が飾られています。
高橋さんは、幼いころから同作者の絵本作品『のらっこ』が大好きだったそうです。

「『のらっこ』では、小川町のような田舎まちの男の子が、田んぼでコイを捕まえたり、お祭りに行ったりする、素朴な暮らしが描かれています。私は農家育ちだから、どこか懐かしい気持ちになりますね」
静岡の山の中で会員制の有機農家を営む家庭に育った高橋さんにとって、「のらっこ」に描かれる風景は、自身の原風景そのものだったそうです。
「うちの実家は、山の中に一軒家がポツンとあるような家で、いまだに水道も通っていないんです。家の周りを囲う形で段々畑があって、そこで野菜を育てています。
育てた野菜は、40~60軒の会員さんに購入いただいています。みなさんとは昔から顔の見える関係性で、家に遊びに来てくれることもよくありました。家族のような温かい人たちに囲まれながら、畑や山の中で過ごしていたんです。その居心地のいい環境が、私の心を育ててくれたと思っています」
高橋さんは暮らしの中で、「大人になっても、こういう関係性を続けたい」と感じたといいます。
「自分だけでなく、多くの人にこんなホッとする感覚を味わってもらいたい。
大人になって仕事をするなら、人が人として安心していられるような場づくりが仕事になったらいいなと思いました」

幼少期に思いを馳せ、懐かしさに顔をほころばせながら語る姿に、のどかな自然の中でのびのびと育つ高橋さんの姿が思い浮かびました。
「今夜は、おとなりさん」——小川まちやどのコンセプトには、高橋さんのあたたかな原体験が詰まっています。
高橋さんが小川まちやどの女将になった経緯は、偶然の積み重なりだったといいます。
「宿づくりに興味を持ったきっかけは、大学3年生の時に熱海のバックパッカー向けのゲストハウスでスタッフを経験したことでした。
そこではオリジナルの観光マップを作り、お客さん一人一人に合わせて熱海のおすすめスポットを紹介していました。例えば『ここのスナックのママと気が合うんじゃないか』と思えば、そのスナックを案内したり」
スタッフとお客さんという関係を超えて、友達になることもあったそうです。そんな熱海での経験から、人とまちをつなぐ面白さに魅了された高橋さん。
その後、有機農業を学ぶために訪れた小川町で、まちのNPOから「まちやどを始めてみたい」と持ち掛けられました。
「小川町に来たのは、有機農業の先進地域で勉強したい思いからでした。熱海での経験も踏まえて、このタイミングで私が小川町を訪れたのは運命かもしれないと思います。
NPOからお話をいただいたときも、川沿いの立派な古民家の宿で住み込み女将ができたらいいなとイメージがすぐに浮かびました」
熱海での経験。小川町にやってきた時期。
歯車がかみ合うかのようにタイミングが重なり、小川まちやどの女将に。

元々は小川町に1年だけ滞在する予定でしたが、気づけば6年目に突入しているといいます。
「小川町は元々商人の町だからか、宿屋であることを伝えると、商売仲間の中に入れてくださって。その中で応援してくれる人が増えていきました。やればやるほど楽しくなって、大学を卒業してからも女将業を続けることにしたんです。
だんだんとお客さんの需要に対して宿のキャパシティが足りなくなってきたので、『三姉妹』や『ジットハウス(ゲストハウス)』もオープンして、今に至ります」

見知らぬ土地で女将を始めるにあたり、その地域に溶け込む秘訣も気になります。高橋さんはうーん、と少し考え込んでから「まちが好きなだけだと思います」と答えてくれました。
「小川町は過去にとても栄えていたまちなので、昔から続いているお店の歴史や、過去の習慣や文化の話を聞くのが楽しいです。
また、新しい移住者も多い地域。移住者の方には、生き方にこだわりがあったり、面白いバックグラウンドを持っている方も多いので、話しているだけで刺激になります。
日々、プレッシャーや不安はあるけど、ここで過ごすわくわく感と天秤にかけたら、なんてことないです」
地域の人との交流を、自然に、心から楽しむ。
高橋さんの、そんなどこか肩ひじ張らない姿が魅力的で、小川町で愛されてきた様子が自然と目に浮かびます。
順調に自身の思いが形になったように見えますが、一方で地域との密接なつながりが欠かせないまちやどづくりには、常に課題もつきものだと語ります。
「宿を経営する上で、どうしても自分がいないと回らない体制になってしまっていた点が難しかったなと思っています。今は二拠点生活で、私が静岡にいることも多いので、平日の日中にある町内会の集まりなど、宿と地域の連携に対応できる人が限られてしまっていて。
小川町のリアルをお伝えしたり、面白いと思った人や場所をお客さまに紹介できることがまちやどの魅力だと思っています。これまで自分の感性の赴くまま、まちの魅力ある住民とお客様をつないできましたが、運営そのものをもっと持続可能な形にしたい。
もともと共同代表の中市は、イベントの企画や、普段から飲食店に出入りして人とつながるのが得意なタイプ。現在は、現場の運営を中市が中心となって担いながら、二人で役割分担をしてまちやどを運営しています」

さらに、最近では状況が変わりつつあるといいます。
「専任のスタッフを雇うほどの余裕はまだないのですが、縁あって、地元のお母さん世代の方が掃除を手伝ってくださるようになりました。近隣のお店の方がチェックインの代行をしてくださったり。皆さん地元の方なので、お客さんにまちの歴史や面白い話を丁寧にしてくださっているみたいなんです」
まちの住人として、部分的に関わってくれる人が増えることで「誰か決まった女将じゃなくても、本当の意味でまち全体が宿のようになってお客さんを迎えるような形が作れたら面白い」と高橋さんは話します。

「小川町には、それぞれ自分の思いで動いているけど、どこかで部分的に緩く連携しているような雰囲気があります。そんな有機的なつながりが体現されているまちなんです。まちやどを通して、小川町のつながりを感じられるような宿の形を探ってみたいですね」
小川町がまとう緩やかでやさしい“つながり”が、地元の人も、外から来たお客さんも、みんなを大きく包み込む。『小川まちやど』は、そんなまちの在り方を体現する存在になっているように感じられました。

小川まちやどが、まち全体で育てる宿へと変わろうとしている背景には、高橋さんがこれまで大切にしてきた夢のかたちが、そっと重なっています。
「珍しいタイプなのかもしれませんが、中学生の頃からずっと目標が変わっていないんです。『家業を面白くしたい』『有機農家の生き方、考え方、暮らしぶりなどを五感で体験できるような”何か”を提供したい』という想いが、ずっと自分の中にあります」
描いてきた未来の延長線に、熱海のゲストハウスがあり、小川町での今があります。高橋さんは次の一歩を踏み出そうとしていました。
「これほど居心地のいいコミュニティで過ごせるとは、小川町に来た当時は想像もしていなかったんです。だからこそ6年間続けてこれたし、責任感や名残惜しさも生まれています。
でも、やっぱり私が人生をかけてやりたい目標は、地元・静岡での活動なんです。とても後ろ髪を引かれながら、今は静岡に比重が移りつつあります」
小川町が好きな気持ちと、地元で家業を面白くしたい思い。
この葛藤が、「小川まちやど」を一人だけで運営するのでなく、まちの中で連携していく「有機的なつながり」を生み出すきっかけになっているのかもしれません。

人生で迷ったときはどのように決断するか、高橋さんに尋ねてみました。
「悩みすぎると結論が出ないこともわかっているので、まずやってみて、1年くらいかけて決めるようにしています。周りにも相談して、1か月だけ宿を休んでみたり、小川町と静岡の二拠点生活をしてみたりしてきました。
悩んで、動いて、また悩む。でも、そうすればいつか、意味があったと感じられる時がきます」
エネルギッシュにまちやどづくりに奔走すると同時に、昔から抱いていた夢を一途に追いかけ続ける高橋さん。一方で、話しているご本人からは、自然体なありのまま感が感じられる雰囲気も印象的です。
そんな女将の独特な魅力が、周囲にいる人たちを惹きつける吸引力となり、「今夜は、おとなりさん」を体現する小川まちやどを作り出しているように感じます。
人と人とのつながりが織りなすあたたかさを信じ、まち全体で宿をつくる。
その道のりは決して簡単なものではありませんが、まずは地域に溶け込み、地域を愛することから始めてみませんか。
Editor's Note
「かのちゃん、かのちゃん」と、小川町の人々から親しまれる高橋さん。
小川町で暮らす6年で、いかに地域に根を張ってきたかが伝わりました。
高橋さんの夢の実現はどこで、どんな形で成されるのか、今後のご活躍に期待です。
AYAKA NAGASHIMA
長島 彩華