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LOCAL LETTER

木を継ぎ、まちをつなぐ。材木店の三代目がたどりついた事業承継の在り方

MAR. 13

SAITAMA

拝啓、事業承継の‟正解のない道”を歩もうとしているアナタへ

地域には、代々受け継がれてきた家業や工房が数多くあります。
しかし近年は後継者不足が深刻化し、廃業に伴う雇用や技術の喪失が大きな課題になっています。

その一方で、事業を託された側には、事業を維持し、さらに発展させなければならないという重圧がのしかかります。

実際に承継してみると、

「先代のやり方を、どこまで守り、どこから変えていいのか」
「今の自分で本当にやっていけるのか」

こうした悩みを抱えることもあるのではないでしょうか。

正解のない承継に向き合い続けてきた人がいます。埼玉県小川町でセンティード株式会社を営む笠原和樹さんです。

笠原さんは、材木・建具製造を中心に営んできた家業を、家具づくりや空間デザインへと大胆にリデザインし、地域に開かれた新しい価値を生み出してきました。しかし、その道のりは決して平坦ではなかったといいます。

「何を残し、何を変えるか。どこまで引き継ぎ、どこからつくり直すか」

迷いと向き合い続けた三代目の笠原さんは、どのようにして事業の未来を描き直していったのでしょうか。

笠原和樹氏 センティード株式会社代表取締役 /埼玉県小川町出身。「ものづくりで人と未来を面白く」をミッションに掲げ、無垢木材の取り扱いを始め、家具のデザインから企画・製造・納品までトータルで手掛けている。

親族の理解に8年。決断までの葛藤

笠原さんは、創業75年以上の歴史のある材木店の三代目。
炭焼きから始まり、戦後の復興期には建具製造を主軸に大きく成長しました。

最盛期は50名もの社員が働き1分間に建具を何本作れるか」を競うような、高度成長期ならではの大量生産の現場だったといいます。

笠原さんが家業に戻ったのは2008年。バブル崩壊後の停滞感が残るなか、社会全体の需要も減少し、さらにリーマンショックが追い打ちをかけます。現場では長年培ってきた仕事を続けながらも、これまでと同じ形では先行きが見えにくくなっていました。

当時を笠原さんは「建設業だけでなく、日本全体が耐えている冬眠のような時期だった」と振り返ります。

「このままでは会社が立ち行かなくなるかもしれない」と、笠原さんは新しい道を探し始めました。

「当初は事業を継ぐ前に仕事としていた、プロダクトデザインで新規事業をつくろうと考えていました。ただ、建具製造とプロダクトデザインは重なる部分もあるものの、求められる発想や工程は大きく異なります。

建具の分野で長く技術を磨いてきた職人の方々に、体に染みついたやり方とは別の領域を一から覚えてもらうことになる。十分な準備期間も取りづらく、簡単に踏み切れるものではありませんでした」

そうした葛藤のなかで、センティードは建具と並行して、同じ設備で製作できる家具製造の形を模索していきます。そして8年をかけ、会社の重心は徐々に家具へと移っていきました。しかし、それは単に新しい分野へ進むという話ではありませんでした。

長年所属してきた組合や取引先との関係、社員や設備、在庫の扱い、そして「代々続けてきた仕事をやめるのか」という家族の不安――。

建具をやめることは、会社の方向を変えること以上に、積み重ねてきた信用や役割をどう引き継ぐかという問題でもありました。笠原さんが8年という時間をかけたのは、その一つひとつに向き合うためだったのです。

「事業承継の難しさに、親族経営であることが挙げられると思います。当社もそうですが、戦後立ち上げた家業は取締役から株主まで親族であることが多いんです。

これまで叔父・叔母としてお世話になってきた親族が、ビジネスの相手となる。それは親戚側にとっても同じです。私の幼い頃を知っているからこそ、私が『こうしたい』と言っても『カズキ、新しい事業とかまだ先の話はいいから』と。

『建具をやめる=会社をたたむ』というイメージがあったようで、『社員を全員辞めさせて終わってしまうのでは?』と心配されました。そうではないことを理解してもらうのは簡単ではなかったです」

思い悩み、ときには眠れない夜もあったそうです。

それでも『ここで向き合えなければ、これからの課題はもっと乗り越えられない』と笠原さんは逃げずに向き合い続けます。

「プライベートの悩み事、たとえば草が生い茂った私有地に困っていた取締役でもある叔母の相談に乗るなど、ビジネスの外にある関わりも大切にしてきました。取締役会の顔ぶれは親族です。会議を開いても、当初はお正月の集まりのような雰囲気になってしまうこともあって。

家族としての関係を損なわないまま、経営の話ができる場も整える必要がありました。否定しないことやポジティブな言葉を使うことを意識して、普段の困りごとの相談にも乗る。そういったことを積み重ねて、ある時『カズキは何がしたいの?』とやっと聞いてくれるようになったんです」

長い年月をかけながら歩み寄り、少しずつ距離を縮めることで、ようやく理解を得ることができた瞬間でした。

社員の未来を見据えた、持続可能な仕組みづくり

家具のデザインから企画・製造・納品までをトータルで手掛ける会社として、再出発したセンティード。2016年に先代からのバトンを受け取り、三代目として笠原さんが最初に取り掛かったことが、共に働く社員の未来を豊かにするためのビジョンづくりでした。

「新しい事業を始めて、関わる人も増え、私ひとりの考えだけではなく、みんなで共有できる想いが必要だと感じるようになりました。

ホームページに『ものづくりで、人と未来を面白く』と掲げていますが、この“人”とはまず社員とその家族のこと。さらに、家具を納めた先のお客さまや、仕事を通じて出会った営業の方、クライアント、その先のユーザーまで含めて、関わる人の暮らしが少しでも変わればという願いを込めています」

笠原さんは家具を通して人と関わる経験が、社員の成長にもつながるといいます。

「家具はあくまでひとつのツールなんです。家具づくりを通して、いろいろな人と出会うことができる実際、製作の相談で北海道を訪れたり、フェアトレードでの生産を検討するクライアントの依頼をきっかけに、メキシコへ足を運ぶ機会もありました」

家具をつくる仕事は「職人が技術を磨くだけでなく、人と向き合い、自分のあり方を問い直しながら成長できる仕事」だと語る笠原さん。だからこそ、社員には現場に足を運んでほしいと考えています。

地元で伐採した楢の木。「このまま処分するのはもったいない。その存在感を活かした家具へと生まれ変わらせたい」と話す笠原さん。

さらに笠原さんは、社員一人ひとりの将来の働き方にも目を向けます。

「社員を見ていると、一人ひとりに得意なこと、挑戦してみたいことがあると感じています。仕事は家具づくりでも、人としての個性や能力はそれだけではないはずです。本人の挑戦を応援できる会社でありたい。

職人の仕事は体を使うので、年齢や怪我で同じ仕事を続けられなくなることもある。でも経営者として給与を下げたり、本人も仲間も辛い思いをするのは避けたいんです」

笠原さんが手がける「ZAIMOKU TERRACE」。工房に一歩入ると、やわらかな木の香りが広がり、光が差し込む開放的な空間に思わずワクワクしました。

「経験者にも若手にも、それぞれの良さがあります。だから、その時々で輝ける場所をつくっていきたい。極端なことを言えば、家具でなくてもいい。社員が個々の可能性を広げながら、働ける環境や場づくりをすることが私の仕事だと考えています

普段の何気ない会話が、ものづくりの入り口につながることもあります。実際に、仕事の合間に飲むコーヒーについて話したことがきっかけで、社員から「コーヒーの焙煎をやってみたい」という声が上がったことがありました。話は次第にふくらみ、「いずれは豆から育ててみたい」という言葉も出てきたといいます。

ものづくりが好きな人は、対象が変わっても本気になるんですよね。仕事だけでなく、アンテナを広げて、好奇心をもって取り組んでいるメンバーが多いと感じています。だからこそ、社員が自分のやりたいことを試せる空間を用意しておきたい。そこから違うものづくりが開花することもあると思っています」

この社員が可能性を試せる場をつくりたいという考えは、やがて会社の外へと広がっていきました。

開かれた工場へ。地域の不安を価値に変える挑戦

笠原さんの発想を形にしたのが、かつて建具づくりを行っていた工場を開放した木工クリエイティブ拠点『ZAIMOKU TERRACE』です。プロから一般の方まで利用できるこの場所で、これまで距離があった人と場の関係を少しずつ結び直そうとしています。

「工場が身近にあることで、地域の方に不安を与えているのではないかと感じることもありました。焼却炉がある時代もあったし、かつて大きな火事の際には地域の方々に助けてもらったこともあります。地域に支えられてきたからこそ、不安ではなく安心につながる場所に変えていきたい」 

笠原さんが目指すのは、ものづくりの場を近寄りがたい場所ではなく、暮らしの中で頼れる場所にすることです。

「これからは『工場がそばにあってよかった』と思ってもらえたら嬉しいですね。

例えば、使っていた家具が壊れたら捨てずに、直し方を相談できたり、工具を借りて自分で修理してみたり。そんなふうに、作業場が自分の暮らしを手作りできる拠点になったらいいなと思っています」 

工場が人々の暮らしにそっと寄り添う空間になる。さらに、その広がりは地域住民だけにとどまりません。

「社員や地域の方だけでなく、作家やクリエイターさんにも開放しています。自分の工房を持つのは多くの人の夢ですが、どうしてもお金がかかりますよね。一人では諦めてしまうようなことでも、みんなでシェアすれば叶えられる。

たとえば、電気・水道・Wi-Fiなどのインフラを共有することで経費を抑えられ、その分を創作や挑戦に回せるようになります。そうやって環境が整えば、ものづくりに挑戦する人が増えて、暮らしを豊かにする人がさらに育っていく。

私たちの会社にとっても、新しい発見やつながりが生まれますし、良い影響がたくさんあると思っています」

シェア工房に加え、スツールづくりのワークショップなども実施。今後はカフェ、イベントスペース、クラフトショップなども設け、より地域に開かれた施設にしたいとのこと。

場を共有することで生まれるつながりは、やがて工場の枠を越え、地域の未来を見つめる視点へと広がっていきます。

「自宅の近くに公園があるように、『ひとつのエリアに、ひとつの開かれた工場』のような地域の方々にとって価値のある場所になれたらいいなと思っています。

小川町に限らず、『私たちのまちにも、こういう工場がひとつあるといいよね!』と思ってもらえたら。工場が人の暮らしを支え、豊かにする存在として広がっていけば、未来も変わっていく気がしています

関わる人たちの未来をより良くしたい。その原点にある価値観とは

お話を聞いていて、一貫していたことが笠原さんの「社員や関わる人が力を発揮できる場をつくろうとする姿勢」です。その視座はどこから来ているのか、インタビューの最後に笠原さんの原点を伺いました。

「高校時代はサッカー部で日本一を本気で目指していました。ただ、当時は上下関係も厳しく、強い指導が当たり前とされていた環境でもありました。プレッシャーのなかで才能ある仲間が本来の力を発揮できずに辞めていく姿もあり、『もっと一人ひとりが尊重される環境があれば、チームは強くなれるのではないか』とずっと考えていたんです」

そんな違和感を抱えつつ、高校卒業後は新しい環境を求めてアメリカの大学へ進学します。そこで過ごした6年間は、これまでの価値観が大きく揺さぶられる時間だったといいます。

「これまでと世界があまりに違いすぎて衝撃を受けました。例えば先生であっても、敬称ではなく名前で呼ぶ関係性にも驚きました。口先だけの上下関係はつくらないし、対等で、年齢に関係なく良いところを学び合えるのが印象的でしたね」

帰国後、笠原さんは多くの会社に足を運び、社長と社員の距離感、チームの関係性、働く環境の違いを観察していきます。そのプロセスは、自分が経営者になったときに何を大切にするかを探す旅でもありました。

「いろいろな会社を見てきた中で、どのやり方が正解かはわからないけれど、事業や自分たちの成長を通して、同じ地域にいる人たち——社員とその家族、私たちに関わってくれる人たちの未来がより良くなる仕組みをつくることが、自分にとってはベストだと思っています」

事業承継に正解はない。だからこそ、笠原さんは承継者はもっと自分の個性を出していっていいと考えています。

「代々続いてきたからといって、自分を抑えて会社に合わせ続ける必要はないと思っています。これまでの経験とスキルを少しずつ取り入れて、自分らしい形にしていくその方が事業に自然体で向き合えますし、結果として取引する方の信頼にもつながり、持続可能な会社になるのではないでしょうか」

笠原さんが歩んできたように、ベストかどうかはわからなくても、「自分はこうしたい」と信じて選び続けることで、アナタにとっての事業承継の答えがきっと見つかるはず。

アナタはこれからどんな選択を積み重ねていきたいですか。

Editor's Note

編集後記

今回の取材では、笠原さんはじめ小川町の様々な方々と交流させていただきました。どの方も小川町があって良かったと思ってもらえるまちにするために、果敢に挑戦をされている姿が印象的でした。
元々好きな場所でしたが、取材を通して、より魅力的な場所になりました!

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