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LOCAL LETTER

「自分がやれるか」は重要ではない。当事者意識を育み続ける中島武の生き方

JUN. 07

拝啓、当事者意識の重要性に気づき、育み方を模索しているアナタへ

「この人の人生が気になる!」そんな旬なゲストと、LOCAL LETTERプロデューサー平林和樹が対談する企画『生き方 – 人生に刺激を与える対談 – 』。

第10回目のゲストは、25年以上前から不登校の子どもたちの学びの場づくりに取り組み、通信制高校「N高」設立の第一人者であり、不登校の小中学生が通うオンラインスクール「クラスジャパン小中学園」を立ち上げた中島武さんです。

中島さんは現在、新しい義務教育と暮らし方を創造し、地域創生を目指す「地域特例校100校開校プロジェクト」を推進中。子どもたちの未来の選択肢を増やすべく、日々奮闘される中島さんの姿に感化され、多くの人が同プロジェクトに意欲的な姿勢を見せています。

そんな中島さんの人生の転換期に触れた前編でしたが、後編では当事者が持ち得る力や、理想を実現するための心持ちについて語られました。

自分自身の人生を精一杯生き続けているアナタに注ぐ、一匙の刺激をお届けします。

「生き方を変えよう」と思う当事者の意志が、時代や社会を変えていく

平林:僕が学生だった頃でさえ、「教育」には決まった型があって、自由な時間はほぼありませんでした。なので、当時の教育に「新しい企画」や「プランニング」が入る余地はない印象が強いです。そんな逆風の中でN高を立ち上げ、現在は倍率の高い人気高校となっていますよね。中島さんのプランニングが、どのような形でハマったのかが気になります。

中島:やはりニコニコ動画の母体であるドワンゴ・KADOKAWAの方々と一緒に作れたのは大きかったですね。N高開設にあたり、「ニコニコ動画を高校にする」企画を打ち出したので、ニコニコ動画にいる子どもたちにとっては、「自分たちのホームが高校になる」と思えたわけです。彼らにとって、それまで高校は「アウェイ」な場所だった。でも、居心地がいいと感じているニコニコ動画が高校になるなら「行きたい!」と。

それまでの通信制高校の説明会は「子どもが行くところがないから、仕方なく」と親御さんが主体でいらっしゃることの方が多かったんです。でもN高の説明会を開いた時は、ニコニコ動画にいる子どもたちがバッと来ました。「ここだったら自分も通えるかもしれない」と。

それで、後から子どもに連れられて親御さんがいらっしゃるわけです。しかも親御さんは「ニコニコ動画?大丈夫?それって本当に学校なの?」と、ちょっと眉唾な印象を抱いていらっしゃることも多かったですね。

平林:親御さん側は、「教育的にどうなんだろう」という不安を抱いていたんですね。

平林 和樹(Kazuki Hirabayashi)株式会社WHERE 代表取締役、内閣府地域活性化伝道師、ふじよしだ定住促進センター理事 / ヤフー株式会社、カナダ留学、株式会社CRAZYを経て、株式会社WHERE創業。地域コミュニティメディアLOCAL LETTERは約2万人の会員規模まで成長。人口900人の村で古民家をリノベした体験型民泊施設まつや邸は開始9ヶ月で宿泊客180名を突破。地域経済活性化カンファレンスSHARE by WHEREを立ち上げ業界・地域を超えた産学官民の起業家70名以上が登壇。
平林 和樹(Kazuki Hirabayashi)株式会社WHERE 代表取締役、内閣府地域活性化伝道師、ふじよしだ定住促進センター理事 / ヤフー株式会社、カナダ留学、株式会社CRAZYを経て、株式会社WHERE創業。地域コミュニティメディアLOCAL LETTERは約2万人の会員規模まで成長。人口900人の村で古民家をリノベした体験型民泊施設まつや邸は開始9ヶ月で宿泊客180名を突破。地域経済活性化カンファレンスSHARE by WHEREを立ち上げ業界・地域を超えた産学官民の起業家70名以上が登壇。

中島そうそう。でも、そこで通信制高校にずっと携わってきた人間がきちんと制度の話をすると、納得していただけるんです。さらに「今まで高校に行きたくないと言っていた我が子が、高校に行きたいと言い出した」と言って喜んでくれる大逆転ですよ。なので、N高校という通信制高校をブランディングしたのは、僕らではなく、子どもたちなんです。

N高校の存在で、当時の通信制高校のブランドイメージはゴロッと変わりました。初年度の入学者が1,482人、2年目が3,000人、3年目が6,000人、4年目で1万人を超えた。社会が変わっていくのを実感しました。

中島武(Takeshi Nakajima)氏 地域特例校100校開校プロジェクト発起人 / 複数の通信制高校運営・設立に関わる。オンライン声優スクール設立を経て、2014年より「ネットの高校・N高等学校」の設立準備段階から発起人として参画、設立メンバー。その後、小中学校との直接連携によるネットスクール「クラスジャパン小中学園」を開校し、不登校小中学生の新しい自立型の学びのカタチを実現した。現在は、“好き”を徹底的に伸ばす教育を義務教育の選択肢に入れるため、「地域特例校100校開校プロジェクト」を推進中。
中島武(Takeshi Nakajima)氏 地域特例校100校開校プロジェクト発起人 / 複数の通信制高校運営・設立に関わる。オンライン声優スクール設立を経て、2014年より「ネットの高校・N高等学校」の設立準備段階から発起人として参画、設立メンバー。その後、小中学校との直接連携によるネットスクール「クラスジャパン小中学園」を開校し、不登校小中学生の新しい自立型の学びのカタチを実現した。現在は、“好き”を徹底的に伸ばす教育を義務教育の選択肢に入れるため、「地域特例校100校開校プロジェクト」を推進中。

平林それは本当にすごいことですよね。僕自身は比較的意志が強いほうで、両親も「自分で考えろ」というスタンスだったので、自分で決めて商業高校に入った選択はよかったと思っています。でも周りの多くの人たちは、「普通の高校にとりあえず行っておくか」みたいな認識でした。

中島普通高校に進学した子以外は、「社会の落ちこぼれ」と言われていた時代でしたからね。でも実際はそうではない。私ね、社会を変えるのは政治家や企業ではなく「当事者」なんだと、N高開設時にすごく思ったんですよ。だって、通信制高校のイメージを変えたのは、まさに通信制高校N高に通う子どもたちですから。彼らが変えたんですよ。

「生き方を変えよう」と思う本人の意志が、時代や社会を変えていく。我々はどちらかというと、その仕組みをうまく作るサポートをするのが役割なのかな、と。だけど、いくら箱や仕組みを作っても、そこに当事者がいなかったら社会も時代も変わらない。それを強く感じました。

通信教育のスタートは高校からでは遅い。「クラスジャパン小中学園」の成り立ちとは

平林:N高設立後、小・中学生を対象としたオンラインスクール「クラスジャパン小中学園」の開校にも挑戦されていますよね。きっかけは何だったのでしょうか。

中島:これもね、当事者がきっかけだったんですよ。N高を立ち上げてから、説明会への問い合わせは順調に増えていました。ただし、N高はご存知の通り「高等学校」です。だから、通常であれば「転入したい高校生」もしくは「進学を希望する中学2〜3年生」が対象となります。

ところが、N高の説明会に小学生がきたんです不登校で学校に行けない子どもたちや親御さんが、「N高に行けたら子どもが変わるかもしれない」「自分も変われるかもしれない」と。でも、小学生だからすぐには入学できない。何年待つんですか、って話ですよ。

中島:例えば、小学4年生の子がN高に入学できるまでには、最低でも6年かかります。それを待っていたら、その子の意欲が失われてしまう。「通信教育のスタートが高校からでは遅い子がたくさんいる」ことに気付かされました。

親御さんの意識の変化も、同時に感じましたね。「小・中・高・大学というレールに当てはめていく道だけじゃないんだ」と、「周りと違う道、生き方を選んでいいんだ」と思う親御さんが増えてきたんです。

平林:説明会の対象が中学生にも関わらず、小学生がくる。相当な切迫感ですよね。

中島:そうなんです。不登校の子どもは、どんどん低年齢化していたんですよ。文部科学省に何度も足を運びましたが、「小・中学校の通信制学校は作れない」と言われてしまって。ただし、代わりに代替の制度があると教わりました。

実績はほとんどないものの不登校の子が、自宅やフリースクールで学んでいることを在籍中の学校が認めれば、それが本人の出席日数や成績に反映される制度があるんです。小・中学校の通信制学校が作れないのなら、この制度を利用したオンラインスクールを作ろうと思いました。自分たちが正規の学校にならなくても、学校の補完的存在になればいいそれが「クラスジャパン小中学園」というオンラインのフリースクールです。

平林:ここまでのお話を聞いていて、N高から「クラスジャパン小中学園」が作られていく過程が、僕らの事業作りに非常に近いなと思いました。僕らの事業の出発点は、「移住以外の形で地域に関わる方法はないか」でした。立ち上げ当時、「移住」はどちらかというと「キャリアを捨てていく都落ち」みたいなネガティブなイメージを持たれがちで。しかも移住となると、仕事も住まいも人間関係も全部変えなければならないケースが多いんですよね。だったら、最初のステップとして「行ったり来たり」しながらイベントの手伝いをしたり、徐々に関係を築いていける仕組みを作りたいと思ったんです。

事業を進めるうちに、関係人口がどんどん増えてきて「もっと違う地域も見てみたい」「自分の能力を最大限発揮できる地域はないか」「現在は大手企業で働いているが、本当は飲食業に挑戦したい」など、いろんな声が届くようになりました。こういう声が届いた時に、紹介できる地域や人を増やしていければ、「自分が本当にやりたいこと」や「得意とする能力」を活かせるフィールドを一緒に模索できます。

ここに、中島さんがおっしゃっている「当事者意識」と通じるものを感じました。何事も「自分ごと」のほうがいろんな知識が入りやすいし、物事を動かしやすいんですよね。

中島:それは本当にそう思う。逆風に負けず、これまで培ってきた能力を活かしてチャレンジしていこうよ!としている方にスポットを当てにいく。僕らのプロジェクトと近いですよね。こういう動きが、まさに時代を作っていくことなんだと思います。

平林:だからこそ、中島さんがやろうとしている事業にすごく共鳴しているんだなと改めて感じました。

「地域に根付いたまちづくり」と「特化した教育」をかけ合わせる

平林:中島さんの活動は、N高からクラスジャパンへ、さらに地域特例校、そして今は地域特例校の「特化バージョン」に移る動きが見られますよね。

中島:そうですね。「クラスジャパン小中学園」は、公教育との連携によって、不登校の子どもたちが安心して学ぶことができ、将来の進路につながる場として作りました。ただ、何らかの能力や興味に特化した子どもをさらに成長させる場としては、ちょっと弱いと感じていて。

中島:地方に行って首長さん(市町村長)

と会っていると、「地方創生」という言葉がよく出てきます。「この地域にしかない産業を作りたい」と。「単に人を増やすだけじゃなく、活性化したいんだ」と言われているのを聞きながら、それなら “そういう子どももいるよな” と思いました。

「自分のやりたいことを探している子どもたち」と「その地域でしかできない産業」をかけ合わせれば、「地域に根付いたまちづくり」と「特化した教育」の両方が叶うと思ったんです。それが「地域特例校」の出発点です。

現在、「地域特例校100校開校プロジェクト」と題して、100校の開校を目指しています。とはいえ、「どの産業に特化するか」で悩むことが多くて。たとえば、「マングローブが好きな子どものために、奄美大島にマングローブの学校を作りましょう」と謳ったとします。それは、青写真(将来計画)としては面白いんですが、本当にその学校を作った時に、果たして日本中から子どもたちが来るのか」「それは、学びではなく趣味の延長線上に近いものになってしまうんじゃないか」と思ったわけです。もっと深く学びを掘り下げたいと思っていた時に、以前から交友のあった北原先生の活動に強く惹かれました。

学びの場があれば、子どもたちは社会課題を解決する当事者になれる

中島:京大出身の宇宙物理学者である北原達正先生は、福島県いわき市の廃校をご自身で買い取り、そこで宇宙物理学を教えています。グラウンドに月面クレーターを作り、プールは水中ドローンの実験場にする。そこに、全国から宇宙サイエンスを本気で学びたい子どもたちが集まってくるわけです。

北原先生の授業は、合宿型で徹底的に教えます。たとえば、トヨタ自動車が自動操縦の車を開発していますよね。あの自動操縦のアプリケーションソフト「MATLAB」について、子どもたちに教えているんですよ。「子どもの学び」ではなく、本気で宇宙サイエンティストを育てようとしているんです。

中島:実は日本の小学校の理科は、宇宙サイエンスとはつながっていないんですよ。理科でいくら満点を取っても、宇宙サイエンスのプロにはなれない。要は、大リーグを目指していた学生時代の大谷選手が、紙バットで野球をしていたのかということです

。では、日本ではいつから宇宙サイエンスを本格的に学べるのか。現状は大学から、もっといえば、企業に入って研究者になってからです。「それでは遅い」と北原先生は言うわけですよ。だから「小中学生に本気で科学を教えたい」と。

来年の2024年、北原先生のもとで学んでいる小・中学生たちが人工衛星を打ち上げます。彼らがJAXAの協力を得ながら、一緒に作った人工衛星です。これをアメリカのロケットにつけて、宇宙基地に飛ばします。

この人工衛星には反射板がつけられていて、地球上からレーザー光線を当てると、軌道を観測できるんです。今、宇宙ゴミの問題が懸念されていますが、この人工衛星の反射板を利用してゴミの位置を把握しようとしています。お遊びじゃない。小・中学生が、プロと同レベルのことをやろうとしているんです。

平林:子どもの「体験の場」じゃなくて、価値を提供している。しかも、この取り組みは世界初なんですよね。

中島:そう、世界初なんです。学びの場を作ってあげれば、彼らはどんどん伸びて、JAXAであったり、トヨタ自動車であったり、あらゆる産業と一緒になって社会課題を解決する当事者になることができる。でも、何かに特化した子どもは普通校の中では孤立しがちです。そういう現状を切り開くためにも、一つのシンボリックなプロジェクトとして、北原先生と一緒に「宇宙サイエンスの特例校」を全国区で作っていこうと考えました。

平林:中島さんは、ロマンと現実を両方持たれているなと思っていて。地域特例校にしても、その形を進化させるにしても、実現への執着がすごいなと。そのバイタリティは、どうやって培われたんですか。

中島:N高の立ち上げから、すでに10年が経とうとしています。「クラスジャパン小中学園」も、すでに私は代表を退き、手が離れている。そういう面では、「自分一人でできることは限られている」と思っているんですよ。プランナーは、青写真(将来計画)は描くけれど、すべてを自分でできるわけじゃない。でも描くからには、まずは「言わないと何もはじまらない」から、大きな絵を描きたい。

周りを巻き込みながら実現に近づければいい。「自分がやれるかどうか」は、私にとって重要ではないんです。

平林:中島さんのぶれない軸と、実現に向けるパワーに圧倒されました。ありがとうございました。

Editor's Note

編集後記

私は、「学校が苦手」な子どもでした。しかし、当時は「学校に行かない」選択肢が許される時代ではなく、奥歯を噛みしめながら学校に通っていました。しかし、学ぶことは好きでした。本が好きで、文章を書くことが好きで、言葉や歴史について学ぶことが好きでした。
あの当時、どこにも出せなかった苦しさや悔しさが、中島さんの言葉一つひとつに昇華されていくようでした。
いろんな子どもがいて、それぞれ愛すべき個性があります。どんな子どもも、自分が望む道を自分の力で切り開いていけるように。そのための土台を作ろうと奮闘されている中島さんの熱意が、より広く、より深く伝わっていくことを願います。

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