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※本レポートは、タキビコフェス実行委員会が主催したトークセッション「TAKIBI & Co. Fes Tokyo 2026」のオープニングセッション「なぜアトツギとスタートアップは『混ぜないと危険』なのか?」を記事にしています。
三星グループが主導する「TAKIBI & Co.(タキビコ)」は、アトツギ(事業変革を志す老舗企業)と、スタートアップ(新産業創出を目指す新興企業)が交わる共創コミュニティです。
本イベントのオープニングセッションでは、5名の登壇者が登場。焚き火を囲むような距離感のなかで、参加者一人ひとりの心に火を灯す熱いトークが交わされました。
なぜアトツギとスタートアップは「混ぜるな危険」ではなく、「混ぜないと危険」なのか。その答えは、それぞれの歴史と現場の物語の中にありました。
岩田氏(モデレーター、以下敬称略):それでは、自己紹介からまいりましょう。それぞれ現在の「推し」についても、一言ずついただければと思います。私は進行を務めます、三星グループ代表の岩田です。五代目として、高級ブランドにも直接生地を納める素材メーカーを経営しています。現在の推しはテレビプロデューサーの佐久間宣行さんです。

岩田:では江崎知事、お願いいたします。
江崎氏(以下敬称略):岐阜県知事の江崎です。知事になる前は通商産業省(現・経済産業省)におりました。当時まだベンチャーという言葉が広まる前で、怪しまれていたようなころから、ベンチャーというのを政策として初めて取り組んだ話も含め、お話しできればと思います。現役の武道家でもあるので推しは日本刀です。

岩田:次に小澤さん、よろしいでしょうか。
小澤氏(以下敬称略):BoostCapital株式会社代表取締役の小澤です。スタートアップに投資をして事業の支援をしております。プロ野球チームの楽天イーグルスの立ち上げは5か月で、3兆円規模の会社が8年でできました。Yahoo!(現・LINEヤフー)の代表取締役をしていたときの代表作は「PayPay」です。もともとは父の会社を継いだ3代目でした。推しはAIです。

岩田:続いて小澤さんのご友人でもある齊藤さん、お願いいたします。
齊藤氏(以下敬称略):大昭和紙工産業株式会社の代表の齊藤です。23歳のときに社長だった父が他界し、経営を引き継ぎました。うちは紙製品全般を取り扱う、言ってみれば「ペーパーカンパニー」です(会場から笑い)。推しは自作した当社のふくろうのキャラクターです。紙袋の「ふくろ」とかけています。

岩田:最後に、私が「TAKIBI & Co.」を立ち上げる時から一緒に共創パートナーとして活動してくれている粟生さんお願いします。
粟生氏(モデレーター、以下敬称略):もともとは家業の跡を継がなかった跡継ぎ娘です。10代でプログラミングに出会い、社内ベンチャーとして地域から事業をつくろうというときに江崎さんにお会いしていました。AIのスタートアップ創業にCOOとして従事し、現在はアントレプレナーシップ教育に取り組み武蔵野大学でも教えています。推しは量子コンピューティングです。

岩田:早速、2000年前後のお話から伺えればと思います。当時、江崎さんはグロース市場初、マザーズの立ち上げに関わられましたが、国としてどのようにベンチャーに関わっていたのでしょうか。
江崎:私が、ベンチャー企業の発展を政策として進めたきっかけは、上司からの無茶ぶりでした。バブルが崩壊して、今までのやり方では通用しないのではないか、という空気が日本にあった中、大蔵省(現・財務省)にいたことのある自分が上司から「金融を勉強したならリスクマネーを担当してくれ」「リスクマネーがなんなのか、イチから考えて取り組んでほしい」と言われたんです。
前任者もおらず、前例もない。何をしたらいいのかすらわからない状態でした。そこで、孫さんや三木谷さんなど、当時、新進気鋭だった経営者たちにとにかく話を聞いて回りました。
岩田:ソフトバンクグループ代表の孫正義さんや、楽天グループ代表の三木谷浩史さんのご活躍が注目され始めたころですね。

江崎:その頃、アメリカではベンチャーが発展していたのに対して、日本ではそういった波はありませんでした。経営者の話を聞いて分かったのが、ベンチャーの発展を妨げていたのは制度だということです。当時の日本には、株式市場に上場できるのは、社歴が10年以上かつ売上高100億円を超える会社という暗黙のルールがあったんです。
岩田:この暗黙のルールの背景には、どういった理由があったのでしょう。
江崎:それは、バブル時代があったからです。すべての産業において日本が世界一位と言われた時代。東京の不動産でアメリカ全土が買えると言われていたような時代だからこそ、売上高100億円を超えなければ新規事業と言わないような風潮があったんですね。
それに気が付いてからは、資本市場は大企業が株式上場するためのものではなく、ベンチャーのためにあるべきだという課題感を持ちました。資本市場を変えるために打ち出したのが、店頭市場改革です。
直接、3か月ずっと経営者の方たちの声を聞いたおかげで、この課題に取り組むことができました。私のモットーにもなっていますが、まさに、政策の課題だけでなく答えもすべて現場にありました。

岩田:その頃、大学生だった小澤さんは、「お前はアトツギだ」と言われて育ったとのことですが、具体的にアトツギと起業のお話を伺えますでしょうか。
小澤:私は元々、千葉にある生コンとホテル業を継ぐ3代目でした。家業の代表作は、成田空港と東京アクアラインで、売り上げは100億円、利益はバブルの時は10億円くらい出ていました。会社の後を継ぎなさいと言われて育った私は、それ以外の道を考えておらず、ゆくゆくは100億円の会社を継いで上場するのだと思っていました。
小澤:ところがバブルが崩壊した20歳のときに、会社の借金60億円を返すように父から言われました。それまでは、大金持ちの家に生まれて、将来のことを考える必要もない生活で。だから、これから貧乏になると言われてもピンときませんでした。ある意味、「親ガチャ、成功かつ失敗」です。失敗と言えど、この家に生まれてしまった以上、なんとかしなければいけません。
法学部だったので弁護士の道を考えましたが、それでは60億円を作れないと思いました。アスリートも無理だと。そんな時に、長者番付や納税者リストを見ました。その上位にいたのが、会社を創って上場させている人たちでした。株や会社自体を売らないとそこまで稼げないですし、祖父も父も会社を創っていたので、自分も会社を創ろうと思いました。
1997年頃、私のEコマースの会社はそこそこ軌道に乗っていました。ところが、江崎さんがおっしゃったように、「上場の基準を知っているのか」とベンチャーキャピタルに追い払われました。
その後、マザーズやNASDAQなどの赤字でも上場ができる流れができたおかげで、5億円ほどベンチャーキャピタルから投資をしてもらえました。江崎さんのおかげでもありますね。創った会社をのちに買収してもらい、銀行には担保を取ってもらって、父を破産させたことで、家族や家の面倒を見ることができました。

岩田:齊藤さんは、どのように小澤さんと出会ったのでしょうか。
齊藤:私の話をまずさせていただくと、私の祖父は大昭和製紙という会社の社長で、小澤さんがおっしゃった長者番付で1位になるくらい大金持ちの家系でした。ところが、大昭和製紙が日本製紙に吸収されたことで雲行きが怪しくなりました。
父がやっていた会社が残っていたとはいえ、債務超過に加え、差別化できるような内容もありませんでした。 父は亡くなる前に「会社と母さんを頼む」と23歳の私に言い残しました。会社を守らなければ母の生活が守れなかったので、私にとって重い言葉でした。
工場をいくつも閉鎖して引き算の経営をしているときに、東京で出会ったのが小澤さんでした。潰れそうな会社を背負っている中、東京で楽しそうにしている同級生が羨ましくてしかたありませんでした。色々な人と友達になりたいと思って、イベントに参加させてもらっていた時に、小澤さんと出会って意気投合しました。
小澤さんにはうちの事業について「そんな商売やめちまえ。新しいことを始めるべきだ」と言われました。ある意味残酷な言葉でしたが、自分なりの因数分解で解釈をして、工場をすべて売り払うことはできなくても、事業ポートフォリオは必ず変えなければいけないと思いました。それからは残すものと捨てるものをものすごく精査して、成長が見込めるマーケットを選んでいきました。

岩田:江崎さんは岐阜県のリーダーとして、スタートアップ政策やアトツギ政策をどのようにお考えですか。
江崎:知事も前任者がいますから、アトツギと言えますね。私は前任から引き継いだものも含めて現在1800億円の借金を抱えていて、大変なのは間違いありませんが、心配はしていません。なぜかというと、大変だと人は考えるからです。お金があると人は考えません。だから、ある意味チャンスだと思っています。
お金を出したくなるようなプロジェクトを作れば、国はお金を出してくれます。今何をやらなければいけないのかという必死さの中で出てくる知恵は、とても大事です。ニーズと必死さがないところに、ビジネスの成功はないと思います。
粟生:江崎さんが商工労働部長だったころ、私はパソナグループにいました。社内で行われたビジネスプランコンテストで、iPhoneのアプリをいち早くユーザーに届ける新規事業を起案しました。その当時、iPhoneの教科書を初めて書いた先生が情報科学芸術大学院大学だったので岐阜に行きました。リーマンショックや東日本大震災など、日本全国がピンチだった中で、江崎さんには一緒に知恵を出していただきました。
江崎:東日本大震災で仕事ができなくなった人たちが岐阜県に集まった時、ARやデジタル体験に関する実験的なアイデアがたくさん生まれました。人が集まると知恵がでたり、こういった何かが起きるんですよね。

岩田:最後にメッセージをお願いします。
江崎:何が成功するのかという答えはなくて、何でも成功する可能性はあります。大事なのは、明るくやることです。暗くやって成功する人はいません。苦しい時ほど明るくやっていれば、必ず誰かが助けてくれます。
そして、ベンチャーは必ずどこかで苦しくなります。苦しい時に消える会社と、復活する会社は明確に違いがあります。それは、自分がやっていることが社会の役に立っているという信念を持つ会社が復活するということです。金儲けのためにやっている会社は、そのまま消えていきます。これを心に留めておくといいと思います。

小澤:イベントで必ず残るものは、会場に来ている人との出会いです。イベントは情報を仕入れるだけじゃなくて、友達を作るところだと思ってください。アトツギとスタートアップは別物ですが、知り合うことによって、お互いにいい刺激になり、いい関係が生まれ、仕事だけじゃなく人生に影響を及ぼします。
皆さんが今日やることは、隣の人の連絡先を聞き出し、ご飯を食べに行くことかもしれないです。一人じゃ何もできません。でも、人がいればなんとかなります。皆さん人を大事にしてください。そして、今日一人でも多くの方に出会ってください。
齊藤:私が社内で言っていることは、仲が悪いとコストが上がって、仲が良いとコミュニケーションが円滑に進み、コストが下がるということです。仲良くなる力を身につけるのはとても大事で、私はそのためにユーモアが必要だと思っています。皆さんもユーモアを磨いていただければと思います。
岩田:ありがとうございました。今日はみなさんに答えを教える場というよりも、登壇者の方々をお迎えし、その熱量を感じてもらいながら、議論の種を持ち帰っていただく場になったのではないかと思っています。ぜひ隣の方とも交流して、つながってみてください。

Editor's Note
笑いあり熱いシーンありの、とても盛り上がるオープニングセッションでした。トーク終了後、会場で生まれていたのは、参加者同士の情報交換ではなく関係性でした。混ざることは、成長と生き残るためなのだと感じるセッションでした。
FUJITA MAI
藤田 真依