ITALIA
イタリア
本記事は、宮内 俊樹氏(クロスボーダーLLC代表)による『都市と農村の交流、イタリアのテリトーリオ』をテーマとしたコラムです。
イタリアを車で走っていると、どんなに小さな村の近くでも、必ず目に入る標識があります。白地に黒の二重丸、そして『Centro Storico』、チェントロ・ストーリコ。
意味としては『歴史的中心地区』なのですが、イタリアでこの言葉は、単なる地理の案内ではありません。もっと強い。もっと人格がある。
「ここに行けば、この街の核がある」
「ここが、私たちの街の顔だ」
そういう宣言に近いというか。日本で「中心地区」と聞くと、少し寂しさが混ざることもありますが、イタリアのCentro Storicoは、まだ誇りを失っていない響きがするんですよね。
今回のテーマは、このCentro Storicoの正体――チェントロ・ストーリコ(歴史的中心地区)です。不便な石畳の旧市街が、なぜいまも世界中から人を惹きつけ、住民の誇りであり続けるのか。そして、スクラップ&ビルドを繰り返してきた日本の都市は、そこから何を学べるのか。散歩目線でほどいていきます。

チェントロ・ストーリコは、いわゆる“旧市街”です。城壁や古い建物に囲まれ、中心に広場(ピアッツァ)と教会、市庁舎がある。中世からルネサンスにかけて形成された石の空間が、何百年たった今も行政・商業・社交の中心であり続けています。
ここで重要なのは、イタリア人がそれを保存対象として遠巻きに眺めているわけではないこと。彼らはチェントロ・ストーリコに住み、チェントロ・ストーリコを使い、チェントロ・ストーリコで会う。歴史を博物館に閉じ込めず、生活のど真ん中に置き続けている。
逆に言うと、イタリアでチェントロ・ストーリコが死ぬことは、街の死に近いのかもしれません。だから手間もお金もかけて守るし、何より使い続けるのです。
メインの写真は、トスカーナのサン・クイリコ・ドルチャ(人口2,500人ほどの小さな街)で私が撮った写真です。
街を歩いて、まず驚いたのは、街の密度と境界の明確さでした。丘の上に城壁で囲まれた街があり、一歩外に出ると、オリーブ畑やブドウ畑が広がる田園風景。都市と農村がきっぱり分かれているのに、視覚的にも経済的にも、すごく美しく支え合っている気がする。
中心があるから、周縁が生きる。周縁があるから、中心が輝く、ってことでしょうか。イタリア都市史研究の第一人者である法政大学の陣内秀信先生は、編著『イタリアのテリトーリオ戦略:甦る都市と農村の交流』(白桃書房)の中で「テリトーリオとは都市と農村の交流」として定義しています。
一方、日本の地方都市はどうでしょう。
中心からじわじわ住宅地が広がり、田んぼの中にアパートや量販店が虫食い状に混ざっていく。どこまでが街で、どこからが田舎なのか判然としない、薄く引き伸ばされた都市空間、いわゆるスプロール現象です。
これは高度経済成長期以降、効率と利便性を最優先し、車社会に合わせて都市を改造してきた結果でもあります。日本では、1968年の新都市計画法により、市街化区域と市街化調整区域を分ける線引き制度が導入され、無秩序な拡大を抑える取り組みが行われました。
しかし、イタリアのように都市の外側に広がる田園風景そのものを守るべき文化遺産として管理していないため、地域の誇りとなる風景を創る・守るというレベルには達しなかったと言えます。
ざっくり言うと、日本は機能を最適化してきた。イタリアは関係を最適化してきた。この違いが、チェントロ・ストーリコの強さになっています。

イタリアの夕方、チェントロ・ストーリコを通って広場に行くと、『パッセッジャータ(Passeggiata)』という時間が始まります。着飾った老若男女が、特に用事もないのに、広場やメインストリートをふらふら歩く。知り合いを見つけて立ち話をする。バールでアペリティーボ(Aperitivo)を楽しむ。
アペリティーボとは、夕食前(18〜19時頃)に仲間と軽くお酒や軽食を楽しむ、イタリア(特にミラノの)日常的な社交習慣です。鮮やかなオレンジ色のアペロールスプリッツやワインと共に、オリーブやポテトチップスなどの軽食を楽しみます。

ここで起きているのは、消費ではなく、滞在です。広場はただの空き地ではなく、屋根のない『街のリビングルーム』。
私が歩いたサン・クイリコ・ドルチャでも、メインストリートは石畳で、車は締め出され、人が主役の道になっていました。巨大なショッピングモールはない。あるのは、食材店とバールと教会、そして“歩く時間”。
日本の中心市街地が苦戦している理由のひとつは、ここにあると思います。多くの中心街が用事があるときだけ行く場所になってしまった。通り抜けるだけの通路になり、ベンチもない。滞在できない。ECや郊外モールに勝つ必要はないのに、同じ土俵(=便利さ、品揃え、駐車場)で戦おうとして負け続けている。
チェントロ・ストーリコが教えてくれるのは、もっとシンプルな真実です。効率の悪い、無駄に見える時間を過ごせる場所がある街ほど、強い。それは観光にも効くし、住民の誇りにも効く。
では、古くて不便な街並みを、どうやって現代の生活に対応させているのか。ここでイタリアが得意なのが、外を守って中を変えるという発想です。
保存修復の文脈では、街の骨格(地形、水系、街区割り、広場の配置など)を“変えてはならないDNA”として扱う考え方があります。専門用語を出すなら『構造的不変量』。要するに、街の人格が宿る部分は触らないということ。
ただし、凍結保存ではない。外観や構造は守る。でも内部は大胆に更新する。暮らしが続くように使い倒す。
ボローニャで掲げられた「保存は革命である」という言葉は、まさにこれです。資本の論理に任せて壊して建て替えれば、街は短期的に効率化するかもしれない。でも同時に、誰にも模倣できない価値や歴史の文脈を手放してしまう。だから彼らは残すことを選ぶ。
それは懐古ではなく、未来への戦略です。
トスカーナの小さな村々でも、中世の要塞がスパホテルになっていたり、古い農家が宿になっていたりしました。スクラップ&ビルドではなく、アダプティブ・リユース(適応的再利用)。あるものを読み解いて、次の用途へ橋渡しする。これがテリトーリオの編集力です。
「日本には石の文化がないから、無理だ」
よく聞く言葉です。確かに木造は石造りほどは残りにくい。でも、私たちが本当に失ってしまったのは建物の素材というより、自分たちの暮らす街で何を残していくかという意志だったのではないでしょうか。
とはいえ今、日本でも面白い流れが出てきています。行政主導の大型開発ではなく、民間主導で空き家・空き店舗といったストックを活用し、エリアの価値を上げていくリノベーションまちづくり。
北九州・小倉のリノベーションスクールのように、建物を直す前に、誰が、何をやり、どんな関係をつくるか、から設計する動きもあります。これはまさに、チェントロ・ストーリコが持っていた関係のインフラを、現代版として再構築している感じがします。
小布施や飛騨古川のように、景観を観光のためだけに守るのではなく、住民のQOL(暮らしの質)を上げる資産として扱い直している街もあります。街を回遊できるように整え、暮らしの延長で人を迎え入れる。ここにはイタリアの街づくりと響き合うものがあります。

最近ご縁があって、島根の大田市、石見銀山がある大森町をたずねました。
伝統的建築が並んだ通りは、これはまさにテリトーリオやチェントロ・ストーリコを思わせる美しい風景でした。この風景を残していく強い意志を感じました。ここへの探訪記は、またあらためて詳しく書きたいと思っています。
日本の地方都市の象徴みたいになってしまったシャッター商店街。でも、イタリアの視点で見ると、商店街って本当は強い資産です。
車が入りにくい歩行者空間がある。職住近接の建物がある。本来は共同体の中心だった。
足りないのは、商品を買う機能ではなく、居場所としての機能です。ベンチがあるだけで変わる。植栽があるだけで変わる。夕方にふらっと寄れる場所があるだけで、街の温度が変わる。
空き店舗を、ただのテナント募集で埋めるのではなく、みんなでご飯を食べられるまちの食堂にする。シャッターの前をストリートリビングにして、夕涼みできる場所にする。
小さな滞在を増やしていく。
効率を追いかけて失った余白を、中心に取り戻す。それが、日本版チェントロ・ストーリコを育てる第一歩だと思います。
東京のデパートに行けば、世界中のものが選べる。それは確かに便利で、豊かです。けれど、イタリアで感じた豊かさは、別種でした。広場で子どもが遊び、年寄りが見守り、店主と客が名前で呼び合う。自分が街の風景の一部になっている感覚。
これは消費の豊かさではなく、関わりの豊かさだと思います。
地方創生で、私たちは東京の便利さを追いかける必要はない。むしろ東京にはない、人間的なスケールの関係と、歴史の文脈という武器を磨くべきなんだと思います。
次回は、チェントロ・ストーリコと対になる存在として、農村部のテリトーリオ戦略『ワインと食』、そしてアグリツーリズモを深掘りしていきたいと思います。
それでは、また。Ci vediamo(チ・ヴェディアーモ)!
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(参考文献・引用)
・陣内秀信『都市のルネサンス―イタリア社会の底力』古小鳥舎、2021年。
・Comune di Pienza, Norme Tecniche di Attuazione(都市計画関連文書/Sistema Informativo Territoriale)。
・本瀬あゆみ「『テリトーリオ』から考える、地域主義と建築デザイン」note、2023年
TOSHIKI MIYAUCHI
宮内 俊樹