NAGANO
長野
温泉地としての魅力と恵まれた水資源を持つ、自然豊かな長野県野沢温泉村。
今回インタビューさせて頂いた高野隼人さんは、地域おこし協力隊としてこの地に赴任したのち、現在はサウナ事業のほか、いくつかの事業を運営しています。
夏の終わり、夕暮れ時の涼しげな長野県飯山市の北竜湖のほとりでお話を伺わせて頂くことに。北竜湖は高野さんの事業の重要拠点のひとつです。
初めてお会いした時の高野さんの第一印象は、子どものような無邪気さや遊び心を持っている、いきいきとした方でした。
いくつものハードルを乗り越えてきた高野さんの挑戦は、都会から地方へ移住後、起業を検討している人々にとって大きなヒントになりうるのではないかと思います。
そして、”地域に暮らすこと”に関心を持つ方や、心機一転、新しいライフスタイルを追求しようとする方々にとっても、高野さんのストーリーの過程には多くの学びが詰まっています。
さて、高野さんはどのようにして、野沢温泉村での新しい一歩を切り拓いてきたのでしょうか。
野沢温泉に来る前、社会人として働いていた当時28歳の高野さんは「今しかできないことをやろう」という野望を胸に秘め、奥さまと共にニュージーランドへ渡航するため、勤めていた会社を退職。
ニュージーランドに行くため、ビザ取得したり、航空券を買ったりと準備に奔走する日々を送っていました。
中古で大きな車を買って、車でニュージーランドを回って、夫婦で気ままなバンライフを楽しむ予定でした。
奥様とは、ニュージーランドへ出発の1週間前に合流することを約束し、お互いに好きなことを楽しみつつ、各々自由な時間を過ごす毎日。ニュージーランドへ渡る1ヶ月前、高野さんは英語を勉強するため、友人のいるアメリカへ行くことに。
ところが、奥様から妊娠の知らせが届き、ニュージーランドへ渡る計画は一変。計画の変更を余儀なくされました。
妊娠の連絡を受けた際、高野さんはアメリカ滞在中で、会社も辞めた後。「今更、すみません。やっぱり行けなくなったので戻ります」とは言えない。
思いもよらない出来事で、ニュージーランド行きは立ち消えとなってしまったのです。
元々、ニュージーランドから日本に戻ったら地方に住んでみたい、という思いを抱いていた高野さん。ニュージーランドでの体験や経験を活かし、日本帰国時に移住先を検討すれば良いと考えていたそうです。
その計画が繰り上がり、想像していたよりもだいぶ早く、地方移住を実現することに。
「僕は、出身が神奈川県で、地方に縁もゆかりも特になくて。
遊びでいろんなところに旅に行ってたんですけど、暮らすという目線で見たことがあまりなくて 」
新しい選択肢を見つめ直しているときに、地域おこし協力隊という制度を知った高野さん。
制度について調べる中、地方移住のハードルが大きく下がる可能性を感じたといいます。
自分たちが本当にやりたいことは何なのか?どのように生きていきたいのか?
移住地探しこそが、これからの生き方を考えさせてくれる、きっかけをくれたのです。
日本全国、各自治体には多くの地域おこし協力隊の募集があり、高野さんは多数の募集の中から興味を持った地域を、職種や条件も含め検討しました。
アメリカから日本に戻った後、高野さんは自ら移住候補地をすべて訪問。
実際に移住者の話を聞くことで、より選択の精度を高めていきました。
必ずしも全ての条件が揃っていたわけではなかったそうですが、野沢温泉村の募集に希望に合う要素が多く見つかり、高野さんは移住を決意。地域おこし協力隊として赴任する事になったのです。
模索しながら、最後に選んだ野沢温泉村。この地で高野さんが手がけている事業は多岐に渡っています。まずは「The COSMIC SAUNA」と名付けたサウナ事業。この事業が始まったきっかけは、地域おこし協力隊としての活動でした。
最初は民泊事業を始めようとしましたが、野沢温泉村の物件事情はバブル化しており、物件を手に入れることが難しい。
宿泊事業への参入は難しいと判断したため、「サウナ事業をやろう」と、次の方向にシフトすることにしたのです。
サウナ事業の他に手がけるのは、アクティビティガイド。
例えば暮らしをベースに、野沢温泉の水の豊かさを伝える活動や、彼自身の「好き」に通ずる釣りガイドも行っています。
その他、外国人が所有する物件の管理運営を行うマネージャーとしての仕事に加え、冬季限定で営業する建物の管理も。
また、高野さんはコーヒー好きが高じて生豆を購入し、自ら焙煎して販売するという新たな事業も開始しました。
高野さんの生活は、まさに「好きなことを追求する生活」。
お話を聞いていて”事業=暮らしを豊かにするための手段”になっているように感じました。
「興味のないことはやりたくない。ワクワクすることをやっていきたい」と語る高野さん。
大人になると、なかなか好きなことに挑戦するのは難しい。
ですが、高野さんの生き方に触れた事で「もっと自由に、好きなことに挑戦しても良いんだよ」と、勝手に背中を押してもらえたような気がしました。
高野さんが手掛けるサウナ事業は、一風変わったコンセプトのユニークなサウナです。
なんと移動式で、「あるがままの幸せで満たす」がキャッチコピー。
このモバイルサウナが完成したのは2020年12月。しかし、そこまでの道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
最初の計画は固定のサウナ施設。しかし、土地問題の壁が立ちはだかります。野沢温泉村の土地は村が所有しており、売却は難しい状況。
高野さんは村長に直談判し、熱心にプレゼンをしたにも関わらず、入札制度の壁によって、最終的に外国人に土地を買われてしまうという結果に。
それでも、高野さんは諦めませんでした。
ある時「場所に縛られる必要はない」とひらめきます。
この逆境が、移動式サウナのアイデアへと繋がることになったのです。
2020年、自分たちで作ることで費用を抑えられる観点からも、仲間たちに声をかけ「サウナビルドワークショップ」を開催。急ピッチで準備を進め、ゴールデンウィーク明けから一気に加速。
9月にはワークショップが開始され、12月に見事に完成しました。
特に大変だったのはサウナのベース車両の組み立て。
クレーン車を使用し、緊張感が漂う瞬間もありました。幸運にもクレーン車を扱えるワークショップ参加者がいたため、作業は無事に完遂。
クレーン車の作業が無事に完了すると、参加者から歓喜に溢れた歓声が一斉に上がったといいます。
全国各地から参加者は延べ80人以上が集まり、サウナ作りに協力。
「楽しかったから」と友人が友人を呼び、大所帯に。
皆で一つの目標に向かう経験は、まさに貴重なものでした。
朝7時にラジオ体操から始まり、清々しい朝の空気の中で作業開始。ワークショップの作業以外の時間も、参加者と昼食を共にしたり、温泉へ行ったりと交流の場もあったそうです。
今でこそサウナは流行していますが、高野さんが事業を始めたのは、サウナ人気が高まる前。
きっかけは、2015年のフィンランド旅行です。当時、サウナにそこまで強い関心はなかった高野さんですが、同行したパートナーに促されるがまま、本場フィンランドのサウナを体験。
「これが本場のサウナか!」と、サウナの概念が根底から覆され、衝撃的だったといいます。日常生活に戻っても、その時の感動は忘れずに持ち続けていました。
野沢温泉でサウナ事業を営む強みは、なんと言っても自然環境と冷たい水。
「こんな冷たい水があるのに、使わないなんてありえない」
東京や首都圏では味わえない、本場フィンランドに近い体験ができるのです。
野沢温泉に昔から存在している自然資源、自然の恵みを最大限に活かしたサウナが、訪れた人を魅了しているのかもしれません。
高野さんはお客さんに、自分の思いを直接話すことは少ないそうですが、「アクティビティ後にお客さんが体験で感じたことを言葉にしてくれると本当に嬉しいです」と語ってくれました。
アクティビティ体験に込めた想いをお客さんが汲み取ってくれた時、体験を通して心が通じあったような感覚になるそうです。
サウナ事業に限らず、どんな分野でも自分の想いを大切にし、挑戦する事で道を切り開いてきた高野さんの姿は、私たちに勇気を与えてくれる。そんな気がしています。
実は、すでに次の新しい事業も計画しているという高野さん。
”熱中できる仕事(事業)で生きていくこと”の楽しさを教えてくれた高野さんのストーリー。
足踏みしている誰かの、一歩を踏み出す勇気の一つになれたなら。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
Editor's Note
長野県北竜湖で初めて高野さんにお目にかかった際、彼は膝から下を湖の水面に浸し、自然との一体感を楽しんでいるように見えました。
対:人に対してTHE・自然体の、飾らないナチュラルな人柄がとても印象的でした。
Mai Takanashi
高梨 まい