FUKUSHIMA
福島
旅をしていて「ここだ!」と思う土地に出会ったり、ひょんなことから縁があって好きになった土地があったり。
「ここで生きていきたい」と思う土地に出会ったけれど、“よそ者”の自分が入っていってもいいのだろうか。自分に何ができるのだろうか。そんな風に思い悩み、飛び込むことを躊躇している人も、ひょっとしたら少なくないかもしれません。
今回お話を伺ったのは、tsuguto合同会社代表の鈴木遼さん。
福島県の南西部に位置する奥会津で、さまざまなものをつなぐ“ハブ”の役割を担い、奥会津7町村にまたがる情報、体験、商品などを網羅し、地域の未来を共創していくWEBプラットフォーム「奥会津商店」を運営しています。
奥会津は豊かな森や川が残り、いにしえからの伝統文化や技術を継承する日本でも数少ない地域のひとつです。

同じ福島県内で生まれ育ちながらも、奥会津とはこれまでずっと接点がなかったと言う、鈴木さん。初めての土地で人と人をつなぐはたらきをするようになり、“よそ者”だからこそできることがある、と気づいたと言います。
現在の活動と、そこに至る軌跡を語っていただきました。
鈴木さんが代表を務めるtsuguto合同会社(以下、tsuguto)は、奥会津の“中間支援組織”として地域で人や事業の橋渡しを担い、奥会津に根差した事業を行っている会社です。
運営しているWEBプラットフォーム「奥会津商店」は、いわば“デジタル面における仲介役”です。
「奥会津商店」のサイト内に設けられた「奥会津伝言板」には、「みる」「よむ」「する」「かう」「相談窓口」という5つのカテゴリーが設けられ、奥会津各地域の商品の購入や、地域体験の予約ができます。サイトには地域情報の紹介や観光スポット情報など、奥会津各町村の情報が多岐にわたって掲載されています。
tsugutoは、“地域商社”を「地域におけるあらゆる仲介の役割を担い、奥会津に根差した事業を行って、こと・もの・人・歴史・文化・環境などその土地に存在する全ての地域資源を活かし、そこから更なる可能性を見出して地域を活性化する企業」と定義*しています。
(*tsuguto合同会社のHPより抜粋)

「tsugutoは地域と伴走する、寄り添い続ける会社にと思って設立しました。なるべくいい方向、いい未来にみんなと一緒に歩んでいきたい。可能性も拓きながら、奥会津とともに歩み続ける。対話から、お互いにキャッチボールをしつつ、意思疎通をしていくことが大事だと思っています」
そう会社設立の想いを語る鈴木さんは、tsugutoという社名に込められた「100年先に継いでいく」という意味についても教えてくれました。
「継ぐ・つなぐことについても、複数の意味を重ねています。過去と未来を継いでいく、人と人をつないでいく、といったポジティブな意味がある一方で、もう一つ込めた思いがあります」

思いの背景にあるのは、人口減少が進む昭和村の現実です。昭和村の人口はいま約1000人。鈴木さんが移住してきたこの5〜6年の間にも、すでに100人ほど人口が減ったのだそうです。このペースが今後も続いていく可能性は高く、地域活性を考えることの重要性が増す一方で、鈴木さんは、「続ける」ことだけを前提にしない視点も必要だと考えているといいます。
「地域を盛り上げていこうという方向性と並行して、どこかで“終わる覚悟”というのも絶対にあると思っていて。その判断は、この地に住む人が、みんなで舵を取ってやっていくこと。僕らは外から入ってきた“よそ者”として、地域の人たちの思想を大事にしたい。
だから、ここがなくなる可能性というのも半分ぐらいは念頭に置きながら、なくなった時に、地域にあったコトやモノを忘れられないように作ったプラットフォームというのがもう一つの意味です」

「まちに、いまは商店があって、通りがあって、そこに暮らすおばあちゃんがいる。でもお店も人も、どんどん少なくなってきています。でも商店があったということ、そこにおばあちゃんがいたという“記憶”は残せる。
いろいろな情報を格納していく、ログのようなもの。僕らの作ったプラットフォームは、実は、そういう意味あいが強いかもしれません」
外からやってきた人だからこそ持ちうる、目の前にあるものが「あたりまえ」ではなく「かけがえのない大切なもの」になる観察眼。そこから生まれるはたらき。
外から運ばれてきた種がいつしかその土地に根付くように、内と外が出会うことで生まれるものがある、とあらためて気づかされる鈴木さんの言の葉でした。
▼奥会津商店
https://okuaizu.store/
宮城県との県境、福島県伊達市に生まれ育った鈴木さん。小さいときから、知り合いが活動する地域のNPO法人に入っていたこともあり、地域に関わることが自然な環境で育ったのだといいます。
「生まれた時に父方も母方も祖父母はいなかったけれど、自分が住んでいたのは、家族じゃなくても近所のおじいちゃんやおばあちゃんたちが『いってらっしゃい』『おかえり』と声をかけてくれるような場所。地域の人たちに育てられた部分があります。大きくなってこれから何をしようとなった時に、すごく漠然とではありましたが、“地域のことを何かやりたい”と思っていました」
2011年に起きた東日本大震災は、鈴木さんが新しい人生へと舵を切るきっかけにもなりました。

「いままで海外の地震や戦争なんかのニュースを見ても『大変だな』とは思うけど、どこかテレビの中の出来事として他人事に捉えていました。でも、“フクシマ”という名前が海外でも日本でも連日大きく取り上げられているのを見た時に、僕らは報道をされる側になったんだと感じたんです。
その時に、いままでよりも、より地域に対して『何かしなくちゃいけない』という想いが自分の中で立ち上がって。地域の中にいる人間が向き合わないと、どうにもならないことなんだなと」
鈴木さんは、「誰に委ねても仕方がないから、自分がまずその道に進んでみよう」と本格的に地域に関わる道を模索しはじめます。
既に地域に入り込んで活動している人の情報を集めているうちに行き当たったのが、現在の活動拠点でもある、奥会津の昭和村で活動していた株式会社SATORU(以下、SATORU)のメンバーでした。

SATORUが運営するシェアスペースに何度か通ううちに、仲間に加わることとなり、2019年に入社。いまもSATORUのメンバーとして活動をしながら、同団体との共同出資で2023年に立ち上げたtsuguto合同会社で、奥会津という地域により深く関わっていくはたらきをしています。
昭和村へはSATORU入社と同時に移住し、そのまま現在に至るといいます。
「ずっと福島県内に住んでいたけど、昭和村のことは全然知らなかった」という鈴木さん。地域の課題を解決していくために、そんな“よそ者”だからこそできる役割がある、と言葉を紡ぎました。

「地域の中には、先祖代々この地に住む人、江戸時代ごろに先祖が他所から移り住んできた人、さまざまなルーツを持つ人が住んでいて。それぞれの歴史に誇りを持つがゆえに、ときにその思いが軋轢を生むこともある。
だからこそ人と人をつなごうとする時、自分たちのように、外から入ってきた“よそ者”が、互いの間にちょうどいい距離感を生み、仲介をしていく力になるんです」
昭和村のある奥会津は7町村で構成されている地域です。7町村合わせると人口は2万7千人ほどで、点在する集落が広いエリアに拡がっています。
住民と交流をしていて、鈴木さんは、“人間らしい”と感じることがよくあるのだといいます。
「雪の降る時期に、いまでも笠や蓑をかぶって、雪道を歩いているおじいちゃんやおばあちゃんがいる。話を聞くと『通気性がよくて、濡れないし、あったかいし、とってもいいんだぞ』と言って、自分で作って着ているんです。
そこにある生活が、すごく本質的だなと思って。『丁寧な暮らし』という言葉はあまり好きではないけれど、その語源になるような暮らしがここにはあって、等身大で生きている。半ば憧れに近いというか、心から尊敬する感覚があります」

季節や月日の移り変わりを感じながら、ずっと続いてきた日常を淡々と繰り返す村の暮らし。そこに鈴木さんは“暮らしの手触り”を感じている。「人間らしい」というつぶやきから、そんな印象を持ちました。
たくさんの情報や、便利な機器が助けてくれる現在の暮らしから失われているのは、いわば暮らしの肌感覚のような、五感で日常を感じる営み。もしかしたら、多くの人が心の底で求めているのは、昭和村にあるような自然で等身大な暮らし方なのかもしれません。
SATORUで提供しているサービスのひとつに、体験型宿泊事業があります。宿泊体験で料理上手のおばあちゃんと交流をした、大学生のエピソードを鈴木さんが教えてくれました。
体験を通して、すっかりおばあちゃんと仲良くなった学生たち。別れ際、おばあちゃんは学生たちと泣きながらハグをして、学生たちも「また来るね」と別れを惜しみながら帰っていったのだといいます。

数か月後、「また、遊びに来ました」と再訪した学生たちに出会った鈴木さん。「あれ?今回はどこに泊まっているの?」と尋ねると、帰ってきたのは「おばあちゃんちです」という返事だったのだそう。
鈴木さんは、この時「この体験を通して自分が伝えたいと思っていたことが、ちゃんと伝わったんだな」と思ったといいます。
訪れた人と、住まう人が出会い、その出会いが種になって、関係性が広がっていく。訪れた土地が「みんなの故郷」になったり、出会ったおばあちゃんが、血のつながりはなくても「みんなのおばあちゃん」になったりする、そんなつながりが芽生えている。
「こういう化学反応って、地域へのなじみ方としてすごくあったかいなと思ったんです。『目の前の人の人生がちょっと豊かになる』ような瞬間を目の当たりにできる。その時、ああ、“よそ者”でよかったし、事業をやっていてよかったな、と思いました」
「もともと自分は、『人間の生き方が豊かになればいいな』と考えていて。それは、自分のまわりであったり、手の届く範囲の人間であったり、自分自身もですけど。身の回りの人たちの人生が豊かになることが、地域のゆたかさにつながっていく。
しあわせな人の集合体がいわゆる地域という媒体になって、地域が豊かになる。地域が豊かになれば国が豊かになる。国が豊かになれば、世界も豊かになっていくかもしれない。一番コミットしたいのは、ずっと変わらず“ひと”なんです」
いつでも、“ひと”に目を向けてきた鈴木さんたちが地域に開く間口は、広くおおらかに見えます。

「人とのつながりを生むことであれば、何でもいいと思っていて。この地で仕事をする人もいれば、毎年遊びに来る人でもいい。リモートワークで仕事の拠点を奥会津に置く人もいれば、最終的に移住するひともいればいい。最初から移住を前提とするとかなりハードルが上がってしまうので、関わり方の多様性は維持したい。
奥会津に関わってくれること自体が、とてもありがたいこと。その関わりしろは自由でいいんです。関わる人が、その関わりでなにか豊かになると判断したのであれば、関わり方は自分で選択していいと思っています」
地域の中で重ねてきた対話と、そこに芽吹いた信頼関係から、いま、あらたに自治体とのタッグも始まりました。2025年からはtsugutoが、昭和村でのふるさと納税の中間管理を引き受けています。
「過疎地ではどうしても住民の期待や要望が、行政に集まりがちです。これまでも住民と行政の間に入ることで、関係性がフラットになるように調整することを意識してきました。続けてきた活動が実を結び、自治体側から声をかけてくれたんです」

今回のコラボレーションが生まれたのは、根幹にフラットな対話があったから。自治体と民間、互いの立場をリスペクトしたうえで、話し合い、共に答えを出していく。そんな作業を続けてきたからです。
「奥会津には7町村あるので、昭和村でふるさと納税事業を民間が担うというロールモデルができれば、ほかの自治体のサポートにもつながるかもしれない。いままで、行政の人たちが奮闘されていた部分を担うような、肩の荷を少しでもおろせるようなサポートをやっていけたら」
そう、鈴木さんは、おだやかな表情で言葉を紡ぎました。
島や村の商店は、暮らしのよりどころ。
WEBプラットフォーム「奥会津商店」を運営するtsugutoと鈴木さんも、奥会津の地で、みんなの商店のような存在としてしっかりと根付いている。そんな印象を受けました。
奥会津の地がそうだったように。
既成概念にとらわれず、気持ちのいい風のようにその場を揺らし、動かしていく“よそ者”とのしあわせな出会いを待つ地域は、きっとまだまだたくさんある。そう思います。
Editor's Note
取材当日の朝、会津若松のまちをテクテクと歩き回りました。どの方向に向かっても山が見えて、見守られているような安心感がありました。鈴木さんにお会いした時、まちで見た山のような、おおらかな落ち着きを感じて、なんだかほっとしたことをふと思い出しています。
KEI MIZUNO
水野 佳