ものづくり
今の世の中は「システマチックに分業する」ことが当たり前かもしれません。
その一方で、自分の目が届くところでつくりあげた商品を自分で説明して販売する。そんな仕事も素敵だなと思うんです。
そんな働き方を教えてくれたのは、山梨県富士吉田市で戦後から機屋として国内外の多くのブランドに良質な生地を提供し続けてきた「渡邊織物」の三代目 渡辺竜康さん。
「何かを作ることがただ好きなんです」
少し照れくさそうに話す渡辺さんにお話をお伺いしてきました。
大学では建築の課題に夢中になっていたという渡辺さん。実は織物の世界に入った理由は「家業だったから」。
「何もないところから自分なりにイマジネーションを膨らませて、建築の空間構成や動線計画、かたち、プロポーション、素材選びやランドスケープデザインなど、建築のことなら何から何まで考えることがとっても面白くて、寝ないで課題に取り組むことがしょっちゅうありました。大変でしたが、本当に楽しかったんです」
大学を卒業した後は地元の建築事務所で働いていた渡辺さんでしたが、2年が経った頃、大好きな建築を一度離れるという決断をします。
「建築は好きでしたが、いろんな人が介在する中で自分のイメージ通りに建物をつくれない現実に苦しみました。建築に対する想いが強かった分、苦しかったんだと思います」
「長男という立場もあり、家業のことも気になっていました。気になっているなら、このタイミングで一度飛び込んでみようと思ったんです」
とにかくやってみようと飛び込んだ織物の世界でしたが、やっぱり建築が好きだったという渡辺さんは、織物を作りながらも建築の勉強を続けます。
「織物工場で働きながら建築の勉強も続けて、建築士の資格を取りました。当時は建築の仕事に戻ることも考えていたので、織物をずっと続けるという強い想いは特になかったんです」
そんな渡辺さんが今でも織物を続けているきっかけは、大学生の頃にのめり込んだ「写真」。
「大学時代に建築模型を撮るためにカメラを買ったんです。建築はつくるのに時間もお金もかかりますし、一人でつくることはできません。でも写真ならすぐに一人で作品をつくれるので、どんどんのめり込んでいきました。自分の性分に合っていたのだと思います」
織物工場で働きながらも写真を続けていたという渡辺さん。ある日、嬉しい知らせが舞い込みます。
「昔からずっと憧れていたフランスの有名なカルチャー雑誌の編集者から、3年前写真撮影の依頼をもらったんです。驚きました、でも本当に嬉しかったですね」
ずっと憧れていた人から声をかけてもらったことで、目標を一つ叶えることができた渡辺さんは、落ち着いて自分の作りたいものを作ればいいんだと、改めて気づきます。
「大きな目標が一つ達成できたことで気持ちに余裕が生まれました。それからは今まで織ったことのない糸で織物を織ってみたいと、自然に創作意欲が織物にも向くようになっていきました」
「今年で工場に入って18年目になりますが、2,3年前まではOEM*1 で、スーツの裏地のみを織り続けていました。でもある時親父の目を盗んでスーツの裏地には使わない糸を織ってみたら、意外と織れたんです(笑)」
この瞬間、 “建築” や “写真” とはかけ離れた存在だった “織物” が、自分の根幹と繋がった創作活動の一部であり、人の感情に訴えかけられるものとして一つに繋がり始めます。
「今の工場の設備では、同じ織物しかつくれないという固定概念がその瞬間崩れました。建築と写真、織物を分けて考えるのではなく、一つの “ものづくり” として捉えられたことで、全てが繋がっていったんです」
現在、渡辺さんはご自身でブランド「Watanabe Textile」を立ち上げ、糸や織り方の考案から鞄やワンピース、ズボンなどのデザイン、販売までを手がけています。
*1 OEM
製造を発注した相手先のブランドで販売される製品を製造すること。ハタオリマチの織物工場ではOEMの生地を生産している場所が多くある。
一人でじっくりと手間がかかってでも納得いくまで、自分を表現できる織物にどんどんとのめり込んでいった渡辺さん。好きなことだけを追求し続ける道のりには、心からの喜びと同時に辛さもあると言います。
「正直 “辞めた方が楽” と思った時も何度もありますし、多くの時間を一人で過ごしているので、間違った時間の使い方をしているんじゃないかと思う時も度々あります」
「それでも自分の中に世に出したいと思う塊のようなものがあって、それを見て見ぬ振りをして辞めるという決断はできないんです。自分の出したいものを知っているのは自分だけですからね」
自分の可能性を誰よりも信じ、自分の気持ちに正直に進み続ける渡辺さんは、99歳が自分のものづくりのピーク、という漠然としたイメージを持っているそう。
「やりたいことはまだまだありますね。でも決して織物にこだわっている訳ではなくて、自分が本当に良いと思えるものを誰かに届けられたらいいなと思っています」
「99歳まではいろんな形でものづくりをして、100歳からはピアノ一本!とかも良いですよね(笑)ずっと思っていたらいつか実現できると思っています」
「今では仕事だけど遊びの延長みたいな感覚になる時もあります」と話す渡辺さんは、大人になるにつれて私たちがどこかに置いてきてしまった「無邪気に楽しむ気持ち」を持っている大人。
これまで数多くのトライアンドエラーを重ねてきた渡辺さんの次なる挑戦は、自身のブランドを拡大させていくこと。
「無意識的な世界観が好きなんです。静けさが心地よくて、何もないけど全てがあるような、まるで海や空みたいな世界観の生地やプロダクトが作れたらと思っています」
「自分の目の届くところでものづくりを続けたい。難しいかもしれませんが、できれば小さいまま大きくなりたい。(笑)何よりも大事なのは自分の内側から湧いてくる自発的な感情から生まれてくるものづくりであること。これまでもそうでしたが、そうやって生まれてきたものの方が、より多くの人に共感してもらえるような気がします」
派手な色味や柄ではなく、質感にこだわった渡辺さんならではの作品をぜひご自身の目で、手触りでご覧になってみてくださいね。きっと「一生もの」との出会いがあるはずです。
Editor's Note
縦糸と横糸の組み合わせによって様々な表情を見せる織物。この組み合わせだったらどんな表情をするだろうか?とワクワク想像を膨らませながら、試していると話す渡辺さんの楽しそうな表情が忘れられません。ここでしか手に入らない一品。ぜひ、工房にまで足を運んで触れてみてくださいね。
NANA TAKAYAMA
高山 奈々