FUKUSHIMA
福島
チャレンジには、不安がつきものです。
目の前の壁の高さに、諦めたい気持ちが湧いてくることもあるでしょう。
今回はそんなアナタに勇気をくれる、小高工房代表廣畑裕子さんのストーリー。
廣畑さんは福島県南相馬市小高区生まれ。
2016年避難生活から戻った小高で、未経験ながら唐辛子製品をつくりはじめます。
その道のりはエラーの繰り返し。しかし諦めずに奮闘し続けた結果、今ではマスタードやカレーなど次々とオリジナル商品を開発しています。
一度はゼロになった土地で、廣畑さんはどのように一歩を踏み出してきたのでしょうか。
2016年7月、原発事故による福島県南相馬市小高区への避難指示が解除されます。
当時の小高は「帰ってきたはいいけれどー」何もかもが荒れ果てている状態。
「当時は誰が戻ってきているのか、まったくわかりませんでした。夕方にどこの家の電気がつくか確認して、電気がついたら明日挨拶に行こうって互いに話してましたね」(廣畑さん)
さらに住民を悩ませたのが、野生動物の被害です。
「私たちが避難していた間に、畑や庭でつくってたものが動物たちにやられてるのよ!トウモロコシは1番立派なやつから剥かれてるし、ぶどうも食べごろになったら全部持ってくのよ。頭いいよね」(廣畑さん)
そんな状況の中、畑で唯一残っていた野菜がありました。
「赤い唐辛子だけが、元気に残っていたんですよ。動物たちも唐辛子の辛さは嫌いだったみたい。唐辛子が動物にやられないんだったら、これをつくったらいいんじゃないかなと思ったんです」(廣畑さん)
廣畑さんはさっそく友だち3人と、唐辛子の栽培をはじめます。
心配された放射線の課題もクリアし、15本の苗から200本の一味唐辛子ができました。
「できた一味唐辛子を復興マルシェで売ることにしたんです。そしたらお客さんが『これ、本当に小高でつくったのか?小高でつくったもの売っていいのか?』って聞くんですよ。
小高でつくったものなら友達にもあげるからって、1人で5本も6本も7本も買ってくれました!そして1日で200本が完売。いやあ、良かったなって思いました」(廣畑さん)
最初に唐辛子をつくりはじめた時は、販売すらできるかどうかわからない状況。廣畑さんに迷いは無かったのでしょうか。
「ヒットアンドエラーって言葉があるけれど、エラーしかない地域にとってはやっていいことかどうかもわからないんですよ。わからないってことは誰かが試さない限り、ずっとわからないまま。どうせダメかもしれないのだから、やってみて “丸” だったら良くない?って思ったんです」(廣畑さん)
先が見通せない状況で、はじめの一歩を踏み出した廣畑さん。翌年には唐辛子プロジェクトを本格的にはじめることになります。
一味唐辛子をマルシェで完売させた翌年、廣畑さんは地元のフリーペーパーで唐辛子栽培農家を新たに募集します。
ちょうど小高に多くの人が戻るタイミングだったこともあり、友達と3人ではじめた唐辛子栽培はたった1年で64人に。15本の苗も一気に1,300本以上に増えました。
「とりあえず募集に集まってくれた人の唐辛子を全部買い取ったけど『こんなに唐辛子が増えてどうすんだ、私』と思ったね」(廣畑さん)
想像以上に大量の唐辛子。買い取った唐辛子をすべて販売するために廣畑さんが行ったのは、青森から沖縄まで全国の唐辛子をネットで取り寄せて研究することでした。
「全国各地の唐辛子を食べる中で、私、香川県の香川本鷹(江戸時代から香川県塩飽諸島で栽培されている唐辛子)がすごくおいしいと思ったんですよ。これでは後出しの小高でつくった唐辛子一味は勝てないなと。香川本鷹より高い値段で販売したら、なぜって思われますよね」(廣畑さん)
そこで廣畑さんが試行錯誤の末思いついたのは、唐辛子の加工方法を工夫すること。
1本の唐辛子を胎座、種、皮に分けてそれぞれ別の一味唐辛子にしました。
唐辛子の辛さは胎座、種、皮の順に辛くなるので、分けて加工することで辛さの違う一味唐辛子をつくったのです。
「これはとっても大変な作業です。手作業だから、もしこの触った手でどこか触ったらもう大変!私失敗したことあるから(笑)。こんな大変な作業、大手企業さんはまずやらないよね。
誰もやらないってことは…オンリーワンじゃね?って気づいちゃった」(廣畑さん)
廣畑さんはその後も、オンリーワンな商品を開発していきます。
その中でも「ゆずのきもち」は商品化に長い年月を要した商品です。
柚子は震災後、放射線の高さから福島では「食べられない食材」と認識されてしまったものの1つ。
もともと柚子が大好きだった廣畑さん。諦めずに放射線測定を何年も継続し、ついに2021年から柚子が「食べられる食材」になります。そんな柚子をたくさん詰め込んだのが「ゆずのきもち」です。
「柚子の気持ちになったらね、『俺もう放射線出さないから食べてよ』って言ってるような気がするんですよ。だから商品名は『ゆずのきもち』にしました。
福島(小高)の柚子を使った商品を販売することで『あれ?もう大丈夫なのか?』と話が広がって、福島の柚子を食べてくれる人が増えてくれたらいいなと思うんです。これが『ひろはたのきもち』(笑)」(廣畑さん)
余談だが、筆者は柚子胡椒の本場である九州出身。しかし小高工房のようなドライタイプの柚子胡椒は見たことがありません。ドライだからこそ料理にふりかけるなど使いやすく、柚子の香りも楽しめる。廣畑さんが高い品質とオリジナリティを追求していることが感じられました。
1歩1歩手間のかかることを、継続している廣畑さん。
廣畑さんは、良いものをつくるためには自分の範囲を越えることが大事だと語ります。
特に事業やまちづくりにおいては、廣畑さんの行動に対し反対の声もあるのだとか。しかし廣畑さんは「私は私を大嫌いな人のことも大好きなの(笑)」と明るく話します。
「例えば何かに挑戦するときに『こんなことやって失敗したらどうするんだ』って言ってくる人もいるんですが、私はその人のことが大好きですよ。だって『そんな挑戦をしたら、こういう問題がある』と教えてくれる人だから」(廣畑さん)
とはいえ自分が熱心に取り組んでいるほど、反対意見を耳にするのは辛いことではないでしょうか。
しかし廣畑さんはこう言います。
「自分の意見しか存在しなければ、それ以上の範囲を超えないんですよ。何をやる時も、自分とは違う人の話をちゃんと聞いて、時には相手の話に乗ってみることで生まれることもある。自分の意見に固執しないこと、頭の切り替えができるかは大事です」(廣畑さん)
自分の考えよりも「いかに事業や商品の質を上げるか?」という点に、焦点を当て続ける。一度ゼロになった場所で、事業も生活も1からつくってきた廣畑さんだからこそ、他者と一緒につくっていく大切さを実感されているのかもしれません。
いったんゼロになった土地で、走り続ける廣畑さん。その原動力とはー。
「私が大事にしているのは、近くにいる人が笑っていること、それだけなんです。自分の1番近くにいる人は家族ですよね。私は家族が笑っていることが何よりも大切なんですよ」(廣畑さん)
そんな廣畑さんも震災直後の避難生活では慣れない生活に疲れ果て、子どもとの会話も十分にできない時期があったそうです。そんな経験から日々身近な人が笑顔で過ごしているかを、何よりも大切にしているといいます。
そして廣畑さんの言う「自分の1番近くにいる人」とは「自分自身」のことも指しています。
何より自分の声を聞くことも大切。
廣畑さんは時々、自分の心が元気かどうか確認するようにしています。
「私、廣畑Aと廣畑Bという2人の自分を持つことを意識しているんですよ。ふとした時に廣畑Aが廣畑Bに聞くんです『廣畑B、お前今元気か?』って。そうやって自分の心も大事に、元気かどうか確認しないと、廣畑の隣にいる人は絶対に笑ってくれないと思うんですよ」(廣畑さん)
インタビュー中も廣畑さんは終始明るく、笑いが絶えない時間でした。ユーモアを忘れない廣畑さんの明るさが、廣畑流の壁の乗り越え方。そして廣畑さんの存在そのものに、小高の人たちも元気づけられていると感じました。
Editor's Note
今回私にとって初めての取材で緊張していたのですが、廣畑さんの明るさでとても楽しい時間を過ごさせていただきました。「みんなが来たくなるワクワクする街にしたい」と話されていた廣畑さん。今回小高にも初めて訪れてみて、素敵な屋外のコミュニティスペースがあったり、オシャレなブックカフェがあったり確かに小高にはそんなエネルギーを感じました!
Nozomi Satake
佐竹 望実