HYOGO-TOKUSHIMA
兵庫・徳島
※本レポートはシェアリングエコノミー協会主催のイベント「SHARE WEEK 2023」の3日目に開催されたトークセッション「【地域】New LOCAL!分散型社会構想会議」のうち「次世代首長と考える新たな地域社会のグランドデザイン〜真の分散型社会の実現に向けて〜」を記事にしています。
アフターコロナ、超高齢社会、少子化対策など日本が抱える課題の対策のひとつとして、人口や経済活動を地域へ分散する“分散型社会”への移行が挙げられます。
“分散型社会”を実現するために、各地域が取り組むべきことは何なのか。2020年に最年少女性市長に就任した徳島市長・内藤佐和子氏と、2023年に歴代最年少で市長になった芦屋市長・高島峻輔氏に、これまでの経験と目指しているビジョンについてお話しいただきました。
次世代の首長たちは、何を考え市政を動かしているのか。各地域で活動するみなさんにもその熱意と知恵をシェアしたいと思います。
石山氏(モデレーター、以下敬称略):今回のトークセッションのテーマは「次世代首長と考える新しい地域社会のグランドデザイン」です。芦屋市長・高島峻輔さんと徳島市長・内藤佐和子さんの2人に登壇いただきます。2人には「これからの地域はどうあるべきなのか。日本社会をどのようにデザインしていけばいいのか」を議論をしていただきたいと思います。
石山:まずはそれぞれの市長になるまでの経歴など含め、自己紹介をお願いします。
高島氏(以下敬称略):兵庫県芦屋市市長の高島峻輔です。みなさんは芦屋市をご存知でしょうか。兵庫県芦屋市は、神戸と西宮の間にある人口9万4,000人の小さい市です。人口だけ聞くと大きいまちと思われがちなんですが、東西が2.5kmで南北が10kmないコンパクトなまちとなっています。
高島:私は2023年5月から市長を務めています。昨年の5月までアメリカのハーバード大学で環境エネルギー工学を勉強していました。実は大学在学中に研究のために芦屋市に滞在していたことがあったんです。芦屋市の奥山地区にある国立公園の近くで環境の研究をしたり、市役所でインターンシップをしたりしていました。
また在学中には、教育にも興味があり、教育関係のNPOの代表を7年間務めていたこともあります。この団体では、日本の高校から海外の大学に進学する学生の支援や、公立高校のカリキュラムをつくることなどに取り組んでいました。
今日は皆さんと一緒に未来のビジョンを語れるということを楽しみにしています。よろしくお願いします。
内藤氏(以下敬称略):徳島市長の内藤佐和子です。私が市長になったのは2020年4月18日です。私は大学在学中の20歳の時に難病を宣告されました。それが原因で、もともと志望していた弁護士の道を諦めることになったんです。しかし、それが企業のスタートアップや学生記者などいろんなことに興味を持って活動をするきかっけにもなりました。
内藤:そんなある時、故郷である徳島市のことをふと考えた時に「この町はどんどん廃れていってるんじゃないか」という危機感を覚えました。それが東京にいながら地元のまちづくりの活動を始めたきっかけです。
学生時代から地元のまちづくりに取り組み続け、2011年に徳島市にUターンしました。それからは、行政と一緒になってまちづくりの企画を考える活動や、実家が営んでいる中小企業の役員をしていた経験から中小企業のコンサルもしていました。最初は副業人材的な形で地域に入り込み、活動をつづけていきながら徳島市長に就任しました。
市長になってからも「市民と一緒にまちを新しくつくり替えていきたい。新しい未来に向かって面白いまちにしていきたい」という想いでやっています。私も面白い議論ができることを楽しみにしております。
石山:ありがとうございます。お二人とも、市長になる前は海外の大学にいらっしゃったり、民間のソーシャルセクターで活躍されていたり、さまざまな経験を積んだ後に市長になられたと思います。まず最初に市長という仕事を実際にやってみてどう感じているのかをお伺いしたいです。
高島:私は市長になってちょうど半年ほどです。とても面白い仕事だと思っています。こんな幸せな仕事をさせてもらえるのはありがたいなと。
芦屋市は年間450億という大規模な予算で動いています。予算を配分し市政に取り組みながら、条例で社会のルールを決めることが私の役割です。市政に関わるということは社会を大きく変える力もあるし責任もありますが、地域の課題解決に毎日打ち込めるというのはやっぱり面白いです。
内藤:私は市長になる前から、徳島県や徳島市の観光開発や障害者の基本計画など、あらゆる分野の審議会に委員として参加していました。そこで県や市の抱えている課題を勉強した上で、市長に就任しましたが、実際市長になってみるとまた新しい課題が見えてきます。従来型の積み上げ式の議論のまま行政でさまざまなことが進んでいることには変革が必要だと感じています。
これまで県の規制改革会議にも入っていたこともありますが、市長になるとできる範囲が広がりましたし、自分自身で意思決定ができる立場ですからね。もちろん議会の意見も聞きながらですが。私もとても面白い仕事だと感じています。
石山:お二人とも最年少で市長になったということで、大変なことも多いのかなと思っていましたが、最初にポジティブに「面白い」と言ってくださってワクワクしました。
石山:お二人とも市長に当選した時期が、コロナ禍であり社会を変えた大きな出来事の最中でした。現在はコロナ禍は収束しつつも、物価高等や国際情勢の緊迫化など、さまざまな社会問題が次から次へと山積しており、先行きが見通しにくい情勢にあります。
お二人から見て現在の社会、特にこの1年を振り返って、今の日本社会や日本経済をどのように捉えているかをお伺いしたいと思います。
内藤:私はコロナが猛勢をふるうなか選挙を戦って市長になりました。それからは、コロナ対策や物価高騰対策と向き合った3年半でしたね。市民が経済的な面で大変な思いをしているのはもちろんですが、それ以上に精神的にもギスギスした雰囲気を感じることがありました。
だからこそ、ウェルビーングやシェアリングエコノミーについて、みんなでさまざまなことを共有しながらお話する場っていうのが必要だと感じました。
高島:私もそう思います。私は2023年の5月1日に市長になったので、就任して1週間でコロナが5類に変わるタイミングでした。内藤さんほどコロナ禍のことを知っているわけではないですが、この2〜3年は相当大変だったことが職員の話からわかっています。
今は徐々に対面の場が復活してきていて、この夏〜秋は4年ぶりに地域のお祭りや各種イベントが開催されました。地域のお祭りができなくなってはじめて「やっぱり、お祭り良かったよね。対面で会うって大事だよね」と、みんなが口を揃えて言っていたのがすごく印象的でしたね。
同時に私はコロナ禍を経て、働き方が多様になったことはポジティブに捉えています。芦屋市では、テレワークの体制を整えられましたし、それをきっかけに働き方も市役所のなかで徐々に変わってきているんです。より一人一人のウェルビーングが注目されている時代になっていると思うので、こうしたいい変化、いい変革をこれからも続けていきたいです。
石山:コロナ禍でのポジティブな出来事もありますよね。リモートワークが普及するなかで「脱東京」というキーワードが注目されていて、いろいろな方々がローカルに移っているという感覚があります。若い世代や東京に住んでいる人の「地元に帰りたい、移住したい、多拠点をしたい」という流れは感じていますか。
内藤:徳島市では「地方と関わりたい、地元と関わりたい」という人が増えたような気がしています。コロナ禍で帰れなかったとか、地方に行けなかったフラストレーションがあるのかもしれませんが、そのなかで自分自身を見つめ直して「やっぱり故郷のために何かやりたい」という人は増えているのではないでしょうか。
今も徳島市では、副業のクラウドサービスで徳島市のために何か一緒に働いてくれる人材を募集していますが、徳島市に関わりがない人からも応募が来るんです。阿波踊りに関係する職種を募集したことも大きかったかもしれません。
やはり阿波踊りは、海外に向けても発信できる強いコンテンツだと思います。そういった地域文化や伝統芸能などを「もっと全国や海外に発信していくための手伝いがしたい」と考えている人が、特に若い世代に増えてきていると感じます。
石山:そういう意味では、2023年はこれまで以上にローカルに注目があつまった“元年”と言っても良いのではと、私もポジティブに感じています。
石山:2人は若い世代であるだけでなく、行政の外側から公共の現場に入られています。すこし大きな質問になりますが、2人の目から見て「日本のここが課題だ。ここが変わらないと日本は変わらないぞ」というような抜本的な問題点、ボトルネックになっている点を是非忌憚なくお聞かせいただきたいです。
高島:これは芦屋市がという話ではなく、日本人全体に言えることだと思うんですが「お上がなんとかしてくれる」という“お上思想”のような考え方が結構根深いなと思っています。なにか困ったことがあったら「行政に任せます」という事例がまだまだ多い気がしていて。その部分をどう変えていくことができるかが大事だと考えています。
そこで私が取り組んでいるのが、若い世代が「自分たちで社会を変えることができた」という成功体験づくりです。市内にある3つの公立中学校を周り、代表の生徒たちと一緒に給食を食べながら「学校のどういうところを変えたいか。まちのどういうところを変えたいか」という話をしています。
ちょうど昨日、2回目の訪問に行ってきました。そうしたら「校則をちょっと変られたんです」という話になりました。ただ校則を変えてくださいと先生に頼むのではなく、実現に向けて生徒会でルールを決めた上で、学校側と交渉したそうです。自分で社会を動かす経験を積んだ子たちが増えていくのは、すごく頼もしいなと思いますし、こうした世代が増えてくると徐々に行政の役割自体も少しずつ変わっていくのではと思っています。
高島:実は行政はお叱りを受けることが多いんです。掛かってくる電話も陳情が多い。もちろん陳情しないでくださいという話ではなくしっかりと受け止めます。ただ、陳情と一緒に「我々はこういうことを今考えてるので、行政も一緒にやりませんか」と誘いがあるといいですよね。
市民に誘ってもらえる行政という関係性も大事なのではと思っています。最近市民の方とお話する時は「要望じゃなくお誘いをいただけるように頑張ります」と話しています。
石山:高島さんが史上最年少市長として当選されたのは、若い世代に一票投じたいという上の世代の方々がいて初めて成り立つことだと思います。それ自体がすごいことですし、教育など若い世代のために政策に力を入れることも、いろんな世代からの協力を得ないと難しいですよね。
国策でも少子化対策を打ち出してもなかなか動かない、頓挫してしまう現状をシルバー民主主義と呼ぶこともあります。そのなか高島さんが市長に当選できたことや、未来に対して施策を打ち出すことに、市民の協力を得られている背景には何があるんでしょうか。これからのヒントとしてお聞きしたいです。
高島:私はこれまで「芦屋市の子育てや教育など、未来の世代に向けた投資をしよう」という話をずっとしてきました。市長に選ばれた時のことを振り返ると、応援してくれたのは主に65歳以上や70歳以上の人だったと思います。
これは芦屋の特殊な事例かもしれませんが、今の70代80代の方々が小さかった頃の芦屋市は、教育の水準がとても良いことで有名だったそうです。他の地域から学区を超えて小学校に来ていた子もいたぐらい質が高く評判だった。その頃のことを覚えている世代からすると「私たちの時代のようにやってくれるのなら頑張って」という気持ちで後押ししてくれたんだと思います。
高島:今回選挙中に「小さな対話集会」という20〜30人規模の小さな集会をひらき、直接自分が思っていることを市民へ伝えてきました。きちんと伝えると理解してくださる方も多かったですし、少子化の問題について「芦屋市が出生率も高齢化率も、近隣市町の中で一番厳しい状況なんですよね」と話すと「確かにそれはまずいかもね」と理解したうえで応援してくださる方もいらっしゃいました。こうした活動を重ねることで、子育てに対して前向きにお金を使うことを認めてくださる方が増えてきたのだと思います。
前編記事では、実際に市長に就任してからお二人が感じた実情や課題についてお話がありました。後編記事では、課題をいかに乗り越えていくのか、また今後挑戦していきたいことを語っていただいています。
Editor's Note
「若い世代が活躍できる未来」というビジョンは大賛成です。現在、高校生の総合の授業の講師を担当していますが、高校生の積極性を生み出すのにかなり苦労しています。彼らの成功体験づくり、難しいですが一番取り組むべきことだと僕も思っています。
DAIKI ODAGIRI
小田切 大輝