協力隊
※本記事はLOCAL LETTERが開講する『ローカルライター養成講座』を通じて、講座受講生が執筆した記事となります。
人生100年時代と言われて久しい昨今。
これまでのキャリアを一区切りさせ、好きな地域で新しい仕事をスタートさせようと考えている人もいるのでは。
新堀桂子さんは2022年、54歳のときに『日本一チャレンジする町』として知られる埼玉県横瀬町へ地域おこし協力隊として移住しました。
町外の人と町内の人たちが出会い、交流する施設で、コミュニティマネージャーとして奮闘する日々とはー。
西武鉄道の横瀬駅から徒歩8分。かつてJAの支店として使われていた重厚感のある建物のなかに、新堀さんが働く『LivingAnywhere Commons(※)横瀬』(通称:LAC横瀬)があります。
LAC横瀬は15名前後の宿泊が可能で、一階には共用のキッチンやワーキングスペース、コミュニティスペース、二階にはシャワーやベッドルームなどを常備。
LAC横瀬に隣接し、建物内のフロアがつながっている、横瀬町のオープンアンドフレンドリースペース『Area898(エリアはちきゅうはち)』には、町内の子どもからお年寄りが集うことで、町民と町を訪れた人たちが交差する場になっています。
※LivingAnywhere Commons / 株式会社LIFULLが運営する共同生活をしながらコミュニティを形成する施設。全国に50の拠点があり、会員になることで利用できる。コミュニティマネージャーは拠点内外の人たちが交流する場として施設を運営する。
新堀さんは横瀬町がある埼玉県(熊谷市)出身ですが、就職と同時に東京へ転居。そのため、横瀬町の名前は知っていましたが、共通点は「車が熊谷ナンバーだった」ということくらい。
出産後、親子向けの編集企画やイベントを手掛けたことをきっかけに、親子やティーンズなどを対象にした渋谷区の3つの施設運営にも携わりました。
施設の管理をはじめ、イベント企画やスペース利用の対応などに汗を流していた新堀さんですが、会社を離れるという選択は突然思い立ったことではありません。
定年後も続けられる仕事を見つけたい。55歳になるタイミングで、別の可能性も探ってみたいなって。新堀 桂子 横瀬町地域おこし協力隊
2021年夏ごろ、翌年の3月に退職することを決め、転職先を探し始めました。
もともと登山が趣味だったこともあり、地方移住を薦めてくれたのは娘さんだったと嬉しそうに話す新堀さん。
「自分一人だったら、地方に行きますとは言えなかったのですが、娘がきっかけを与えてくれました」(新堀さん)
秩父地方の情報を集めるなかで、横瀬町の地域おこし協力隊として町内外の方が集う交流拠点を活性化させる人材の求人を発見。コミュニティスペースの運営の経験があった新堀さんは「もしかしたら自分がやってきたことを生かせるのかな」とピンときたそうです。
「『日本一チャレンジする町』を掲げる横瀬町の方々と話すなかで、チャレンジをよしとする空気や応援してくださるような雰囲気に、ぜひやってみたいと思わせる何かがありました」(新堀さん)
履歴書と職務経歴書を郵送する際、入りきらなかった言葉を送付状に込めたところ、それが富田能成町長の印象に残ったというエピソードから、新堀さんの熱意が伝わります。
「オンライン説明会で目にした地域おこし協力隊のメンバーは、娘と同じ20代。だったら『みんなにお母さんって呼んでもらいたいです』と素直な気持ちを表現したことが『よかった』と富田町長が面接で話してくれたんです」(新堀さん)
コミュニティマネージャーというと、なんとなくイメージしにくい仕事のように感じます。新堀さんにとって、コミュニティマネージャーはどんな仕事なのでしょうか。
「他のコミュニティマネージャーの言葉を借りると、”正解がない仕事” ですね。場所や立地によっても(仕事内容は)違います。私は多分、大したことはやっていなくて、できるだけコミュニケーションが始まる “きっかけ” づくりをしています。
〇〇さんですよって紹介するくらいですけれど、あとは皆さんが自発的に自由に交流してくださるので、あえて介入しすぎないように意識していて。LAC横瀬の利用者さんだけでなく、来られた方がリラックスして過ごせて、会話が生まれる雰囲気ができればいいですね」(新堀さん)
LAC横瀬の利用者さんは20代〜40代がメイン。テレワーク可能な仕事をしている人が多く、クリエイターや学生も一定数いるそうです。中には「今後の人生を考えるタイミングでいろいろな場所を訪れている」という人も。利用者さんからは「キッチンのテーブルに行くと、誰かがいて、他愛ない話ができることがいいところ」なんて声も入ってくるんだとか。
施設内だけでなく、地域と直接かかわる機会をつくっているのが、LINEのオープンチャット。LACの各拠点で使われているLINEのオープンチャットは、宿泊中のお困りごと共有ツールですが、LAC横瀬では、地域おこし協力隊のメンバーが「今日、〇時にジャガイモ掘りをやります。来てください」と農業のお手伝いを募ることもあるんだとか。
そのほかに、農家さんからおすそ分けをいただくこともあり、利用者さんが「お礼をしたい」と、自発的にお手伝いをする好循環が生まれています。
さらに、Area898で開催されるイベントやまちづくりプロジェクト、勉強会にも、興味がある利用者さんが参加。すると、プロジェクトのメンバーがLINEのオープンチャットに入って、次のミーティングの情報を流すというようなこともあるそうです。
LAC横瀬は昨年、LACの利用者さんが選ぶ “推し拠点” の第一位に輝きました。受賞理由の一つは『地域とつながることができる』ことで、新堀さんは「利用者さんとも、町とも一体になってやっているので、みんなの総合力ですね。すごく嬉しいことです」とはじける笑顔で話してくれました。
新堀さんがコミュニティマネージャーとして着任してから、もうすぐ一年。娘さんの後押しをきっかけに思い切った決断をした新堀さんでしたが、とても濃い時間を過ごしていました。
本当にあっという間でした。ありがたい役割をいただいたと感じています。LAC横瀬では「もしかしたら今すごいことが起きているのかな」と日々感じているので、そこに立ち会えることが貴重だし、とても感謝しています。新堀 桂子 横瀬町地域おこし協力隊
新堀さんにとって印象的だったのが、キッチンに置いてある大小ふたつの冷蔵庫のどちらを「個人用」にして、どちらを誰でも使える食材を入れる「シェア用」にするかを決めたとき。ある利用者さんが「シェア用」に選んだのは「大きい冷蔵庫」でした。
「15人が泊まれるこの施設で、小さな冷蔵庫に個人のものが入りきるわけがない。でも、彼は大きいほうをシェア用にと提案されました。『みんながシェアするものが多くなればなるほど豊かになる』と。物の所有についても、新しい価値観が生まれているんだと思いました」(新堀さん)
他にも、横瀬町に移住してきた利用者さんが毎日美味しいコーヒーを淹れてくれていたときのこと。
美味しいコーヒーを継続してもらうにはコーヒー代が必要。それなら、コーヒーを淹れてくれている方の価値を明確にしようと、おしゃれなコーヒー店のようなコースターが自然と作られた。
支え合うような、若い人たちの思いや行動に「教わることが多い」と新堀さんはいいます。そして、その瞬間を目にすると「感動することも多くあります」とはにかみます。
コミュニティにいる他の利用者さんへの思いやりが、支え合う、優しい文化を育んでいる。急速に発展していった現代社会が置き忘れてきた何かを思い出させるような、温かい気持ちにあふれた場所を、新堀さんが支えているのだと実感しました。
横瀬町まで、東京の池袋から西武秩父線の特急で1時間20分。実際に新堀さんが横瀬町に暮らす前と後では、便利さへの捉え方にも変化があったようです。
「商店街がないと聞いたのですが、最初はどこかにあるんじゃないかと探していたんです。でも、本当になくて。それでも不思議と不便は感じませんでした。この町だけで何かを成立させようとしていないので、そこが面白い。横瀬町だけで捉えるのではなく、近隣の市町も合わせた地域で一つという考え方もいいですよね。横瀬町に全てそろっていなくていいんです」(新堀さん)
LAC横瀬の利用者さんや横瀬町の人たち、横瀬町という地域そのものへの愛情たっぷりに語ってくださった新堀さんですが、自分について語るときはどこか控え目な印象。
仕事や生活のなかで新堀さんらしさは出せていますか、と聞いたら、「利用者や横瀬町のみなさんは生き生きしている人たちが多い。『私も楽しみたい』と最近、思えるようになりました」とすがすがしい表情でにっこり。
「今日もすごかったんですよ。雪が積もっているのに、山に走りに行っちゃった人が2人います。雪景色を写真で送ったり、温泉に行ったりして、みなさん生活を楽しんでいる。楽しんでいないと損しているな、という気持ちにさせてくれるんです。
私も大したことではないけれど、利用者のみなさんと味噌を仕込んでみたり、いただいた梅でシロップを漬けたり、そういうことを楽しみたいな、と。LAC横瀬のキッチンもよく使っています。東京ではできなかった焚き火もここならできるので、それも日常的に楽しみたいですね」(新堀さん)
「ただ、仕事でやっていきたいことはまだ言葉にできなくて。この一年間は駆け出しだったので、今からちょっとずつ考えていこうと思っています」(新堀さん)
知っている人もほとんどいない新しい環境のなかで、町を訪れる人同士、さらには町の人とをつなぐ方法を模索しながら過ごした一年は、想像できないくらい激動の日々だったのではないでしょうか。
それでも、一番苦労したことについて新堀さんは、「ありがたいことにすべてが手探りで正解がないので、どこがバランスいいんだろう、ここを立ち上げるといいのかなと日々やり続けることが魅力でもあり、大変さでもあります」と語ってくれました。
困難のなかでもやりがいを見出し、試行錯誤していく “しなやかさ”。セカンドキャリアを築く上で、新堀さんは重要なポイントを体現している。
そして、困ったことがあれば、頼りたくなる人望と温かさを兼ね備えた、“お母さん”コミュニティマネージャーの新堀さんがいる『日本一チャレンジする町』が、さらに盛り上がっていくことは間違いない。そう確信しています。
Editor's Note
しなやかってこういう人のことをいうんだ、と納得した。新しい価値観と遭遇したとき、素直に受け止めて、感動すらしてしまう。どうやったら、こんな風に生きられるのだろう。年を経るごとにカチカチになっていく私の頭に学ばせたい。
人を大切にしている新堀さんこそが、思いやり、支え合いの文化を広めているのだなぁ。本当に、新堀さんがやりたいことを見つけたときが楽しみだ。周りの人たちはきっと、新堀さんの力になれるときを待ちわびているはずだから。
MIYAKO KONISHI
小西 宮子