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LOCAL LETTER

人口増加、29年目。住みたい・住み続けたい “写真の町”の巻き込み型まちづくり

APR. 04

拝啓、「まちづくり」に携わるも、目指す方向性に頭を悩ませているアナタへ

※本記事は「ローカルライター養成講座」を通じて、講座受講生が執筆した記事となります。(第3期募集もスタートしました。詳細をチェック

社会問題の一つとして上がる「人口減少」。多くの自治体が共通の課題としてあげる中、ある時を境に、人口増加に転じた町があります。北海道東川町です。

まちの大きな転機になったのは、世界にも類のない「写真の町」づくりをはじめたこと。 行政が類を見ないまちづくりの方針を掲げることもさることながら、それが住んでいる人に浸透するのはとても難しいことです。

そんな中、「東川町は町民の1人1人が『東川って写真の町なんだよ』『東川ってこういうところがいいんだよ』と自分の言葉でまちを語れるんです」と話すのは東川町役場の「写真の町課」で働く𠮷里演子さん。

写真には縁もゆかりもなかった東川町。その町民が「写真の町」だと語れるようになる背景に、どのようなエピソードがあったのか。住みたい、住み続けたいと思われる町の背景に迫ります。

𠮷里 演子(Hiroko Yoshizato)さん 北海道東川町写真の町課 学芸員 / 『写真甲子園』への出場をきっかけに、東川町に惹かれ大阪府から移住。「写真の町」として東川町をPRするために、『写真甲子園』や『東川町国際写真フェスティバル』のボランティアスタッフを勤める。また、「写真の町」を背負う未来の子どもたちに向け、「写真少年団」を設立。
𠮷里 演子(Hiroko Yoshizato)さん 北海道東川町写真の町課 学芸員 / 『写真甲子園』への出場をきっかけに、東川町に惹かれ大阪府から移住。「写真の町」として東川町をPRするために、『写真甲子園』や『東川町国際写真フェスティバル』のボランティアスタッフを勤める。また、「写真の町」を背負う未来の子どもたちに向け、「写真少年団」を設立。

「どのまちもやっていない」「多世代で関われる」写真の町づくり

まず𠮷里さんは、そもそも東川町が「写真の町」を掲げた背景を教えてくれました。

東川町が「写真の町」を掲げたのは町ができて90年が経過する1984年。これからの100年に向かって盛り上げることができないか?と当時の東川町の職員たちは考えていました。

観光、お米、木工の町として売り出していた東川町でしたが、年々観光客が減少。そういった課題を解決し、町をPRするにはどうしたらいいか。

そんな時、東川町は旭岳や天人峡温泉にある羽衣の滝、田園風景など資源が豊かであることから「いつ写真に撮られても風光明媚な景色が広がっている町」であることに目をつけ、「写真」を東川町のPRのキーワードにするアイディアがあがります。

「東川町は当時から1番乗りが大好きで、どのまちもやっていない『写真』をPRポイントにしたと聞いています。また、写真という『文化』でまちづくりをすることで大人から子ども、高齢者まで関わることができる “関わりしろ” も大切にしているんです」(𠮷里さん)

「人にオープンな文化」が役場にも町民にも浸透し、「写真の町」を通して外から来てもらう人が増えた

「写真の町」を宣言した東川町は1985年から毎年夏に『東川町国際写真フェスティバル(愛称:東川町フォトフェスタ)』を開催しています。また、1994年、全国から集う高校生チームが、同じ制限(機材・時間など)の中で写真作品を仕上げる大会『写真甲子園』が創設されました。

「写真の町」として画期的な取り組みを始めた東川町ですが、実は「写真の町」というコンセプトはイベント企画会社からの提案によってできたもの。そのため、当初は職員たちも他人事で、町民の反応もいまいちだったそうです。

そんな他人事だった意識が劇的に変わったのは2005年、今まで運営を主導していたイベント企画会社が急遽関われなくなったことでした。関わらないことが決まった時には、すでに『写真甲子園』の開催を公表したあと。

自分たちでやるしかない。

腹を括った役場の職員さんたちは、役場の色々な課から人を集め、「自分たちのイベントなんだ」と意識を持って運営をするように。

同時に「自分たちだけではできない」ことは、町民にお願いをして助け合うようになりました。

これが契機となり、東川町の「写真の町づくり」は町民と一緒に推進されていきます。

「どうしたら高校生が写真を撮ることに没頭できるだろう」「どうしたら高校生が東川町に来てよかったと思うだろう」と考え、町民の家へのホームステイや、(高校生の胃袋をつかむ)炊き出しなど、町民目線でイベントの企画提案が活発的に生まれ、結果的に、東川町の受け入れる土壌が出来上がっていきました

𠮷里さんも東川町民のウェルカムな姿勢に胸を打たれ、移住してしまった1人。東川町の人の魅力を𠮷里さんはこのように語ります。

「大学の卒業制作で写真を撮りながら東川町の方々にインタビューをしていると、町の人がみんな家においでと言ってくれました。気づけばおうちにお邪魔して、お茶しながらおしゃべりをしているんです。東川町の人は人懐っこい人たちなんだと感じて。『東川町フォトフェスタ』や『写真甲子園』などウェルカムなイベントを続けている中で、自然と町の人が、訪れる人に興味を持って、東川に来る人を迎え入れられる地盤ができてきたんだと思います」(𠮷里さん)

東川町に来る人たちを快く受け入れてくれる東川町民。このウェルカムな雰囲気が『東川町フォトフェスタ』や『写真甲子園』などのイベントを通じて東川町に訪れた人たちが、東川町のファンになる理由だと𠮷里さんは話します。

「やっている側が楽しんでやっているからこそ、それが来てくれた人たちにも伝わり、『次は仲間を連れていきたい』という声が上がったり、『こないだ東川町に行ったんだけど、こんなにいいところだったよ!』と友人や家族に伝えてくれたりすることで、繋がりが広がっていくんだと思います。

イベント中は大変なことも多いんですけど(笑)、来てくれた人たちが帰るときの笑顔を見ると『また会おうね』『また来年も頑張ろう』という感覚になれます。そして、東川町のイベントに関わった人たちが地元に帰ったら、東川町での濃い経験を語り継いでくれます。その口コミで『東川町に来年行ってみよう』『東川町って聞いたことがある』とだんだん広がっていくんです。

イベントを開催する度に関係者がどんどん増えていく。これが全国に、世界に、広がっていく活動をつくれている秘訣ですかね」(𠮷里さん)

特別な移住PRではない。「対応が早くて張り切っているダサかっこよさ」が人口増加の秘訣

1994年を境に、移住者の増加によって毎年人口が増加している東川町。『写真甲子園』が創設されたのも同年です。

「写真の町」が浸透しきっていないときから人口が増加し始めていた東川町は、一体どんな施策を打っていたのだろうか。𠮷里さんに聞いてみると、驚きの答えが返ってきました。

特別なことはしていないと思います。他の地域と同じように、各地で移住フェアに参加して、そこで興味を持ってくれた人に移住体験をしてもらい、移住に至っている形です。

ただ、ある移住者の方が『色々な町で移住を検討してた際に、1番対応が早くて張り切ってたのが東川町だったから移住を決めた』とおしゃっていたのが印象的で。私自身も移住者なんですけど、学生時代に東川町の役場の人たちが頑張っていらっしゃった姿はよく覚えているんですよ」(𠮷里さん)

人口減少時代にも人口が増え続ける東川町。その背景には漏れ出るやる気や、1つ1つの小さなことでも関わる人たちを大事にする地道で泥臭い町役場の方々の姿が

𠮷里さんはそんな町役場の方を「ダサくてかっこいいおじさん」と表現します。

「大学生の頃は、写真甲子園のボランティアスタッフをしていたんですが、いい年をした役場職員のおじさんがスタッフTシャツを着てボロボロになりながら駆けずり回っていたんですよね。当時大学生の私からすると、なんだかダサいんですけど、町のためにとても一生懸命で。どうしたら東川町に来る人に東川町のことを好きになってもらえるかを考える姿は『ダサいけどかっこいい』と思いました」(𠮷里さん)

住んでいる人が主役。住む人たちを巻き込めるのが、最強のまちづくり

東川町に来る1人1人との関わりを大事にすることで、移住者を増やしてきた東川町。

では、住み続けられる町になるために、どんなことをしているのだろう。𠮷里さんの活動の1つにヒントがありました。

「写真の町」を背負う未来の子どもたちに向け、𠮷里さんが10年前に創設した「写真少年団」です。

「私が大阪から東川町に移住した際、野球少年団、サッカー少年団、バレー少年団など子どもたちの課外活動がとても活発な町だと感じて。写真の町なら写真少年団があってもいいよね、と町の人に話したら『とてもいい!やりましょう!』と、あっという間に動き出したんです。

当初はとても気合が入り、『写真の町を背負っているから、意味のある活動にしよう!』と意気込んでいたんですが、考えを深める中で、写真が好きという同志が集まって話をし、楽しめるような居場所になればいいと、最終的には見守るだけにしています」(𠮷里さん)

当初は写真について熱烈に教える学校のようだった「写真少年団」。それが子どもたちを主役にし、見守るようになったら、逆に写真コンテストで賞をとるようになっていきます。

「子どもたちは自分の目で見たものを素直に表現し、写真に残しています。そしてそれが数年後に振り返ると、東川町の歴史として残っているんです。自分が歴史を残していると思うと、子どもたちも自分のまちに誇りが持てますよね」(𠮷里さん)

自分が引っ張るのではなく、子どもたちを主役にした𠮷里さんが考える最強のまちづくり。それはまちに住む人を主役にし、住む人を巻き込むこと」。

「町外に対して施策を続けることも大事ですが、そればかりだと町民の自分事はつくれません。それではまちづくりが成功しているとは言えないと思っていて。

町民の方が『東川が写真の町で良かった』と思えるようにするには、まちの人たちにスポットを当てて、皆さんのお話を聞き、どういう風にしていきたいかを自分たちなりに汲み取っていく。お互いが納得いくように丁寧に探していく。結局外への取り組みも、内への取り組みも、1人1人との関係性がとても大事だと思います」(𠮷里さん)

どこの自治体も頭を抱えている「人口減少」と「まちづくり」。

「写真の町づくり」という特別なことをやっているから盛り上がっているのではなく、「写真の町」と「町民1人1人の声」を丁寧にすり合わせ、町の人も、町外の人も、巻き込む泥臭さがあって初めて東川町の人口増加は成り立っているのだと感じました。

ダサくてかっこいい大人が町民を巻き込む東川町。きっとそのかっこよさが次世代にも、他地域にも受け継がれ、東川町が盛り上がっていくことでしょう。

どんなまちを作ろうか今も頭を悩ませている方々はまずは、かっこ悪く、泥臭く行動をしてみてはいかがでしょうか。一生懸命な姿は、かっこ悪くても、きっと町の人の心に響くはずです

Editor's Note

編集後記

𠮷里さんの話のなかで、「東川町は町民の1人1人が『東川って写真の町なんだよ』『東川ってこういうところがいいんだよ』と広報ができる」という言葉がとても印象的で、「写真」や「まち」といったスケールの大きいことを1人1人の視点まで落とし込み、1人1人を大切にされている丁寧な関わり方がとても素敵だと思いました。
前向きに、丁寧に、貪欲に、僕も進んでいきたいと思います!

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