サスティナブル
至るところで名前を耳にする起業家たちにも、必ずあった新卒時代。今なお果敢に、そして楽しそうに挑戦を続ける彼らは、新卒時代に一体どんな経験をし、何を学び、大切にしてきたのか。
今回は「起業家のファーストキャリア」というテーマのもと、飛躍を遂げ続ける起業家らのキャリアに迫ります。
第2回目の本企画で取材をしたのは、牧草栽培から牧草和牛の繁殖や肥育、食肉加工、精肉店、レストラン経営、卸売などを行ってきた畜産ベンチャーのGOODGOOD株式会社の創業者である野々宮秀樹さん。
野々宮さんは、大学生で起業をしてから現在に至るまで、さまざまな業種、業界でビジネスをしてきた人物です。
現在は、GOODGOOD株式会社の事業として、北海道厚真町で約100年後に世界初の『和牛メゾン』をグランドオープンさせるため、畜産業に挑んでいる野々宮さん。
今回は、そんな野々宮さんが起業家となるまでの思いや経験から、起業家としてどのようなことを軸にビジネスを行うのかを紐解きます。
野々宮さんは、お金ではなく文化力を原資に未来へ投資をするという『文化資本主義』に基づいたビジネスで、持続可能な食肉文化を築くための『和牛メゾン』構想プロジェクトを推進している起業家。
北海道厚真町で進められているこのプロジェクトは、なんと104年後の2125年にグランドオープンを目指した長期プロジェクトだというから驚きます。
そもそも『和牛メゾン』構想のはじまりは、野々宮さん自身が無類の肉好きであったことから。
『和牛メゾン』構想を見据え、自社で飼料栽培から、和牛の繁殖と肥育から精肉レストラン経営や卸売業までを行ってきた強みを活かし、満を辞してスタート。
主に牧草和牛の生産過程を見学・理解できる施設をつくり、生産情報を開示することで購買につなげる仕組みを目指し、100年をかけて畜産業に挑んでいます。
そんな野々宮さんは、現在43歳。19歳で学生起業家となって以降、人生の半分以上の年月を起業家・経営者として過ごしてきました。
ファーストキャリアは金融業界。金融スキームを使ってゴルフ場や飲食店を経営、30代は弁護士法人やファンド運営するなど事業ドメインを変えながら、起業家として道を歩んできました。
手がけてきたビジネスは多岐にわたるものの、ベースは事業配当受益権の流動化を活用したビジネスを展開されてきました。
事業配当受益権の流動化とは、経営の権利だけを残し、収益を受け取る権利を細分化し、流動化して、価値や権利を自由に売買できる仕組みのこと。
エクイティ金融の仕組みを活かして事業を手がけてきた野々宮さんでしたが、35歳のとき、以前と比べて、資本主義の価値創造における局面のお金の価値が下がってきたことを感じはじめます。
「今から10年程前に、資本主義はお金の価値だけでなく人的資本の価値も上がってくるのではないかと思ったんです。その中でも、文化力が価値創造に必要になってくると思うにようになりました」(野々宮さん)
価値創造や保存の原資は、金銭から人に一部シフトしていくと考えた野々宮さんは、今後はゆっくりと着実に価値を生み出したり、保ったりするビジネスがブルーオーシャンだと思うようになったと当時を振り返ります。
そして、金融の世界から徐々に離れ、畜産業に挑むためGOODGOOD株式会社を創業。
「どんな事業もみんなで楽しもうよ」という思いを大切にする野々宮さんは、事業配当受益権の流動化や事業開発をしてきた金融の専門家から、資本の考え方をアップデート。
金融資本から文化資本へと転換し、食肉文化の価値を流動化させる専門家となって、畜産業を楽しんでいます。
野々宮さんが起業家となるきっかけは「女性にモテたい一心からだった(笑)」とのこと。
「欲しかった車を親から新車で買ってもらっていた友人がいて。それで、自分の力で車を購入し、友人よりも異性にモテるようになるためにはどうしたらよいか……そんなことを考えたら社長になることが一番の近道だと思ったんですよ(笑)」(野々宮さん)
最初から経営者になることを目指していたというよりも、自分が抱いた課題をいかに効率よく解決するかを考えた結果、経営者としての一歩を踏み出すことになります。
学生時代から稼ぐ力をつけ、19歳という若さで組織論を学び始め、試行錯誤をしながら、経営者としての力をつけていった野々宮さん。
学生起業家となってから現在に至るまで、数々の事業を手がけたと聞けば、これまでの起業家人生を順風満帆に過ごしてきたようにも捉えられますが、事業がうまくいかなかったことも多々あったといいます。
そんな中で、野々宮さんが常に意識していたのは「周囲がやりきれていない残りの2割の努力をして、圧倒的な偏差を持つこと」。
『残りの2割』とは、どういうことなのでしょうか。
「自分がやることは、度が過ぎるほど頑張りたいという思いがあります。僕らの周囲には、8割くらいまで努力する人たちは溢れているんですよ。大抵の人は8割頑張って周囲と同じくらいの状態に自分がいるとわかった途端に、それ以上の努力をせずに終えてしまう。
でも8割頑張って、新しいことに手を出すよりも、残った2割を頑張ってプロフェッショナルになる方が、時間や労力、ドメインの広がりを考えても効率的ですし、何より突き抜けられると思うんです」(野々宮さん)
残り2割を頑張る姿勢を大事にするようになった理由のひとつは、「アパレルメーカーを営んでいた実家を継ぐという選択ができなくなったから」と話します。
「当時の僕は当然、家業を継ぐだろうと思っていたんですが、父は血縁相続をしないと決めていたようで、小学5年生の時に父から『お前はクビ』と言われました(笑)。
継ぐという選択肢がないのならば、どうにかしなければいけないと思い、自分の生きる道をそこから模索していたんです」(野々宮さん)
常に目の前に起こることに向き合い、「自分ならばどうするか?」という思考を持ちながら、ひとつの分野で誰よりも突き詰めようとする姿勢を持つ野々宮さん。この姿勢が起業家としての成長に繋がります。
今、世の中は多様性が増し、一人ひとりが自分の人生を自分で選択しやすい時代になりました。だからこそ、自分の軸となる思いがないと生きづらい世の中になったともいえるかもしれません。
では、ビジネスにおいて、野々宮さんが大切にし続けている思いはなんなのでしょうか。
「選択肢は無限にあるからこそ、ビジネスはホッピングやピボットしても恥ずかしくない時代になっていると思います。それは正直『逃げ』やすい状況でもあると感じていて。だからこそ私は『逆張り』を大事にしています」(野々宮さん)
『逆張り』というのは金融業界の言葉で、投資手法のひとつ。相場が下落する局面で買い、上昇する局面で売るというやり方のこと。相場の大きな流れに逆らうような動きの投資手法のため『逆張り』と呼ばれます。
逆張りのポイントは、何を基準に株価を評価して、取引するかということ。
これを事業を行うことに当てはめて考えてみると、「自分がどんな生き方をしたいのか、そしてどんな絵を描きたいのかを考えて、事業を行うことが大事だと思います」と野々宮さんはいいます。
「世の中にたくさんの情報が溢れると、結果として普遍化するんですよね。自分の色を出そうとした結果、同じようなものが生まれてグレー色になってしまうのは残念すぎる。だからこそ、まずは、自分がとんな絵を描きたいのかを考えることが大事なんです」(野々宮さん)
ビジネスをするうえで自分のスタンスを持つことの重要性を痛感している野々宮さんですが、そんな野々宮さん自身も、「自分は何者なのか」と悩んだ時期もあったんだそう。
「事業ドメインによって成長スピードも異なるのに、若いときは周囲が先に進んでいるように見えるときがありました。でも、目の前のことを着実にやり続けることで自分の描きたいキャンバスが見えてくると思うんですよね」(野々宮さん)
戦略や経験を重要視する以上に、自分のやっていることに情熱を持って集中することで、面白がってくれる人や共感する人が現れ、応援者が自然と増えていく。
そうすると、さまざまな世代の人とも接点を持てるようになり、彼ら彼女らからの時間や情報のギフトが自分にとって有益なヒントになると考える野々宮さん。
「仕事というのは、最後はスペシャリストのもとに集まってくるものだと思います。ひとつのことだけに特化しているのがよいという意味だけではなくて、ジェネラリストも数多いる中で、ジェネラリストのスペシャリストであればいい。そうすればドメインの広がりもあると思います」(野々宮さん)
ビジネスに対する姿勢や取り組み方を話してくれた野々宮さん。自分がどうありたいか、どんな未来を描きたいかを考え、目の前のことに精一杯取り組んだ先に、道は拓けてくる。
野々宮さんの姿勢は、起業を目指す人、今経営に悩む人に勇気を与えてくれるのではないでしょうか。
Editor's Note
「残り2割を頑張った先に、突き抜けられる」という野々宮さんの言葉を聞いたとき、他の追随を許さない起業家たちの共通点だと、非常に共感を覚えました。そして、野々宮さんのお話を通して、意思あるところに人も仕事も集まってくるということを改めて感じました。
ASUKA KUSANO
草野 明日香