フリーランス
※本記事は「ローカルライター養成講座」を通じて、講座受講生が執筆した記事となります。(第3期募集もスタートしました。詳細をチェック)
今回取材をしたのは、起業家養成講座の受講をきっかけに『一般財団法人こゆ地域づくり推進機構(以下、こゆ財団)』で働くことを決め、都内から宮崎県新富町に移住した有賀沙樹さん。
現在はフリーランスとして、イベント制作や広報、Podcast(インターネットラジオ・インターネットテレビの一種)制作などの業務を中心に活動しています。
会社やフィールドに関係なく「面白そうだから、一緒にやろう!」を合言葉に、楽しい事に積極的に関わりながら働いている有賀さんですが、一体どんな一歩を踏み出して、共感できる人達との関わりを引き寄せながら、自分軸で働いているのでしょうか?
私、ディズニーが大好きなんです。
取材の第一声が自分の好きから始まった有賀さん。高校時代から “株式会社オリエンタルランドに就職する” ことを目標に掲げ、逆算して人生設計をしたと言います。
「残念ながら新卒ではオリエンタルランドに入れず、営業職を選びました。営業力があれば、オリエンタルランドの仕事にも活きると思って。その後、中途でオリエンタルランドの子会社で広報の仕事に携われたんです」(有賀さん)
大好きなディズニーに関わるという念願を叶えた有賀さん。このまま順風満帆に進むかと思いきや、“とある疑問” を抱きます。
「ある時ふと『果たして私はディズニーで何がしたかったのだろう…』と、全く先が見えなくなりました。『ディズニーに関わりたい!その場にいたい!』だけだった私は、関わった先の事までを思い描いてなかった。『私は人生の中で何を成し遂げよう』『何をしたら私のいる意味があるのだろう』と、そこから自分探しが始まりました」(有賀さん)
自問自答を進める中、「本当に世の中になくてはならない仕事をしたい」と思い立った有賀さんは、誰もが “大変” と言う「福祉業界」で働くことを決めます。
「『大変だからやめときな』と言われることが多かったんですが、助言してくれる方の中に介護経験がある方はほとんどいなくて。それなら『自分の目で見よう』と思いました。知らない中で判断するのは嫌だったんです。
実際に介護業界に入り2年半ほど働きました。やりがいを感じていたので、ずっと働くつもりでしたが、偶然TVで見たクラウドファンディングの会社にご縁を感じて衝動的に転職しました」(有賀さん)
有賀さんは各社での経験を元に、自分の「苦手なこと」を自己認知していくようになります。
「“終わりのない仕事” をどこまでやればいいのかわからなくて、邁進するあまり心を壊してしまったんです。当時は『誰かのために働くことが正義』とか『世のため人のために貢献するべき』とか、強迫観念に近しいものを感じて働いていました。
でもそもそも私は、毎日同じ時間に出社して、誰か固定の人が隣に居て、電車に乗って帰るという一般的な会社員の生活ができなかった」(有賀さん)
クラウドファンディング会社を退職後、一定期間の休息時間を経て、フリーランスという生き方にたどり着いた有賀さん。仕事に対する価値観にも変化があったそう。
「ずっと『みんなできているのだからやらなきゃ』と思っていましたが、『無理なものは無理』『出来ないことはできない』と割り切れるようになりました。
今は『世のため人のために貢献すべき』という考えは横に置いて(自分の主軸から外し)、自分が苦手なことは誰かにお願いをすることで、“全部自分で抱える” を辞めたら生きやすくなったんです」(有賀さん)
フリーランスになった直後は、東京でマナー講師として忙しく働いていた有賀さんでしたが、そこに新型コロナウイルスが直撃。半年先まで埋まっていた予定は全てキャンセル。予定が真っ白になったと言います。
「フリーランスの危険性を体感したと共に『これは、神様が次のステージに行けとお告げをしているのかな? 仕事を辞めるタイミングだ』と思って。次の仕事を探しているときに、こゆ財団が主催する起業家養成講座を見つけました」(有賀さん)
「起業家になるつもりはなかったんですが、こゆ財団に興味が湧いたんです。講座を受講すれば、間違いなくこゆ財団の人と関わることができると思い、起業家養成講座への参加を決めました」(有賀さん)
講座の趣旨とは全く異なる動機で受講を決めた有賀さんですが、 “とある出来事” によって、起業家養成講座に本気で挑むことになります。
「こゆ財団の代表理事を務める齋藤さんが放った『アイデアに価値はない!』の一言に悔しさを覚えたんです。『絶対に結果を出してやろう』と思って、最終プレゼンの発表はもちろん、その後もアイディアを形にするために動きました」(有賀さん)
実は今、有賀さんの仕事の一つである「Podcast」はこの起業家養成講座で生まれたアイディア。自分自身で企画をつくり、ゲストへ登壇依頼を行い、収録・編集・公開をしていく。この一連の流れを行っている中で、Podcastの制作依頼が舞い込むようになります。
「Podcast制作は初めてづくしでしたが、久しぶりに “良い緊張感” を味わえて。『ああ、本当のチャレンジってこんなにもドキドキするんだ!もっとやりたい!』と心の扉が開いた感覚。これまでもずっと私自身はチャレンジしているつもりだったんですが、挑戦しきれていなかったし、私はもっと可能性を秘めていると思えたんですよね」(有賀さん)
その後有賀さんは、こゆ財団からの誘いもあり「東京よりもこゆ財団のある宮崎に行ったほうが挑戦できそう」と、トントン拍子に宮崎への移住も決めていきます。
「『移住したい』が入口だった訳ではなく、こゆ財団の理念や想いに共感したから移住を決めました。移住ありきで探していたら、別の地域だった可能性もあるかもしれない。『ご縁』と『タイミング』と『人』が移住を決めるきっかけになったことは間違いありませんね」(有賀さん)
一歩も二歩も踏み出したからこそ、共感できる仲間と出会い、自分らしい生活をしている有賀さん。とはいえ、挑戦には「不安」や「怖さ」を感じることはないのでしょうか。
「人生で起こることは、すべて “ネタ” だと思っています。実は最近、新富町のメンバーから『さきちゃんの強みは “ずうずうしさ” だよね』って褒め言葉をいただいたんです(笑)。
誰に対しても臆することなく切り込んでいく姿勢に対して言われたんですが多分、新卒時代の過酷すぎる訪問販売の営業経験が今の自分をつくっていて。過酷な経験は今尚ネタですし、今になって私の強みとしても現れた。
いろんなアクシデントを経験しているからか、もはや平穏無事なほうがちょっと不安に感じることもあるくらいなんです。安定の中にいるとつまらなくなっちゃうので、カオスの方が面白いなと思っています」(有賀さん)
行く先々での出会いを楽しみ、その時にしか掴めないチャンスを手にしてきた有賀さん。一見、不安定な人生に見えるかもしれませんが、有賀さんにとっては精神的に安定できる生き方になっています。
今後も「人」と「仕事」に真摯に向き合いながら、毎年アップデートしていきたい。有賀 沙樹
そう楽しそうに話す姿が印象的だった有賀さん。ドキドキする挑戦を重ねることで、彼女にしかできない生き方をつくっている有賀さんの今後が楽しみでなりません。
LOCAL LETTERでは、フリーランスという生き方以外にも「副業」や「複業」という挑戦で新しい人生を手に入れた人たちを取材しています。ぜひ他の記事もご覧ください!
Editor's Note
今一番やりたいことをうかがうと、「新富での“青春(あおはる)活動”!」と笑顔いっぱいで即答くださいました。
何の目的もなく、ただ面白そうだから“やる”というイベント企画。一緒に「なんか面白そうだからやろうよ!」っていう素敵な愉快な仲間たちがいることで、目的もなく楽しいことをやるのが、いま一番幸せな瞬間だそうです。
初めてのインタビュー取材でしたが、常に笑顔で対応してくださった有賀さんに救われる取材となりました。
YUKO FUJITA
藤田 裕子