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LOCAL LETTER

若手でも重鎮でもない。「富士山の文化と生きる家」を継いだ夫婦の継承のカタチとは

JUN. 02

YAMANASHI

拝啓、いつまでも若手ではいられないと感じながらも、次の役割に踏み出せずにいるアナタへ

地域の行事でも、組織の中でも、「もう若手ではいられない」と感じる瞬間があります。

かといって、長年その場を担ってきた人たちと同じ立場や振る舞いができるわけでもない。

伝統を大切にしたい一方で、このままでいいのかという迷いもある。

山梨県富士吉田市・上吉田(かみよしだ)地区。富士山麓に残る「御師(おし)の家」の18代目として、この歴史的建造物を受け継いだのが、大鴈丸一志(おおがんまるひとし)さんと妻の奈津子さんです。

御師とは、かつて富士山をご神体として信仰する富士山信仰の参詣者を迎え入れ、祈祷や宿泊の世話を担ってきた存在。江戸時代に栄えたその文化は、富士山の世界文化遺産登録*を機に再び注目を集めています。

一志さんと奈津子さんは、この450年以上続く御師の家をリノベーションし、2016年、複合型ゲストハウス「御師のいえ 大鴈丸 fugaku × hitsuki」 として再生させました。暮らしと仕事、地域の役割が重なるこの場所で、夫婦は10年にわたり、手探りで自分たちのやり方を探し続けてきました。

受け取るだけでも、守るだけでもない。二人がたどり着いた答えとは。

*富士山は2013年に世界文化遺産に登録。山梨県立富士山世界遺産センターhttps://www.fujisan-whc.jp/about/heritage.html

大鴈丸 一志(おおがんまるひとし)氏(右)fugaku wood works木工職人・御師18代目/
古材を生かすアップサイクルなどの手仕事で御師の家の空間を再生。450年続く家を継ぎ、後世へつなぐため富士山の歴史と文化を現代に伝える活動を行う。
大鴈丸 奈津子(おおがんまるなつこ)氏(左)hitsuki pilgrim’s inn 宿主・企画運営/
御師の家の宿を営み、季節の手仕事やワークショップなどを通して場を育む。アロマや占星術も取り入れ、祈りとともにある富士山の精神性を暮らしの中から伝えている。

両親は自由にさせてくれた。けれど気づけば、この場所に立っていた

一志さんは、450年以上続く御師の家、大鴈丸家の長男として生まれました。この地では代々、御師の継承は血縁の長男に限られてきました。

継ぐことになるんだろうな、ぐらいの気持ちはありました」と一志さんは話します。でも、強く意識していたわけではないといいます。

「祖父からこの家の18代目だと聞かされた記憶はあるものの、祖父の時代にはうちはもう富士講(富士山信仰の集まり)が来ていなかったので、子どもの頃の自分にはその意味がよくわかりませんでした。当時、祖父母はこの建物を守るため一般の方も受け入れる民宿を営んでいました」(一志さん)

一志さんは木工の道に進むため、一度東京へ出ましたが、その後、木工の修業も兼ねて日本中を旅して回るうちに、自分のルーツが気になり始めたといいます。

「この家のことをちゃんと残したい。自分の代でこの建物を潰すのは嫌だ。そう思って、25歳の時に富士吉田市へ戻ってきました」(一志さん)

しかし、戻ってみれば御師の家は物置同然でした。両親は維持していく難しさから建物の解体も考えていました。

祖父母が民宿「富岳荘」を営んでいたころから残っている石の看板。

「戻った頃は民宿も閉まっていて、家の中は昔のものが積み上がったまま。床も抜けているような状態でした」(一志さん)

しばらくは家のことには手をつけられず、一志さんは近くに工場を借りて、木工の仕事を続けていました。

転機は突然やってきました。

借りていた工場を出なければならなくなったのです。

「出るか買うか選択を迫られました。さらに、住んでいるところも出ていかなければならない状況でした」(奈津子さん)

それは、長男も生まれ、いつかゲストハウスをやりたいという夢を叶える時期でもありました。市の補助金が御師の家のリノベーションに使えることも判明しました。

「工場の木工機械も譲ってもらえることになり、全てのタイミングが重なって、神様がここに戻りなさいと言っているような気がしました」(奈津子さん)

その後二人は、クラウドファンディングも活用しながら、木工所とカフェを併設したゲストハウス「御師のいえ 大鴈丸 fugaku × hitsuki」を始めることとなります。

自分たちのやり方で、新しいものも少しずつ取り入れながら

上吉田地区にはほかにも御師の家の建物が残っていて、記念館として一般公開されている場所もありますが、一志さんと奈津子さんは新しい形の宿として残していく選択をしました。ゲストハウスをオープンして2026年で10年。当時からずっと続けているのは、お客様に御師や富士山の文化を伝えていくことだといいます。

「毎回チェックインのたびに丁寧に説明しています。持ち帰ることができるリーフレットも作成しました。

説明をした時は納得してくれても、意外と忘れちゃうんですよね。以前、フランスのお客様がすごく興味を持ってくれてインスタに投稿してくれたのですが、後から『あれは何だったっけ?』とメールで何度も聞かれたことがありました。

それがきっかけで、一目で御師や富士山信仰がわかるものが必要だと感じたんです」(奈津子さん)

また、地元の学芸員を講師に招いた勉強会「御師のお話会」を約8年ほど続けていたといいます。

まずは私たちが勉強して、伝えられる形にしたいと思っていました。とにかく知りたいという想いでやっていました」(奈津子さん)

御師や富士山信仰についてゲストに説明する一志さん

こうして伝えることを10年続けてきた二人ですが、言葉で伝えることの限界も感じるようになったといいます。

「御師の文化を伝える活動は続けてきましたけど、もっとポップにというか、興味を持ちやすくなる入り口を作りたいと思っています」(一志さん)

ヒントは、歴史の中にもありました。

「昔は葛飾北斎がそういう入り口の役割を担っていたんじゃないかと思います。多くの人が富士山に魅了されて、アーティストも感化されて絵を描いて、それを知らない人が見て感動する。そして実際に訪れてみようと思う人が出てくる。アートって、そういう入り口になれると思うんです」(奈津子さん)

そのような想いを形にしようと、二人は2025年、「一般社団法人One drop」を立ち上げました。

「名前には、ひとしずくの想いが波紋のように広がるというメッセージを込めています。1人1人の小さな想いや感性を大切にしていきたいです」(奈津子さん)

秋、大雁丸家の屋根の上から見えた富士山

構想の核にあるのは、「アーティスト・イン・レジデンス」です。地域に滞在しながら制作するアーティストを迎え入れ、富士山の文化や町の空気から感じ取ったものを作品として発表できるギャラリーをつくりたいといいます。

「富士山ってすごく不思議なエネルギーを持っていると思っています。でもそういう感覚的なものを言葉にするのはすごく難しい。だからこそ、感じたものをアートという形でアウトプットできる場を作りたいんです」(奈津子さん)

言葉ではなく、感覚で伝えていく。

その方向性は、木工職人である一志さんと、芸大出身の奈津子さんという二人のバックグラウンドとも自然に重なります。

「確かに元々私たちの中にアートのベースはありました。でも以前はそんなことは考えていませんでした。やっぱり続けてきたからこそ気づけたことなんだと思っています。10年かけてやっと見えてきた伝承の新しい形です」(奈津子さん)

fugaku wood worksの組子アート作品

内側から外側へ——地域を支える一員になるということ

新しい伝え方を模索する一方で、二人の意識は少しずつ、この家の外側へと広がっていきました。

毎年8月に開催される「吉田の火祭り」は日本三大奇祭の一つに数えられ、400年以上の歴史を誇るともいわれています。富士山の山仕舞いを告げるこの祭りには、毎年多くの人が訪れます。

その裏側には多くの人たちの支えがあります。年間を通じて祭礼を支えているのが「祭典世話人」通称、世話人の存在です。普段はそれぞれ別の仕事をしながら、北口本宮冨士浅間神社の主要な年間行事の運営に関わります。

一志さんは昨年、12人の世話人の中でも「最長老」というリーダー的役割を担いました。世話人は上吉田にゆかりのある、数えで42歳の厄年までの既婚男性の中から選ばれ、最年長者が最長老となります。

実はそれまで、何年もオファーを断り続けていたといいます。

「親父がやっている姿も見ていましたが、自分がやるとは思っていなかったです。でもどうせやるなら最長老でやりたいと思うようになって、その条件を満たすタイミングで声をかけていただき、引き受けました」(一志さん)

2025年8月の「吉田の火祭り」の様子

引き受けて初めてわかったのは、祭りの見え方がまるで違うということでした。

世話人とは、祭りの協賛金集めや松明づくりに関わること、氏子地域への挨拶回りなど様々な実働で神社の行事を支える裏方です。毎週のように連絡や準備に追われ、普段は電話をあまりしない一志さんも携帯電話を手放せなかったといいます。

「地域ではとても名誉のあることだと思います」と一志さんは真剣に語ります。

横で見つめる奈津子さんも同じ想いでした。

関わらないとわからないことがたくさんあると思いました。

世話人って、火を消したりする地味な作業を、裏方として汗水垂らしてやっている。

こういう人たちがいるからこそ、多くの人たちが見に来たくなるようなお祭りが出来上がるんだと改めて感じました。終わった後は皆さん泣いていて。本当に感動しました」(奈津子さん)

祭りの裏側を知り、それまでとは全然違う目線で見ることができた一年だったといいます。

「やって良かったと思うのは、地域の一員になれた、貢献できたということです。それが一番大きいですね」(一志さん)

そして今、一志さんたちは「旧世話」として現役の世話人を支える役割を担っています。

2025年の世話人の皆さん

「受け取る側」から「手渡す側」へ。作りながら渡していく、御師の未来

「最初はとにかくここを守っていこう、自分たちも楽しめる空間を作ろうという想いだけでした。でも、だんだんと次の世代へちゃんと届けられるようにしたいという想いが強くなりました」と奈津子さんは振り返ります。

「若い世代にも伝えていきたいと思っています。自分の子どもたちには必ずしも継いでほしいとは思っていませんが、私たちが伝えなければ、子どもたちが知る機会すらなくなってしまうなと」(一志さん)

上吉田には、御師の家の後継者たちによる「御師団」という組合があります。

約33軒が加入し、年間の祭事や地域交流を支えています。

建物として現存する御師の家は14軒ほどになりましたが、先祖が御師だったという縁で横浜など遠方から足を運び、つながりを守り続けている人もいます。

その御師団の中で、担い手の高齢化が進んでいることを感じていた一志さんと奈津子さんは、2〜3年前に3、40代を中心とした「青年部」を立ち上げました。LINEでつながり、榊を採りに行ったり、お祭りの際に掃除を担ったりと、次世代が少しずつ役割を引き受け始めています。

このように地域に仲間を増やしていく一方で、自分たちの足元の活動においても、変化の時を迎えています。

「この10年、ほぼ二人でやってきた」と一志さんは話します。

「そろそろ仲間が必要だと思い始めています。一緒に木工作業をする人でも、SNS*で発信してくれる人でも、御師のいえやOne dropの活動を一緒にやってくれる人でも」(一志さん)

*御師のいえ大鴈丸公式Instagram https://www.instagram.com/fugakuxhitsuki/

仲間を求め始める一方で、二人は自分たちが担う役割についても、新たな展望を持っていました。

御師の本来の役割の一つは富士講のために祈祷を行うことでしたが、時代とともに富士講が減少し、祈祷も口伝によって受け継がれていたため、次第に途絶え、二人の代では継承できませんでした。

「僕らが知っていることを伝えていく。それが、僕らなりの『現代版御師』だと思っています」。

一志さんが話す通り、二人はこれまで、自分たちなりの方法で御師の文化を受け継いできました。

現在は、将来的には神職の資格を取ることも視野に入れているといいます。

「神職の資格を取れば祈祷もできるようになります。そうなると、昔やっていたようなお清めができるようになるので、またちょっと変わってくると思うんです」(一志さん)

一志さんが丁寧にリノベーションをして、長らく別の場所に移してあった御神前を本来の場所に戻した。

二人がずっとやってきたのは、新しいことを取り入れながらも伝統をつないでいくこと。

「文化は残すだけじゃなくて、作っていくものでもあると思っています。作りながら引き継いでいきたいと考えています」(奈津子さん)

御師の家に生まれ、18代目として文化を受け継いできた一志さん。そして隣でともに歩んできた奈津子さん。二人がたどり着いたのは、「残す」ではなく「作りながらつないでいく」という姿勢でした。

伝統は、守るだけでは続きません。新しい色を加えながら、次へ渡していく人がいて、初めて生き続けるのかもしれません。二人はきっとこれからも、自分たちならではのやり方で、伝統とともに歩み続けていくことでしょう。

Editor's Note

編集後記

思い出を持ち帰るツールとして、ステッカーや珈琲を販売するご夫婦。珈琲は味に惚れ込んだ「富士山の溶岩で焙煎されたもの」を選び、パッケージを自作したこだわりの品だそう。珈琲好きの私としてはとても気になります。

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