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LOCAL LETTER

人生の終わりはわからない。腕時計メーカー起業者が、地域で時を刻む理由

OCT. 27

FUKUSHIMA

拝啓、ローカルへ移住した実業家のストーリーやマインドに触れたいアナタへ

都会から地方へ移住してみたいけど、何かと不安が尽きない。自分が好きなことにチャレンジしてみたいけど、失敗したらどうしよう。

目まぐるしく変化する社会や生活の中で、自身の生き方や将来に悩みを抱える人はきっと少なくないと想像します。

今回取材したのは、出身地の埼玉県大宮市から福島県南相馬市へと移住し、腕時計メーカーを立ち上げた株式会社Fukushima watch companyの代表取締役、平岡雅康さん。学生の頃から虜になったという時計で自身のブランドを立ち上げた、その経緯や思いに迫ります。

地方への移住と起業に決断を導いたのは、未曾有の災害を目の当たりにしたことによる価値観の変化でした。

南相馬市小高地区のFukushima watch companyでお話を伺いました photo by Ryosuke SAKAI(LON)
南相馬市小高地区のFukushima watch companyでお話を伺いました photo by Ryosuke SAKAI(LON)

新卒から一貫している「時計」を通じた仕事。世界を広げた「時計」の存在

平岡さんは学生時代にG-SHOCKとスウォッチが日本でブームになったこともあり、10代の頃から時計の虜に。中でも高校生のときにフリーマーケットで出会ったという機械式時計に、感動を覚えたそうです。

「最初は、ファッションとして時計を好きになりました。ただ、とあるフリーマーケットで偶然SEIKOのアンティーク時計が売られていて、出店していたおじさんから『振れば動くんだよ』と言われたんです。初めは一体どういうことだと疑問に思っていましたが、その緻密なゼンマイの仕組みを知れば知るほど奥深さを感じて。

しかもそれが60年代とかにつくられていたことを知り、昔の人ってすごいなあ、と。あの頃は同じアメフト部だった数名の友達と、部活帰りにコンビニの雑誌を立ち読みしては、互いに高級時計のウンチクを語り合っていましたよ。練習もそっちのけで、まったく買えもしないのにね(笑)」(平岡さん)

商品のディスプレイとして、平岡さんはいつも両腕に腕時計を着けているそう photo by Ryosuke SAKAI(LON)
商品のディスプレイとして、平岡さんはいつも両腕に腕時計を着けているそう photo by Ryosuke SAKAI(LON)

当時の体験や思いを大切にし続けた平岡さんは、新卒で時計の都内商社へ入社。バイヤーとして大好きな業界の仕事に就き、がむしゃらに働く日々を送りますが、その中でスイスやドイツなどのヨーロッパと日本の時計のギャップを感じたと言います。

「海外のメーカーと比べてみると正直、日本の時計にはあまり華を感じませんでした。比較的地味な商品が多かったんですよね。だから、世界的な時計を知れば知るほど『自分だったらこんな時計をつくるのにな』『もっと面白い時計をつくりたいな』と考えるようになりました」(平岡さん)

東日本大震災がもたらした価値観の変化。自分に正直に、楽しいか楽しくないかを大事に

そんな思いを抱えたまま過ごしていた30代のとき、東日本大震災が発生。趣味の花火が高じてつながった縁で東北地方にも多くの知人がいたこともあり、平岡さんはボランティアとして週末に沿岸部の各地へ赴きます。その活動を重ねる中で、ぼんやりとしていた時計づくりへの想いが輪郭を帯びてきたようです。

「被災地の人間ではありませんし、被災者でもありませんが、やっぱりあの大災害で人生観は変わりました。人生っていつ終わるかわからないし、それは突然やってくるんだなと痛感させられたんです。だからこそ、人生をもっと大切にする意味で、自分に対して正直に、好きなものに取り組んでいこうという感覚が強くなっちゃったんですよね」(平岡さん)

優しい表情が印象的な平岡さんです photo by Ryosuke SAKAI(LON)
優しい表情が印象的な平岡さんです photo by Ryosuke SAKAI(LON)

また、生きる上での優先順位も変化してきたと話します。

「自分がさまざまな選択をする上で、次第に『楽しいか楽しくないか』を大事にするようになりました。もちろん最低限の仕事はしなければなりませんが、自分が20代の頃のような我慢をして一生懸命に仕事をする、みたいな経験とは異なる価値観で。段々と時計への気持ちも変わってきて、その頃から自分のブランドをつくってみたいなと思い始めていました」(平岡さん)

腕時計メーカーを起業。東北への移住と起業にこだわったワケ

震災がきっかけのひとつとなり、自身の時計ブランドを立ち上げる思いが芽生えた平岡さんは、岩手・宮城・福島の各地をボランティアで巡る中で、その熱意を強めていきます。

「当時は宮城県石巻市の雄勝町によく行っていましたが、まちがほぼ津波で流されて、人も減り、もちろん仕事もなくなっていました。ただ、あの頃の世の中では復興という言葉が盛んに伝えられていて、じゃあ今の自分には何ができるのだろうと考えたんです。

ずっと時計業界にいたこともあり、まあ何より時計が好きだったので、東北で時計の会社を立ち上げられれば、産業を起こせるのではないかと思いました。時計にはいくつものパーツが必要なので、地域に仕事もつくれるし、それに時計なら外貨を稼ぐこともできるのではないか、と」(平岡さん)

そう閃いた平岡さんの頭の中には、それまで仕事で訪れていたスイスの「時計業界のあり方」があったそうです。

「スイスのジュネーブという都市は、人口およそ19万人のまちに時計メーカーだけでおよそ600社があり、時計のパーツをつくる専門会社も揃っています。その数にも圧倒されますが、メーカーごとの規格をあえてつくらないことも日本と違う特徴なんです。時計業界に携わる人たちが横のつながりを持つことで、世界的な産業へと発展を遂げています。

業界全体で同業者を大切にする考え方に共感して、日本でも実現できないかと、2018年にまずは地元の埼玉で自分のブランドを立ち上げました。当初から、いずれは東北に拠点を置きたいと思っていたんですが、具体的な場所は全く決まっていませんでしたね」(平岡さん)

2018年に高校時代のアメフト部の友人と立ち上げたというmirco photo by Ryosuke SAKAI(LON)
2018年に高校時代のアメフト部の友人と立ち上げたというmirco photo by Ryosuke SAKAI(LON)

そんな中で、趣味で行っていた花火師の活動で訪れた南相馬市の小高地区に、強い魅力を感じたと平岡さんは続けます。

「長く東北のボランティアに携わっていく中で、どのまちも沿岸部は防潮堤や箱物が増えて、気づいたらまったく違うまちに生まれ変わってしまうことも、当たり前の光景になっていました。でも小高に来たとき、ここだけは何の手も施されていないような状態で、それが自分の中で衝撃的だったんです。

福島原子力発電所から20km圏内で危険区域に指定され、震災後は5年ほど人が住めなかった影響ですが、私はある意味、奇跡なのではないかと感じました。これだけ自然が大切に残されていることは、他の東北のまちには感じられなかった個性で、とても魅力的で。『(拠点を構えるなら)もう小高しかない』と思いましたね」(平岡さん)

小高地区に心惹かれた平岡さんは、2022年9月に移住。その2ヶ月後にFukushima watch companyを立ち上げました。

2022年11月に設立されたFukushima watch company photo by Ryosuke SAKAI(LON)
2022年11月に設立されたFukushima watch company photo by Ryosuke SAKAI(LON)

時計を通じて地域を伝えていく。商品としての時計へのこだわり

移住後に発表した腕時計「Odaka」は、人目を引く鮮やかなカラーが特徴。また、そのネーミングにもこだわりを込めたと平岡さんは話します。

「Blueberry blueやBroccoli greenなど、小高で生産されている農作物を名前に入れました。小高って食べ物がものすごく豊かで、とにかく美味しいんですよ。個人的に日々幸せを感じています。そして、そんな農作物をつくり続けている農家の方には、リスペクトしかありません。

小高で時計をつくるなら、時計を通して小高の魅力や地域のストーリーを伝えることを大事にしたいんです。僕の時計が広まることで、小高のことを知ってもらえるかもしれませんからね」(平岡さん)

5色展開のOdaka photo by Ryosuke SAKAI(LON)
5色展開のOdaka photo by Ryosuke SAKAI(LON)

また、長く時計を愛してきた平岡さんは、時計という商品にも強い思いがあるようです。

「僕はあくまで、時計ではなく時間を売っています。購入していただいたお客様と、時計を介して時間やストーリーを共有している感覚。モノの共有はTシャツや靴などさまざな商品でも言えますが、時間の共有は時計にしかない要素だと思っていますからね」(平岡さん)

時計に囲まれながらの取材となりました photo by Ryosuke SAKAI(LON)
時計に囲まれながらの取材となりました photo by Ryosuke SAKAI(LON)

ブランドの今後のビジョンについても教えてくれました。

「福島県内の各市町村をテーマにした時計をつくりたいと思っていて、その第一弾がOdakaでした。そして震災のときに考えたように、全ての時計のパーツを福島県内で完結させたいです。今は東北の各地で揃えているパーツですが、いずれ福島県内だけで網羅できるように。

自分がそのベースづくりに取り組みながら少しずつ形にすることで、僕みたいに『日本で時計をつくりたい』というベンチャー企業が、出てきやすくなるのではないかとも思っています。そうなると、また時計業界が盛り上がって面白くなるだろうし、いろんなアイデアが生まれる気がしているんです。僕も他の人がつくるいろんな時計を見てみたい。決してライバルなどという感覚ではありませんよ」(平岡さん)

ローカルとビジネス。感情的にも戦略的にもフィットした、地域での起業とは

埼玉から福島へ拠点を移した平岡さんは、ローカルでビジネスを展開する感覚についても話します。

「東京中心の首都圏は、人も会社も店舗も多くて、確かにビジネスはしやすいのかもしれません。しかし、あまり横のつながりは感じられませんでした。例えば、マンションの隣の部屋にどんな人が住んでいるか分からないんです。それに比べてローカルは、とにかく人が温かくて、深い関係性があります。

特に南相馬の場合は、最初からここに住んでいた皆さん全員が、一度は地域を離れて“よそ者”を経験していることもあり、僕が見てきた中でも別格なコミュニティだと感じています。皆さん優しいし面倒見が良いし、ここに移住して起業する人が多いことも頷けますよね」(平岡さん)

平岡さんの今後の活躍にも注目が集まります photo by Ryosuke SAKAI(LON)
平岡さんの今後の活躍にも注目が集まります photo by Ryosuke SAKAI(LON)

「小高は本当に、最高ですね。埼玉の友人も移住させたいぐらいです」(平岡さん)

信念を貫き、南相馬市小高地区へ移住したことを楽しそうに語る平岡さん。そのにこやかな表情は、充実感で満ち溢れているように見えました。

Editor's Note

編集後記

物腰は柔らかく、語り口は優しく、そしてどこか飄々とした雰囲気も印象的だった平岡さん。自分や社会としっかり対話して実直に生きる姿勢や、何より着実に物事を実現していく行動力はとても刺激的で、取材しながら憧れが芽生えました。

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