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岐阜
「ナイフのことは全然わからなかったから、家業を継ぐにしても、お店を全く別の業態に変えようかと考えていたんです」
明るく語るのは西村陽子さん。岐阜県関市にあるナイフ専門店・株式会社山秀の3代目社長です。

陽子さんの前職は幼稚園の先生。もともと家業を継ぐ気はありませんでした。自分が社長になるのであれば自由に好きなことをやろうと考え、ナイフの取り扱いは辞めてもいいとさえ思っていたそうです。
さまざまな葛藤を抱えつつ社長に就任し、今年で10年目。ご自身のやりたいことを実現しながら、現在もナイフの販売を続けています。
陽子さんはどのような思いで会社を継ぎ、社長業に取り組んできたのでしょうか。
お話をうかがってみると、家業を維持発展させながら自分らしく生きていくためのひとつの答えに辿り着きました。
山秀がある関市は世界三大刃物産地にも数えられる刃物のまち。鎌倉時代に刀が作られるようになり、刀匠が集まる一大産地となりました。
陽子さんの祖父・山田秀雄さんは、山秀の前身である「山田秀雄商店」を1940年に創業。美濃市で事業を始め、1985年に関市内へ移転させています。
社名を「株式会社山秀」に変更したのは1992年。同時に、陽子さんの父・山田敏雄さんが2代目社長に就任しました。
それまで、敏雄さんは関市内に本社があるナイフの専門商社に勤めていたそうです。
「父はアメリカに行きたくて商社に入社したと聞いています。ニューヨークやシカゴで支社を立ち上げるタイミングで母と結婚し、一緒に渡米したそうです。そこで私が生まれました」
社長就任後も、敏雄さんは買い付けのために毎年アメリカへ。
「山秀にはショールームがあります。父がアメリカから持ち帰ったナイフを見たいというお客さんのために事務所の片隅に置いたのが始まりです」

敏雄さんはアメリカで始まっていたインターネット販売にもいち早く目をつけ、山秀に取り入れました。まだ日本では「人はインターネットでものを買わない」と言われていた1997年のことです。
新しい販売方法やサービスを積極的に取り入れ、山秀の事業を成長させていった敏雄さん。
「アメリカが好きな父は、カウボーイハットにブーツを履いていて目立っていました。ガラケーが主流だった時代にiPhoneをいち早く使っていましたし、自分が良いと思ったものはどんどん取り入れる人です」

陽子さんは敏雄さんに連れられ、10代の終わりにアメリカのカスタムナイフ・ショーへ足を運んだそう。
「1本ずつ手作りされたカスタムナイフを見て、すごく綺麗だと感じたのを覚えています」
とはいえ、陽子さんはナイフについて専門的な知識や思い入れがあるわけではなく、まさか自分が会社を継ぐとは夢にも思っていませんでした。
「私も父も、山秀は弟が継ぐと思っていたんです。だから、私が幼稚園の先生になるときも反対されませんでした」
しかし、陽子さんの弟は接骨院を開業。続いて白羽の矢が立った陽子さんの夫は、サラリーマンから警察官へ転身。結果として、跡継ぎの話は陽子さんのもとへ巡ってきます。
「父は私に継いでほしいと言うようになって。ナイフのことは全然わからないので、私はずっと拒み続けていました」
なんとしても会社を継いでほしい敏雄さんに対し、断固拒否する陽子さん。互いに譲れない思いがあり、ぶつかり合う日々が続きました。
幼稚園の先生をしていた頃の陽子さんは、友人と一緒に子育ての講座を開いていました。陽子さんの気持ちが変わり始める転機になったのは、意外にもその講座です。
「驚いたことに、父が参加の申し込みをしてきたんですよ。父曰く、私が刃物屋を継がず本気でやりたいことは何なのか理解しようと思った、と。母と一緒に参加した父は『これは刃物屋の仕事をやりながらでもできるぞ』と話していました」
そうは言われても“やりたくないことをやらなければいけない”というプレッシャーを強く感じていた陽子さん。気が滅入り、思うように体が動かなくなった時期もありました。

少し休んで動けるようになってきたとき、陽子さんは断捨離をしようと思い立ったそうです。
「断捨離を提唱した、やましたひでこさんのお弟子さんのところへ学びに行きました。家のなかを片付けた後、会社も片付けるようになって。捨てられず置きっぱなしになっていたものを整理していったら、なんだか不思議と自分のなかにある問題や悩みも整理できた気がします」
陽子さんの変化を間近で見ていた夫は、ある言葉をかけてくれました。それを聞いて心が決まったといいます。
「夫が『お父さんのような社長じゃなくても、自分なりの社長になればいいんじゃないの』と言ってくれたんです。たしかに私は、父のやり方を踏襲しなきゃいけないと思っていました。でも、そうではなくて、私なりのやり方でやればいいのかなって」
夫から背中を押され、陽子さんは2017年に山秀の社長に就任。敏雄さんの昔ながらの社長像に倣うのではなく、自分の考えに沿って会社を運営し始めました。
ときには、社長を退いてもなお山秀を大切に思い続ける敏雄さんと議論を交わすこともあったそうです。
「私は、従業員を信じていれば、自由に楽しみながらいい仕事をしてくれると思っています。一方、父は長く山秀を背負ってきた責任感から『社長として隅々まで細かく指示を出すべきだ』と言いました。父の思いもわかるので、父の立場に寄り添いつつ『私のやり方を見守っていてほしい』と自分の意思を伝えたつもりです」
山秀の社長に就任してから、陽子さんは山秀を慕うお客様の気持ちに何度も触れました。
「お客様は、本当に楽しそうにナイフの話をしてくれます。キャンプでこうやって使ったとか、イワナを捌きやすかったとか。ナイフという道具にこだわって大事に使っている姿は素敵だと思いました」

山秀のショールームには常時1,000点以上のナイフがあります。ナイフが手に馴染むかどうか確かめるには、やはり実際に握ってみるのがいちばんです。
「電話で握り心地を聞かれて私が代わりに握ってみても、その方が握ったときにしっくりくるかはわかりません。いろいろなナイフを実際に触って試すために、遠方からたくさんの方が来てくださります。山秀を昔から知っており、どうしても来たくてやっと来れたと話してくれた方もいました」
お客様とのやり取りを通じ、祖父の代から続いてきた山秀がたくさんの人に愛されているとわかったそうです。同時に、ナイフにまったく接点がない人も大勢いるという課題も感じました。
「道路沿いで市役所も近いからか『山秀さんの存在は知っています』とよく言われます。でも、みなさん店に入ったことはありません。ナイフは自分たちには関係ないと感じている方がほとんどです。実際、お客様は県外からいらっしゃる方が多く、9割近くが男性。だから、地元の方や女性にも興味をもってほしいと思いました」

陽子さんはナイフや山秀のよさが見えてきたからこそ、自分にしかできない方法でアピールしたいと考えました。
その新しい取り組みのひとつが「cafe sun」。陽子さんの友人で発酵生活研究家の栗生隆子さんに協力してもらい、発酵調味料を使用した食事や地元のコーヒーなどを提供しています。
「カフェが好きな女性は多く、Instagramを見ていらっしゃいます。お会計の際に『ナイフのショールームがあるので、ぜひ見て行ってください』とお伝えすると、みなさん立ち寄ってくださるんですよ」

山秀の周辺には1人で気楽に立ち寄れるような場所が限られており、地域の人の憩いの場を作りたいという願いもあったそうです。男性でもナイフにはあまり興味のない人が訪れ、本を読む姿も見られます。
もちろん、ナイフが好きな人にカフェを利用してほしいという思いもあります。本棚にはナイフの本を常設。また、コーヒーにはナイフの形で型抜きしたクッキーを添えることにしました。
「ナイフを箱から出して、クッキーと一緒に写真を撮る方もいて。すごく喜んでいただいています」

カフェではナイフの作家さんをゲストに呼んでトークイベントやトレードショーも開催。トレードショーとは、ナイフのフリーマーケットや交換会のことです。
「山秀によく来てくださるお客様は、自分が好きなものについて語れる場所があまりません。『ナイフが好き』と周囲に話すと驚かれてしまうようです。だからこそ、山秀を通してナイフが好きな方たちにつながってほしいと思っています」

陽子さんなりのやり方で山秀を運営していくと、幅広い層の人が集まるようになりました。売上も向上しています。
自分とは対照的な陽子さんのやり方を当初は心配していた敏雄さんも、密かに理解を示すようになりました。
「父とはずっと喧嘩ばかりなんですけど。母から聞きましたが、少し前に父が『あいつの言うことは合っとったんかもしれんな』なんて話していたようです」
そう語る陽子さんの表情は柔らかく、ホッと安心しているようにも見えました。
社長になって10年目を迎える陽子さん。社長になってからよりも、社長になるまでの道のりのほうが大変だったと振り返ります。陽子さん自身が苦労しながら会社を継いだからこそ、子どもたちには継いでもらわなくていいと考えていたそうです。
「私の代で終わらせるつもりでした。子どもたちにはずっと『好きなことをしなさい』と言っていたんです。それで、息子も娘も東京に出ていましたし」
しかし、陽子さんの考えとは裏腹に、2人は数年前に地元へ戻ってきました。
「息子は、一度自分の力を試してみたいと言っていて。ナイフの世界はニッチで面白いからって」
現在は息子の西村優一さんが中心になって山秀を運営する体制に移行しつつあります。陽子さんは子どもたちへの引き継ぎを見据え、いつでも退けるよう準備しているところです。

「私は橋渡し役だったのかもしれません。父のナイフに対する思いを感じながら暮らしてきて、喧嘩しつつも継ぐことになって。息子や娘と一緒に山秀の事業を振り返るなかで、父は偉大だったと改めて思うようになりました。それを考えると、やっぱり継いでよかったと思います」
山秀を子どもたちに託したら、次は山秀にお客様を集める役割に専念したいと語る陽子さん。カフェをさらに充実させたり、料理教室を開いたり、やりたいことは尽きません。山秀の外に出て行き、ご縁を紡ぎたいという思いもあるそうです。
「ある方に『あなたは楽しみながら名刺を配ればいいのよ』と言われたことがあります。熊本で岐阜ナンバーのバイクを見かけたときにその言葉を思い出し、名刺を持って話しかけに行ったんです。その方は山秀を知ってくださっていて、今度遊びに行くと言ってくれました」
アドバイスが腑に落ちた陽子さんは、国内外でいろいろな人と交流しながら山秀の存在を広めていきたいと考えるようになりました。
「そのために、私がいなくても会社が回るようにしておこうと思っています。書類もきれいに整理してね」

陽子さんには、陽子さんならではの強みがあります。
先代の社長の思いを間近で感じてきたこと。
ナイフに興味がない人の気持ちがわかること。
人が集まる場作りができること。
家業を継ぐということは、必ずしも従来のやり方をそのまま続けることではないはず。「ナイフのことはわからない」という気持ちに真正面から向き合ったからこそ、陽子さんは自分らしさを最大限に発揮して活躍しています。
そもそも変化が激しい昨今だからこそ、新しい世代のその人ならではの感覚を活かすと、事業を維持発展させていくうえで大きな力になります。
周囲に期待されているからといって、自分の本心をごまかす必要はありません。自分らしいやり方を見出すことができれば、楽しみながら事業に取り組める未来が待っています。
Editor's Note
”やるべきこと”と”やりたいこと”をうまく組み合わせて会社を牽引する陽子さん。私も父と衝突した過去があり、葛藤を抱えながらも自分らしさを大切に活躍されている姿から勇気と希望をもらいました。
MIKI SETO
瀬藤 美季