HIROSHIMA
広島
広島県江田島市。広島駅から、路面電車とフェリーを乗り継ぎ、約1時間。瀬戸内海に浮かぶ江田島は、穏やかな海と豊かな自然に囲まれた、人口約2万人の島です。
江田島には、江戸時代末期創業、170年以上続く老舗醤油醸造会社「有限会社 濵口醤油」があります。
日本の食卓に欠かせない醤油は、日本の豊かな発酵文化を象徴する調味料。しかし、醤油業界は厳しい状況に置かれていることをご存じでしょうか。
1955年には日本で6,000社を数えた醤油メーカーは、現在は約1,000社にまで減少しています。(しょうゆ情報センター統計資料 より)
また、私たちの食の嗜好の変化や後継者不足など、様々な要因により、醤油の生産量や購入量も減少の一途を辿っています。そんな厳しい醤油業界にいながら、新しいことに挑み、醤油を作り続けているのが、濵口醤油です。
「おかげさまで、前期は黒字決算でした」と江田島の海の水面のように瞳を輝かせて語るのは、濵口醤油6代目の濵口督さん。厳しい業界に身を置き、老舗の歴史を背負いながらも、新しいことに挑戦し続ける濵口さんの姿は、多くの人を魅了しています。
濵口さんの物語を通して、ローカルで輝く事業づくりのヒントを探ります。
濵口醤油は、現在9人のスタッフで醤油づくりに励んでいます。
看板商品は「玉萬寿醤油(たまますしょうゆ)」。全国醤油品評会で何度も受賞歴のある、折り紙付きの逸品です。そして6代目の督さんが開発し、2007年から販売している「愛情料理 これ一本 味付け醤油」は玉萬寿醤油をベースにした万能調味料で、いまや濵口醤油を支える主力商品に成長しました。
現在は、自社ブランドの商品製造に加えて、飲食店のオリジナル商品の製造、高齢化等の理由で醤油を製造できなくなった醸造元から委託された商品の製造、という3つの事業を展開しています。
濵口さんが6代目として濵口醤油を継いだのは、22歳のとき。
濵口さんは、高校進学時から江田島を離れていました。
「いつかは江田島に帰る、そんな気持ちがありました。4年制の大学は不合格で、東京農業短期大学の醸造科にかろうじて補欠合格で入学できました」(濵口さん)
短期大学卒業後、都内の企業に就職した濵口さん。ところが、折しもバブル崩壊の真っ只中。入社からわずか9か月で、勤めていた会社が倒産してしまいます。
「ああ、これはもう、広島に帰るということかなって思いました」(濵口さん)
そうして広島に戻り、中国醬油醸造協同組合にて修行をしたのち、濵口醤油を継いだのは22歳の春でした。
当時の気持ちを振り返り、「社会の課題を解決しようとか、社会に貢献したいという志があったわけではなく、『継いで頑張るぞ』とかでもなくて。家族の順番的に『継がにゃしょうがなかろう』みたいな感じで。そんな前向きな気持ちじゃなかった」と語ります。
「日々、『やばいやばい。毎日やばい。』という感じでした」(濵口さん)
継ぎはしたものの、事業は全く軌道に乗らなかったといいます。
「当時はまだ経験も浅く、知識もなく、相談できる人もいない。老朽化した設備の更新など、色々と引き継いだ課題もたくさんあり、どうすればいいのかわからないという不安が山ほどありました。でも、一番の恐怖は、単純に醤油の消費量が減り、売れなくなってきたということです」(濵口さん)
江田島に帰ってきた時は、バブル崩壊と規制緩和の政策の影響で、食料品店、酒屋、八百屋がどんどん店を閉めていき、取引先がどんどん減っていきました。濵口さんは不安と恐怖を抱きつつ、販路拡大に奔走することに。
「さらに、あの頃から家庭での醤油の使用量も目に見えて減っていったんです。お盆の時期に持って行った醤油が、年末になってもまだそのまま置いてある。
そういう光景を目の当たりにして、もう家で醤油をあんまり使わなくなってきているんだなあというのを、すごく肌身に感じました。
お客さんを早く増やさんと、長いこと続けられんな、という恐怖が一番しんどかった。お客さんに必要とされるものは何か、ちゃんと考えて、お客さんが使うものを作らにゃいけん、と心底思いました」(濵口さん)
決して前向きな気持ちだけではなかったものの、常に目の前のことに全力で取り組み、未来を見据えて奔走していた濵口さん。その後、事業はどのように展開していったのでしょうか。
以前の濵口醤油は、主に飲食店向けに醤油を卸していました。しかし、景気の影響を受けやすく、また、料理長の交代で売上が左右されるなど、飲食店だけに頼る経営は不安定だと感じた濵口さんは、2000年頃から、一般家庭向けの商品開発に乗り出します。
濵口さんが開発に着手したのは、それまで濵口醤油にはなかった、醤油の加工品。
「当時、江田島の我が家では週に一度は魚の煮付けが食卓に並んでいたので、魚の煮付け専用の調味料を作れば売れると考えたんです」と濵口さんは話します。
濵口醤油がつくる醤油の加工品(「愛情料理 これ一本 味付け醤油」)。ふたを開けると、フワンと醤油の香ばしい香りが鼻をくすぐるのが印象的。しかし、口に含むと醤油の主張は穏やかで、鯖やかつお、昆布など旨味素材の風味と、ほんのりした優しい甘味がバランスよく口の中に広がります。
実際に、鶏の照り焼きや、魚の煮付けを作ってみると、素材の持ち味を最大限に引き出す名脇役のように、それぞれの風味豊かに仕上げてくれました。醤油の味や甘さが前面に出過ぎて、素材の個性を覆い隠してしまう一般的なタレ類とは、一線を画しています。何が違うんだろう?
どんな素材も活かす、絶妙な味付け。どのように開発したのか、と尋ねると「材料の配合は、料理人さんたちに教えてもらいました」と濵口さん。え?普通、料理人の味付けって企業秘密なのでは?
「企業秘密です」と笑いながらも、秘訣を教えてくれました。
「当時、100人以上の料理人さんと接していました。何十回と通い、納品先の調理場でプロの技をずっと見て、これは何の材料ですか?どうして今いれたんですか?と聞いて、教えてもらい、その知識を蓄積していきました」(濵口さん)
企業秘密である、料理人の味付けを教えてもらえたのは信頼の証。それは、濵口さんが何度も熱心に厨房へ足を運び、真摯に質問を重ね、熱心に研究をしたからに他なりません。そうして完成した渾身の作品が、「魚の煮付け名人」です。
しかし、満を持して発売したものの、思うように売れませんでした。それはなぜでしょうか?
広島県商工会連合会が運営するお店「ひろしま夢プラザ」に持ち込んだところ、仕入れ担当の方から、「こちらの人は、月に1回も魚を煮付けん。商品名を変えれば取り扱う」と言われてしまいます。
この提案に、濵口さんは抵抗。「魚の煮付け名人」で商標登録も済ませ、ラベルも1万枚近く刷り終わっていたからです。
「でも、正直なところ『魚の煮付け名人』はそんなに売れていなかった。だから、この人の言うことも聞いてみようかなと。『うるさい、黙っとれ』と言うんじゃダメ。人の意見に耳を傾けることも必要だと思ったんです」(濵口さん)
そうして、新たな商品名を考えはじめたとき、名付けのヒントをくれたのは、濵口さんの奥様でした。
「妻が肉じゃがでもひじきでも、何でも『これ一本』で料理していたんです」(濵口さん)
お客様からも、湯豆腐など様々な料理に活用されているという声が届いていました。これらのヒントから、仕入れ担当者と相談し、「愛情料理 これ一本 味付け醤油」という商品名が誕生。
その使いやすさを表すストレートなネーミングにより、「愛情料理 これ一本 味付け醤油」は、仕入れ担当者がRCC中国放送の「一文字弥太郎の週末ナチュラリスト」というラジオ番組で紹介したことを契機に、爆発的に売れるようになります。
「開発当初は、色々な料理に使えるように作ったわけではなかったんですが、結果的に万能調味料になったというわけです」と濵口さん。
現在、濵口さんは、InstagramやXなどのSNSで発信をしたり、ポン酢づくりのワークショップを開催したりするなど、時代に合った形で醤油文化の魅力を伝えています。
老舗企業の伝統産業の社長が自らSNSで発信をするなんて珍しいのでは?と尋ねると、「やったらやっただけ反応があるのが楽しいですね。これまでは知っている人しか店に来なかったけど、一見さんが来てくれるようになりました。今日も『埼玉から来ました』という方が来てくれて」と、友達が増えた子どものように嬉しそうに語ります。
濵口醤油にとって、お客さんとの交流は宝物。
お客さんが作った料理のアイディアをレシピ集に採用したり、お客さんが商品を使ったエピソードを広島FMのCMコンテストに応募して「SUPER SUPER賞」という賞を受賞したり。お客さんとのつながりはかけがえのないものです。
常連さんばかりだったところから、SNSを見たという初めてのお客さんが来るようになった濵口醤油。
これまで認知されていなかった方々に、濵口醤油のことが届いているという手応えを感じた濵口さんは、「お客さんがもっと醤油屋を楽しんでくれるにはどうしたらいいか?」と考えるように。
SNSへの挑戦は、新しい客層を獲得しただけでなく、新しい事業への想いも育くんでいます。
濵口醤油では醤油などの調味料に加えて、店内で「醤油屋プリン」や「みたらし団子」を販売するようになりました。
「なんか珍しいもん出しとったら、お客さんが来るんじゃないかなと。で、プリンと一緒に醤油も買ってもらおうと」とおどけた顔でいいながらも、「本当はお客さんのため。醤油なんか興味ないけど、まあ団子があるんなら行ってみようか、と、お客さんが楽しんでくれたらいいな、と思っています」と、続ける濵口さん。
プリンは、江田島市内でスイーツを製造・販売している「てくてくのさつまいも本舗」とコラボレーション。プリンに濵口醤油のポン酢やみたらしソースを添えて提供しています。
また、同じく江田島市内で和菓子をつくる「長田製菓」からは、「『愛情料理 これ一本 味付け醤油』を使った餡で団子せんか?」と誘われ、「そんなもん売れるかーい」と笑いつつも新しい味に挑戦。
地元企業との連携で、新しい商品展開を始めています。
そんな江田島市の魅力を「一緒に商売してる人と連携が取れるところ」だといいます。
「いろんなところで顔を合わせたり、イベントなどで一緒に出店したり、隣同士になって喋っていると、そのうちこういうことやろうかとかね。意識して繋がるというよりは、自然にそうなっています」(濵口さん)
意識はせずとも自然と人と繋がっていく、その風土が江田島市の魅力のようです。
「濵口よ、迷ってはいけない。迷いの世界に入ったら出てこれんようになるぞ。自分が決めたらもうそれでやりきらないといけんぞ」
広島の日本料理店「村上水軍」の料理長にかけられた言葉は、濵口さんの支えになっています。
「『醤油は終わった業界』と言われることもありますよ。6,000社あったのが1,000社になった。そして、そのうちのどれだけが生業として成り立っているかわかりません。
沈まないように。飛び出なくてもいいから、沈まないようにという感じですね。突き抜けるかどうかは、必要ないですから。事業が回っていけばいいんです。大企業にはなろうとは思いません。『しぶといの』って同業者に言われるように頑張ります」(濵口さん)
そして、醤油の魅力についてこう教えてくれます。
「醤油って、本当に面白い。例えば、九州の醤油は甘いのが特徴とよく言われます。これは、“混合”という醸造方法で、アミノ酸液を加えることで塩味をまろやかにしています。アミノ酸液を使っていないのは“本醸造”といいます。こういった醸造方法を見て醤油を選ぶのも面白いですよ」(濵口さん)
濵口さんは恐れる気持ちと向き合い、それを糧に、日々の積み重ねと人との繋がりを大切にしてきました。
その歩みは、ローカルで輝く事業を築く上で、普遍的なヒントを与えてくれます。
私たちもまた、恐れる心を原動力に、足元からの繋がりを大切にすることで、それぞれの地域で、持続可能な未来を「醸す」ことができるのではないでしょうか。
本記事はインタビューライター養成講座受講生が執筆いたしました。
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Editor's Note
濵口さんから教わった醤油の選び方のポイントは3つ。①JASマークがあると安心の証②醤油の等級(特級など)③醸造法(本醸造、混合など)、とのこと。取材を通して知った醤油の魅力にはまりました。醤油を選んで買う、それがこれからの楽しみです。
Harumi Murooka
室岡 晴美